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十六~十九
しおりを挟む十六
ウィルフレッドが部屋を出て十分ほど経った。アルバーロは、ベッドしかない部屋の床の隅に座り込んでいた。彼の優秀な脳は、連続殺人の犯人像を辿り続けている。犯人は何故殺人をしたのか。被害者は本当に誰でも良かったのか。なにか、規則はないのか……? いくら考えても分からない。
まぁGが殺された後にGの所持品でも調べれば、地図か、それに準ずるなにかが出てくるだろう。そうしたらまた犯人に一歩近づける。Gの家には異常なほど物がない。一応全部調べてみたが、Gの正体を暴く物も、犯人からの次へと繋がるなにかも見当たらない。
「……今の情報量じゃ不可能か」
彼の脳はそう結果をはじき出した。一度そう思ってしまったら、新たな情報を得るまで犯人について考える気にはもうなれなかった。
彼の脳が『優秀』なことは幸運だったのか不幸だったのか。アルバーロが普通の人であれば、或いはなにかに気が付けていたかもしれない。
しかし現実はそうではない。彼は、この建物の中にある情報を全てインプットし、保存した。しかし、クローゼットに入っている服をある人が着ていたことは思い出せない。彼の中にそんな情報は存在しないから。
だが、優秀が故に、犯人への思考を早く切り上げたのは僥倖としか言えないだろう。犯人のことを考えることをやめた脳は、保留していたGへと行き先を変える。Gは何者なのか、そう考えようとして、アルバーロはお腹がすいていることに気が付いた。
そう気が付いて、脳はとんでもないことに行き着いた。
腹が減っている今、ウィルフレッドがいないのはおかしいという事実。二人で行動していて、食事を取るときは必ず、必ずアルバーロの意見からだった。なぜならアルバーロは、自分が腹が減ったと思わなければ、食事をとらないとウィルフレッドは知っていたから。しかし今回は違う。確かに今は昼時だが、昼だろうと何だろうとアルバーロが「腹が減った」と言わなければ食事にならない。ウィルフレッドが先に一人で食べればいい話だが、彼はそうしたことがなかった。今までずっと、それこそ一日食事抜きだなんて羽目にウィルフレッドは何回も遭っている。
ならば何故、今回に限って先回りをして買い出しに出た……?
もちろん、ただなんとなく、やることもないし先に買っておこうという気分になった可能性はある。
そうではない可能性だってある。常人が思考実験で行き着くことのまずない可能性。
――この家が、ウィルフレッド・サリスの家である可能性。もしこの家がウィルフレッドの家であるのなら、何故彼は家を出たのか。
その可能性に行き着いた脳は思考を停止した。なにも答えを拒否したとか、答えに行き着かなかったからではない。答えに行き着き、いつもの思考が波のようななにかに押し流されたからであった。
「あ、の、野郎……、ふざけやがってッ!」
恐れか怒りか、感情任せに叫ぶとドアを閉めることも忘れて駆けだした。
ウィルフレッドはコンビニに行くと言った。ならば俺はアイツを信じよう。最寄りのコンビニに方向を定める。しかし、ウィルフレッドが覚悟を決めているならば、自分を巻き込まなかったように、見ず知らずの他人も巻き込まないだろう。つまり路地裏に足を向けた可能性が高い。
赤の他人に対して容量を割くことのなかった脳が、全力でただ一人のために回転する。生まれて初めての経験だった。不思議な感じで、視界がとても、ちかちか、ぱちぱち、している。
全ての路地裏に足を向けつつ疾走するアルバーロの目に入ったのは、暗く細い道で、青いワンピースを着た女が、ウィルフレッドに向かってナイフを突き刺している瞬間だった。
あぁ、時間が、こんなにもゆっくりと――。
一七
ウィルフレッドは目を瞑った。刺される瞬間なんて、見たくなかったから。直後、下腹部に冷たさを感じたかと思うと、一気に熱さに転じる。頭で刺されたと認識した瞬間、マグマのような痛みが彼を襲う。ナイフから彼女が手を離したときに、自分の手を血で浸せば文字は書けるだろうか、必死にそう考えを巡らせた。カクン、と知らぬ間に膝が折れ、思考が緩慢になっていくのが分かる。
「――ウィルフレッドッ!」
聞いたこともないようなアルバーロの怒鳴り声が、薄れ行く彼の意識をつなぎ止めた。
「ァル……?」
まぶたを開いても、もうはっきりとは分からない。しかし、聞き間違いようはなかった。
「貴方昨日の……、嘘でしょ、なんで、サイアク……!」
彼女は舌打ちをすると、バッグを捨てて反対方向の大通りへと全力で駆けていった。高いヒールの遠のいていく音が、だんだんと、小さくなっていって――。
「ウィルッ? おい聞いてんのか馬鹿野郎! 死ぬなって!」
アルバーロの視界には、もとより女など入っていなかったかのようにウィルフレッドの横に駆け寄るとしゃがみ込み、彼自身の刺された腹部へと伸ばされていた腕に刺激を与えないように身体の横へと動かした。
「ぼくは、いい。彼女を……」
「ハッ……? だまれふざけんなよクソが」
「君らしくもない。……なんのために、こんなこと、したと」
「黙れ、落ち着け、喋るな、安静にしろ」
「――ぉねがいだよ、最後くらい僕の言うこと聞けよ……っ」
当たり前の事だが、ウィルフレッドは死を覚悟していた。そうして犯人にまでたどり着ければ良いと。今は絶好のチャンスだった。自分などに構っていたら取り逃がしてしまう。いつもの偽りの笑みなど見る影もない。アルバーロがいるのであろう位置を睨み付け、それこそ文字通り必死の願いだった。
「――ウィル」
彼は揺らいだ。アルバーロには、ウィルフレッドの笑顔しか記憶になかった。いや、ウィルフレッドの表情など記憶にあったとしても、掘り起こした事なんてなかった。……そもそも、他人の人間的部分など、彼の記憶にはなかった。
そういう人間だった。
いつもなら、倒れ込む人間なんて気にせず犯人を追った。
次の被害者を足かけにして犯人に辿り着こうとするのが常だった。
……初めて人間に触れた気分だった。
ウィルフレッド・サリスは人間だったのだ。
――そう覚醒してなお、彼の脳は迅速に働いた。冷静に当初の目的を弾き出したのだ。
事件の犯人をとっ捕まえないといけない。
……それはウィルフレッドを見捨て――見殺しにして――犯人を追うという第三者から見たら間違った判断だったかもしれない。ウィルフレッドの自己犠牲という自己満足に、アルバーロが動かされただけかもしれない。
それでもその瞬間のアルバーロの脳は、初めて触れた人間に逆らうことを良しとしなかった。
その判断は傍から見れば、アルバーロ・リックウッドの通常運転だろう。他人のことをなんにも考えていない、なんとも思っていない、いつも通りのアルバーロ。
彼だけが、ウィルフレッドだけがこの瞬間知り得た、その数秒の硬直。アルバーロの人間らしい部分。彼はそれだけで満足だった。
今にも立ち上がろうとしたアルバーロの背中に、何者かの体重がかかった。彼は、その何者かに腰掛けられていた。
「その必要はない、俺様が追ってやる。お前はさっさと応急処置をして救急車を呼べ」
「はぁっ?」
彼が振り返るも、そこには女が逃げた方向へと走るスーツらしき後ろ姿しか見えなかった。
彼の脳は混乱しなかった。瞬時に謎の人物へと全幅の信頼を置いた。こんな状況であそこまで的確な言葉をかけることが出来る人物など、味方にちがいない。
……味方だと、思いたい。
いつもの論理的思考とは、もはやかけ離れ始めていることに彼は気が付いているのだろうか。
そして目の前の人間を助けなければ。
彼の脳は、その瞬間ごとにものすごいスピードで行動基準、判断基準を書き換えていた。
この人間を守らなければ。もうウィルフレッドに意識はない。しかしまだ呼吸はある。ナイフの位置はずらしていないし、本人の気道も確保した。できる限り体勢も楽にしてある。携帯へと手を伸ばし、救急車を呼びつけた。
一八
時間はその時から遡る。そこは、子ども部屋にしては大きな、しかし子ども部屋と言うしかないメルヘンチックな部屋だった。ピンク色の皮を張られた猫足の玉座に、幼児という言葉がふさわしいような少女が座っていた。彼女は、部屋に釣り合うようなフリルとリボンで飾り付けられたドレスをまとっており、髪は巫女のように膝下くらいでしっかりと切りそろえられていた。
玉座に収まった彼女の前には、一人の男が頭を垂れていた。執事服を嫌味なほどに着こなした彼は、彼女の視界に入るよろこびに心を震わせていた。
「あのね、ワタクシ、ウィルフレッドが死ぬのはたえられないの」
なんと愛らしく魅力的な声か! 言い慣れないその一人称までも愛おしい。男はその言葉を前身を以て受け止めた。
「承知いたしました、姫。我が命に代えましても……」
この段階で、男にはウィルフレッドとは誰であるかなど、何一つ分からなかった。分からないが、姫の願いは絶対。肯定以外の返事を言うことは許されない。なにより、男自身が自分を許さないだろう。
「じゃあ、行って」
「はい、失礼いたします」
恭しく姫に一礼すると、男は部屋を去った。姫はウィルフレッドなる人物を死なせるなと言った。彼は長い廊下を颯爽と歩きながら、ある人物へと電話した。
「おい、俺様だ。全世界でのウィルフレッドとかいう名前の人物を洗い出せ。死ぬ可能性が高い環境のやつから順にリストアップしろ。特に裏の世界のやつは重点的に、時間は三十分以内。できなかったら俺様直々に殺してやるからな」
電話を切ると、自らも自身の情報ルートを探って、ウィルフレッドという人物を探す。
……姫は慈悲深いお方だ。出来ないことをしろとは、言わない。それが世間一般的にできないことだとしても。
それがどういうことか分かるか?
男は背中に走る小さな電気のようななにかに、唇の端を上げた。姫から自身への信頼の表れ。この男ならばやってのけるだろうとの期待。
ぜひとも、完璧に終わらせてお褒めの言葉をいただかなくては。
姫の視界に入った挙句、喜ばれ、褒められる……。それを想像して、男は死んでもいいと思った。
――さぁ、仕事の時間だ。
一九
この国では、一般的に医療費が高い。救急車を呼ぶだけで八百ドルはかかる。それ以外にも、病院についた後の治療費が馬鹿にならない。
アルバーロは自分の貯金を鑑みて、まぁなんとかなるだろう。ならなくてもマルセロを強請れば良い、と考えるようにした。
――時間を計る余裕は一切なかったのだが、救急車はとてもはやく来てくれたのだと思う。彼は助手席に座り、血圧などの測定をウィルフレッドがされているのをチラリと見た。助手席は居心地が悪く、いつものフラットな脳ではなかったからか、違和感に気が付くのに時間がかかった。
最初に違和感に気が付いたのは、最寄りの病院について、ナイフを取るためにウィルフレッドが手術室に落ち着いたときだった。彼は手術室前の椅子に腰掛けて、とあることに眉をひそめた。
……病院が、あまりにも静かだ。
病院が静かなのは当たり前の事だが、人の気配をともなわない静けさだった。自分の目の前の手術室からは、機械音やときたま人の声も聞こえてくるが、それ以外の音はどこにもなかった。
手術室と自分を除けば、この病院には誰もいないかのように。
もしそうだとするならば、何故だ、と脳が回転し出す。
この建物全てがウィルフレッドのために設えられたという可能性。ウィルフレッドを助けるためならば、他の患者も余計なスタッフもこの建物には必要ない。必要なのはウィルフレッドと医者と看護師数人だ。それならばこの状況はおかしくない。
――おかしくないが、おかしいだろう?
なぜわざわざそんなことをするのか。誰がなんの利益を求めているのか。この行動により得られるのは、ウィルフレッドが生き延びるという可能性のみ。そのためにこれだけの投資をする人物がいるのだろうか。純粋な厚意で?
そんな馬鹿なと彼は苦笑した。それならばどこかの誰かが、我々に恩を売ろうとしているという可能性の方がまだ信じられる。アルバーロが所属する組織は確かに力を持っている。それに医学を学んだ医者だって所属している。医者が近くにいれば、彼が電話をかけたのは救急車ではなくそちらだっただろう。それほどまでに力を持った組織に恩を売りたいというのは分からないでもない。しかし、このように病院一つを意のままに占拠することが出来る人物が、この組織に何を望む?
そもそもこんな突発的な怪我が予想できてたまるか。
……解なし、である。
アルバーロは、思考を放棄するという彼にしてはとても珍しいことをした。
ぼんやりと待っていると、上品な足音がこちらへと向かってくるのが聞こえた。思わず振り向くと、執事服を着た一人の男が立っていた。
整えられた黒い髪に黒い瞳。そして顔立ちを見るにアジア系の人間だろうか。彼の瞳は人間によくあるようなブラウンではなく完璧なブラック。アメリカではまずない種類の眼孔の鋭さに、少したじろいだ。その人物が幼くないことと、歳をとっていないことは分かるが、それ以外の年齢情報は読み取れない。
「約束の通りあの女は捕まえておいてやった。縛って病院の出入り口に転がしてあるから、好きにするといいさ」
ぞわぞわとするような、深みのある低い声だった。そしてその声には聞き覚えがあった。
「アンタさっきの……! あの女、って、青い服の奴……?」
「あぁ、何本かのナイフを振り回していて危険だから、両腕を折ったが問題あるまい?」
「おっ――?」
執事服の男の言葉に衝撃を受けて、男に言葉をかけようと組み立てていたアルバーロはフリーズした。
「あの医者なら、あと十分もすればナイフを問題なく抜くくらい終わらせるさ。金はいらない。お前らが乗っていた車は駐車場に停めてあるから、帰って構わない」
「ハァ……?」
「あぁそうだ、姫からの伝言だ。『あのね、ハートを最後に付けて頂戴』、だそうだ。では俺様も帰る。じゃあな」
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