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婚約破棄はお断りします
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ここはデクスター侯爵家の応接室。繊細な輝きを放つ豪華絢爛なシャンデリアが大きな窓から入る昼の日差しを受け、部屋を華やかに彩っている。
その下で、この家の長女であるヴァレンティーナ・デクスターが二人の客人を前に優雅に紅茶を飲んでいる。
雪のように白い肌に漆黒の髪色のコントラストが見事な少女である。
夕暮れと夜のあわいを氷柱に映したような透き通った紫色をした瞳が、鋭く目の前の人物を捉えたとき、客人の一人はごくりと生唾を飲み込んでこう切り出したのだ。
「婚約を破棄してほしい」
「お断りいたしますわ」
ヴァレンティーナは即答した。
――婚約破棄なんて常識的にありえませんわよね? 将来結婚するという「約束」なのですよ? 家同士で交わした契約書もきちんとありますし、どうしてその約束を簡単に反古にできると思われるのかしら? この方、常識を知らないのですわ。頭かちわって中身を検分して差し上げるべきかしら?
ヴァレンティーナは自称超常識人であり、悪名高い悪女でもある。
意外に思われるだろうが、彼女が悪女と呼ばれることを受け入れながらも、そのイメージに染まらぬよう常識を守ることを常に心がけていることを知る人はごく僅かだ。
デクスター侯爵家は違法取引や違法薬物、違法な人材雇用まで……商売をする中で法律を犯す人々の取り締まりを請け負っている。
国王から全権を任されてまっとうしている立派な職務なのだが、その性質上、貴族からは嫌厭されて久しい。国からは感謝されているが、貴族の間では悪虐の限りを尽くす悪の一族として認知されているのが実情だ。
――しかもその隣のお方はどなたですの? 勝手に人の婚約者と一緒に人様の屋敷に上がり込んで名乗りもしないなんて常識がなさすぎですわ。先ほどから目に涙を浮かべて親を探す子猫みたいに震えていますけれど、目障り……あら。かわいらしいわね。その子猫ちゃんをこちらに渡してくれるなら婚約破棄、考えてみようかしら?
ヴァレンティーナは可愛いものにも目がないのである。
彼女の婚約者であるアンドレイ・ウォーレス公爵令息が連れてきた子猫はユリア・ロジオン子爵令嬢。大きな瞳から涙が今にも溢れそうなほどである。(……が、溢れない)
ヴァレンティーナが子猫ちゃんに目を向けると「ひいっ!」とさらに身体を震わせてアンドレイに縋りついた。するとアンドレイはユリアを庇うようにして前に出た。
「この子に危害は加えないでくれ。俺が、この子を好きになってしまったのがいけないんだ……」
――はぁ。好きになったから。それで? 私たちの婚約は「契約」ですわ。あなたに恋人がいようがいまいが守られなければならない「約束」ですわ。何を勘違いしていらっしゃるのかしら……。
「『好きになったから』という理由で私たちの婚約が破棄できると……?」
ヴァレンティーナがちらりと二人に視線を投げると、彼らは緊張した面持ちでヴァレンティーナを真っ直ぐ見つめていた。
「そう簡単にできるとは思っていない。思っていないが……僕たちは愛し合っているんだ。だから、君に身を引いてもらいたくて……」
ヴァレンティーナは自分の信じる常識に忠実だった。貴族の家同士の契約は、当事者ただ一人の感情だけで破られるべきものではない――と。正論である。
――なるほど、彼と彼女は相思相愛で、婚約などしてしまっている私が邪魔ってことですのね。なるほどなるほど……でもねぇ。
「婚約破棄を申し出る理由については理解いたしました。しかし、だからといってすぐに婚約破棄に同意はいたしかねます。第一に、婚約に際し貴家に莫大な資金援助をしてしておりますが、そちらに関してはいかがいたしますの? あなた様の都合で婚約を破棄なさるなら全額耳をそろえて返却していただくのが筋だと思いますけれど」
ウォーレス公爵家は豊かな穀倉地帯を領地に持ち、堅実な経営も相まって潤っていたのだが、三年前に大規模な水害が起きたことから経営が傾き始めた。
資金をかき集めても足りず、国からの支援を受けても足りなかったため、資産が豊富なデクスター侯爵家に援助を頼みにきたのだ。
悪の一族と罵られるデクスター侯爵家的にもウォーレス公爵家と縁づけるのは益があった。それに、長女ヴァレンティーナの縁談についても、家の悪評のためなかなか進まない状況に頭を悩ませているところだった。
結局、お互いの利害が一致する形でヴァレンティーナとアンドレイの「婚約」という「契約」が成立したのである。
ヴァレンティーナの「持参金の前払い」という名目で送られた金品は相当な額となり、ウォーレス公爵家はそれを元手に領地の復興をしている最中なのだ。
「それは……返却する。領地を立て直して、絶対に払うから……」
「お話になりませんわ。不確かで見通しすら立っていない条件しか提示できない契約をするのはこちらが不利だとお分かりにならない? お帰りください」
「おとといきやがれですわ」とヴァレンティーナは満面の笑みで呟いた。
「常識をお守りくださいませ」
((あなたがそれを言うのか……))
悪虐の限りを尽くす悪女だと思い込んでいる二人の客人は、彼女の台詞に心の中でそう突っ込んで、すごすごと帰っていったという。
その下で、この家の長女であるヴァレンティーナ・デクスターが二人の客人を前に優雅に紅茶を飲んでいる。
雪のように白い肌に漆黒の髪色のコントラストが見事な少女である。
夕暮れと夜のあわいを氷柱に映したような透き通った紫色をした瞳が、鋭く目の前の人物を捉えたとき、客人の一人はごくりと生唾を飲み込んでこう切り出したのだ。
「婚約を破棄してほしい」
「お断りいたしますわ」
ヴァレンティーナは即答した。
――婚約破棄なんて常識的にありえませんわよね? 将来結婚するという「約束」なのですよ? 家同士で交わした契約書もきちんとありますし、どうしてその約束を簡単に反古にできると思われるのかしら? この方、常識を知らないのですわ。頭かちわって中身を検分して差し上げるべきかしら?
ヴァレンティーナは自称超常識人であり、悪名高い悪女でもある。
意外に思われるだろうが、彼女が悪女と呼ばれることを受け入れながらも、そのイメージに染まらぬよう常識を守ることを常に心がけていることを知る人はごく僅かだ。
デクスター侯爵家は違法取引や違法薬物、違法な人材雇用まで……商売をする中で法律を犯す人々の取り締まりを請け負っている。
国王から全権を任されてまっとうしている立派な職務なのだが、その性質上、貴族からは嫌厭されて久しい。国からは感謝されているが、貴族の間では悪虐の限りを尽くす悪の一族として認知されているのが実情だ。
――しかもその隣のお方はどなたですの? 勝手に人の婚約者と一緒に人様の屋敷に上がり込んで名乗りもしないなんて常識がなさすぎですわ。先ほどから目に涙を浮かべて親を探す子猫みたいに震えていますけれど、目障り……あら。かわいらしいわね。その子猫ちゃんをこちらに渡してくれるなら婚約破棄、考えてみようかしら?
ヴァレンティーナは可愛いものにも目がないのである。
彼女の婚約者であるアンドレイ・ウォーレス公爵令息が連れてきた子猫はユリア・ロジオン子爵令嬢。大きな瞳から涙が今にも溢れそうなほどである。(……が、溢れない)
ヴァレンティーナが子猫ちゃんに目を向けると「ひいっ!」とさらに身体を震わせてアンドレイに縋りついた。するとアンドレイはユリアを庇うようにして前に出た。
「この子に危害は加えないでくれ。俺が、この子を好きになってしまったのがいけないんだ……」
――はぁ。好きになったから。それで? 私たちの婚約は「契約」ですわ。あなたに恋人がいようがいまいが守られなければならない「約束」ですわ。何を勘違いしていらっしゃるのかしら……。
「『好きになったから』という理由で私たちの婚約が破棄できると……?」
ヴァレンティーナがちらりと二人に視線を投げると、彼らは緊張した面持ちでヴァレンティーナを真っ直ぐ見つめていた。
「そう簡単にできるとは思っていない。思っていないが……僕たちは愛し合っているんだ。だから、君に身を引いてもらいたくて……」
ヴァレンティーナは自分の信じる常識に忠実だった。貴族の家同士の契約は、当事者ただ一人の感情だけで破られるべきものではない――と。正論である。
――なるほど、彼と彼女は相思相愛で、婚約などしてしまっている私が邪魔ってことですのね。なるほどなるほど……でもねぇ。
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ウォーレス公爵家は豊かな穀倉地帯を領地に持ち、堅実な経営も相まって潤っていたのだが、三年前に大規模な水害が起きたことから経営が傾き始めた。
資金をかき集めても足りず、国からの支援を受けても足りなかったため、資産が豊富なデクスター侯爵家に援助を頼みにきたのだ。
悪の一族と罵られるデクスター侯爵家的にもウォーレス公爵家と縁づけるのは益があった。それに、長女ヴァレンティーナの縁談についても、家の悪評のためなかなか進まない状況に頭を悩ませているところだった。
結局、お互いの利害が一致する形でヴァレンティーナとアンドレイの「婚約」という「契約」が成立したのである。
ヴァレンティーナの「持参金の前払い」という名目で送られた金品は相当な額となり、ウォーレス公爵家はそれを元手に領地の復興をしている最中なのだ。
「それは……返却する。領地を立て直して、絶対に払うから……」
「お話になりませんわ。不確かで見通しすら立っていない条件しか提示できない契約をするのはこちらが不利だとお分かりにならない? お帰りください」
「おとといきやがれですわ」とヴァレンティーナは満面の笑みで呟いた。
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