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幸せの崩壊
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貴方がハンカチをくれたこと、今でも覚えています。
雨が降る日のことでしたね。
急に降りだした雨にわたしは濡れてしまって、慌てて庭園の小屋に駆け込んだのでした。
帰りが遅いわたしのことを心配してくれたのでしょうか。
貴方は雨に打たれながら走り回り、小屋の中で震えるわたしを見つけてくれました。
あのときは本当に嬉しかった。
髪をしたたる水滴に涙が混じって、目の前がぼやけて見えなくなるほどに。
貴方は一枚のハンカチをわたしにくれて、濡れた髪を拭いてくれました。
いつの間にか貴方まで泣き出していて、二人でくすりと笑いましたね。
本音を言うと少し意外だったのです。
いつも弱気で、周囲の男の子にもからかわれてばかりの貴方が……こんなに勇気を出して探しに来てくれるだなんて。
やっぱり優しい人なんだって、そう思いました。
だから、わたしは貴方を愛すると決めたのです。
婚約者として相応しい令嬢になろうとしたのです。
わたしは今も貴方がくれたハンカチを肌身離さず持っています。
ねえ。
貴方は今でも覚えていますか?
わたしのことを……愛してくれていましたか?
***
「マリーズ。すまないが君との婚約を破棄させてもらう」
突然の婚約破棄。
わたしは頭の中がまっしろになった。
彼がいま、何を言ったのかわからない。
婚約者のトリスタン伯爵令息。
長めの金髪に、切れ長の青い瞳。
誰が見ても惚れ惚れするような端正な顔立ち。
いつも見とれていた彼の姿だけれど、今は直視するのが恐ろしい。
それでもわたしは、何とか言葉を紡いだ。
「理由を……教えてくれる?」
トリスタンは、傍らにいる見知らぬ少女を抱き寄せた。
まるでわたしに見せつけるように。
「君は私を愛していないのだろう?」
まったく予想外の言葉がトリスタンの口から出た。
わたしが……彼を愛していない?
「……いいえ、それは違うわ。トリスタン、わたしは……」
「無理に弁明しなくてもいい。もともと私たちの両親が決めた婚約だ。そこに愛などあるはずもなかったんだ。婚約を結んでから八年間、よく私のような男に付き合ってくれたな。ありがとう」
感謝を述べながらも、トリスタンの言葉に感情は籠もっていなかった。
依然として向けられた冷ややかな視線。
――目まいがする。
息がうまくできなくなってきた。
「君は……一度も私に『愛している』と言ってくれたことはなかった。本当は心の底で嫌っていたのだろう?」
「そ、そんなことは……ないわ。わたしは貴方を愛している……」
「……」
トリスタンは沈黙していた。
私に困惑の視線を向けたあと、隣に立つ栗毛の少女にあたたかい視線を向ける。
「彼女……ニコレットは私の新しい婚約者だ。出自は平民だが、愛に身分など関係ない。彼女は私に何度も言ってくれたよ、『愛している』と」
"愛している"
ああ、貴方はその言葉が欲しかったのですね。
どうして……言ってくれなかったのだろう。
いや、わたしが気づいてあげるべきだったのだろうか。
うわべだけの言葉に意味はないと思っていた。
わたしの愛はすべて行動で伝わっているものだと――
「君は私なんかよりも立派な人を愛し、好きに生きてくれ。私はこれからニコレットと共に貴族学校へ入学し、新たな人生を歩むことにする。では、さらばだ」
トリスタンは淡々と言い放ち、ニコレットをエスコートして歩いて行った。
彼女だけに柔らかな笑みを向けて。
「はぁ……っ」
息がうまくできなくなって、床に膝をつく。
去り際、一瞬だけトリスタンが立ち止まったが……彼が手を差し伸べてくれることはなかった。
足音はそのまま遠ざかっていき……わたしもやがて意識を落とした。
***
「お嬢様……!? お目覚めになられたのですね!」
暗闇から意識を引きずり出す。
本当ならずっと眠っていたかったのだけど。
……あの雨の日の夢を見ていた。
侍女のロジーヌは心配そうにわたしの顔を覗き込んでいる。
「倒れられていたのを発見しまして……いったい何があったのですか? トリスタン様とお会いになられていたのですよね?」
……ああ、そうか。
まだ誰も知らないんだ。
「……婚約破棄、されたのよ」
「…………え」
「トリスタンはわたしとの婚約を破棄した。それでショックを受けて、気を失ってしまったみたい。けがはないわ」
ロジーヌは絶句していた。
いきなりこんなことを言われても困るだろう。
お父様やお母様にどう説明すればよいものか……。
「ごめんなさいね。いきなりの話で驚いたでしょう? とりあえずお父様に報告しに行くわ」
「お、お待ちを! せめて少し休まれてから……」
「いい。すぐに今後の方針を決めないと」
何もかもが非現実的だ。
まだ婚約破棄を現実として受け入れられていない。
浮遊感を伴う失意のなか、わたしは父の書斎に向かった。
雨が降る日のことでしたね。
急に降りだした雨にわたしは濡れてしまって、慌てて庭園の小屋に駆け込んだのでした。
帰りが遅いわたしのことを心配してくれたのでしょうか。
貴方は雨に打たれながら走り回り、小屋の中で震えるわたしを見つけてくれました。
あのときは本当に嬉しかった。
髪をしたたる水滴に涙が混じって、目の前がぼやけて見えなくなるほどに。
貴方は一枚のハンカチをわたしにくれて、濡れた髪を拭いてくれました。
いつの間にか貴方まで泣き出していて、二人でくすりと笑いましたね。
本音を言うと少し意外だったのです。
いつも弱気で、周囲の男の子にもからかわれてばかりの貴方が……こんなに勇気を出して探しに来てくれるだなんて。
やっぱり優しい人なんだって、そう思いました。
だから、わたしは貴方を愛すると決めたのです。
婚約者として相応しい令嬢になろうとしたのです。
わたしは今も貴方がくれたハンカチを肌身離さず持っています。
ねえ。
貴方は今でも覚えていますか?
わたしのことを……愛してくれていましたか?
***
「マリーズ。すまないが君との婚約を破棄させてもらう」
突然の婚約破棄。
わたしは頭の中がまっしろになった。
彼がいま、何を言ったのかわからない。
婚約者のトリスタン伯爵令息。
長めの金髪に、切れ長の青い瞳。
誰が見ても惚れ惚れするような端正な顔立ち。
いつも見とれていた彼の姿だけれど、今は直視するのが恐ろしい。
それでもわたしは、何とか言葉を紡いだ。
「理由を……教えてくれる?」
トリスタンは、傍らにいる見知らぬ少女を抱き寄せた。
まるでわたしに見せつけるように。
「君は私を愛していないのだろう?」
まったく予想外の言葉がトリスタンの口から出た。
わたしが……彼を愛していない?
「……いいえ、それは違うわ。トリスタン、わたしは……」
「無理に弁明しなくてもいい。もともと私たちの両親が決めた婚約だ。そこに愛などあるはずもなかったんだ。婚約を結んでから八年間、よく私のような男に付き合ってくれたな。ありがとう」
感謝を述べながらも、トリスタンの言葉に感情は籠もっていなかった。
依然として向けられた冷ややかな視線。
――目まいがする。
息がうまくできなくなってきた。
「君は……一度も私に『愛している』と言ってくれたことはなかった。本当は心の底で嫌っていたのだろう?」
「そ、そんなことは……ないわ。わたしは貴方を愛している……」
「……」
トリスタンは沈黙していた。
私に困惑の視線を向けたあと、隣に立つ栗毛の少女にあたたかい視線を向ける。
「彼女……ニコレットは私の新しい婚約者だ。出自は平民だが、愛に身分など関係ない。彼女は私に何度も言ってくれたよ、『愛している』と」
"愛している"
ああ、貴方はその言葉が欲しかったのですね。
どうして……言ってくれなかったのだろう。
いや、わたしが気づいてあげるべきだったのだろうか。
うわべだけの言葉に意味はないと思っていた。
わたしの愛はすべて行動で伝わっているものだと――
「君は私なんかよりも立派な人を愛し、好きに生きてくれ。私はこれからニコレットと共に貴族学校へ入学し、新たな人生を歩むことにする。では、さらばだ」
トリスタンは淡々と言い放ち、ニコレットをエスコートして歩いて行った。
彼女だけに柔らかな笑みを向けて。
「はぁ……っ」
息がうまくできなくなって、床に膝をつく。
去り際、一瞬だけトリスタンが立ち止まったが……彼が手を差し伸べてくれることはなかった。
足音はそのまま遠ざかっていき……わたしもやがて意識を落とした。
***
「お嬢様……!? お目覚めになられたのですね!」
暗闇から意識を引きずり出す。
本当ならずっと眠っていたかったのだけど。
……あの雨の日の夢を見ていた。
侍女のロジーヌは心配そうにわたしの顔を覗き込んでいる。
「倒れられていたのを発見しまして……いったい何があったのですか? トリスタン様とお会いになられていたのですよね?」
……ああ、そうか。
まだ誰も知らないんだ。
「……婚約破棄、されたのよ」
「…………え」
「トリスタンはわたしとの婚約を破棄した。それでショックを受けて、気を失ってしまったみたい。けがはないわ」
ロジーヌは絶句していた。
いきなりこんなことを言われても困るだろう。
お父様やお母様にどう説明すればよいものか……。
「ごめんなさいね。いきなりの話で驚いたでしょう? とりあえずお父様に報告しに行くわ」
「お、お待ちを! せめて少し休まれてから……」
「いい。すぐに今後の方針を決めないと」
何もかもが非現実的だ。
まだ婚約破棄を現実として受け入れられていない。
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