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2章 氷王青葉杯

7. 正面煽り・無自覚煽り

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 リオートがカガリと交戦を始めたころ、レヴリッツは森の中を疾走していた。
 視界は木陰により暗くなっているが、彼にとって暗闇など何の障害にもならない。

 『リオートくんがカガリさんと交戦を開始しました。レヴリッツくん、前方にミラーさんがいるので注意してください』

 「了解です」

 すでにミラーの気配は捉えている。また、少し先には魔力の奔流が渦巻いていることもわかっている。
 おそらく罠だろう。しかし、レヴリッツは前方に敵の罠があると知ってなお前進を止めない。

 地雷があるなら踏みに行く。

 「こんにちはー!!」

 敵の魔力が渦巻く領域へ踏み込み、全身に魔装を纏う。
 彼の体表に装着された魔力が、弱化魔術の罠をレジスト。堂々と敵の領域へ侵入したレヴリッツに呆れながら、ミラーが姿を現す。

 「俺の罠なんて警戒にすら値しないか。さすがは新人杯の優勝者だね」

 「ミラー先輩、魔術が主な戦術ではないでしょう? この場に展開された罠も、あくまでカモフラージュだと思いますけど」

 「ん……すでに俺の戦法も見破られてるのかい? こりゃとんでもない新人が来たなあ……」

 ぼやきながら、ミラーは黒いローブを脱ぎ捨てる。
 表出したのは真っ黒な腕。彼の右腕だけが漆黒に染まっていた。呪術師が持つ、俗に「呪腕じゅわん」と呼ばれるものだろう。

 「いいですよね、呪術。言いにくいですけど……じゅずつ」

 「そうそう。噛むと視聴者に馬鹿にされるから、俺は割り切って「curseカース」って発音してるよ。そっちの方がかっこいいし」

 呪術は魔術とは大きく性質が異なる。
 代償が必要であったり、強い負の感情が必要であったり……色々とよくないイメージが根強い。しかし、そんな呪術もバトルパフォーマンスでは立派な戦術の一つ。
 昔から続いている悪いイメージも徐々に払拭され、今日では魔術と遜色ない立場を築いている。

 「で、僕の相手はミラー先輩だけですか?」

 「俺だけじゃ不満か? 欲張りだねえ」

 「先輩に言うのも失礼ですが、僕は満足できる闘いがしたいのです。ミラー先輩が僕を満足させてくれるなら文句はありませんよ」

 「ふむ。では、期待に応えてみせよう」

 ミラーは距離を保ったまま、魔力の放出を始める。
 レヴリッツは刀を抜かないまま、その場で立ち尽くす。妨害は行わない。相手の技を見て、その上で全てを斬り捨てるのが彼の本懐なれば。

 ミラーの周囲の空間が変質する。
 魔力の高まりと共に、大気が黒く染まる。
 息苦しいほどにねばついた空気が拡散し──

 「──領域展k」

 「それはアウトです先輩!!」

 「……アウトか。結界を張らせてもらうよ。
 『呪術カース──《苦悶領域》』」

 刹那、半円状の暗黒が空間を切り取った。
 ミラーを中心にして広がった魔力が、ドーム状の領域を生成。二人を取り囲むように戦場が出来上がった。

 「これは……まさか、独壇場スターステージですか?」

 独壇場スターステージ
 一部のバトルパフォーマーのみに許された領域の生成。比類なき意志力によって独自の空間を形成し、自身に有利な戦場を創造する離れ業である。

 独壇場スターステージを使いこなせるのは、プロ級の中でもほんの一握り。アマチュア級のミラーが扱えるとは思えないが……

 「いやいや。本場の独壇場スターステージはもっと凄いよ。俺が創ったのは、あくまで単純な領域さ。
 ……で、この領域の中だとレヴリッツ君の能力が大幅に弱体化するはず、なんだけど……成功、してる……よな?」

 瞳を輝かせてピンピンしているレヴリッツに対し、ミラーは一抹の不安を覚える。
 瞬間、レヴリッツは胸を抑えてうずくまった。

 「ぐ……ぐわあああぁああっ! ナ、ナンダコレハー!
 クルシイーッヒ!(棒)」

 「よ、よし! 効いたぞ!(困惑)」

 本当は魔装でミラーの領域をレジストしていたのだが、レヴリッツは大袈裟に反応しておく。練習試合でも視聴者が観ている前提で演技を。

 実はミラーもレヴリッツに生半可な呪術が効かないことなど、初対面で気づいていたのだが。

 「……もしも俺たちが公式大会で当たることになったら、この段取りでいくからよろしくな」

 「あっはい。で、この後はどうしますか?」

 「まあ、この後はレヴリッツ君が弱体化して苦戦してるフリをしつつ……俺は上手い具合にイキって負けるから。正直、俺なんかじゃ逆立ちしても君には勝てないしね」

 実力の見極めは重要だ。
 バトルパフォーマーには、相手の力を正確に見抜く能力が求められる。一年間バトルパフォーマーとして過ごしてきたミラーは、とうに相手の力を見抜く「眼」を養っていた。

 この「眼」なくして、界隈で生き残ることは不可能だ。
 相手の力量を見抜けない限り、相手をコケにして炎上したり、ケビンのようなゴシップ系に潰されたりする。自分よりも才能のある新人が現れれば、媚びへつらうのもやぶさかではない。

 「じゃあ、バトルパートは省略して……僕の勝ちってことで?」

 「ああ。それじゃ……君の本気を見せてもらおうか。一応ね」

 「了解です。まあ、本気かどうかはわからないですけど……」

 バトルパフォーマンスのために演技をするが、ミラーとて武人である。
 才ある者の技は学びたい。

 故に指南を欲する。ミラーの想いを受け止めたレヴリッツは静かに抜刀。

 「一撃で」

 「やってみろ、新人」

 ただ一刀にて斬り伏せる宣言。
 ミラーは魔力を全開にして防御へ回し、魔装を纏う。

 眼前のレヴリッツは刀を下げたまま、ゆったりと佇んでいる。
 ゆらり、ゆらり……身体を揺らし、まっすぐにミラーを見据えて。

 (なんだ……? 魔力を発していない、魔術でもなく呪術でもないが……何かが歪んでいる?)

 一瞬、ミラーは目に塵でも入ったのかと勘違いした。
 しかし、まばたきを何度しても歪みは消えない。レヴリッツの身体が明滅しているのだ。

 ゆらり、ゆらりと。
 水面のように揺れ続ける。徐々に不定に、おぼろに。

 「劣悪に──」

 ぼそりとレヴリッツが呟く。
 これより放つは、竜殺しの技ではない。人を殺める技でもない。

 「──《虚刀幻惑バルークゼーラ》」

 消える。
 レヴリッツの姿が掻き消え、気がつけばミラーの背後を取っていた。

 魔力を一切介さない転移。
 そのような技は聞いた事も、見た事もない。

 「こりゃすげえ……」

 痛みなくミラーのセーフティ装置が作動する。
 患者に苦痛を与えない凄腕の医師のように、レヴリッツの技は惚れ惚れする出来を誇っていた。斬られたことにすら気づかなかった。

 「お疲れ様です!」

 軽く挨拶を告げられ、ミラーはバトルフィールドから退場した。

 ー----

 『レナさん。カガリさんがリオートさんを撃破、ミラーさんがレヴリッツさんに撃破されました。カガリさんは敵陣タワーへ向かっており、レヴリッツさんがこちらのタワーへ接近中です』

 「わかった。イクヨリ君は防衛を頼んだよ。レヴリッツ君がこちらのタワーを制圧する前に、ペリシュッシュ先輩が守るタワーを制圧する」

 レナは木々の間を駆け抜け、Oathのタワーへ接近していた。
 この戦略戦はスピード勝負となる。レヴリッツがイクヨリの守護するタワーを制圧する前に、カガリとレナがOathのタワーを制圧しなければならない。

 レナの存在はペリに感知されていないはずだ。
 ジャミング魔術。バトルフィールド各所に設置されたカメラの映像を妨害し、レナの姿を映さないように細工している。

 「もうすぐ森を抜ける……イクヨリ君、カガリちゃんの位置は?」

 『まもなくタワーへ突入するようです。2対1でペリシュッシュ先輩を倒し、勝利しましょう』

 「了解……!」

 この闘い、勝ちは近い。
 さすがのペリといえども、2対1の状況では長くは持たないはず。カガリに続く形でレナもタワーへ侵入すれば、五分と続かずに制圧可能だ。
 レナが森林地帯を抜け、平野へ出た瞬間のこと。

 「こんにちはー」

 「!」

 響いた声に反応し、咄嗟に足を止める。
 柔らかく鈴のように透き通った声。

 いつしか黒髪の少女が背後に立っていた。

 「えっと……そうか、君がいたよね。名前はたしか……ヨミちゃん?」

 「ヨミ・シャドヨミといいます! レナ先輩、私が止めますよー」

 「……」

 レナはヨミの佇まいを見極める。
 ──正直、あまり強そうには見えない。バトルパフォーマーとして、強者を見極める識別眼は鍛えてきた。その眼に従うのならば、ヨミは強者とは言えない。
 隙が多く、戦意もない。かといって余裕もない。

 「じゃあ勝負しようか。一応、私の方が先輩だし……先手は譲ってあげる。私もタワーに急がないといけないから、あまり長引かせられないけど」

 「えっ、ほんとですか!? やったー!」

 ヨミの振る舞いは、まるで子供のように無邪気。闘技に身を置いているとは思えない。彼女の所作を見て、レナは思わず警戒を緩めてしまう。

 「ねえ、ヨミちゃんって闘いは初心者?」

 「はい……養成所で訓練はしたけど、ぜんぜん戦いの経験とかなくて。バトルパフォーマーになる前は、ただの学生でした。でも勝てるようにがんばります!」

 意気込みながら、ヨミは中空から武器を取り出した。
 彼女が右手に持ったのは……

 「……ふ、筆?」

 インクが染みていない、一本の筆。
 レナは困惑する。まさか筆で闘うわけではないだろう。

 変わった武器を扱うパフォーマーは存在するが、筆というのは前代未聞だ。
 扇子や鞭、拳で独自性を出す人もいるが、それはあくまでキャラ付け。最低限の闘いができる得物でなければならない。

 「ええっと……私が先攻でいいんですよね? じゃあ遠慮なく!」

 レナの当惑など露知らず、ヨミは筆を持ち上げる。
 ヒュッ──と、横薙ぎに一振り。

 「!?」

 刹那、レナの足元が溶けた・・・
 草木の広がる地面が歪曲。ドロドロになった地面が青く変色し、円を描き回転する。

 まるで水渦。
 いつしかレナの足場は、水が渦巻く激流へと変化していた。

 「これは……なに!?」

 ヨミだけに許された、オンリーワンの能力。
 すなわち具現化能力である。

 「えい!」

 足場を崩されたレナの下へ、ヨミの放った炎球が飛来。
 この炎球も魔術によって作られたものではない。ヨミの筆によって創造された炎である。

 驚愕と動揺に包まれた意識の中、レナは反射的に術式を編む。

 「ッ……《まがり術式・腕》!」

 身体の重心を足から腕に預け、自身に重力操作を施す。
 水が渦巻く足場から転がるように抜け出し、体勢を整える。

 ヨミは呑気にレナの動きを静観していた。
 静観と言うよりは、レナがどうやって脱出したのかわからずに呆然としていたのだが。

 「すごいね。どんな能力なの、それ?」

 「あんまり詳しいことはレヴに言うなって忠告されてるんです。ただ、言えることは……『具現化』ですね!」

 「具現化?」

 「想像したものを創り出すんです。筆があるとはかどります! 何でも創造できるわけじゃないですけど……」

 ヨミは恐ろしい。レナは再認識する。
 戦闘初心者のヨミだが、特異な能力は警戒に値すると。

 己の油断を戒め、レナは呼吸を整える。
 早期決着を。ヨミは何を仕掛けてくるかわからない。

 「じゃあ、私からも仕掛けるよ。《魔装》」

 魔力を瞬間的に練り上げる。
 レナの戦法は『古武道』。拳にて相手を粉砕する。
 古武道の特徴は、魔力の展開が速いこと。一瞬で魔装を完成させ、爆発的な身体強化が可能。

 「はっ!」

 速度を瞬間強化したレナは、地を蹴ってヨミへ肉薄する。
 戦闘初心者では目で追えない速度。背後を取り、一撃で急所を突いて勝利する。

 「ひゃー!? はやー!」

 「ふぁ?」

 レナの拳が空を切る。
 紙一重のところで拳は躱されていた。しかし、ヨミはこちらに視線を向けていない。振り返ることなく身を屈め、攻撃を回避したというのか。

 「嘘、なんで避けれたの!? 見えてた……?」

 「見えてないですよ! レナさん速くてすごいですね!」

 ヨミは振り返って笑顔で答えた。

 (私、もしかして煽られてる……?)

 攻撃を躱された癖に褒められて、レナの脳は困惑する。
 たぶん煽りではないのだが、どうしても煽りに聞こえてしまう。

 では確認してみよう。
 ヨミの回避がまぐれだったのか。レナはもう一度、地を蹴って背後に回り込んだ。

 「はっ!」

 「ぴゃ!?」

 ──。
 当たらない。

 「レナ先輩! 見えないよー! もっと優しくして……」

 「…………意味わからん」

 全自動回避機能でも付いているのか、この女は。
 いっそ無視してタワーまで進んでしまおうか。そう考えたレナだったが、

 「──なんか腹立つ」

 『レナさん! まだヨミさんとの交戦は終わりませんか!? カガリさんの援護に向かっていただきたいのですが……』

 イクヨリから通信が入る。
 しかし、レナの返答は。

 「無理」

 『……はい?』

 「私、ヨミちゃん倒すまで進まないわ」

 無性に腹が立つし、馬鹿にされている気がする。
 ヨミから逃げることはバトルパフォーマーの一員として、誇りが許さない。

 なぜヨミが攻撃を回避できるのかは不明だが、とにかく倒さなければならないと感じた。

 「レナ先輩……なんか怒ってる!?」

 「ふふふ……怒ってないよ? さあ、続きをしようか」

 「ひゃ、ひゃい……」

 その後、試合が終わるまでヨミはレナの攻撃を躱し続けたという。
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