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オープニング
第四話: 灰は灰に、愛は愛に
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チモンジャク屋敷は、エンジニアのダルテさんと資産家令嬢のマリアさんの結婚を機に建てられた。街の墓地の先という風変わりな立地はマリアさんの選択だ。土地代が他の郊外よりも安いのが決め手だった。
彼女の両親――ダルテさんのやしない親である――が結婚のご祝儀にと渡してくれたお金はたいそうおおかった。
「気に入った所の土地を買って家を建てなさい」
父親は娘と良く似た愛嬌ある丸顔をほころばせて言った。
彼女はテッポウタウンの郊外でいちばん価格が低い場所を希望し、夫のダルテさんは同意した。そうして彼らは墓地の近くにお屋敷を建てると、余ったお金はすべて貧民救済の寄付にまわしてしまった。
万事がこんな調子だったので、マリアさんは街の人たちに慕われていた。それだから彼女が不治の病に侵されたとわかった時、その報せは凶悪な辻風のようにひと息に街中を駆け抜け、大勢が悲嘆にくれた。涙を流してこの世の理不尽に憤る者もいた。
他人事に一喜一憂するのはどの街の人だって一緒だけれども、こういう反応が人情の薄くなったといわれる灰と煙のご時世に珍しいのはちがいない。
彼女を侵した病魔はたちが悪かった。とりついた人間の身体を静かにしかし確実に衰弱させる狡猾な性格で、進行するほどに患者の苦痛はひどくなるのだ。
夫や親しい者たちは、彼女がテッポウタウンの中心街にある総合病院の一室で少しずつ弱っていく様を目の当たりにすることになった。
彼女はふっくらとした体つきだったので、病魔の肉削ぎ仕事は際立った。あまりにも酷な仕打ちだ。
一週間に一度は病室を訪れるようにしていたマリアさんの親友は、面会のたびに相手の心身がわずかに削げていくのに耐えなければならなかった。
どうして代わることができないのか。
面会後に立ち寄る習慣になった教会で祈りを捧げる親友の背中は小刻みに震え、すすり泣く小さな声がもれ出た。そこに通う人たちは今でもはっきりと覚えている悲劇の裾端だ。
「教会というものはな、金儲けのうまい香具師が困ってる連中の気持ちの端切れを拾いあつめてやってる露天商だよ」とか「やってることは詐欺よりちょっぴりましだな。それに間違いなく高等だ」と口にする皮肉屋でも、そういう商売が成り立つだけの苦しみがこの世の終わりまでなくならないのは承知している。
マリアさんの入院から一か月たったころ、ダルテさんは近しい人々と相談して今後は自宅療養をすると決めた。不治の病であるのはくつがえらない。せめて最後の日々を自宅で送ってもらいたいというのが夫の切実な願いだった。
しかしマリアさんは強硬に反対し、そのお金は寄付に回すべきですと言い張った。だがこれまで常日頃は妻の意見を尊重してきた夫もこの事だけは譲らなかった。
この地域に住むとわかることであるが、病院であれば医療費その他がかかるといってもそこまで桁外れではない。ところが自宅療養となると大変なのだ。
テッポウタウンと周辺地域では自宅で継続した医療と介護を受けるのに莫大な費用が必要だ。これは主に医療制度の特殊性に由来し、加えて長年の因習も関係している。なのでほとんどの家庭では末期の自宅療養は選択肢にならなかった。
病院の費用すら払えないほどの貧民はまた別だ。彼らがまともな医療を受ける術はほとんどない。ではどうするか。それをここに記すのはやめておこう。彼らのわずかな伝手をばらすのは倫理的にはばかられる。
話をチモンジャク夫妻に戻すと、この時分の彼らの財は潤沢だった。彼女が不治の病に侵されるよりも前に両親が相次いで他界し、その遺産の大半を一人娘のマリアさんが相続していたのが大きい。
この遺産からは少なくない額が寄付や基金に使われたが、それでもまだたっぷりあった。おそらくマリアさんがこうならなければ残りの使い道も同じだったはずだ。
二人は三日間かけて妥協点を見いだした。どうしてもマリアさんがやっておきたい寄付をすませてのち、自宅療養にうつるというものだ。
ダルテさんは妻の病に詳しいと評判の医師を遠近問わず呼び寄せてチームを組ませ、屋敷の一角を自由につかわせた。場所が足りない場合は街のホテルに部屋を借りた。
すぐに彼らへの支払いや高額な薬の購入がたくわえを猛烈な勢いで減らしはじめた。チモンジャク家は不動産も数多く所有していたが、夫は戸惑うことなく土地を手放し続けた。
街の人々は彼が愛妻家だと知っていたから、この行いにより一層の敬意を抱きながらも、心の中に憐みと呆れが一緒にわくのをおさえきれなかった。
「そりゃあダルテさんのおこないは彼らしいよ。じつにもって奥さんを愛してるんだな。だがな、それにしてもあそこまで土地や金をどんどん手放すのは夫婦のどちらにも良くない、俺はそう思うんだよ。そうせずに今後を考えて他のことに使うかとっとくのが結局は本人たちのためじゃあねえのかい。奥さんは反対したっていうだろ。そりゃそうだよ。これについては俺は奥さんに賛成だよ。旦那は立派だが、気持ちはわかるがな……」
医師たちの仕事は主に鎮痛、そしてごくわずかには快癒への道筋の探求で、その力の及ぶ限りにおいて最高のものであり、見立ても正確だった。彼らがもってあと一年と夫妻に告げたとおりに、彼女の最期は訪れた。
称賛すべきことに、チームは肉体の痛みに関しては緩和に成功した。マリアさんが最後の一か月、ほとんど肉体的苦痛を感じなかったのは関わった者すべてにとって救いだった。
「みなさんからは神さまが私たちを見守っていらっしゃることの確信を教わりました」
彼女はお別れの夜、穏やかな面持ちで語った。
葬儀はなるべく控えめにして、教会では行わずにそのまま墓地へというのが遺言だった。このため弔問客の数は抑えられた。
のだが、屋敷から墓地への道のりである街道のナナバン・ストリートには彼女を偲ぶ住民たちが朝早くから殺到し列をなしていた。
老いも若きも男も女も、貧しきも富めるも健やかなるも病めるも手に草花を持ち、道端に整然と並んだ。
街で勤務中の警官たちが急きょ駆り出されたが暴動が起きるわけもなく、そのうえ休みの警官たちも列の中におり、名目上は仕事として駆け付けた警官たちも実質的には列の参加者となった。
普段のテッポウタウンが喧噪をかき鳴らし、皆が引き裂かれ分断されているのを身をもって知っている彼ら全員にとって、マリアさんが与えてくれた奇跡に違いなかった。
良く晴れた、天上への細道のような雲が一筋流れる空の下、マリアさんは屋敷から墓地へ向かい、その表門をくぐってある丘の中腹、夫妻が長年共に暮らした屋敷をのぞむ場所に埋葬された。
夜は雨が降った。ひかえめに品の良い雨音を奏で、一晩中やむことはなかった。
篤志家マリア・チモンジャクの墓碑銘は次の言葉である。
「みなさん、わたしが愛することをゆるしてくれてありがとう」
彼女の両親――ダルテさんのやしない親である――が結婚のご祝儀にと渡してくれたお金はたいそうおおかった。
「気に入った所の土地を買って家を建てなさい」
父親は娘と良く似た愛嬌ある丸顔をほころばせて言った。
彼女はテッポウタウンの郊外でいちばん価格が低い場所を希望し、夫のダルテさんは同意した。そうして彼らは墓地の近くにお屋敷を建てると、余ったお金はすべて貧民救済の寄付にまわしてしまった。
万事がこんな調子だったので、マリアさんは街の人たちに慕われていた。それだから彼女が不治の病に侵されたとわかった時、その報せは凶悪な辻風のようにひと息に街中を駆け抜け、大勢が悲嘆にくれた。涙を流してこの世の理不尽に憤る者もいた。
他人事に一喜一憂するのはどの街の人だって一緒だけれども、こういう反応が人情の薄くなったといわれる灰と煙のご時世に珍しいのはちがいない。
彼女を侵した病魔はたちが悪かった。とりついた人間の身体を静かにしかし確実に衰弱させる狡猾な性格で、進行するほどに患者の苦痛はひどくなるのだ。
夫や親しい者たちは、彼女がテッポウタウンの中心街にある総合病院の一室で少しずつ弱っていく様を目の当たりにすることになった。
彼女はふっくらとした体つきだったので、病魔の肉削ぎ仕事は際立った。あまりにも酷な仕打ちだ。
一週間に一度は病室を訪れるようにしていたマリアさんの親友は、面会のたびに相手の心身がわずかに削げていくのに耐えなければならなかった。
どうして代わることができないのか。
面会後に立ち寄る習慣になった教会で祈りを捧げる親友の背中は小刻みに震え、すすり泣く小さな声がもれ出た。そこに通う人たちは今でもはっきりと覚えている悲劇の裾端だ。
「教会というものはな、金儲けのうまい香具師が困ってる連中の気持ちの端切れを拾いあつめてやってる露天商だよ」とか「やってることは詐欺よりちょっぴりましだな。それに間違いなく高等だ」と口にする皮肉屋でも、そういう商売が成り立つだけの苦しみがこの世の終わりまでなくならないのは承知している。
マリアさんの入院から一か月たったころ、ダルテさんは近しい人々と相談して今後は自宅療養をすると決めた。不治の病であるのはくつがえらない。せめて最後の日々を自宅で送ってもらいたいというのが夫の切実な願いだった。
しかしマリアさんは強硬に反対し、そのお金は寄付に回すべきですと言い張った。だがこれまで常日頃は妻の意見を尊重してきた夫もこの事だけは譲らなかった。
この地域に住むとわかることであるが、病院であれば医療費その他がかかるといってもそこまで桁外れではない。ところが自宅療養となると大変なのだ。
テッポウタウンと周辺地域では自宅で継続した医療と介護を受けるのに莫大な費用が必要だ。これは主に医療制度の特殊性に由来し、加えて長年の因習も関係している。なのでほとんどの家庭では末期の自宅療養は選択肢にならなかった。
病院の費用すら払えないほどの貧民はまた別だ。彼らがまともな医療を受ける術はほとんどない。ではどうするか。それをここに記すのはやめておこう。彼らのわずかな伝手をばらすのは倫理的にはばかられる。
話をチモンジャク夫妻に戻すと、この時分の彼らの財は潤沢だった。彼女が不治の病に侵されるよりも前に両親が相次いで他界し、その遺産の大半を一人娘のマリアさんが相続していたのが大きい。
この遺産からは少なくない額が寄付や基金に使われたが、それでもまだたっぷりあった。おそらくマリアさんがこうならなければ残りの使い道も同じだったはずだ。
二人は三日間かけて妥協点を見いだした。どうしてもマリアさんがやっておきたい寄付をすませてのち、自宅療養にうつるというものだ。
ダルテさんは妻の病に詳しいと評判の医師を遠近問わず呼び寄せてチームを組ませ、屋敷の一角を自由につかわせた。場所が足りない場合は街のホテルに部屋を借りた。
すぐに彼らへの支払いや高額な薬の購入がたくわえを猛烈な勢いで減らしはじめた。チモンジャク家は不動産も数多く所有していたが、夫は戸惑うことなく土地を手放し続けた。
街の人々は彼が愛妻家だと知っていたから、この行いにより一層の敬意を抱きながらも、心の中に憐みと呆れが一緒にわくのをおさえきれなかった。
「そりゃあダルテさんのおこないは彼らしいよ。じつにもって奥さんを愛してるんだな。だがな、それにしてもあそこまで土地や金をどんどん手放すのは夫婦のどちらにも良くない、俺はそう思うんだよ。そうせずに今後を考えて他のことに使うかとっとくのが結局は本人たちのためじゃあねえのかい。奥さんは反対したっていうだろ。そりゃそうだよ。これについては俺は奥さんに賛成だよ。旦那は立派だが、気持ちはわかるがな……」
医師たちの仕事は主に鎮痛、そしてごくわずかには快癒への道筋の探求で、その力の及ぶ限りにおいて最高のものであり、見立ても正確だった。彼らがもってあと一年と夫妻に告げたとおりに、彼女の最期は訪れた。
称賛すべきことに、チームは肉体の痛みに関しては緩和に成功した。マリアさんが最後の一か月、ほとんど肉体的苦痛を感じなかったのは関わった者すべてにとって救いだった。
「みなさんからは神さまが私たちを見守っていらっしゃることの確信を教わりました」
彼女はお別れの夜、穏やかな面持ちで語った。
葬儀はなるべく控えめにして、教会では行わずにそのまま墓地へというのが遺言だった。このため弔問客の数は抑えられた。
のだが、屋敷から墓地への道のりである街道のナナバン・ストリートには彼女を偲ぶ住民たちが朝早くから殺到し列をなしていた。
老いも若きも男も女も、貧しきも富めるも健やかなるも病めるも手に草花を持ち、道端に整然と並んだ。
街で勤務中の警官たちが急きょ駆り出されたが暴動が起きるわけもなく、そのうえ休みの警官たちも列の中におり、名目上は仕事として駆け付けた警官たちも実質的には列の参加者となった。
普段のテッポウタウンが喧噪をかき鳴らし、皆が引き裂かれ分断されているのを身をもって知っている彼ら全員にとって、マリアさんが与えてくれた奇跡に違いなかった。
良く晴れた、天上への細道のような雲が一筋流れる空の下、マリアさんは屋敷から墓地へ向かい、その表門をくぐってある丘の中腹、夫妻が長年共に暮らした屋敷をのぞむ場所に埋葬された。
夜は雨が降った。ひかえめに品の良い雨音を奏で、一晩中やむことはなかった。
篤志家マリア・チモンジャクの墓碑銘は次の言葉である。
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