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◇ 二章十話 再会の情 * 慶応元年 閏五月
淡い想い
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茶屋を後にしてから鴨川沿いに北上し、丸太町通りに出たところで時尾が「送っていただくのは、ここまでで結構です」とやわらかく告げて足を止めた。
丸太町通りの鴨川から金戒光明寺までであれば、女人の足でも四半刻もかからない。
まだ日も明るいし、人通りも多いわけではないが少なくもないため、斎藤は同じく足を止めてあごを引いた。幸い、ここまで顔見知りに出くわすことも、どこかから視線を感じることもなかったため、時尾と二人でいたことを誰かに見咎められることもなく済んだようだ。
「斎藤様。きちんと、愁介と話してくださいませね」
「……努めます」
抑揚なくも正直に答えれば、時尾はふふっと吐息を揺らして口元に手を当てた。
「頼みましたからね。私も程なく都を発ちます。何もできないまま帰らなければならないのかしらと悩んでいたところだったんですよ。後は斎藤様にお任せしておけば問題ないと、すっきりした気持ちで発たせてくださいませ」
「……今日、時尾殿に言われたことは、肝に銘じます」
「そうしてくださいませ」
頷いた時尾に、あごを引いて頷き返す。
「…………」
「斎藤様?」
「……私の立場でこのようなことを申し上げるのは、恐らく馬鹿げていると思うのですが」
「はい?」
時尾は首をかしげたが、斎藤はそんな彼女から視線を逸らすことなく、そっと口を開いた。
「貴殿とは、また……相まみえれば嬉しいと、思います」
言えば、時尾は虚を衝かれた様子で目を丸くした。華奢な指先で口元が覆われたままだったため、それが厳密にどういった感情を示していたのかは知れない。
が、直後に時尾は眉尻を下げ、どこか気恥ずかしそうに視線を流して呟いた。
「そのお言葉は……予想外です」
「そうですか?」
「だって幼い頃は、あの離れ屋敷からの見送りでおっしゃっていた『またお待ちしております』なんて、まったくの口先だけだったではありませんか」
「それは……」
時尾の言うとおりだった。何しろ日々二人きりだったあの屋敷に時尾が来れば、葛を取られたような気がするもので――……いくら葛が彼女の来訪をいつも心待ちにしていたと言えど、斎藤自身としては良い気がしなかったのだ。
子供だったとはいえ、当時の己の視野狭窄ぶりと狭量ぶりを改めて突きつけられてしまい、こちらまでつられて気恥ずかしさが込み上げてくる。
「……昔のことは忘れてください」
「ふふっ、お断りします。私には良い思い出なのですもの。でも、だからこそ……今の斎藤様にそうおっしゃっていただけるのは、尚のこと嬉しく存じます」
「……感謝しているのです。今日、時尾殿と話せたことは、私にとって僥倖でした」
「こちらこそ。京まで上ってきた甲斐がありますね。私こそ、斎藤様とはまたお会いできれば僥倖です」
時尾は大切なものでもしまうように、そっと両手で胸を押さえて微笑んだ。
優しく下がったまなじりを見返して、斎藤も自然と薄く口の端を上げた。愁介に、昔と変わらずこれほど想ってくれる友人がいることへの安堵が湧く。
「会津へお戻りの際には……道中、お気をつけて」
「斎藤様も。どうぞ、お命お大事になさってくださいませ」
その言葉には色々な意味で答えることはできなかったが、時尾は心得た様子であごを引き、後腐れもなく踵を返した。
凛と背筋の伸びた後ろ姿をしばらく見送ってから、斎藤も踵を返す。
――鴨川の水流から、都の夏独特の少し湿気た風が吹き上げてくる。これからまた、次第にまとわりつくような暑さに見舞われることになっていくだろう。
ただ、気分はどこか軽かった。
あらゆる物事への重みが取れたわけではない。何ひとつとして、まだ解決してもいなければ、その兆しすら見えてもいない。
それでも今日のことは忘れずにおこうと……それだけは胸にしまって、斎藤は西本願寺へ真っ直ぐ歩みを進めた。
丸太町通りの鴨川から金戒光明寺までであれば、女人の足でも四半刻もかからない。
まだ日も明るいし、人通りも多いわけではないが少なくもないため、斎藤は同じく足を止めてあごを引いた。幸い、ここまで顔見知りに出くわすことも、どこかから視線を感じることもなかったため、時尾と二人でいたことを誰かに見咎められることもなく済んだようだ。
「斎藤様。きちんと、愁介と話してくださいませね」
「……努めます」
抑揚なくも正直に答えれば、時尾はふふっと吐息を揺らして口元に手を当てた。
「頼みましたからね。私も程なく都を発ちます。何もできないまま帰らなければならないのかしらと悩んでいたところだったんですよ。後は斎藤様にお任せしておけば問題ないと、すっきりした気持ちで発たせてくださいませ」
「……今日、時尾殿に言われたことは、肝に銘じます」
「そうしてくださいませ」
頷いた時尾に、あごを引いて頷き返す。
「…………」
「斎藤様?」
「……私の立場でこのようなことを申し上げるのは、恐らく馬鹿げていると思うのですが」
「はい?」
時尾は首をかしげたが、斎藤はそんな彼女から視線を逸らすことなく、そっと口を開いた。
「貴殿とは、また……相まみえれば嬉しいと、思います」
言えば、時尾は虚を衝かれた様子で目を丸くした。華奢な指先で口元が覆われたままだったため、それが厳密にどういった感情を示していたのかは知れない。
が、直後に時尾は眉尻を下げ、どこか気恥ずかしそうに視線を流して呟いた。
「そのお言葉は……予想外です」
「そうですか?」
「だって幼い頃は、あの離れ屋敷からの見送りでおっしゃっていた『またお待ちしております』なんて、まったくの口先だけだったではありませんか」
「それは……」
時尾の言うとおりだった。何しろ日々二人きりだったあの屋敷に時尾が来れば、葛を取られたような気がするもので――……いくら葛が彼女の来訪をいつも心待ちにしていたと言えど、斎藤自身としては良い気がしなかったのだ。
子供だったとはいえ、当時の己の視野狭窄ぶりと狭量ぶりを改めて突きつけられてしまい、こちらまでつられて気恥ずかしさが込み上げてくる。
「……昔のことは忘れてください」
「ふふっ、お断りします。私には良い思い出なのですもの。でも、だからこそ……今の斎藤様にそうおっしゃっていただけるのは、尚のこと嬉しく存じます」
「……感謝しているのです。今日、時尾殿と話せたことは、私にとって僥倖でした」
「こちらこそ。京まで上ってきた甲斐がありますね。私こそ、斎藤様とはまたお会いできれば僥倖です」
時尾は大切なものでもしまうように、そっと両手で胸を押さえて微笑んだ。
優しく下がったまなじりを見返して、斎藤も自然と薄く口の端を上げた。愁介に、昔と変わらずこれほど想ってくれる友人がいることへの安堵が湧く。
「会津へお戻りの際には……道中、お気をつけて」
「斎藤様も。どうぞ、お命お大事になさってくださいませ」
その言葉には色々な意味で答えることはできなかったが、時尾は心得た様子であごを引き、後腐れもなく踵を返した。
凛と背筋の伸びた後ろ姿をしばらく見送ってから、斎藤も踵を返す。
――鴨川の水流から、都の夏独特の少し湿気た風が吹き上げてくる。これからまた、次第にまとわりつくような暑さに見舞われることになっていくだろう。
ただ、気分はどこか軽かった。
あらゆる物事への重みが取れたわけではない。何ひとつとして、まだ解決してもいなければ、その兆しすら見えてもいない。
それでも今日のことは忘れずにおこうと……それだけは胸にしまって、斎藤は西本願寺へ真っ直ぐ歩みを進めた。
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