剣闘士令嬢

春紫苑

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二章

十四話 姿絵

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 二刀闘士の姿絵に、まさかもう彼があるとは思わなかった。

「最短で準師範級パルス・セクンドゥスを取っちまいましたからねぇ。アラトゥス・ゲオルギウスを名乗るだけのことはあるんですわ。
 初め見た時は、あんなヒョロっこいのがその名を名乗りやがって烏滸おこがましい! って思ったもんですが……いやぁ、見事なもんで。
 で、どうでした。勿論今日も勝ったんでしょう?」

 老齢の絵師。
 闘技場の周辺に広がる露店のひとつ。人気の剣闘士の姿絵を売っている店は多くあったのだけど、その中で一番に目を引いたのが、アラタだった。
 他の剣闘士らと比べて、圧倒的に細身だったわ。元々細身の者が多い二刀闘士の中ですら……。
 私が姿絵に見入っていたのを、絵師はこの絵を気に入ったからだと判断したのでしょうね。
 しつこく彼を売り込んできた。

「今までで十七戦。ここ八戦続く魔獣戦は全て勝ち抜いちまってんですよ。
 先代も魔獣戦にはめっぽう強かったんですがね。
 五戦連勝で新参から準師範だが、準師範に昇格してからも負けなし。けども、準師範から師範までは倍の十連勝が必要だ。それでももう三戦!
 体格はともかく、成績は先代に勝るとも劣りません。あの若いアラトゥスも、まず確実に師範級パルス・プリムスまでは上り詰めるでしょうな!」
「……これをくださいな。あと……こっちの二刀闘士デュマカエルスも」

 たまたま横に並んでいた、別の二刀闘士も一緒に購入したわ。一枚だけだと思っていたのに、二枚も買ってもらえるのかと、絵師の笑みは深くなった。
 絹布に包まれたそれらを受け取り、一金貨アウルムを渡して、すぐに踵を返したわ。思考が舞い上がってしまっていて、お釣りは⁉︎ という声は、聞こえていなかったの……。

 アラタの姿絵、買ってしまったわ……。

 だけど、なんだかここにこの姿絵を置いておきたくなかったのよ。
 絵師はどこでこの彼を見たのかしら? それとも想像から描いたの? 年齢的にも、熟練の絵師なのだと思っていたけれど、こんなに……こんなにアラタらしい表情をしているだなんて……。

「サクラ」

 不意にポンと肩を叩かれて、飛び上がってしまったわ!
 賭けの配当を受け取りに行っていたはずのクルトだった。待ち合わせ場所に、先に到着していたみたい。
 もっと時間が掛かると思っていたのに……。

「早かったのね」
「エヴラールが来てくれたから代わってもらったんだよ。
 大丈夫? 何か不快な目にあったりは……」
「何言っているの、大袈裟だわ」

 まるで長時間会えなかったみたいな反応をするから、笑ってしまったわ。
 配当を計算するのに時間が掛かるみたいだったし、ちょっと先に行ってくるって、ついさっき別れたばかりなのよ?
 アラタが身支度を整えて出てくるまでに、露店に寄る時間が無さそうだったから、二手に分かれた方が良いと思った。
 すぐそこの角を曲がった先にある露店だったし、視界から消えるのなんて、ほんの少しのことなのだから。
 苦笑する私に、だけどクルトは何故か眉を寄せた。そうして「心配して当然でしょう?」と、勝手をした私を怒るふり。

「サクラは女性で、今は奴隷も連れていない……。一人だなんてあまりに無防備だ」

 だから急いで来たのだとクルト。大袈裟だとは思ったけれど、彼の立場では、万が一私に何かあった場合、責任を問われてしまう。
 そのことを失念していたのは確かで、心配掛けてしまったことは素直に謝ったわ。
 それでクルトは気を取り直し、私が腕に持つ絹布を見て……。

「ちゃんと買えたんだね」
「えぇ……。今度は間違えず、ちゃんと二刀闘士を買ったわ」
「僕が持とう」
「大丈夫よ。姿絵の重さなんて大したことないもの。
 エヴラールが来る時間帯なら、ゾフィもすぐ来るでしょうし」

 なんとなく、クルトに知られたくないと思った……。私が、アラタの姿絵を買ってしまったことを……。
 それからさほど待たずゾフィも到着し、彼女に姿絵を託したわ。
 そうして、そろそろだと言うから、身仕度を整えたアラタが出てくる通用口へと向かった。

 今回は怪我も無かったから、あまり怒らないでおくべきよね……。

 でも私にだけ内緒だったことは許せない。そこはしっかりと問い詰めなくては。
 そんなふうに心の中で、拳を握っていた。
 待ったのはほんの少しの間……。
 馴染みの黒髪が見え、どこかおぼつかない足取りで、気怠けだるげに現れたアラタを視界に捉えたら、それまでの決意や気持ちなんて、吹き飛んでしまった。

 大丈夫だとクルトは言っていた。そして実際大丈夫だったし、怪我も無かったわ。
 でも、アラタがギリギリの、命懸けの戦いを強いられていた事実は変わらないのだって、思い知った。
 消耗して、今にも倒れそうなアラタ……。
 視線を落とし、疲れ切った様子で、足を引きずるようにして。
 その姿は絵師の語っていた、英雄さながらな快進撃を続けてきている人物とは程遠かった。
 私たちの前を気付かず通り過ぎそうになって、クルトの手に止められたアラタは、虚ろな瞳をこちらに向けたわ。
 そうしてギクリと、私を見て身を竦めた。

「……サ、クラっ⁉︎」

 どう言い訳しようかって、一瞬考えたのね。
 視線を彷徨わせながら一歩身を引いて、クルトに気付いて、お前なんでこいつをここにっ⁉︎ って顔をして、今はそれどころじゃないって思い直す。それを余さず全部見ていたわ。

「あっいや、これはその、ちょっとしたバイトっていうか……っ」

 なんの言い訳にもなっていないことを言って、手を空中に彷徨わせ。
 そして指の背で私の頬に触れようとして、それを引っ込めた。

「クルトっ、お前の婚約者だろうが!」

 泣いてんぞ、お前がなんとかしろよって、そう……。
 それが、どうしてこんなに腹立たしいと思うのかしら。
 アラタに言われ、私を抱き寄せようとしたクルトの手を、ペチリと叩いて払い除けたわ。
 婚約者に対し、して良いことじゃない。お父様が見ていたら、どんな叱責を受けていたかっていうほどのことよ。
 だけどその時は、それすら気にならなかったの。

「私に言うべき言葉は、それではないわよね?」

 声に気合で力を込めた。
 涙はどうしようもなかったけれど、気持ちは折れては駄目だと思ったから、お腹に力を入れて、声をふり絞ったわ。

「わざわざ、隠す必要は無いはずよ。
 私には、貴方のやることをとやかく言う権利なんてない。そうでしょう?」

 所詮他人で、しかも私は女で、殿方のやることに口出しして良い立場じゃない。だから本来は、私の目なんて気にしなければすむ話だわ。

「私を除け者にしたいなら、女の分際で口を出すな。しゃしゃり出るなと言えばいい。
 貴方の口がそう言うのなら、私はそれに従うと約束します。
 だから、私に関わってほしくないなら、こそこそしないではっきりそう言って」

 私の言葉に、アラタは狼狽うろたえる素振りを見せたわ。

「私は貴方たちと対等なんかじゃない。
 知る権利なんて無いのだってはっきりそう言って。
 そうすればもう、私は貴方たちと金輪際、こんなふうにしない」
「さ、サクラ⁉︎」

 クルトまで慌て出したわ。でも私は、引き下がるつもりなんて無かった。

 だって、貴方アラタが私を認めたの。
 対等に接したのよ。貴方が、一番初めに!

 女の私がこうすることを貴方が受け入れてくれたからこそ、私は自分に素直であれた。そう振る舞えたの。
 それを貴方自身が否定するなら、私が今の私でいる意味なんてどこにも無い。
 お父様の望む通り、正しい貴族女性をしていけばいい。
 殿方に言われるがまま頷き、されるがままを受け入れて、子を孕んで産み落とす役割の駒になって過ごす。生涯を終えるその時まで。
 どんなにそれが苦しくったって、そうするのがここでの正しい女の生き方。それしか望まれないのよ!

 アラタとクルトは、強張った表情で私を見ていたわ。
 私がどれくらい本気か、まだ疑っているのかしら。
 私たち三人を遠まきにしていたゾフィの所に、エヴラールが大きめの鞄を持って到着し、固まってしまっている私たちに、訝しげな顔をしたわ。
 だけど状況が分からず、ゾフィの袖を引いて説明を求めた。

「待つのはあと十呼吸する間だけよ。
 そうしたら私、帰らせていただきます」

 そう宣言したら、ギクリと肩を跳ねさせたアラタ。
 そうして私は、静かに自らの呼吸を数え始めた。
 声にはしない。心の中で刻む。

「……ごめん」

 それは答えにはなってないわね。

「サクラ、あの……悪かったって、機嫌直せよ」

 六、七、八……。

「お前を退ける気はないっ、今回のことは……っ」

 九……。

「しゃしゃり出るななんて、思ったわけじゃない、俺はただっ……」

 十。
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