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秘め事
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「よーし、終わった。クラーラのおかげで、いつもよりずっと早く終わったよ。少し休憩にしよう。君も疲れただろう?」
「ええ、少し。だけど魔鉱石の質がよかったおかげで、消費する魔力は普段より少なく済みましたわ」
「ああ。命を守る道具を作るのだから、出し惜しみはしていられない。魔鉱石はいつも最高級のものを仕入れるようにしている」
レナートはそう言いながら、いつしか工房の前に置かれていた料理を持ってくる。
朝から工房で勤しむ日には、料理人が気を利かせて工房の前に料理を置いてくれるのだ。
彼の様子を傍目で見て、クラーラは当然のように紅茶を淹れはじめる。
コトン、と皿が小さなテーブルに並べられる音。
琥珀色の液体がティーカップに注がれる音。
かすかな静寂の中で二人はいつもどおりの作業を行う。
もくもくと煙を立てるティーカップをちらと見て、レナートが首を傾げる。
「熱い紅茶は嫌いだろう?」
「あら、覚えていてくださったのね。でもレナートは熱い方がお好みかと思って」
「いや、クラーラの好みに合わせてくれ。俺は熱くてもそうじゃなくてもどっちでもいい」
「お気遣いありがとうございます」
「気遣いというか……妻の趣向に合わせるのは当然のことじゃないか。そういう謙虚なところもクラーラの魅力だな」
またもやストレートな誉め言葉をいただき、クラーラは少したじろぐ。
気を取り直してレナートの向かい側に座った。
ふかふかの白いパンと、スクランブルエッグ、サラダ。
実に健康的で、おいしそうで。
「いただきます」
いくつかのパンにはマーブル状になったチョコレートが練り込まれており、疲れた体が癒される。
レナートは静かに食事を進めていた。
時折、美しい大庭園を眺めながら。
不意に沈黙が破られる。
「――君と暮らしはじめて、それなりに経ったね。今のところはどうかな? 不満とかない?」
「いえ、まったく。むしろここまで厚遇を受けてよいものかと」
「ははっ……よかった。使用人たちの話を聞く限り、彼らとの関係性も良好みたいだ。あと、そう……俺は?」
「レナートがどうかしましたか?」
少し歯切れ悪そうに、レナートは言った。
「嘘がつけない俺は、時々君を困らせていると思う。この前だって俺はこう言った……『他のドレスの方がクラーラには似合う』と」
「ですが、『どのドレスを着てもかわいいが』という枕詞もついていましたよ?」
「う……それは事実だ。だが、君を不快にさせてはいまいかと不安でね」
別にクラーラは不満など感じていない。
レナートの口からスラスラと出る言葉は、いついかなるときでも誠実なもので、クラーラをよく見ていることがわかる。
正当な評価、純粋な感想、嬉しい称賛ばかりで。
これがすべて本音だというのだから驚かされる。
しかし、クラーラは思う。
これはチャンスではないかと。
「不満ですわ。一点だけ、レナートは私に隠していることがございませんか?」
薄々感じていたのだ。
レナートは常に微小な魔力を消費している。
おそらく、これが『大規模な黒魔術』とやらに支払っている代償。
彼から嘘という装飾を奪っている根源だと。
レナートも話すつもりはなかったのだろう。
すでにクラーラには、常時魔力を消費しているのを見抜かれていることなど、気づいていたのだから。
それでも彼はなお語らない。
「…………あるよ。まあ、いつまでも隠しておけるものではないよな。やがて妻になる人に隠し事をするなんて不誠実だし、婚前に説明しておこうか。食事が終わったら一緒に行ってほしいところがある」
「もちろんです。どうか安心なさって。どんなことがあっても、私はレナートを嫌いになりませんよ」
隠し事の理由は察せられる。
クラーラに負荷を与えないためだ。
レナートは個人的な事情ではなく、あくまで他人に傷ついてほしくないから、こうして秘め事をしているのだと。
とっくにクラーラは気づいていた。
この人は不器用だ。
まっすぐで誠実だからこそ、口を閉ざしている。
そんな彼の助けに、希望になれたらいい。
クラーラは心からそう願った。
◇◇◇◇
訪れたのはハルトリー家の地下室。
少し湿っぽく、息苦しさを感じる。
廊下の壁を見てみる。
壁面には複雑怪奇な紫色の紋様。
一見するとただの模様のように見えるが、歴とした魔法陣である。
この魔法陣は奥の部屋まで続いているようだ。
黒魔術に詳しいクラーラでも、これが何の陣なのか判別はつかなかった。
「入ってくれ」
両開きの扉に手を当てて、レナートがつぶやく。
いくぶんか普段よりも声のトーンは低かった。
扉の奥は暗かった。
二人が踏み込むと燈色の薄明りがつく。
「こ、れは……」
クラーラは入り口に立ち尽くす。
一方、レナートは部屋の中央にある寝台へと進んでいく。
寝台に寝ていたのは少年。
レナートと同じく白い髪。
歳は十代前半くらいに見える。
彼は安らかな寝息を立てていた。
しかし触れることはできない。
不可思議な結界で取り囲まれているゆえに。
「……時の流れを止めているんだ」
時を止める。
それは禁術の中でも、かなり高度な黒魔術だった。
それこそ……多大な代償を必要とするほどに。
なんとなく少年の正体は察せられた。
しかし、疑惑を確信にするためにクラーラは尋ねる。
「この少年は?」
「俺の弟だよ。もう……八年間も眠ったままだ」
「ええ、少し。だけど魔鉱石の質がよかったおかげで、消費する魔力は普段より少なく済みましたわ」
「ああ。命を守る道具を作るのだから、出し惜しみはしていられない。魔鉱石はいつも最高級のものを仕入れるようにしている」
レナートはそう言いながら、いつしか工房の前に置かれていた料理を持ってくる。
朝から工房で勤しむ日には、料理人が気を利かせて工房の前に料理を置いてくれるのだ。
彼の様子を傍目で見て、クラーラは当然のように紅茶を淹れはじめる。
コトン、と皿が小さなテーブルに並べられる音。
琥珀色の液体がティーカップに注がれる音。
かすかな静寂の中で二人はいつもどおりの作業を行う。
もくもくと煙を立てるティーカップをちらと見て、レナートが首を傾げる。
「熱い紅茶は嫌いだろう?」
「あら、覚えていてくださったのね。でもレナートは熱い方がお好みかと思って」
「いや、クラーラの好みに合わせてくれ。俺は熱くてもそうじゃなくてもどっちでもいい」
「お気遣いありがとうございます」
「気遣いというか……妻の趣向に合わせるのは当然のことじゃないか。そういう謙虚なところもクラーラの魅力だな」
またもやストレートな誉め言葉をいただき、クラーラは少したじろぐ。
気を取り直してレナートの向かい側に座った。
ふかふかの白いパンと、スクランブルエッグ、サラダ。
実に健康的で、おいしそうで。
「いただきます」
いくつかのパンにはマーブル状になったチョコレートが練り込まれており、疲れた体が癒される。
レナートは静かに食事を進めていた。
時折、美しい大庭園を眺めながら。
不意に沈黙が破られる。
「――君と暮らしはじめて、それなりに経ったね。今のところはどうかな? 不満とかない?」
「いえ、まったく。むしろここまで厚遇を受けてよいものかと」
「ははっ……よかった。使用人たちの話を聞く限り、彼らとの関係性も良好みたいだ。あと、そう……俺は?」
「レナートがどうかしましたか?」
少し歯切れ悪そうに、レナートは言った。
「嘘がつけない俺は、時々君を困らせていると思う。この前だって俺はこう言った……『他のドレスの方がクラーラには似合う』と」
「ですが、『どのドレスを着てもかわいいが』という枕詞もついていましたよ?」
「う……それは事実だ。だが、君を不快にさせてはいまいかと不安でね」
別にクラーラは不満など感じていない。
レナートの口からスラスラと出る言葉は、いついかなるときでも誠実なもので、クラーラをよく見ていることがわかる。
正当な評価、純粋な感想、嬉しい称賛ばかりで。
これがすべて本音だというのだから驚かされる。
しかし、クラーラは思う。
これはチャンスではないかと。
「不満ですわ。一点だけ、レナートは私に隠していることがございませんか?」
薄々感じていたのだ。
レナートは常に微小な魔力を消費している。
おそらく、これが『大規模な黒魔術』とやらに支払っている代償。
彼から嘘という装飾を奪っている根源だと。
レナートも話すつもりはなかったのだろう。
すでにクラーラには、常時魔力を消費しているのを見抜かれていることなど、気づいていたのだから。
それでも彼はなお語らない。
「…………あるよ。まあ、いつまでも隠しておけるものではないよな。やがて妻になる人に隠し事をするなんて不誠実だし、婚前に説明しておこうか。食事が終わったら一緒に行ってほしいところがある」
「もちろんです。どうか安心なさって。どんなことがあっても、私はレナートを嫌いになりませんよ」
隠し事の理由は察せられる。
クラーラに負荷を与えないためだ。
レナートは個人的な事情ではなく、あくまで他人に傷ついてほしくないから、こうして秘め事をしているのだと。
とっくにクラーラは気づいていた。
この人は不器用だ。
まっすぐで誠実だからこそ、口を閉ざしている。
そんな彼の助けに、希望になれたらいい。
クラーラは心からそう願った。
◇◇◇◇
訪れたのはハルトリー家の地下室。
少し湿っぽく、息苦しさを感じる。
廊下の壁を見てみる。
壁面には複雑怪奇な紫色の紋様。
一見するとただの模様のように見えるが、歴とした魔法陣である。
この魔法陣は奥の部屋まで続いているようだ。
黒魔術に詳しいクラーラでも、これが何の陣なのか判別はつかなかった。
「入ってくれ」
両開きの扉に手を当てて、レナートがつぶやく。
いくぶんか普段よりも声のトーンは低かった。
扉の奥は暗かった。
二人が踏み込むと燈色の薄明りがつく。
「こ、れは……」
クラーラは入り口に立ち尽くす。
一方、レナートは部屋の中央にある寝台へと進んでいく。
寝台に寝ていたのは少年。
レナートと同じく白い髪。
歳は十代前半くらいに見える。
彼は安らかな寝息を立てていた。
しかし触れることはできない。
不可思議な結界で取り囲まれているゆえに。
「……時の流れを止めているんだ」
時を止める。
それは禁術の中でも、かなり高度な黒魔術だった。
それこそ……多大な代償を必要とするほどに。
なんとなく少年の正体は察せられた。
しかし、疑惑を確信にするためにクラーラは尋ねる。
「この少年は?」
「俺の弟だよ。もう……八年間も眠ったままだ」
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