異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

文字の大きさ
64 / 1,121

暗中 3

しおりを挟む
 マルとの交渉については、一方的にハインが話したのみで、ほぼ終わった。
 俺は何度か部屋を空け、ワドと交代で、明日の会議に向けての準備を進めた。
 レイの状態が心配でならなかった。
 本当に、無理やり自分を保っているのだと思う。常に貼り付けておく笑顔の維持ができていない。
 気持ちの波が襲ってくるのか、急に怯えた表情をしたり、苦しそうに耳を塞いでいたりする……。本当なら、部屋を出て来たくはなかったろう……。そう思うと可哀想でならなかった。
 だが、サヤがここを離れてくれたのは、ある意味良かったのだと思う。
 サヤがいたら、きっともっと無理をした。
 俺やハインだから、まだここまで見せているのだと思う。そこまでを譲らなければならないくらいにギリギリなのだ。

 ルーシーとサヤだが、サヤは使用人の服装……但し、男装で。ルーシーは、主人筋の人間だと分かりやすいよう着飾って向かったそうだ。それ以外にも、比較的体格と風貌に恵まれた、腕に自信のある使用人が一人、つけられた。
 バルチェ商会は街の外縁に近く、ゴミゴミした地域に店を構えていたので、二人用の馬車で向かった。
 しかし、遅い……。
 一時間もあれば帰ってこれるはず……。なのに、その時間は過ぎている。
 長居したい店でもないだろうに……。やはり俺が行けば良かったか?    と、考えればキリがない。苛々が募ったが、やらなければならない事も多く、時間を作る為にも仕事をこなしていくしかなかった。

 そして更に半時間が経つという頃合いになって、ようやっと馬車が戻って来た。
 俺は、仕上がり間近の衣装に誤りがあり、修正が必要かもしれないという報告を受け、その衣装の確認に来ていた。
 店の奥で衣装を広げ、修正が必要と言われていた部分が、後からの要望で訂正されたものだと確認し、修正不要だと分かって胸を撫で下ろす。貴族の仕事はややこしいことが多い。次から次に、細々修正が入るのだ。
 その俺の視界の端をルーシーがコソコソしている。
 俺には気付いていないようだ。サヤの手を引き早足で進む。だから俺はルーシーが近くに来た瞬間に、鋭く「くぉら!」と、声を掛けた。
 おかしなくらい、ルーシーが跳ねる。

「な、なに?    今ちょっと、急いでるから……報告は後で来るからっ」
「何しでかしてきた……。なんでコソコソと、逃げるんだ……?今話せ。すぐ話せ」
「き、着替えが先!    叔父様の変態‼︎サヤさんや私の着替えを覗くつもり⁉︎」
「お前がそうやって、誤魔化そうとしてんのは、見え見えなんだよ‼︎」

 サヤを背後にかばいながら後ろ向きに歩き、店の奥に足を進めるという、器用なことをこなしながら、ルーシーが俺から必死に隠そうとしているのは、どう見てもサヤだ。
 俺も遠慮せず大股で距離を詰める。
 すると、あまり好ましくもない独特の匂いが一瞬鼻腔を掠め、俺の眉間にシワが寄った。
「あ、あの……」と、もう一人、一緒に行っていたはずの使用人が、背後から俺に話し掛けて来るが、そいつに向かって「黙ってなさい!」と、鋭く命令するルーシー。そこで俺の堪忍袋の尾が切れた。

「黙ってるのはテメェだ‼︎」

 怒鳴りつけてルーシーを引き剥がす。
 ほぼぶん投げられたルーシーを、同行していた使用人が慌てて受け止めた。

「サヤ…………」

 血だ。
 サヤの左袖が、血に染まっていた。
 上腕を手拭いで縛ってあり、それも半分ほど赤く染まっていた。
 血の気の引いた顔。だが意識ははっきりしているようだ。視線が俺を見ていた。
 隠したかったのだろうが、血の匂いがするのだ。誤魔化されてたまるか。
 俺の視線に一瞬怯んだが、サヤは毅然と顔を上げ、口を開く。

「大丈夫でした」
「何がだ⁉︎」
「ちゃんと、動けました。私……レイシール様の護衛を、勤めることが、出来そうです」
「怪我の話が先だろ⁉︎    何言ってんだ!」

 腕をつかもうとして、逃げられた。歯噛みするしかない。こんな状態なのに、傷の手当てすら拒否するのかよ⁉︎
 拳を握る俺に、使用人が治療道具を持って来ますと言って、その場を離れる。
 ルーシーは、何かギャンギャン騒いでいるが無視した。今はそれどころじゃねぇ。
 サヤに一歩を踏み出すと、サヤは一歩下がる。俺は焦りを押し殺して、サヤに語り掛けた。

「ルーシーに、応急処置なんて上等な真似は出来ねぇぞ。こっちに来い、手当てするから……」
「じ、自分でしますから……」
「どうやって⁉︎    片腕で何をするんだ!」

 怒鳴りつけ、驚いて身を縮こませるサヤの姿に、必死で怒りを押し殺しす。
 怒りたいんじゃねぇんだ……早く手当てをしたいだけなんだ……。だがこいつは、こんな状態でも男に触れられるのは嫌であるらしい。
 誰なら治療可能だかを考えて、俺は決意した。背に腹を変えてる場合じゃない……。

「じゃあいいから、ついて来い。早く治療しねぇと、血を失くしすぎるぞ、分かってるよな」

 睨みつけて言うと、サヤは渋々、こくりと頷く。よし。俺は踵を返した。サヤがついてくるのを確認し、足を早める。
 そして向かったのは応接室だった。
 女中に頼むこともできるには、できた。だが、これはレイに隠して良いことではないと、思ったのだ。

「あのっ……い、嫌です……大した怪我じゃないんです……」

 俺の向かう先を察したサヤが、泣きそうな声でそう言うが、俺は足を緩めなかった。
 そのうち、袖がツンと、引っ張られるが、それも無視した。
 訪を告げることもせず扉を開く。当然ハインとレイがいて、レイは長椅子に。ハインは執務机で作業を行っていた。
 急に開いた扉にビクリとしたレイが、胸元を握りしめていた。不安定な瞳が、俺を見る。俺はレイの元にまっすぐ進んだ。すまん……今の状態のお前に、また負担を掛ける……。けど……。

「レイ、……サヤの手当てをしてやってくれ……」
「……手当て…………?」

 サヤ。手当て。という二つが、結び付いていなかった顔のレイが、次の瞬間に目を見開く。
 俺の背後に視線が縫い付けられていた。
 限界まで見開かれた瞳が、恐怖に染まる。

「サヤ‼︎」

 悲鳴のような声を上げ、立ち上がった。
 サヤはというと、レイの声に泣きそうな顔になり、二歩ほど下がって逃げようとする。
 それをレイは追って、右手を掴んで阻止した。
 その姿に、少なからずホッとする。
 サヤに触れられる……そして、レイは逃げなかった……。良かった、手当てが出来る。

 俺は、使用人が持ってきた治療用具を受け取り、長椅子前の小机に広げた。
 次に水差しと盥が運び込まれる。
 長椅子までサヤを引っ張ってきたレイが、無理やり座らせてから、血に濡れた袖を、治療用具の中にあった鋏で切る。傷を押さえているらしい手拭いも毟り取った。
 その間に俺は、無用な使用人を遠去ける。ワドに、外のことを任せると告げると、ワドは静かに一礼してから、退室した。
 そしてサヤを見る。

「お前……」

 つい、呻いてしまった。
 刃物の傷だ。十数センチの、長い傷が、腕を縦に切り裂いていた。
 それを見てようやっと、さっきの言葉の意味を知る。
 刃物の相手ができましたってことかよ……この状態で、よくそんなことを口にできるな。
 まだ血すら止まっていない……どくどくとまではいかないが、じわりじわりと滲み出る血が、肘の方に伝っていく。
 痛みがない筈がない……。なのにこいつは、泣き言も、呻き声一つすら、あげていない……。
 その根性には感服するが、逆に痛々しい。泣けよ。痛いって言え。そんなもんまで堪えてんじゃねぇ。

「縫うほどでは無いようですね……。サヤ、事情を説明してください」
「それは後だ‼︎    ハイン、手拭いを塗らせ」

 やって来たハインが、冷静に傷を見て言ったが、レイがそれを、声を荒げて制止した。
 サヤがビクリと反応し、身を竦ませる。
 レイはサヤの手当てのやり取りを、おろおろと見守っていたルーシーを見つけ、こちらに呼んだ。こいつはワドに引っ張り出されなかったらしい……。静かだから、全然気付かなかった。

「ルーシー、お願いがある……サヤに触れられるのが、今、君しかいないから……。
 サヤの腕を、動かないよう持っていてもらえる?傷口を洗うから……サヤも、浸みるけれど、我慢するんだよ。すぐに済むから……」

 冷静な、落ち着いた声音だった。レイの顔を見ると、瞳に先程までの不安定さは伺えない。
 一時的なものであるかもしれないが、サヤの血で冷静さを取り戻せたらしい。
 ルーシーがやって来て、固まった血で斑らになっているサヤの手首を、両手で握り締めた。
 腕を横に伸ばして、下に盥を置く。濡らした手拭いで、傷口回りの固まった血を丹念に拭き取り浄めてから、その上で水差しの水を腕に掛ける。
 血の流された腕に、また血が滲むが、手拭いでさっと拭ってから、レイは傷口を開くようにして中を確かめた。

「んっ…………」

 そこで初めて、サヤが呻いた。
 傷口を開かれるのだから痛いに決まっている。若干癒着しかけてたのが剥がされ、また血の量が増えた。
 水を掛けられたのも痛かったと思うが、それは耐えるのだから……サヤは見た目に反し、かなり我慢強い。たまに男でも泣くからな。
 サヤの呻き声に、レイは辛そうに顔を歪める。しかし手は緩めない。傷口の中に異物が残っていれば、今以上に酷い結果が待っているのだから、妥協はできないのだ。
 だが見ただけでは安心できないらしい。ルーシーに状況を確認する。

「……傷口に、汚れが入るような可能性は、あった?」
「い、いえ……無いと、思います。室内でしたし……」

 サヤの傷口を開くレイに、ルーシーの方が青い顔になっていたが、気合いで返事をしていた。
 それにレイも頷く。

「うん、見た感じも、汚れは無いか、流れたように見える……。なら、次は包帯を巻くから」

 傷を開くのを止め、今度は腕を鷲掴みするようにして傷口を合わせ、上に油紙を当てる。
 更にその上から包帯で、きつめに縛っていく。
 サヤは悲鳴を上げない。痛いに違いないのに……拳をぎゅっと握りしめて耐えていた。
 額に汗を浮かべ、歯を食いしばり、呻き声を飲み込むように、唾を嚥下している。
 一通りが終わると、さすがにぐったりとしていた。というか、今までよくもまあ、という感じだ。声を漏らしたのは一度きりだ。驚嘆に値する。

 俺も肩の力がやっと抜けた。ああもう……流血沙汰とか最悪だ……。でも、良かった。あの程度の傷で済んで。命に関わる様なものでなくて……。後は傷が、残らなければ良いんだがな……。
 ルーシーがそっと、腕を離す。
「サヤさん……」と、心配そうに声を掛けると、長椅子の背凭れにしなだれかかったままではあったが「大丈夫ですから」と答え、うっすら微笑んだ。

 と、そのサヤの頭が、唐突に傾ぐ。
 レイだった。
 サヤを、胸に押し付ける様にして抱きすくめていた。
 一瞬呆気にとられていたサヤが、次の瞬間真っ赤になる。

「いえっ、あの!    み、見た目ほど痛くは無いです。
 流石に、水を掛けたり縛ったりは痛かったですけど、痛みには慣れているというか、ズキズキする程度で、そんな大したものでは……!」
「動かさない!」

 レイに怒られ、またピタリと止まった。
 だが、怯えた様子では、ない。
 俺は、ちょいちょいとルーシーを手招いた。
 ルーシーも、音を立てない様にそっと、サヤの横を離れ、こっちにやって来る。

「報告は、サヤから聞く。出てろ」
「…………はぁぃ……」

 流石に、察することはできた様だ。
 ルーシーが退室した後も、レイはサヤを離さなかった。
 少しでも力を緩めてしまったら、サヤが居なくなってしまうとでも思っているのか、両手でがっちりと抱え込んでいる。
 今更怖くなってきたのか、サヤの頭を抱くレイの手は、震えていた。引き結ばれた唇も震えていた。そしてただひたすらに、サヤに縋り付くかのように、抱き締め続けていた。
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

おばさんは、ひっそり暮らしたい

蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...