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4章 咎人綾錦杯

14. 出会い

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 海沿いに立つ一軒家。 
 ほのかな磯の香りが鼻腔をくすぐった。
 街からは距離があり、周囲に他の家は見えない。

 ハドに命じられ、俺は新居へとやって来た。
 曰く、政治家の隠し子。どのような理由で政治家が隠し子を持っていたのかは知らないが……碌な事情ではないのだろう。

 ただし子どもに罪はない。それくらいは理解している。
 隠し子は父親が死んだことも知らないという。

 「……はぁ」

 ため息をつく。
 俺は扉の前に立ち尽くしたまま、どうしたらいいのかわからなかった。

 だって、他人と関わることなんてほとんどなかったから。暗殺の際は子どもを演じて標的に接近することはあった。でも長期的な人との付き合いはハド以外としたことがない。

 やがて決心の末、インターフォンを押す。
 内部から物音はしない。待てども扉は開かない。

 「留守か?」

 こういう時、ハドリッツなら人の気配を家の中から感じ取れたのだろう。俺にそんなスキルはない。
 合鍵はハドから預かっている。仕方ない、中に入って子どもの帰りを待つか。

 子どもとは言っても、俺の一つ年下。そこまで差はないだろう。
 むしろ社会経験が豊富なぶん、俺よりも立派な人間かもしれないな。

 鍵を開けて中へ入る。
 暗いな。そして静かだ。明かりを点けて玄関を見回す。

 「…………」

 変わったものはない。
 家は二階建てで、一階をざっと見てみたが……変だ。端的に言えば、生活感がない。本当に人が住んでいるのか?

 リビングや寝室らしき場所をざっと巡る。
 家族構成を窺い知れる物もなく、写真の類も見受けられず。ハドに殺された政治家が、この家をどんな風に使っていたのかわからない。もしかして隠し子のためだけに用意した家なのかな。


 家を回りながら考える。
 今後、鍛錬はどうしようか。週末はハドが鍛錬してくれると言うが、平日は?
 基礎は一通り教わったし、自己研鑽でも何とかなるだろうか。しかし彼女を……ソラフィアート・クラーラクトを超えるためには、生半可な努力では成し得ない。

 「…………はぁ」

 この家での居住を命じられた時から、ため息が止まらない。
 憂鬱……という感情だろうか。俺も次第に感情を発露するようになってきたと思う。今にして思えば、ハドに育てられる前の俺は……相当に気味の悪い子どもだった。
 今でも言葉を発するのはすごく苦手だ。内心をうまく言葉で形容できない。ちょっと悔しい。

 これから一緒に暮らす隠し子にも、俺の気持ち悪さが伝わらないように努力しないと。
 模倣するならばハドの人格。彼はたいそう愛想がよく、表社会での信頼も厚いようだ。俺も可能な限り彼の人格を学習して似せていけば、表の社会では円満な人間関係が築けるだろう。


 悩みながら二階へ。
 政治家の家だけあって、無駄に広いな。ハドの家の二倍くらいある。
 階段の正面、左右に一部屋ずつ。まずは右の部屋から見るか。

 扉を気軽に開け放った瞬間、衝撃の光景が飛び込んだ。
 ──少女が……座っている。

 「……おとうさん?」

 彼女は邂逅一番、そう問うた。
 黒く艶のある髪を揺らして……俺の方を……いや、これはどうでもいい。
 気にするなんて馬鹿げている。

 「君がヨミ・アルマだね」

 「うん。あなたはだれ……?」

 単純な誰何すいかに、俺は異様な重圧を感じてしまった。
 ああ、これはダメだ。あまりに人との付き合いの経験が不足している。こんな少女を相手にしても息苦しくなるなんて。

 がんばれ、皮を被れ。
 そうだ……模倣するならハドリッツを。

 「お、俺はレヴハルト・シルバミネ。ぇと……君のお父さんに頼まれて、今日からここで一緒に暮らすことになった。よろしく!」

 「…………」

 ヨミという少女は何も言わずに座り込んでいる。
 どうしよう。困る。どうしよう。

 「んー……」

 「えっと……俺は君よりも一つ年上で、お兄さんだから。困ったことがあれば何でも言ってね。使用人みたいなものだから」

 そうだ、これは仕事だ。
 ハドから命じられた任務。この家で少女と暮らすことが仕事だから、使用人みたいなもん。
 決して息苦しく感じることはない。同年代の子どもと接したことはないから、慣れていないけど……そのうち慣れる。

 「あなたは、私が怖い?」

 「……? 何が?」

 「いつも私は変だって言われるの。あなたは私と一緒にいたくない?」

 どうしよう。この子が何を言ってるのかわからない。
 たぶん俺のコミュニケーション能力が不足しすぎていて、会話が成り立っていないんだ。仕事以外のなにも知らない俺じゃ会話できない。
 どうしよう……

 「一緒にいたくなくないよ。たぶん俺の方が変だから」

 「そうなの? どこが?」

 「いろんなとこ」

 「いろんなとこって?」

 「……首がついてるかどうかでヒトを判断するとこ」

 「……なにそれ」

 まずい、怖がられたかな。
 変なことを言ったかもしれない。幼少期に父から教え込まれた価値観が抜けていないんだ。

 「と、とにかく……よろしくね。ヨミ」

 「あなたの名前、なんだっけ?」

 「レヴハルト・シルバミネだよ。レヴって呼んで」

 「うん。よろしくね、レヴ」

 ー----

 ヨミと暮らし初めてから半年くらいが経った。
 最近ハドから斡旋される仕事は殺しの依頼だけではない。竜狩りの依頼も回されている。

 レヴハルト・シルバミネとして表の顔を作るために、真っ当な仕事も熟さなければならなくなってきたのだ。最近はハド経由ではなく、俺まで直に殺しの依頼が来ることもある。
 忙しくなってきた。鍛錬は空いた時間にひたすら重ねている。

 「……時間だ」

 そして、俺を一番忙しなく動かすのがこれ・・だ。
 朝。朝……

 急いで二階へ駆け上がり、ヨミの部屋へ入る。

 「ヨミ、おはよう。起きて」

 「んぇ」

 容赦なく毛布を引き剥がし、早々に階下へ。
 とりあえず毛布を剥がせば起きてくる。

 リビングに戻って、すぐに朝食の準備。ヨミはだいたい十分くらいで起きてくるので、それまでに手早く朝食を作る。
 彼女は学校へ通っているので、それに合わせた予定をこちらも組まなくてはいけない。

 ……俺はお母さんか?

 「レヴ、おはよー」

 十分後、彼女はリビングへやって来た。
 椅子の場所を手探りで確かめて、お行儀よく席につく。
 今日も寝ぐせがハネている。

 「おはよう。今日は何の朝ご飯かな?」

 「目玉焼きの匂いがする!」

 「正解。塩コショウの瓶は一番右ね。ソースがその隣。好きな方を取っておいて」

 「うん」

 フライパンで目玉焼きを作り、トーストの上に載せる。
 いつの間にか俺の料理スキルは上達していた。半年で意外と上手くなるものだ。戦闘の才能はないくせに、料理の才能はあるのか?

 ハドと暮らしてた時は冷凍食品ばかりだったからな。
 本音を言えば、こうして家事をする時間も鍛錬に当てたいんだけど……

 「はいどうぞ。いただきます」

 「いただきまーす」

 ヨミの向かい側に座り、一緒に朝食を食べ始める。

 「あ、そうだ。今日はちょっと用事があるから、帰りは遅くなる。何かあったら電話するんだよ」

 「うん、大丈夫。レヴも気をつけてね?
 竜狩りってすごく危ない職業なんでしょ?」

 「そんなことないよ。慣れれば簡単」

 今日の仕事は竜殺しじゃなくて、人殺しなんだけど。
 言えるわけがないよな。

 俺がこんなに汚い人間だって知ったら、ヨミは怖がってしまう。

 「レヴ、今日の天気は?」

 ふとヨミが尋ねた。
 天気か。俺は別にどんな天気でもいいけど、雨が降ってると嬉しいな。足跡がすぐに消えるし、物音が掻き消されるから。暗殺に有利だ。

 「今日は曇りだ」

 「そっかぁ……」

 「今日もすてきな一日になるよう、お互いがんばろう」

 「うん、がんばろう!」

 ああ、こうして無為に時を過ごすのは正しいのだろうか。
 俺は契約を果たさなくちゃいけない。時間を無駄にはできないんだ。

 早く……強くならないと。

 ー----

 「ハドリッツ」

 「あ、エシュバルトさん。こんにちは。今日も色白で素敵ですね」

 「血色が悪くて気味が悪いと言いたいのだな。調子はどうだ」

 「調子ですか? いやあ、偏頭痛がちょっと痛いです。あと今、なぜか調子が悪くなりました」

 「そうではない。レヴハルトの話だ」

 「ああ、はい。いつもご子息の身を案じておられるとは、さすがエシュバルトさんですね!
 彼は……うん、そこそこ育ってきましたが。まだ甘い。もうしばらく僕の方で預からせていただきますよ」

 「そうか。息子を道具扱いしている私への当てつけだな。非才のアレはやはり使い物にならんか」

 「いえいえ、そんなことはありませんよ?
 使い物にならない人なんていない。彼も成熟するまでに時間はかかりますが、必ずエシュバルトさんが刮目する・・・・人材に育つことでしょう。あと何年か、僕の方にお任せください」

 「ふむ……お前は気が長いな。いいだろう、委ねよう。処分すべきか否かもお前に一任する」

 「はは……処分だなんて。おもしろい冗談を仰る方です……」
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