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教義上の愛
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「僕はアルージエ・ジーチ。ルカロ教皇だ」
とんでもないことを口走ったアルージエ。
彼の唐突な告白にシャンフレックとユリスは硬直した。
「なっ、え……? どういうこと? アルージエ、あなたは記憶喪失ではなかったの?」
「ああ、あれは嘘だ」
「嘘!?」
「騙してすまない。悪気はなかったんだが……記憶喪失ということにしておいた方が都合がいいと思ってな。試すような真似をして本当に悪かった」
アルージエは深々と頭を下げる。
彼の謝罪を受けたシャンフレックは慌てて立ち上がった。
「い、いえ……別に悪いことはされてないのだし。それよりも、教皇ってどういうこと? あなたが教皇なの?」
「ふん、こんな若い男がルカロ教皇聖下なわけがないだろう! そもそも、なんでこの国に教皇がいるんだって話だ」
ユリスの指摘はもっともだった。
まず、フロル教の教皇は人前に姿をほとんど見せず。直接的に名を呼ぶことも原則として禁じられている。そのためシャンフレックたちも名前と顔を知らなかった。
そして、護衛もつけずに他国であるヘアルスト王国に来ているのも不自然だ。
忠実なる神の僕とされている教皇は、フロル教の総本山である教皇領の都市……ルカロから離れることはできないはず。
「ああ、耳が痛い。そうだ……実を言うと僕は独断でヘアルスト王国にやってきた。聖霊から座に御言葉を賜り、この国に危難が迫っていると聞いてね。聖霊の助言は他者に話すと効力を失う。だから隣国視察と称して、一般人としてヘアルスト王国に紛れ込んでいた。大司教の面々には国を出ると話を通してあるが」
フロル教が世界でも幅を利かせているのは、組織が大きいからだけではない。
実際に大司教や教皇の階級になると、『奇跡』を使いこなすのだ。
それゆえにフロル教徒は「真なる神の使徒」とも呼ばれている。
もしもアルージエが本当に教皇なら、御言葉を賜ったという話も嘘ではないのだろう。
だがシャンフレックとユリスは、未だに彼の話に懐疑的だった。
彼が悪い人ではないと知っているシャンフレックはともかく、ユリスからすればいきなり教皇が現れるというのは信じがたい話。ただの不審者にしか見えない。
「ハッ! 教皇を騙るなど、裁判にかけて処断されても文句は言えんぞ! お前がルカロ教皇だというのなら、それ相応の証拠でも見せてもらおうか?」
証拠……そう言われてアルージエは考え込む。
彼は何も私物を持っていない。ポケットに入っているロザリオも、フロル教徒の証にはなるが教皇の証にはならない。
「では……これでどうかな。ちょっと失礼」
アルージエはおもむろに机の上に置いてあるティーカップを手に取った。
中には琥珀色の液体がなみなみと注がれている。
彼は手のひらを紅茶の上にかざす。
すると……
「な……!?」
その場の全員が目を見開いた。
紅茶が柱のように立ち昇り、アルージエの手に触れると同時……清らかな透明な水となっていく。清水となった元紅茶は再びティーカップに入り、光を受けてキラキラと反射する。
「まあ、これは大司教でも扱える奇跡なのだが。俗に聖水と呼ばれるものを作った。紅茶を淹れてくれたアガン殿には申し訳ないことをしたね」
「い、いえ……めっそうもございません!」
アガンは度を失ったように跪く。
ユリスもまた呆然としたように口をパクパクと動かしていた。
「さて、これでいいだろうか。ユリス王子」
「あ、えっと……は、はい! せ、聖下……これまでの無礼をどうかお許し……」
「ああ、無礼とかはどうでもいい。他人の心は態度だけでは見通せないのでね。それよりも話を戻そう」
アルージエは今までとなんら変わらない声色で語る。
シャンフレックも急な展開に頭を痛めていたが、公爵令嬢として危機を何度も味わってきた。偶然拾った人間が教皇であったなど……到底耐えられるものではないが、表面上は平静を保っている。
「ユリス王子。ヘアルスト王国の国教は?」
「は、はい……フロル教でございます」
「では、フロル教義において、愛する者への扱いはどうなっている?」
「ただ一人を愛し、愛されることです」
「そうだ。きみはフロル教を国教に据え、そして民から権利を委譲された血筋でありながら、教義に反する行いを見せた。違うか?」
アルージエは鋭い視線でユリスを射抜く。
美しく青い瞳から発せられる怒りは、並大抵のものではない。
教皇の論理的な詰問には、さすがのユリスも耐えられない。
……そう思っていたシャンフレックだったが。
「それは違います、聖下! 私はシャンフレックを愛してなどいません!」
「……ほう」
場の空気が凍りつくのがわかった。
確かに、シャンフレックとユリスは建前の婚約者。
互いを愛する機会など一度たりともなかった。
それでもシャンフレックは婚約者を愛する努力はしていたつもりだ。
だが、そういう問題ではない。
教皇の言葉に対して、真向から異を唱えるユリスの頭が問題だった。
「私が生涯で愛したのは、『真実の愛』の相手であるアマリスのみ! だからこそ私はシャンフレックを悲しませないためにも、婚約破棄を言い渡したのです! どうですか? 愛したのはアマリスだけであって、決してフロルの教義には反していません!」
堂々と言いきったユリス。
彼は「言ってやったぞ」と言わんばかりに得意気な表情を浮かべていた。
背後に控えるユリスの護衛でさえも、若干青褪めた顔をしているというのに。
アルージエは彼の告解を受け、頷いた。
「なるほど。では、きみはアマリスという令嬢と一生を添い遂げ……絶対に離縁しないという約束ができるのだな? 教皇の前で」
「はい、誓いましょう! 真実の愛に終わりはありません!」
「いいだろう。ユリス王子、教皇としてきみたちの愛を祝福する。そして、今後二度とシャンフレックには関わらぬことだ」
「……なぜです?」
なぜ、とユリスは問うた。
あまりの感性の違いにシャンフレックはとうとう頭痛で倒れそうになる。
この馬鹿王子、昔から他人を慮ることが苦手だったが……さすがにここまでくると手の施しようがない。
アルージエも理解した。
この王子に論理を説いても無駄だと。
馬鹿には馬鹿らしい説得をするしかないのだろう。
そこで彼はいきなりシャンフレックを抱き寄せた。
「え」
急に抱擁されたシャンフレックは困惑する。
花のような甘い香りが鼻をくすぐった。
視線を上げれば、そこにはアルージエの真剣な表情。
「それはな、ユリス王子。僕がシャンフレックに婚約を申し込んだからだ」
「!?」
とんでもないことを口走ったアルージエ。
彼の唐突な告白にシャンフレックとユリスは硬直した。
「なっ、え……? どういうこと? アルージエ、あなたは記憶喪失ではなかったの?」
「ああ、あれは嘘だ」
「嘘!?」
「騙してすまない。悪気はなかったんだが……記憶喪失ということにしておいた方が都合がいいと思ってな。試すような真似をして本当に悪かった」
アルージエは深々と頭を下げる。
彼の謝罪を受けたシャンフレックは慌てて立ち上がった。
「い、いえ……別に悪いことはされてないのだし。それよりも、教皇ってどういうこと? あなたが教皇なの?」
「ふん、こんな若い男がルカロ教皇聖下なわけがないだろう! そもそも、なんでこの国に教皇がいるんだって話だ」
ユリスの指摘はもっともだった。
まず、フロル教の教皇は人前に姿をほとんど見せず。直接的に名を呼ぶことも原則として禁じられている。そのためシャンフレックたちも名前と顔を知らなかった。
そして、護衛もつけずに他国であるヘアルスト王国に来ているのも不自然だ。
忠実なる神の僕とされている教皇は、フロル教の総本山である教皇領の都市……ルカロから離れることはできないはず。
「ああ、耳が痛い。そうだ……実を言うと僕は独断でヘアルスト王国にやってきた。聖霊から座に御言葉を賜り、この国に危難が迫っていると聞いてね。聖霊の助言は他者に話すと効力を失う。だから隣国視察と称して、一般人としてヘアルスト王国に紛れ込んでいた。大司教の面々には国を出ると話を通してあるが」
フロル教が世界でも幅を利かせているのは、組織が大きいからだけではない。
実際に大司教や教皇の階級になると、『奇跡』を使いこなすのだ。
それゆえにフロル教徒は「真なる神の使徒」とも呼ばれている。
もしもアルージエが本当に教皇なら、御言葉を賜ったという話も嘘ではないのだろう。
だがシャンフレックとユリスは、未だに彼の話に懐疑的だった。
彼が悪い人ではないと知っているシャンフレックはともかく、ユリスからすればいきなり教皇が現れるというのは信じがたい話。ただの不審者にしか見えない。
「ハッ! 教皇を騙るなど、裁判にかけて処断されても文句は言えんぞ! お前がルカロ教皇だというのなら、それ相応の証拠でも見せてもらおうか?」
証拠……そう言われてアルージエは考え込む。
彼は何も私物を持っていない。ポケットに入っているロザリオも、フロル教徒の証にはなるが教皇の証にはならない。
「では……これでどうかな。ちょっと失礼」
アルージエはおもむろに机の上に置いてあるティーカップを手に取った。
中には琥珀色の液体がなみなみと注がれている。
彼は手のひらを紅茶の上にかざす。
すると……
「な……!?」
その場の全員が目を見開いた。
紅茶が柱のように立ち昇り、アルージエの手に触れると同時……清らかな透明な水となっていく。清水となった元紅茶は再びティーカップに入り、光を受けてキラキラと反射する。
「まあ、これは大司教でも扱える奇跡なのだが。俗に聖水と呼ばれるものを作った。紅茶を淹れてくれたアガン殿には申し訳ないことをしたね」
「い、いえ……めっそうもございません!」
アガンは度を失ったように跪く。
ユリスもまた呆然としたように口をパクパクと動かしていた。
「さて、これでいいだろうか。ユリス王子」
「あ、えっと……は、はい! せ、聖下……これまでの無礼をどうかお許し……」
「ああ、無礼とかはどうでもいい。他人の心は態度だけでは見通せないのでね。それよりも話を戻そう」
アルージエは今までとなんら変わらない声色で語る。
シャンフレックも急な展開に頭を痛めていたが、公爵令嬢として危機を何度も味わってきた。偶然拾った人間が教皇であったなど……到底耐えられるものではないが、表面上は平静を保っている。
「ユリス王子。ヘアルスト王国の国教は?」
「は、はい……フロル教でございます」
「では、フロル教義において、愛する者への扱いはどうなっている?」
「ただ一人を愛し、愛されることです」
「そうだ。きみはフロル教を国教に据え、そして民から権利を委譲された血筋でありながら、教義に反する行いを見せた。違うか?」
アルージエは鋭い視線でユリスを射抜く。
美しく青い瞳から発せられる怒りは、並大抵のものではない。
教皇の論理的な詰問には、さすがのユリスも耐えられない。
……そう思っていたシャンフレックだったが。
「それは違います、聖下! 私はシャンフレックを愛してなどいません!」
「……ほう」
場の空気が凍りつくのがわかった。
確かに、シャンフレックとユリスは建前の婚約者。
互いを愛する機会など一度たりともなかった。
それでもシャンフレックは婚約者を愛する努力はしていたつもりだ。
だが、そういう問題ではない。
教皇の言葉に対して、真向から異を唱えるユリスの頭が問題だった。
「私が生涯で愛したのは、『真実の愛』の相手であるアマリスのみ! だからこそ私はシャンフレックを悲しませないためにも、婚約破棄を言い渡したのです! どうですか? 愛したのはアマリスだけであって、決してフロルの教義には反していません!」
堂々と言いきったユリス。
彼は「言ってやったぞ」と言わんばかりに得意気な表情を浮かべていた。
背後に控えるユリスの護衛でさえも、若干青褪めた顔をしているというのに。
アルージエは彼の告解を受け、頷いた。
「なるほど。では、きみはアマリスという令嬢と一生を添い遂げ……絶対に離縁しないという約束ができるのだな? 教皇の前で」
「はい、誓いましょう! 真実の愛に終わりはありません!」
「いいだろう。ユリス王子、教皇としてきみたちの愛を祝福する。そして、今後二度とシャンフレックには関わらぬことだ」
「……なぜです?」
なぜ、とユリスは問うた。
あまりの感性の違いにシャンフレックはとうとう頭痛で倒れそうになる。
この馬鹿王子、昔から他人を慮ることが苦手だったが……さすがにここまでくると手の施しようがない。
アルージエも理解した。
この王子に論理を説いても無駄だと。
馬鹿には馬鹿らしい説得をするしかないのだろう。
そこで彼はいきなりシャンフレックを抱き寄せた。
「え」
急に抱擁されたシャンフレックは困惑する。
花のような甘い香りが鼻をくすぐった。
視線を上げれば、そこにはアルージエの真剣な表情。
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