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5 決意
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バスに乗った。
僕の頭は寝癖が若干残ったまま。そのかわり心晴さんは、いつものツインテールを下ろし、首の痕を隠す髪型に変えていた。
「すごく大きな虫刺されだから、当面、隠した方が良いかもしれない」
彼女の言い訳を全面的に受け入れてそう言ったのだけど、僕が本心そう思っていないことは、心晴さん自身、理解していると思う。
だから、口を開かず、目も合わせない。お互い無言で、だけどいつも通り、並んで座った。
最寄りの停留所に来ても、どこか呆然としたままの心晴さんに代わって。
「芽衣さん!」
僕がそう声を上げたら、ビクリと肩が跳ねて、心晴さんがやっと顔を上げた。
「こはちー、こーたくん、おはよー!」
「芽衣ちゃん、おはよぉ」
「珍しいね、こはちーのお耳が無い!」
お耳扱いされてたか、ツインテール。
「えっと、たまにはその、イメチェンしようかなって」
なんとか笑顔と言い訳を無理やりひねり出した心晴さんに、芽衣さんは微笑んで。そして何故かチラリと僕を見た。
「へぇ……こはちーもそんな心境になる日が来たんだねぇ。
良いと思う! すごく似合ってる!」
「そっかな?」
「うん、可愛いっ。大人っぽく見える」
ねっ。と、同意を求められて、うん。と、僕も答えた。
心晴さんは、やはり若干、沈んだ表情ではあったけれど「そっか。でも落ち着かないな……」と、誤魔化し笑い。
僕はというと、彼女にあんなマーキングをした相手が誰かを、必死で考えていた。
このバスの中には、それらしい気配や視線は感じない。
あの痴漢サラリーマンも乗車していたけれど、僕らの方は見ないようにしている様子。
それに、もしあのサラリーマンなら、このマーキングのもとになっている何かを持っているはずで、お腹の猫が気付くだろう。
何より僕とは、登校も、授業も一緒。昨日は全く気にならなかったから、こんな痕は無かったと思う。あれば気づけたはず。だから昨日の夕方から、今朝まで。その間しか、彼女にマーキングできる時間は無かった。
だけど彼女の所属クラブは家庭科実習クラブで、女子部員しかいないと聞いた覚えがある。可能性は低いよな……。
昨日の夜……あの時にはあったのか? 暗かったし、見えていなかったけど……。
震えていた彼女の手を思い出し、もしかして、マーキングが理由で震えていたのか? と、そこでようやっと思い至った。
あの、お巡りさん二人? とは、思えないけど。
腹に手をやると、なんとなく感じる存在の滲み……。
猫は僕より早くから起きて、彼女の様子を見ていたはずだ。
なのに、マーキングに反応していなかったってことは、あの時にはまだ無かったってこと?
「なんか今日、二人して上の空だね?」
芽衣さんにそう指摘され、はっと我に返ったら、芽衣さんは悪戯っ子みたいな顔で意味深な視線を、僕らに向けてくる。
「あ、あはは……ちょっと昨日の小テストが二人とも、やばいかなって……」
「そ、そうなのぉ。大丈夫だと思ってたんだけど、ちょっとね、思い違いがあって……」
えー? と、疑い深くニヨニヨ笑う芽衣さんが下車するのを見送って、その後はやはり無言だった。
そのまま学校に着いてしまって、下駄箱まで足を進めたのだけど……。
「……はーちゃん、ちょっと来て」
「え?」
心晴さんの手を引っ張って、保健室に向かった。
この時間帯は、職員会議があるから、先生が不在であることが多い。行ってみると予想通りで、戸棚から勝手に大判の絆創膏を拝借し、連絡用ノートにその旨を書き記してから。心晴さんに向き直った。
「首、僕が心晴さんの髪にリュックを引っ掛けてしまって、怪我したことにしよう」
「え……」
「血が滲むくらいの引っ掻き傷ができた。髪の毛も結構抜けてしまうような、酷いことをしてしまったんだ。
だから、当分髪は下ろしてることにした。
バスが急停止で揺れた時に、僕のリュックがぶつかってしまったんだ」
「…………」
「はーちゃん、良い?」
「うっ、うん……」
髪をかき上げてとお願いすると、両手で髪を掬い上げるように持ち上げてくれた。するとやはり、鬱血した部分に目玉が重なっている……。
ぎょろりとこちらを見る目玉を睨めつけて、極力髪を巻き込まないように絆創膏を貼り付けた。
赤くくっきりとついてしまった痕……一日二日じゃ消えないよね。
こんなところにあったら、絆創膏を貼って隠したところで、良からぬことを言われるだろう。
そんな場所に、あんな風に目玉となるほどの情念を張り付かせていたのは、彼女の学友や周りの人たちに見せつけるためなのだと思う。
彼女が気付かないように、正面から鏡を見ても分からない位置……。いつも通り髪をくくり、僕の指摘であんな反応をしたということは、家族だって気付いていなかったんだろう。
心晴さんの心情も、体裁も無視して……。
イタズラにしては度を越しすぎているし、あまりにみだりがましい。
だいたい、彼女にそれほどまで接近できる仲であれば、彼女が遊んでいるだとか、不良っぽいとか、髪の色ひとつでそんな風に思われることに、傷ついていることも理解しているはずだ。
なのにこんな……彼女を中傷する相手の肩を持つようなことするなんて……。
彼氏だとしても、最低だろ。
…………ん、彼氏?
……彼氏!
パッと手を離して後ずさった僕に、まん丸な瞳を向けてくる心晴さん。
……そうだ、普通に考えたら彼氏がしたんじゃないの⁉︎
僕とか、クラスの男子とか、その辺を牽制するために、敢えて見える場所に!
そう思うと途端に恥ずかしくなってしまった。
「……ごめん、ちょっと、触りすぎかと思って……」
そう言うと心晴さんも、ボッと顔を赤らめ、慌てて髪を下ろし、乱れた後ろ髪を指で整えだす。
そうか……彼氏か。そりゃいるよね、こんなに可愛いのだもん。
しかも彼女は社交的で男女共に友人が多いのだ。心配もする……。
僕みたいなのが自分の彼女にベタベタ触れてたら、そりゃ……うん。
牽制くらいしたくなるだろう。
だけどそれは、彼女の同意の上での話だと思う。
あの痕を心晴さん自身が隠したいと思っているのだから、これは、間違ってない。
「その……誤解を招く位置に、あるから……その……言い訳は、しておいた方が、良いかなって……」
彼氏なら、そういったことも、する……。情念だって、燃やす……。
そう考えるとすごくモヤモヤズキズキムカムカしたけれど、その気持ちはぐっと飲み込んだ。
それより、今までその可能性に思い至らなかった自分が迂闊すぎる!
でもやっぱり、彼氏がいるとか、そういうことしてるとかは、秘密である方が良いと思う!
「い、行こう、教室っ」
「う、うんっ」
急いで教室に向かい、ホームルーム直前に駆け込むと、いつもと違う心晴さんの髪型に、皆が食いついた。
だからやっぱり、言い訳は用意しておいて良かったと思う。
特に僕の不注意での怪我だから……みんなは心晴さんに同情的で、怪しんだりする人もいなかったから。
でもこの反応を見るに……。
心晴さんの彼氏は、このクラスの人ではないのだろう。
誰にだって明るく話しかける心晴さんは、他のクラスにだって友達が多い。だから彼氏を特定するのは、大変難しい作業になるだろうなと思った。
でも……。特定は、しなきゃいけない。
彼女に目玉が張り付くほどの情念は、生身の人間には抱けない。
つまり、僕のターゲットとするものが、絡んでいる。
真っ当ではない感情は、自分も周りも不幸にしかしない。
心晴さんのためにも、取り除くべきだ。
僕の頭は寝癖が若干残ったまま。そのかわり心晴さんは、いつものツインテールを下ろし、首の痕を隠す髪型に変えていた。
「すごく大きな虫刺されだから、当面、隠した方が良いかもしれない」
彼女の言い訳を全面的に受け入れてそう言ったのだけど、僕が本心そう思っていないことは、心晴さん自身、理解していると思う。
だから、口を開かず、目も合わせない。お互い無言で、だけどいつも通り、並んで座った。
最寄りの停留所に来ても、どこか呆然としたままの心晴さんに代わって。
「芽衣さん!」
僕がそう声を上げたら、ビクリと肩が跳ねて、心晴さんがやっと顔を上げた。
「こはちー、こーたくん、おはよー!」
「芽衣ちゃん、おはよぉ」
「珍しいね、こはちーのお耳が無い!」
お耳扱いされてたか、ツインテール。
「えっと、たまにはその、イメチェンしようかなって」
なんとか笑顔と言い訳を無理やりひねり出した心晴さんに、芽衣さんは微笑んで。そして何故かチラリと僕を見た。
「へぇ……こはちーもそんな心境になる日が来たんだねぇ。
良いと思う! すごく似合ってる!」
「そっかな?」
「うん、可愛いっ。大人っぽく見える」
ねっ。と、同意を求められて、うん。と、僕も答えた。
心晴さんは、やはり若干、沈んだ表情ではあったけれど「そっか。でも落ち着かないな……」と、誤魔化し笑い。
僕はというと、彼女にあんなマーキングをした相手が誰かを、必死で考えていた。
このバスの中には、それらしい気配や視線は感じない。
あの痴漢サラリーマンも乗車していたけれど、僕らの方は見ないようにしている様子。
それに、もしあのサラリーマンなら、このマーキングのもとになっている何かを持っているはずで、お腹の猫が気付くだろう。
何より僕とは、登校も、授業も一緒。昨日は全く気にならなかったから、こんな痕は無かったと思う。あれば気づけたはず。だから昨日の夕方から、今朝まで。その間しか、彼女にマーキングできる時間は無かった。
だけど彼女の所属クラブは家庭科実習クラブで、女子部員しかいないと聞いた覚えがある。可能性は低いよな……。
昨日の夜……あの時にはあったのか? 暗かったし、見えていなかったけど……。
震えていた彼女の手を思い出し、もしかして、マーキングが理由で震えていたのか? と、そこでようやっと思い至った。
あの、お巡りさん二人? とは、思えないけど。
腹に手をやると、なんとなく感じる存在の滲み……。
猫は僕より早くから起きて、彼女の様子を見ていたはずだ。
なのに、マーキングに反応していなかったってことは、あの時にはまだ無かったってこと?
「なんか今日、二人して上の空だね?」
芽衣さんにそう指摘され、はっと我に返ったら、芽衣さんは悪戯っ子みたいな顔で意味深な視線を、僕らに向けてくる。
「あ、あはは……ちょっと昨日の小テストが二人とも、やばいかなって……」
「そ、そうなのぉ。大丈夫だと思ってたんだけど、ちょっとね、思い違いがあって……」
えー? と、疑い深くニヨニヨ笑う芽衣さんが下車するのを見送って、その後はやはり無言だった。
そのまま学校に着いてしまって、下駄箱まで足を進めたのだけど……。
「……はーちゃん、ちょっと来て」
「え?」
心晴さんの手を引っ張って、保健室に向かった。
この時間帯は、職員会議があるから、先生が不在であることが多い。行ってみると予想通りで、戸棚から勝手に大判の絆創膏を拝借し、連絡用ノートにその旨を書き記してから。心晴さんに向き直った。
「首、僕が心晴さんの髪にリュックを引っ掛けてしまって、怪我したことにしよう」
「え……」
「血が滲むくらいの引っ掻き傷ができた。髪の毛も結構抜けてしまうような、酷いことをしてしまったんだ。
だから、当分髪は下ろしてることにした。
バスが急停止で揺れた時に、僕のリュックがぶつかってしまったんだ」
「…………」
「はーちゃん、良い?」
「うっ、うん……」
髪をかき上げてとお願いすると、両手で髪を掬い上げるように持ち上げてくれた。するとやはり、鬱血した部分に目玉が重なっている……。
ぎょろりとこちらを見る目玉を睨めつけて、極力髪を巻き込まないように絆創膏を貼り付けた。
赤くくっきりとついてしまった痕……一日二日じゃ消えないよね。
こんなところにあったら、絆創膏を貼って隠したところで、良からぬことを言われるだろう。
そんな場所に、あんな風に目玉となるほどの情念を張り付かせていたのは、彼女の学友や周りの人たちに見せつけるためなのだと思う。
彼女が気付かないように、正面から鏡を見ても分からない位置……。いつも通り髪をくくり、僕の指摘であんな反応をしたということは、家族だって気付いていなかったんだろう。
心晴さんの心情も、体裁も無視して……。
イタズラにしては度を越しすぎているし、あまりにみだりがましい。
だいたい、彼女にそれほどまで接近できる仲であれば、彼女が遊んでいるだとか、不良っぽいとか、髪の色ひとつでそんな風に思われることに、傷ついていることも理解しているはずだ。
なのにこんな……彼女を中傷する相手の肩を持つようなことするなんて……。
彼氏だとしても、最低だろ。
…………ん、彼氏?
……彼氏!
パッと手を離して後ずさった僕に、まん丸な瞳を向けてくる心晴さん。
……そうだ、普通に考えたら彼氏がしたんじゃないの⁉︎
僕とか、クラスの男子とか、その辺を牽制するために、敢えて見える場所に!
そう思うと途端に恥ずかしくなってしまった。
「……ごめん、ちょっと、触りすぎかと思って……」
そう言うと心晴さんも、ボッと顔を赤らめ、慌てて髪を下ろし、乱れた後ろ髪を指で整えだす。
そうか……彼氏か。そりゃいるよね、こんなに可愛いのだもん。
しかも彼女は社交的で男女共に友人が多いのだ。心配もする……。
僕みたいなのが自分の彼女にベタベタ触れてたら、そりゃ……うん。
牽制くらいしたくなるだろう。
だけどそれは、彼女の同意の上での話だと思う。
あの痕を心晴さん自身が隠したいと思っているのだから、これは、間違ってない。
「その……誤解を招く位置に、あるから……その……言い訳は、しておいた方が、良いかなって……」
彼氏なら、そういったことも、する……。情念だって、燃やす……。
そう考えるとすごくモヤモヤズキズキムカムカしたけれど、その気持ちはぐっと飲み込んだ。
それより、今までその可能性に思い至らなかった自分が迂闊すぎる!
でもやっぱり、彼氏がいるとか、そういうことしてるとかは、秘密である方が良いと思う!
「い、行こう、教室っ」
「う、うんっ」
急いで教室に向かい、ホームルーム直前に駆け込むと、いつもと違う心晴さんの髪型に、皆が食いついた。
だからやっぱり、言い訳は用意しておいて良かったと思う。
特に僕の不注意での怪我だから……みんなは心晴さんに同情的で、怪しんだりする人もいなかったから。
でもこの反応を見るに……。
心晴さんの彼氏は、このクラスの人ではないのだろう。
誰にだって明るく話しかける心晴さんは、他のクラスにだって友達が多い。だから彼氏を特定するのは、大変難しい作業になるだろうなと思った。
でも……。特定は、しなきゃいけない。
彼女に目玉が張り付くほどの情念は、生身の人間には抱けない。
つまり、僕のターゲットとするものが、絡んでいる。
真っ当ではない感情は、自分も周りも不幸にしかしない。
心晴さんのためにも、取り除くべきだ。
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