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4章 咎人綾錦杯

15. シミュラークル

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 「終わりましたよ」

 血振りをして納刀する。
 眼前には竜の死骸。こうして竜を狩ることも慣れたものだ。始めた当初は相当に苦労したが、知性がないことを鑑みれば人間よりも素直で狩りやすい。

 「おお、さすがはエシュバルト様のご子息! 息子の貴殿も一流の竜狩りということですな」

 「はは……それはどうも。それでは、俺はこの辺で失礼します」

 ソラフィアートと誓ってから四年、ヨミと出会ってから三年。
 俺の剣術は熟達しつつある。非才の身なれど、血が滲むような研鑽を重ねてきた。

 自分でもわかるんだ。俺が化け物になっていく感覚が。
 竜殺しを依頼してきた者でさえも、わずかながら俺に畏怖の視線を向けている。俺の裏の顔が殺し屋だと知ったら発狂して逃げ出すだろうな。

 「いやはや……ドラゴンスレイヤーのシルバミネ家、見事だな」
 「凶悪な竜種をいとも容易く沈めるとは……」

 周囲の傍観者は口々に言う。
 俺に付きまとう影……エシュバルト・シルバミネ。父は国内では竜殺しの英雄として知られている。街を滅ぼしかけた覇竜を屠った英雄だ。

 今の俺でも覇竜は倒せないだろうな。
 軍隊が全力を挙げて対処する巨竜なのだから。

 それほどの偉業を成し遂げた父上の影を、周囲は俺に見ている。まったくの別人なのに、スペアになった気分だよ。
 表でも裏でも、俺はエシュバルト・シルバミネの劣化版。くだらない。

 「……」

 足早に現場を去る。仕事は終わった、早く帰ろう。
 竜殺しの報酬は高い。もちろん暗殺の報酬も引くほど高い。

 俺は今、金を稼ぐことに執心していた。
 何のために命を殺めるのか、道徳的な答えは持ち出せない。しかし、現実的な答えは掲げることができる。

 とにかく今は莫大な金が必要だったんだ。

 ー----

 「ただいま」

 「レヴ、お帰りー!」

 真っ暗な部屋に電気を点けると、ヨミがソファで寝ころんでいた。

 「帰りが遅くなってごめんな。すぐに晩ご飯作るから」

 相変わらず親みたいなこと言ってるな、俺は。
 ヨミが一人で調理すると危ないから仕方ない。家事は基本に俺の仕事だ。

 「最近お仕事がんばってるね。体調崩してない?」

 「ああ。拘束時間が長いだけで、内容は楽だよ。今日のご飯は何にしようかな……」

 台所の冷蔵庫を開けると、ふと携帯が鳴る。
 めんどくさいな、誰だ?

 ……ハドか。

 『レヴクン、元気ー!? ('゜●へ●゜`)
 明日さ、話があるんだけど来れるカナ!? (^▽^:)

 重いお仕事じゃなくて、プライベートな話だけどね!!(笑)爆
 オヂサンのお家で、待ってるヨ! (*´з♡`)』

 相変わらずきめぇ文面だな。
 馬鹿にしてんのか?

 「チッ……」

 「レヴ、怒ってるの?」

 舌打ちをヨミに聞かれた。
 これもハドのせいだな。

 「今のは投げキッスだ。よし、今日はカレーにしようか」

 「やったー! レヴの作るカレー大好き!」

 ……時々、ヨミとの付き合いに違和感を覚える。
 彼女は純粋に俺と接してくれているのだろうが、俺が裏のある人間だから……彼女の態度にも裏があるのではないかと思ってしまう。

 ヨミはいくぶんか子どもらしすぎる。
 いや、俺が汚すぎるのだろうか。他の子どもと付き合ったことがないので比較できない。
 周りが悪意に塗れた政治家や暗殺対象、殺し屋ばかりなのも俺を猜疑さいぎ心で満たす要因だ。

 「……手、洗って待ってろよ」

 まあ、どうでもいいか。
 カレーを作ろう。

 ー----

 翌日、ハドの家へ赴く。
 懐かしいな。ここで過ごした日々を思い出す。

 家に入るとハドが得物の刀を研いでいた。
 黒い着流しをだらしなく広げて、欠伸混じりに。

 「おはようレヴ。悪いね、最近は忙しそうなのに呼び寄せて」

 「ハドの忙しさに比べたら、俺の日々なんて穏やかだよ。今日も忙しそうだし」

 「うん? 刀を研ぐのに僕が忙しそうだって? それとも欠伸をしているのを見てそう言ったのかな?
 嫌味かな?」

 嫌味だ。
 普段からハドは何をしてるんだかわからない。殺し屋なのは知っているが、いつ仕事をしているのか、どんな暗殺手法を用いるのか……俺でさえも全く知らないんだ。

 一流の殺し屋ってのは、傍から見れば暇人に見えるのだろう。

 「プライベートな話って?」

 俺は近くの椅子に座り、さっそく本題を切り出した。
 くだらない話は無用。時間があれば仕事か研鑽を。

 「君さ……この一月で何人殺した? 竜じゃないよ、人の数だ」

 意味のわからない問いだな。
 今月に食ったパンの枚数を聞かれるくらい意味不明だ。
 殺したということは、首を断った人の数ということ。どれくらい俺は首を斬っていたかな。ざっと数えてみると……

 「十人くらいかな。高額な依頼は三人くらい、役人とかの暗殺だ。後はどうでもいい一般人の暗殺依頼だったから、報酬は少なかったが」

 「へえ……最近はレヴも国に認められてきたね。政府が裏仕事の第一人者として君を認めつつあるみたいだよ。力も確実につけている。
 あー師匠として誇らしい。すごく誇らしいー」

 「それはどうも。で、殺した人の数を聞いた理由は?」

 いまさら道徳を説く気でもあるまい。
 ハドも殺し屋だ。人の命を砕くことに躊躇はないはず。

 「今のレヴの話ぶりから推察するに、君の目的はお金稼ぎかな?
 何かの理由が合ってお金が必要になった。それで仕事に大忙しってところかな」

 「……金を求めるのは俗人の普遍的な動きだ。まさか俺が俗世と切り離された高尚な人間だとでも?」

 「いや? 君も僕も、一般人だよ。裏の人間とか表の人間とか……そういう区分け、僕は嫌いでね。
 レヴがお金を求めて仕事に勤しむのも普通のことさ。お金の用途は聞いてもいいかい? 嫌なら話さなくてもいいけど」

 「言いたくない」

 これだけは、ハドにも言いたくない。
 恥ずかしいんだ。世間との認識齟齬に気付いた時、俺はヨミが抱えているものの重さに気がついた。それまで俺が気にしていなかった彼女の罪も、俺の罪に成り代わった。

 ただあるべきものを持たないだけで、蔑む悪意。
 異端を許さずに糾弾する、忌避すべき悪意。

 今まで彼女の苦しみに気づいてやれなかった俺自身が……ひどく哀れで恥ずかしい。彼女の罪を払い、光を与えるには……途方もない金が要求される。

 「そうか、言いたくないなら結構。
 ……でも君が理由あって人殺しをしているならよかった。理由もなく依頼を受ける機械にはなってほしくないからさ」

 「ハドの思想はいまいち汲めないよ。
 殺人を否定しているのか? 理由ありき……大義を掲げた殺人だけを許容しているのか? それとも父上のように、淡々と殺し屋の使命を果たすべきだと言いたいのか?」

 きっと、どの思想にも道理がある。
 ハドがどんな考えを抱いていても……俺としてはどうでもいいけど。

 でも、どうしてか。
 父上のような信条は……持っていてほしくないと思ってしまった。
 ハドは刀を研ぐ手を止めてぼそぼそと語る。腹から声出せよ。

 「暗殺は必要な仕事だ。世の中には……血で手を染める汚れ役が必要で、それが僕らなんだよ。誰かが引かなくちゃいけない貧乏くじを、僕らが引かされただけ。
 ただ……うん。殺す相手にも人生がある。それを踏み躙った自覚は持つべきだと思っている、個人的にね。糾弾されるのも殺し屋の役目だと」

 それが──彼の殺しの流儀。
 俺はまだ流儀を確立していない。ただ金を稼ぎたいだけ。

 「俺は知らないよ。人間は好きじゃないし、殺人に罪悪感を覚えたことも……あんまりない。成長して人間の本性を知るほど、人を殺すことに抵抗がなくなっていく気がする。
 このまま……俺は化物になるのかもしれないな」

 行き着く先はシルバミネの主。
 父上のような人を物扱いする冷酷な人間だ。

 ハドはどうして……ここまで心をボロボロにせずに保っているのだろうか。

 「……僕はレヴのことを大切な家族だと思っている」

 「──は?」

 唐突に彼は嘘を吐いた。
 いや、俺が嘘としか思えなかっただけだ。

 俺の家族はエシュバルト・シルバミネだけ。兄は死んだ。母は生まれた時からいない。

 「血はつながっていないけれど、一緒にたくさん過ごしてご飯を食べた。人としての生き方を分かち合った。僕も君に学んだことは数多くあるからさ。
 息子みたいに……君を考えていたよ。だから心を壊してほしくない」

 「それも何かの皮肉か? ハドの口からそんな言葉が出るとは思わなかったが」

 「本心さ。だから忘れないで欲しい。
 君が殺しの道に苦しさを覚えたのなら……心が壊れていく感覚を覚えたのなら。その時は君の心に正直になってくれ。
 君の人生は、君の選択で決めるんだ」

 俺の……選択?
 俺は今まで、何かを自分の手で選んだことはあっただろうか。

 殺し屋の道を生きたのも、竜殺しの顔を選んだのも、ヨミと共に生きたのも……すべて誰かに決められたこと。
 ああ、そうだ……今こうして金を稼いでいるのは俺の選択なのかな。

 「……もうすぐね。エシュバルトさんが黒ヶ峰をレヴに継承させる予定だと言っていた」

 「……!」

 秘刀【黒ヶ峰】を継承する。
 それはシルバミネ家の明確な一員として認められるということ。本格的に殺し屋として襲名すること。

 俺はその道を歩めるだろうか。
 非才は覆す、無才は斬り捨てる。強さへの覚悟は決まっている。
 だが、ソラフィアートとの誓いを果たすには……俺はどうすればいい?

 「話はそれだけだ。君の目で、耳で、心で。よく考えることだね」

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