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時が過ぎ、ある日の朝
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時は移ろう。
最初は不安だった新居での生活にも、クラーラはすぐに順応した。
一言でいえば、この環境は今までと比べて違いすぎる。
良い意味で違いすぎる。
衣食住、すべてにおいて事欠かない。
使用人が少なく経済的な余裕があることも要因だろうが、それ以上にレナートがクラーラのことを気にかけているようだった。
彼の献身をありがたいと思うと同時、クラーラも何をお返しできるのか……と幸せな悩みを抱えていた。
今日も意識の隙間に射し込む朝日を浴びながら、目を覚ます。
ああ、もう朝か。
ふかふかなベッドのせいですぐに寝ついてしまい、一瞬で朝がくる。
鈴を鳴らして隣の部屋にいる侍女ロゼッタを呼んだ。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう。今日もいい朝ね」
挨拶をしながらドレッサーの前に座る。
そこには少し寝ぼけまなこで、髪の毛がくるりとはねたクラーラの姿が。
「ねえロゼッタ、ハルトリー家には慣れた?」
「はい。使用人の皆さまがとても優しく、レナート様もよくお気遣いしてくださっています。私にとっては理想的な職場……と言っていいかもしれません。そういうお嬢様は、レナート様とどうなんです?」
「ど、どうって?」
「どこまでいきました?」
そう言われても。
クラーラはたじたじになった。
彼女は人前で困っても微笑を浮かべて、本来は反応しない性格だ。
しかし付き合いの長いロゼッタの前では素の反応をしてしまう。
これは手ごたえなしか。
ロゼッタは瞬時に悟る。
「お嬢様……いえ、奥様とお呼びしましょうか。レナート様と婚約者になったからには、もっと積極的にいきましょう!」
「そ、そうね……いえ、私も積極的に関わろうとはしているのだけど。レナートが純粋というか、まっすぐな性格だけあって……なんかこうね。黒魔術を一緒に研究する、友人みたいな?」
「言い訳ですかー? このままじゃいつまで経っても関係が進みませんよ」
「私には私のペースがあるの! 心配いらないわ」
そうですか、とロゼッタは笑ってクラーラの髪を梳く。
サラサラと。しばらく沈黙の中に、波音にも似たきれいな音色が響いた。
時折セキレイの鳴き声が鼓膜を叩く。
「……あ、そうそう。今日は工房です」
「ん。了解」
工房。
その一語だけで、クラーラは迎える朝の形がわかった。
普段はレナートと朝食を食堂で囲むが、『工房』と伝えられた日は異なる。
彼女は真っ先に、ドレスにも着替えず朝食も食べず、工房へ向かうことになるのだ。
とはいえ。その突飛な朝が嫌いなわけではない。
むしろ好きだった。
普通の令嬢では味わえない、魔術師としての朝を迎えるのだから。
◇◇◇◇
屋敷と工房をつなぐ廊下には、朝を運ぶさわやかな風が吹いていた。
クラーラは茶色の髪をなびかせながら工房へ赴く。
扉は開いている。
せっかく自動認証を承認してもらったクラーラだが、レナートが工房にいるときは入り口が開いていることが多い。
彼女は迷わず工房の中へ踏み込んだ。
「おはようございます」
眼前に開ける眺望絶佳。
朝も夜も、どの季節でさえも大庭園の美しい眺めは変わらない。
今日は雲ひとつない晴天。
太陽の光のもとで花々が咲き誇り、美しい蝶が舞う。
さながら宝石箱の中に入ってしまったようだ。
「おはよう、クラーラ」
そして佇む青年がひとり。
彼は陽光を浴びてきらめく髪を払い、クラーラに笑顔を向けた。
レナートの手元には短杖と魔法陣。
そしていくつかの魔鉱石が置かれていた。
魔鉱石は赤、緑、青にそれぞれ輝き、魔法陣の中でじっとしている。
「これは……結界の構築ですか?」
「ああ、さすがはクラーラ。ひと目みただけで魔術を看破するとは。領地を囲む結界……魔物を寄せつけないための結界を作っていた。そろそろ張り替えの時期だからね」
本来、結界の構築は領主の配下がやるもので……領主自らが行うものではない。
しかしレナートよりも卓越した黒魔術師など領地にはおらず、彼が直々に行っていた。
領民を守るための結界作成は、彼のたっての願い。
民の命に責任を負い、まっすぐに脅威と向き合う姿勢は、何ともレナートらしい。
「私もお手伝いします」
「ああ、よろしく。普通は他の人にはやらせないけど、クラーラの実力は信頼しているからね」
「ええ、結界作成は慣れていますの」
リナルディ伯爵領でも、結界の作成は主にクラーラが受け持っていた。
というのも、黒魔術師を雇う金銭的な余裕がなかったため。
今ごろは新たに魔術師を雇い、魔物から民を守っているのだろうか?
もしもそうでなければ……とクラーラは憂慮に襲われた。
いけない、いけない。
雑念が入っては不完全な結界が出来上がる。
彼女は眼前の作業に集中して結界の構築に取りかかった。
最初は不安だった新居での生活にも、クラーラはすぐに順応した。
一言でいえば、この環境は今までと比べて違いすぎる。
良い意味で違いすぎる。
衣食住、すべてにおいて事欠かない。
使用人が少なく経済的な余裕があることも要因だろうが、それ以上にレナートがクラーラのことを気にかけているようだった。
彼の献身をありがたいと思うと同時、クラーラも何をお返しできるのか……と幸せな悩みを抱えていた。
今日も意識の隙間に射し込む朝日を浴びながら、目を覚ます。
ああ、もう朝か。
ふかふかなベッドのせいですぐに寝ついてしまい、一瞬で朝がくる。
鈴を鳴らして隣の部屋にいる侍女ロゼッタを呼んだ。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう。今日もいい朝ね」
挨拶をしながらドレッサーの前に座る。
そこには少し寝ぼけまなこで、髪の毛がくるりとはねたクラーラの姿が。
「ねえロゼッタ、ハルトリー家には慣れた?」
「はい。使用人の皆さまがとても優しく、レナート様もよくお気遣いしてくださっています。私にとっては理想的な職場……と言っていいかもしれません。そういうお嬢様は、レナート様とどうなんです?」
「ど、どうって?」
「どこまでいきました?」
そう言われても。
クラーラはたじたじになった。
彼女は人前で困っても微笑を浮かべて、本来は反応しない性格だ。
しかし付き合いの長いロゼッタの前では素の反応をしてしまう。
これは手ごたえなしか。
ロゼッタは瞬時に悟る。
「お嬢様……いえ、奥様とお呼びしましょうか。レナート様と婚約者になったからには、もっと積極的にいきましょう!」
「そ、そうね……いえ、私も積極的に関わろうとはしているのだけど。レナートが純粋というか、まっすぐな性格だけあって……なんかこうね。黒魔術を一緒に研究する、友人みたいな?」
「言い訳ですかー? このままじゃいつまで経っても関係が進みませんよ」
「私には私のペースがあるの! 心配いらないわ」
そうですか、とロゼッタは笑ってクラーラの髪を梳く。
サラサラと。しばらく沈黙の中に、波音にも似たきれいな音色が響いた。
時折セキレイの鳴き声が鼓膜を叩く。
「……あ、そうそう。今日は工房です」
「ん。了解」
工房。
その一語だけで、クラーラは迎える朝の形がわかった。
普段はレナートと朝食を食堂で囲むが、『工房』と伝えられた日は異なる。
彼女は真っ先に、ドレスにも着替えず朝食も食べず、工房へ向かうことになるのだ。
とはいえ。その突飛な朝が嫌いなわけではない。
むしろ好きだった。
普通の令嬢では味わえない、魔術師としての朝を迎えるのだから。
◇◇◇◇
屋敷と工房をつなぐ廊下には、朝を運ぶさわやかな風が吹いていた。
クラーラは茶色の髪をなびかせながら工房へ赴く。
扉は開いている。
せっかく自動認証を承認してもらったクラーラだが、レナートが工房にいるときは入り口が開いていることが多い。
彼女は迷わず工房の中へ踏み込んだ。
「おはようございます」
眼前に開ける眺望絶佳。
朝も夜も、どの季節でさえも大庭園の美しい眺めは変わらない。
今日は雲ひとつない晴天。
太陽の光のもとで花々が咲き誇り、美しい蝶が舞う。
さながら宝石箱の中に入ってしまったようだ。
「おはよう、クラーラ」
そして佇む青年がひとり。
彼は陽光を浴びてきらめく髪を払い、クラーラに笑顔を向けた。
レナートの手元には短杖と魔法陣。
そしていくつかの魔鉱石が置かれていた。
魔鉱石は赤、緑、青にそれぞれ輝き、魔法陣の中でじっとしている。
「これは……結界の構築ですか?」
「ああ、さすがはクラーラ。ひと目みただけで魔術を看破するとは。領地を囲む結界……魔物を寄せつけないための結界を作っていた。そろそろ張り替えの時期だからね」
本来、結界の構築は領主の配下がやるもので……領主自らが行うものではない。
しかしレナートよりも卓越した黒魔術師など領地にはおらず、彼が直々に行っていた。
領民を守るための結界作成は、彼のたっての願い。
民の命に責任を負い、まっすぐに脅威と向き合う姿勢は、何ともレナートらしい。
「私もお手伝いします」
「ああ、よろしく。普通は他の人にはやらせないけど、クラーラの実力は信頼しているからね」
「ええ、結界作成は慣れていますの」
リナルディ伯爵領でも、結界の作成は主にクラーラが受け持っていた。
というのも、黒魔術師を雇う金銭的な余裕がなかったため。
今ごろは新たに魔術師を雇い、魔物から民を守っているのだろうか?
もしもそうでなければ……とクラーラは憂慮に襲われた。
いけない、いけない。
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