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君の声
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がやがやと、不快な声の蠢く雑踏。そこを離れて、高級なお店へ。
「いらっしゃいませ」
バリトンの、聞き心地の良い声で頭を垂れる、スーツ姿の店員。
その先にあるのは――この世で最も価値のある自動販売機。
男はゆっくりと自動販売機に近づくと、「視聴」のボタンを一つずつ押していく。
「こんにちは!」
「こ、こんにちは……」
「こーんにーちはー!」
一つ一つ、全く違う声。男性も女性も入り乱れ、耳から脳へと侵入する。どれもこれも美しく、どれもこれも素晴らしい。
この自動販売機の売り物は、「声」。
「人類のカスタマイズ」が法的に許されるようになってから、何十年時が経っただろうか。生まれ持った物は「初期装備」として最初から一人に一つ備わっている。
だが、成長の過程でどうしても劣化してくるケースや、生まれ持った物に不満がある者は案外多い。それはあまりにも不公平だ、という声が上がり、今では金さえ払えばどこでも弄る事が出来る。どこでも好きに変えられる。
さて、今「声の自動販売機」の前で視聴を繰り返すこの男。
平均的なルックスに、平均的な体型。ごくごく普通の三十代。
彼はずっと理想の声を探し求めていた。
金銭的に裕福だった訳でもなければ、仕事の能力が高かった訳でもない。それでも自分の声を変えたくて、理想の声を探す為に何度も様々な店で視聴を繰り返してきていた。
「こんにちは」
それが今日、出会ってしまった。
背筋を電流が走るような、そんな衝撃的かつ素晴らしい声に。
「あの」
男はしゃがれた声で店員を振り返る。
「この声を、取り置きってできますか? 明後日までに必ず金は準備します」
「明後日を過ぎれば自動的にキャンセルとなりますが、宜しいですか?」
「はい、勿論」
男は店員に何度もペコペコと頭を下げると、店を後にし――煩い街の中へと消えた。
あの声は、女性の声だった。
かつて学生だった頃に恋をした相手の声。涼やかで、透明感のある美しい声。
ずっと欲しかった。その為に金も貯めていた。
だが、現実はどうだろうか。彼女の声はあまりにも素晴らしく、あまりにも高値だった。
学生の頃から高嶺の花だとは思っていたが、今はまさに高値の花。部位が鼻だったら完璧だったが、生憎男に鼻を愛する感覚はない。
「さて、と」
男はしゃがれた声で呟くと、路地裏へと身を滑り込ませる。
どんな事をしてでも、金を手に入れなくては。
ついに約束の日はやってきた。
男からは片足が無くなり、平均的な顔には疲れ切った表情が浮かぶ。それでも目だけはギラギラと輝き、手には大金の入ったバッグ。
件の店へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
バリトンボイスの店員の挨拶に、男は「この前の約束の声を」と注文した。
「こちらでございます」
店員は男を自動販売機の前まで誘導すると、どこかしらのボタンを押して「売り切れ」のマークのついていたその声を購入できるように処理した。
男は鞄から札束を取り出し、たっぷりと時間をかけて指導販売機へと飲み込ませる。
既定の金額に達すると、自動販売機からは丁度酸素マスクのような物が伸びて来た。
「どうぞこちらを口に当てて下さい」
言われるがままに男はマスクを口に当てる。まるで声を飲み込むように。
すー、すー、と空気の漏れる音。
どのくらいそうしていただろうか。店員が「もう結構です」と声をかけた頃に、男はようやっと口を開いた。
「ありがとう」
第三者から聞くと、とてつもなく美しい声だった。
男はにっこりと笑うと、空っぽになった鞄を片手に、店を後にしたのだった。
男は真っ直ぐに家に帰ると、まずボイスレコーダーに「大好きです」と声を入れた。それから、目覚まし時計に「朝だよ、起きて」と声を入れる。
それから歌い、よく喋る。
「ああ、君の声は有料ではあったが、素晴らしい。それだけの価値がある」
男の外見には全く見合わなかったが、彼は大満足だった。
ボイスレコーダーを作動させては、自分の入れた美しい声を聞き、朝になれば自分の物になった美しい声で起きる。
テレビをつければ、ソプラノボイスの美しい女性の声で「先日宝石店に押し入った強盗ですが」などと物騒な話が流れ、男は辟易しながら電源を消した。
こんな生活をどれほど続けていたか。
ある日、ふと思った。自分で録音した機械越しの声は、あの恋をした相手のもので間違いはない。
だが、歌ったり、喋ったりしている時に自分に聞こえる声はどうだろうか。
死に物狂いで調べると、何と人間の声は、自分が喋っている時に聞こえる声と相手に聞こえる声は別物だと言うではないか。
そんな事は聞いていない。何故だ。それならば、あんな事までして、足まで無くして手に入れたこの声は、一生機械越しでしか聞く事が出来ない。真っ直ぐに自分に向けられることも、自らの声帯を通った時点で全ておじゃんだ。
「くそっ! あーっ、クソ!」
男は毒づいてテレビをつける。
気分転換に何か別の、誰かの美しい声が聞きたくなったのだ。
「続いて速報です。先日の宝石強盗ですが――」
全く気分転換にならない。なんて日だ。
男は大きく息を吐きだした――次の瞬間
「確保!」
無粋な人の足音に、様々な、好ましくも無い人の声。
自宅に踏み込んだ複数の人間。
「止めろ! 離せ!」
男の身柄は、複数の男によって拘束される。
「止めろ! 止めろー!」
男らしからぬ美しい声は今、怒号へと変わり、拘束されて間もなく……あの酸素マスクのようなマスクをつけられて声を奪われてしまった。
男は、声を欲するあまりに、宝石強盗に加担した。その時に、下手をして足も失くしてしまった。
代償としては大きかったが、宝石強盗で手に入れた宝石を売って金を手に入れた。そして、手に入った大金で声を買ったのだ。
盗んだ金で買った物は、当然のように押収される。
男は冷たい牢で、声も出せず、事情を誰にいう事も出来ず、そっと後悔した。
出来る事なら過去の自分に忠告してやりたい。
だが、現状としてどうだろう。忠告してやるための声も、今はもう、どこにもないのだった……。
「いらっしゃいませ」
バリトンの、聞き心地の良い声で頭を垂れる、スーツ姿の店員。
その先にあるのは――この世で最も価値のある自動販売機。
男はゆっくりと自動販売機に近づくと、「視聴」のボタンを一つずつ押していく。
「こんにちは!」
「こ、こんにちは……」
「こーんにーちはー!」
一つ一つ、全く違う声。男性も女性も入り乱れ、耳から脳へと侵入する。どれもこれも美しく、どれもこれも素晴らしい。
この自動販売機の売り物は、「声」。
「人類のカスタマイズ」が法的に許されるようになってから、何十年時が経っただろうか。生まれ持った物は「初期装備」として最初から一人に一つ備わっている。
だが、成長の過程でどうしても劣化してくるケースや、生まれ持った物に不満がある者は案外多い。それはあまりにも不公平だ、という声が上がり、今では金さえ払えばどこでも弄る事が出来る。どこでも好きに変えられる。
さて、今「声の自動販売機」の前で視聴を繰り返すこの男。
平均的なルックスに、平均的な体型。ごくごく普通の三十代。
彼はずっと理想の声を探し求めていた。
金銭的に裕福だった訳でもなければ、仕事の能力が高かった訳でもない。それでも自分の声を変えたくて、理想の声を探す為に何度も様々な店で視聴を繰り返してきていた。
「こんにちは」
それが今日、出会ってしまった。
背筋を電流が走るような、そんな衝撃的かつ素晴らしい声に。
「あの」
男はしゃがれた声で店員を振り返る。
「この声を、取り置きってできますか? 明後日までに必ず金は準備します」
「明後日を過ぎれば自動的にキャンセルとなりますが、宜しいですか?」
「はい、勿論」
男は店員に何度もペコペコと頭を下げると、店を後にし――煩い街の中へと消えた。
あの声は、女性の声だった。
かつて学生だった頃に恋をした相手の声。涼やかで、透明感のある美しい声。
ずっと欲しかった。その為に金も貯めていた。
だが、現実はどうだろうか。彼女の声はあまりにも素晴らしく、あまりにも高値だった。
学生の頃から高嶺の花だとは思っていたが、今はまさに高値の花。部位が鼻だったら完璧だったが、生憎男に鼻を愛する感覚はない。
「さて、と」
男はしゃがれた声で呟くと、路地裏へと身を滑り込ませる。
どんな事をしてでも、金を手に入れなくては。
ついに約束の日はやってきた。
男からは片足が無くなり、平均的な顔には疲れ切った表情が浮かぶ。それでも目だけはギラギラと輝き、手には大金の入ったバッグ。
件の店へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
バリトンボイスの店員の挨拶に、男は「この前の約束の声を」と注文した。
「こちらでございます」
店員は男を自動販売機の前まで誘導すると、どこかしらのボタンを押して「売り切れ」のマークのついていたその声を購入できるように処理した。
男は鞄から札束を取り出し、たっぷりと時間をかけて指導販売機へと飲み込ませる。
既定の金額に達すると、自動販売機からは丁度酸素マスクのような物が伸びて来た。
「どうぞこちらを口に当てて下さい」
言われるがままに男はマスクを口に当てる。まるで声を飲み込むように。
すー、すー、と空気の漏れる音。
どのくらいそうしていただろうか。店員が「もう結構です」と声をかけた頃に、男はようやっと口を開いた。
「ありがとう」
第三者から聞くと、とてつもなく美しい声だった。
男はにっこりと笑うと、空っぽになった鞄を片手に、店を後にしたのだった。
男は真っ直ぐに家に帰ると、まずボイスレコーダーに「大好きです」と声を入れた。それから、目覚まし時計に「朝だよ、起きて」と声を入れる。
それから歌い、よく喋る。
「ああ、君の声は有料ではあったが、素晴らしい。それだけの価値がある」
男の外見には全く見合わなかったが、彼は大満足だった。
ボイスレコーダーを作動させては、自分の入れた美しい声を聞き、朝になれば自分の物になった美しい声で起きる。
テレビをつければ、ソプラノボイスの美しい女性の声で「先日宝石店に押し入った強盗ですが」などと物騒な話が流れ、男は辟易しながら電源を消した。
こんな生活をどれほど続けていたか。
ある日、ふと思った。自分で録音した機械越しの声は、あの恋をした相手のもので間違いはない。
だが、歌ったり、喋ったりしている時に自分に聞こえる声はどうだろうか。
死に物狂いで調べると、何と人間の声は、自分が喋っている時に聞こえる声と相手に聞こえる声は別物だと言うではないか。
そんな事は聞いていない。何故だ。それならば、あんな事までして、足まで無くして手に入れたこの声は、一生機械越しでしか聞く事が出来ない。真っ直ぐに自分に向けられることも、自らの声帯を通った時点で全ておじゃんだ。
「くそっ! あーっ、クソ!」
男は毒づいてテレビをつける。
気分転換に何か別の、誰かの美しい声が聞きたくなったのだ。
「続いて速報です。先日の宝石強盗ですが――」
全く気分転換にならない。なんて日だ。
男は大きく息を吐きだした――次の瞬間
「確保!」
無粋な人の足音に、様々な、好ましくも無い人の声。
自宅に踏み込んだ複数の人間。
「止めろ! 離せ!」
男の身柄は、複数の男によって拘束される。
「止めろ! 止めろー!」
男らしからぬ美しい声は今、怒号へと変わり、拘束されて間もなく……あの酸素マスクのようなマスクをつけられて声を奪われてしまった。
男は、声を欲するあまりに、宝石強盗に加担した。その時に、下手をして足も失くしてしまった。
代償としては大きかったが、宝石強盗で手に入れた宝石を売って金を手に入れた。そして、手に入った大金で声を買ったのだ。
盗んだ金で買った物は、当然のように押収される。
男は冷たい牢で、声も出せず、事情を誰にいう事も出来ず、そっと後悔した。
出来る事なら過去の自分に忠告してやりたい。
だが、現状としてどうだろう。忠告してやるための声も、今はもう、どこにもないのだった……。
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