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2章
2-28 部下の教育は上司の務めですから
しおりを挟む王族ともなれば、きっと俺には想像もつかないようなしがらみがある。そんな中、身近な人が純粋に、理想の世界を語ってくれれば、安心出来るのだろう。
彼女がもっと思慮深ければ、あるいは理想の国にしていけるようにと二人で目指す事も出来たのだろうが、現状としてそれは難しそうだ。
とはいえ、クレマチス様はネモフィラさんに強制しているわけではない。彼女は強制したところで、聞きはしないのだ。
「君は良くも悪くも素直だ。他の人の言葉を聞き過ぎてしまう。そして、信じすぎてしまう。それが間違いであったとしても、気付かずにいてしまうのは、きっと自分を守る為だからなのだろう」
クレマチス様はここまで語ると、ぎゅっと抱きしめる。
目の前で繰り広げられる婚約者同士のラブシーンというのは、実に気恥ずかしい。目のやり場に困り、視線をそらした。
「だけど、これからはじっくり考えてごらん。ジギタリス君に叱られたら、どうして叱られたのか、どうして自分の中の正しい部分と相反するのか、よくよく考えてみてほしい」
ネモフィラさんの「はい」という小さな声が聞こえる。
「その上で君が出した結論であれば、俺はそれを支持するよ」
「…………わたくし、悪い事をしましたわ」
「そうだね。よく気付いてくれた」
二人が動いたのが、気配でわかった。再び視線を向ければ、またクレマチス様はネモフィラさんの頭をなでている。
抱きしめ合っているよりは恥ずかしくないが、それでも十分に空気が甘く、かえってこちらが赤くなってしまいそうだ。
「謝らなくてはいけませんわ」
「そうだね。悪い事をしたら、当然謝らなくてはいけない」
ようやく、ネモフィラさんは自らの過ちに気がつく。
「謝ってきますわ」
「え、今から?」
「今からですわ!」
彼女はすっくと立ち上がった。これは、クレマチス様はもちろん、俺も、ずっと無言で俺と同じく空気と化していたモルセラさんも、驚く。
「ちょ、ちょっと待って。もう遅いし、かえってご迷惑になる。明日じゃ駄目かい?」
「駄目ですわ! ちゃんと謝らなくては気が済みませんの!」
立ち上がったネモフィラさんは、一直線にドアへと向かった。え、これ、何でも屋に謝りに行くって意味、だよな? 今から?
「ま、待った。待った。俺はこの時間についてはいけないよ。まだ仕事が残っているし」
「一人で構いませんわ」
「構う構う! 構うから!」
クレマチス様は大慌てで、ドアノブを握ったネモフィラさんの肩を掴んで止める。ついでに、やや強引に自らの方を向かせた。
これ、は……厄介な事になりそうだ。
「ちょ、ちょっと待って。あ、あー、あー、ジギタリス君」
「はい」
そのままの体制で、首だけこちらに向けて名前を呼ばれる。嫌な予感は的中しそうだ。
「つ、ついて行っては貰えないかな?」
やはり。と、なれば、俺がする事は決まっている。
「時間外手当は発生しますか?」
「するする。もし出なくても、必ずそれ相応の金額は支払う」
正当な報酬の確認。なあなあで済ませられたらたまったものではない。
「この時間から、となりますと、場合によっては列車の最終が終わってしまい、今日中に帰って来る事は難しいかもしれません。その場合、勿論部屋は別にしますが、宿に泊まる事になる可能性があります。問題は有りませんか?」
これも、念の為聞いておく。クレマチス様は「あー」と少し迷った声を上げた。
それはそうだろう。彼の大切な婚約者なのだ。
「問題はあるけれど、そこは君を信用しよう」
「それと、外泊になった場合の料金は……」
「支払う支払う! 大丈夫だから!」
俺の質問に、クレマチス様は半ば叫ぶように答えた。近くから向けられるモルセラさんの視線が痛いが、確認しないで後で大変な事になるのだけは、絶対に避けたいので後悔していない。
「フィラは昔から、こうなったら聞かないんだ。だから、お願いするよ」
「分かりました。では、ネモフィラさん。行きましょうか」
「ええ、直ぐに!」
俺の『残業』が決定してしまったが、仕方がない。彼女に声をかければ、大きな頷きが返ってきた。
「では、クレマチス様。失礼します」
「ああ、よろしく頼むよ」
俺はクレマチス様に向け、深々と頭を下げる。
「行ってきますわ、クレス!」
「……ほどほどにな」
俺の後に続くように、ネモフィラさんは元気よく手をあげた。
クレマチス様はネモフィラさんの肩を開放。そして俺達は、執務室を後にした。
「ジギタリスさん……いえ、ジス先輩」
「何ですか?」
駅へと向かう為に、早足で局内を歩く。
歩きながら発せられたジス先輩という呼び名は、妙にくすぐったい。先程彼女の中で合点がいったおかげか、俺に対する当たりが柔らかくなった……の、だろう。
「ごめんなさい。わたくし、本当に自分勝手でしたわ」
「……いえ」
俺にも謝るのか。驚いたが、分かってくれたのならそれでいい。
「わたくし、もう遅いかもしれませんけれど、ちゃんと頑張りますわ。今までの事、迷惑をかけた方全員に謝ります」
「その方がいいでしょう」
その結果がどうであれ、素直に謝罪をしようとした気持ちは認めよう。許されなかったからといって怒ったりした時には、また指導の必要が出てくるが。
「それと、わたくしはまた可笑しな事を言ってしまうかもしれません」
すぐには全てを変えられない。それは仕方がない。
「けれど、わたくしが間違った時は、また叱って下さいませんか?」
「はい。構いません」
彼女を一人前にするには、沢山の時間が必要だろう。
「ありがとうございます、ジス先輩」
初めてお礼を言われて、面食らう。ネモフィラさんに視線を向ければ、彼女はまっすぐに前だけを見ていた。
「いえ……部下の教育は上司の務めですから。フィラさん」
小さな声で一言だけ返し、歩調を早める。
目指す先は――夜の駅だ。
***
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