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一章
四話 もう一人の淑女⑤
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「ようこそサクラ。ここに招くのは、本当にごく一部の近しい者たちだけなんだ」
輿が下ろされ、クルトが帳を開いて、先に外に出たわ。
そうしてもう一度、私に手を差し伸べてくれた。
「とはいえ、その……女性の君には興味の無いものばかりだと思うから、中のものはあまり気にしないで」
またもや視線を逸らしつつそう言うクルト。
趣味の研究って言ってたわよね……。何を研究しているのかしら?
そう思いながら、クルトの後に続いて屋敷の中に足を踏み入れた。
前庭の無い、一般的な大きさの屋敷。でも子供の持つものではないのは確かよね。これひとつが全部クルトの部屋として与えられただなんて、アウレンティウスの財力は本当に凄いのだわ。
そう思いつつ玄関広間に視線をやると、貯水鉢の奥に座していた石像に視線が釘付けになった。
水辺に膝をつき、両手で抱えた甕に水を汲もうとしているような、女性像。
いえ、甕から水を注いでいるのだわ。
まるで人が石になったみたい。あまりに艶やかで肉感的だったけれど、作りものだと分かったのは、成人した大人よりもひと回りくらい、その石像が大きかったから。
硬い大理石を緻密に掘った、衣服のひだまでが見事すぎる、繊細な拵え。
「水霊ニュンペー像。八百年くらい前に彫られたものだよ」
「ニュンペー?」
「グライキュアールという国の神話に出てくるんだ」
そう言いながらクルトは奥に足を進めたわ。
グライキュアールというのは確か……四百年ほど前に滅んだ国よね?
その国があったとされるのは……この、ムルス近辺。だけど、ここにも他から移ってきたと聞いた気がする。
けれどそれ以上思考は続かなかった。連れて行かれた部屋の光景に、また意識を取られてしまったから。
足を踏み入れた部屋は、大量の薄い木箱が壁に立てかけられていたの。その箱は全てに硝子の蓋があり、中にはずらりと、貨幣が貼り付けられていた。さながら貨幣の標本のように。
そしてそこには一人の先客が。
「やーっと来たか」
そう言ったのは、言わずと知れたアラタ。部屋の長椅子に、我が物顔で寝転びくつろいでいたのだけど、私たちが来てむくりと身を起こしたわ。
「にしても着飾ってきたなー。まぁそうなるか。
でもそれ目立つから、こっち着替えろ」
アラタはいつも以上にぶっきらぼうな態度でそう言い、布袋に入れられた女物の衣服を差し出してきたわ。
「?」
「あんま時間取れねぇから、急げ」
布袋を私に押し付けたアラタは、クルトを引っ張って部屋を出てしまった。代わりにひとりの年配女奴隷が入ってきて、私の着替えを手伝ってくれた。
髪型はいつも通りに結え直され、化粧はそのまま、衣服は袋に入っていた、普段よりも若干質素なものを纏った。とても手際良く準備されたわ。
支度が終わると、それを知らせに行った奴隷と入れ替わるようにして、また二人が入ってきたのだけど……。
「行くぞ」
と、何の説明もなくアラタは、私の腕を引いて、歩き出してしまった。
「ね、ねぇ! どこに行くの⁉︎」
奴隷も連れずに外に出るの⁉︎
「言ったろ。お前の姉貴のとこだよ。
お前はクルトと逢瀬中のふりして、俺はお前らの奴隷のふりをすンだよ」
どういうこと⁉︎
屋敷を出る直前に、慌てて駆けてきた年配奴隷が、私に毛織物の外套を被せてくれた。
頭からを覆い、肩周りを隠すそれのおかげで顔も半分隠れて見えなくなったわ。
狼狽える私に、クルトがやっと、事情を説明してくれた。
「こっそり行くから、君が君と分からない方が良いと思うんだ。
ほら、立場的なことも、相手方の家のこともあるだろう?」
そう言って誤魔化したけれど、きっと私がお父様の叱責を受けないか、配慮してくれたのだと思う。
「カエソニウス夫人は、夕刻に庭園の散策を日課にしているそうだ。
だからそこですれ違いざまに話しかける形にする。もう時間が近いから、急ごう」
外に出ると、また例の使者が待っていたわ。
輿に乗せられて運ばれた。風景はまたもや帳で隠されてしまい、どこに向かっているのかは分からなかったけれど。
使者は道中でクルトと謎なやりとりをしていたわ。
「帰りはどうなさいます?」
「お前たちは時間的に無理だよね。そのまま歩いて帰るよ」
「あまり遅くならないでくださいよ。門も閉まってしまいますし」
「分かってる」
少し揺れが酷かったのは、きっと急いで歩いてくれたのね。
そうして到着した庭園は、私の来たことのない場所だったわ。
もともとあまり外は出歩かないけれど、それでも庭園なら、行事等で出向いたことがあるはずなのに。
「それはそうさ。だってここは外だから」
そう言ったクルトが指し示した方向を見て、唖然としてしまった。
高い街壁と、そこに突き刺さるようにある水道橋。それでようやっと、自分のいる場所を理解したの。
「ここ……下層民地区なのね?」
私、上層民地区どころか、貴族街の外にだって、ほとんど出たことがなかったのに。
「うん。でもこの辺はまだ上層民地区に近いから、治安も悪くないよ。
この庭園は一般公開されているけれど、カエソニウス家の管理下にあるから、ちゃんと手入れも行き届いているしね」
そんなふうに話していた私たちの肩をポンとアラタが叩いたわ。
「ほら、喋ってるうちに時間過ぎちまうぞ。
逢瀬らしく歩きながら話せっつの」
そう言われて、慌てて足を進めたわ。
逢瀬だなんて……お父様に知られたら、確かに怒られたかもしれない。
「歩きながら設定話すぞー。
お前らはお忍びデート中。親に内緒だからこの下層民地区に来てんの。だからあんま堂々と歩くなよ。
サクラは顔晒すとバレるかもだし、姉貴以外のやつには近付くな。
姉貴は列柱廊下をぐるっと歩くらしいから、お前らもその近辺歩き回れ」
小声で囁かれたアラタの指示に頷き、私たちは立ち並ぶ石柱の方に足を向けたわ。
輿が下ろされ、クルトが帳を開いて、先に外に出たわ。
そうしてもう一度、私に手を差し伸べてくれた。
「とはいえ、その……女性の君には興味の無いものばかりだと思うから、中のものはあまり気にしないで」
またもや視線を逸らしつつそう言うクルト。
趣味の研究って言ってたわよね……。何を研究しているのかしら?
そう思いながら、クルトの後に続いて屋敷の中に足を踏み入れた。
前庭の無い、一般的な大きさの屋敷。でも子供の持つものではないのは確かよね。これひとつが全部クルトの部屋として与えられただなんて、アウレンティウスの財力は本当に凄いのだわ。
そう思いつつ玄関広間に視線をやると、貯水鉢の奥に座していた石像に視線が釘付けになった。
水辺に膝をつき、両手で抱えた甕に水を汲もうとしているような、女性像。
いえ、甕から水を注いでいるのだわ。
まるで人が石になったみたい。あまりに艶やかで肉感的だったけれど、作りものだと分かったのは、成人した大人よりもひと回りくらい、その石像が大きかったから。
硬い大理石を緻密に掘った、衣服のひだまでが見事すぎる、繊細な拵え。
「水霊ニュンペー像。八百年くらい前に彫られたものだよ」
「ニュンペー?」
「グライキュアールという国の神話に出てくるんだ」
そう言いながらクルトは奥に足を進めたわ。
グライキュアールというのは確か……四百年ほど前に滅んだ国よね?
その国があったとされるのは……この、ムルス近辺。だけど、ここにも他から移ってきたと聞いた気がする。
けれどそれ以上思考は続かなかった。連れて行かれた部屋の光景に、また意識を取られてしまったから。
足を踏み入れた部屋は、大量の薄い木箱が壁に立てかけられていたの。その箱は全てに硝子の蓋があり、中にはずらりと、貨幣が貼り付けられていた。さながら貨幣の標本のように。
そしてそこには一人の先客が。
「やーっと来たか」
そう言ったのは、言わずと知れたアラタ。部屋の長椅子に、我が物顔で寝転びくつろいでいたのだけど、私たちが来てむくりと身を起こしたわ。
「にしても着飾ってきたなー。まぁそうなるか。
でもそれ目立つから、こっち着替えろ」
アラタはいつも以上にぶっきらぼうな態度でそう言い、布袋に入れられた女物の衣服を差し出してきたわ。
「?」
「あんま時間取れねぇから、急げ」
布袋を私に押し付けたアラタは、クルトを引っ張って部屋を出てしまった。代わりにひとりの年配女奴隷が入ってきて、私の着替えを手伝ってくれた。
髪型はいつも通りに結え直され、化粧はそのまま、衣服は袋に入っていた、普段よりも若干質素なものを纏った。とても手際良く準備されたわ。
支度が終わると、それを知らせに行った奴隷と入れ替わるようにして、また二人が入ってきたのだけど……。
「行くぞ」
と、何の説明もなくアラタは、私の腕を引いて、歩き出してしまった。
「ね、ねぇ! どこに行くの⁉︎」
奴隷も連れずに外に出るの⁉︎
「言ったろ。お前の姉貴のとこだよ。
お前はクルトと逢瀬中のふりして、俺はお前らの奴隷のふりをすンだよ」
どういうこと⁉︎
屋敷を出る直前に、慌てて駆けてきた年配奴隷が、私に毛織物の外套を被せてくれた。
頭からを覆い、肩周りを隠すそれのおかげで顔も半分隠れて見えなくなったわ。
狼狽える私に、クルトがやっと、事情を説明してくれた。
「こっそり行くから、君が君と分からない方が良いと思うんだ。
ほら、立場的なことも、相手方の家のこともあるだろう?」
そう言って誤魔化したけれど、きっと私がお父様の叱責を受けないか、配慮してくれたのだと思う。
「カエソニウス夫人は、夕刻に庭園の散策を日課にしているそうだ。
だからそこですれ違いざまに話しかける形にする。もう時間が近いから、急ごう」
外に出ると、また例の使者が待っていたわ。
輿に乗せられて運ばれた。風景はまたもや帳で隠されてしまい、どこに向かっているのかは分からなかったけれど。
使者は道中でクルトと謎なやりとりをしていたわ。
「帰りはどうなさいます?」
「お前たちは時間的に無理だよね。そのまま歩いて帰るよ」
「あまり遅くならないでくださいよ。門も閉まってしまいますし」
「分かってる」
少し揺れが酷かったのは、きっと急いで歩いてくれたのね。
そうして到着した庭園は、私の来たことのない場所だったわ。
もともとあまり外は出歩かないけれど、それでも庭園なら、行事等で出向いたことがあるはずなのに。
「それはそうさ。だってここは外だから」
そう言ったクルトが指し示した方向を見て、唖然としてしまった。
高い街壁と、そこに突き刺さるようにある水道橋。それでようやっと、自分のいる場所を理解したの。
「ここ……下層民地区なのね?」
私、上層民地区どころか、貴族街の外にだって、ほとんど出たことがなかったのに。
「うん。でもこの辺はまだ上層民地区に近いから、治安も悪くないよ。
この庭園は一般公開されているけれど、カエソニウス家の管理下にあるから、ちゃんと手入れも行き届いているしね」
そんなふうに話していた私たちの肩をポンとアラタが叩いたわ。
「ほら、喋ってるうちに時間過ぎちまうぞ。
逢瀬らしく歩きながら話せっつの」
そう言われて、慌てて足を進めたわ。
逢瀬だなんて……お父様に知られたら、確かに怒られたかもしれない。
「歩きながら設定話すぞー。
お前らはお忍びデート中。親に内緒だからこの下層民地区に来てんの。だからあんま堂々と歩くなよ。
サクラは顔晒すとバレるかもだし、姉貴以外のやつには近付くな。
姉貴は列柱廊下をぐるっと歩くらしいから、お前らもその近辺歩き回れ」
小声で囁かれたアラタの指示に頷き、私たちは立ち並ぶ石柱の方に足を向けたわ。
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