異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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繋縛の呪い 8

 部屋を出た俺に、いつの間にやら待機していたらしいシザーが、そのまま付き従ってきた。
 赤縄を張り終えて、戻っていた様子。つまりマルも、戻っているのだ。
 ならば、騎士らも、一部は兵舎に戻っているのだろう。

 シザーは何も言わない。
 俺も何も言わなかった。
 お互い無言のまま、ただ足を進めて、兵舎にたどり着いた時には、急いた気持ちで心持ち、早足になっていた。
 訓練用の大部屋を突っ切って奥へ。
 応接室と待合所を兼ねた広間に顔を出すと、やって来た俺に驚いた幾人かの衛兵や騎士が、慌てて立ち上がる。

「すまない。ユストは戻っているか」

 中に入るなりそう問うと、騎士の一人が部屋にいますと声を返してくれた。
 礼を言って、ユストの部屋の位置を聞き、案内しますと言う騎士に、必要ないと断った。
 今はまだ、ユストのみだ。
 ユストに会う。
 俺が背負うべきものを、彼に伝えるために。

 階段を上がると、二階は閑散としていた。ほとんどの者は出払っているのだろう。
 少々奥まった位置にある彼の部屋は、他と変わらぬ造りの小部屋。

「ユスト」

 部屋の扉を叩き声を掛けると、一瞬の沈黙の後、少し上ずった返事が返り、カタコトと何か音が続いた後、しばらくして扉が薄く開いた。
 ちょっと焦った表情で、部屋の中を身体で塞ぐようにして……俺の前に立つユスト。
 警戒していることを伺わせる、硬い表情。

「あ、あの?    なんでしょうか……」

 先程の怒りはどこへやら。
 もしくは、今はもう、それどころではないといった様子か。
 ユストの表情を余さず観察してから俺は、覚悟を決めて口を開く。

「ユスト。マティアス医師の理念。あれを今一度、教えてもらえるか」

 そう問うと、彼は少し小首を傾げてから、すらすらと言葉を紡いだ。

「命に貴賎は無い。国籍、民族、宗教、社会的地位または政治上の意見によるいかなる差別もせず、治療を行う……」
「その通りだな。命に貴賎は無い」

 獣人も、人も、変わらない。そうあるべきだ。

「その理念を、君も掲げるのか」
「……医師としては、それが正しい姿だと、思っています」

 医師としては……か。

「医官としては、そうも言ってられないか」
「役割がありますから……そうなるでしょうね」

 神妙な顔で、彼は自分の意思を誤魔化すように、そう口にした。
 医師としては、正しい姿……。けれど、それが実際できるかというと、そう簡単な話ではないだろう。
 世の中には秘匿権という価値観があり、特別なものには特別な価値がつく。それは医療の分野も然り。だから医者の数は足りず、医者にかかれる経済状況にない家庭は、ただ祈りを捧げて回復を願うしかない。
 彼は前に、父親の掲げる理念を「今の社会」じゃ、通用しない。と、俺に言った。
 そしてそこに、俺は活路を見出している。彼を得るための、細くて脆い蜘蛛の糸。

「ではユスト。俺が、医官になることを諦めてくれと言えば、君はどう思う?」

 急に言われた言葉に、彼は戸惑った様子を見せた。
 そして、少し逡巡してから……。

「それは俺に……求めるものが、あるということですか?」

 その質問に、俺は頷きを返した。
 今の最善を改めるためには、彼が必要だ。けれど、それには彼が医官を目指すことが、障害になる。

 医官というのは、国軍に所属する医師であり、騎士だ。
 戦場にも同行するため、一般の騎士と同等の体力や剣術、馬術の腕を要求される。
 その為、なり手が極端に少ない。ゆえに高給取りであり、国に属し、身分を保証される身となるのだ。
 彼の人となりは、もう充分見てきた。その腕も、認めている。だから騎士になった今、彼が医官になるための道は、拓けたも同然だろう。
 だが、俺の元を離れて国に属したならば、理念は優先されない。価値の基準は彼個人にではなく、国に置かれることになる。

「医官は国に属する。そうなれば君は、俺の手を離れてしまう……。
 だがユストが、マティアス医師の理念を、俺の元で遂行してくれるというならば、君の立ち位置は、俺がセイバーンに用意しよう。
 ついでに、ナジェスタ医師にも、この村の居着きとなってもらうことができる。治療院をこちらで用意することもしよう。
 どうだろう?    どうか、考え直してくれないか。
 …………君の人生を、俺が買い取る代価には、まだ、足りないと思うが……」

 買収を持ちかけられていると悟ったユストの顔が、だんだんと強張っていくのを見ながら、俺は胸に膨らむ不安を必死で押さえ込んでいた。
 彼の家庭での立場はこの前聞いた。
 だから俺が国と彼を取り合うならば、あの話の中にしか、付け入る隙は無いと思った。
 国ほどの好待遇も、給金も、正直用意してやれないだろう。
 だが、セイバーンの長となるこの立場を最大限活用すれば、彼が望むものを与えることはできると思う。……いや、してみせる。

「俺の人生を買い取るって……むちゃくちゃ不穏なんですけど……」
「それくらいの覚悟を君に要求することになる。
 俺と共にいるというのは、そういうことになるんだ。
 だが、無理を承知で俺は、君が欲しい。
 どうすれば、国を諦め、俺を選んでくれる?
 言ってくれ。できうる限りのことはする。支払えるものならなんだって……」

 ユストの腕を掴み、必死で言葉を尽くす。けれど彼は、それを遮るように、俺の肩をぐいと押し返し、焦った様子で俺から身を離した。

「待って!    待ってください⁉︎    なんか凄い誤解を招くようなこと言ってますって!
 自分で何を口にしてるか分かってらっしゃいますか⁉︎」
「無論だ」
「いや、それじゃ余計おかしいですよ⁉︎」

 そこで不意に。
 廊下でやり取りしている声を聞き咎めたのか「どうしたんだ?」と、こちらを案ずる声が掛かり、俺たちはピタリと口を閉ざした。
 気づけば隣の部屋にいた騎士が、恐る恐る部屋から顔を覗かせ、不審そうな視線でこちらを見ている……。
 今自分がいる場所を失念していた!
 とっさに言い訳が思いつかず、狼狽えるしかない。するとユストは、慌てて「なんでもない!」と、叫び、俺とシザーを部屋に引っ張り込んだ。
 ……の、だが……。

「……ユスト、これは…………」

 道具が散乱した室内。
 寝台の上に、大きく口を広げた鞄と、数多の医療道具。
 そして机の上に置かれた書き置き…………。

「あああぁぁぁ、忘れてた!」

 膝をついて終わったとばかりに悲嘆にくれるユスト……。

 彼の部屋は、所狭しと不思議な道具が散乱していた。
 その中から必要なものを選び出し、鞄に詰めて、現場に赴くのだろう。
 つまり、何故か今、その準備がされている途中だった。

「…………赤縄の中に入ることは禁ずると、厳命したはずだが」

 そう言うと、ユストはまた、表情を歪める。
 そして勢いのままガバリと身を起こし、俺に言葉を吐こうとするから、その口の前に指を添えて、黙らせた。
 彼の行動が、全てを語っていた。
 自分は医師なのだと。
 その矜持は、命を救うためにある。身分や命令などには、縛られやしないのだと。
 俺の命令なんて、糞食らえ!   と、思っているのだと。

 俺は……自然と口元が綻ぶのを、止めはしなかった。
 彼はきっと、父上の理念を何よりも大切にしているのだと思う。だから、後継という身分も捨てたし、医官にだってなろうとしたのだ。
 ならば、彼は俺の条件を飲むだろう。医官になることが目的ではない。それは手段なのだ。彼は、父上の理念を守りたいがために、その道を選んだ。
 俺が求めているのも、正にそれだ。

「だが、俺に君が買われてくれるなら、許可を出そう。
 君がその理念を掲げて生きれる道と、場所を、用意する。
 そして……君を行かせなかった理由も話すよ」

 しばらく、黙って見つめ合っていた。
 けれど最後にユストは、顔を俯けて……大きく息を吐く。

「……レイシール様、悪い男みたいな言動になってるって、自覚してくださいよ……」

 そうしてから、小さな声で「買われます……」と、呟いた。
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