悠久思想同盟

二ノ宮明季

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 人形の空間についてすぐ、日高はそれに手を伸ばした。さっきまでの私との会話はなかった事にしたいみたいで、一切何にも触れない。私も人形に手を伸ばす。
 同じ行動をした二人一緒に、『GAME START』の文字が躍る、病院の待合室のような空間に移動した。
 日高はさっさと目を瞑って過去に行く。私だけになったそこで、また『カンショウ ノ マホウ ヲ ツカイマスカ?』の項目が出て、私は「はい」と答えて目を瞑る。
 どうなっても、何を見ても、結局自分の幸せな未来が欲しかった。


 私が次に目を開けた時、今の日高に限りなく近い日高が、赤いポリタンクを持って、建物から出て来た。恐らく自宅であろうそこに、ポリタンクの中身をぶちまけ始める。
「えっと……」
 私の口からは、乾いた声が漏れた。鼻から入って脳へと伝わる匂いが、これが何であるのかを知らせて、目の裏側では危険信号がチカチカと存在を主張する。
 ポリタンクの中身は……灯油、だ。
「あぁ、百瀬。来たんだ」
 日高はニヤニヤしながら私に片手をあげて見せる。
「何、やってんの……?」
「見たとおり。嫌な事ばっかりだから、家を燃やそうかと思って」
 私の質問に、彼は笑ったまま答えた。私が「どうして?」と聞く前に、家から女性が出てきて、日高にしがみ付く。
「笑太くん、止めて!」
「嫌だよ。嫌なものを片っ端から消していこうとしてるだけなのに、なんで俺が止められなきゃならないのさ」
 この女性は、確か日高の母親だ。髪を振り乱して、真っ赤な目をした彼女は、「笑太くん」と彼の名を呼んで泣く。
 ……あれ? ちょっと待って。日高は今、自分の母親が家の中にいるのに火をつけようとしてたの? それに気が付いた私は、身震いした。怖い。 
 でもこの恐怖感は、何に対する物? 日高? 日高にそうさせる原因? 人間の丸焼き?
「笑太!」
 私の考えを完全に遮断させる、低い声が聞こえて見ると、男性が家から出てきた所だった。その人は、日高と母親を引き剥がすと、彼の頬を思いきり引っ叩く。痛々しい音が響いた。
「何を考えているんだ!」
「あんたがそれを理解出来るんだったら、俺は今こんな事してないよ。わざわざやってる本人に聞かないと分からないような人に問われて、答えるとでも思ってるの?」
 日高は、叩かれた事を全く気にせず、ニヤニヤとした顔のまま首を傾げる。
「それが親に対する態度か!」
「じゃあ父さんは、子供に対する態度を間違えたりはした事がない、と」
 男性は、日高の父親だったようだ。その人は、ブルブルと拳を震わせ、怒った顔をして日高を睨み付けた。
「俺ってさぁ、父さんと母さんの人形なの? オモチャなの? 装飾品なの? とてもじゃないけど、自分の意思を尊重させてもらいました、って感覚はないんだけど」
「そんなつもりで育てたことは一度も無い!」
 日高の父親は、怒ってはいてももう一度手を上げる素振りは見られない。それは、日高が大切な息子だからなのか、それとも自制出来る大人だからなのか。
「じゃあどんなつもりで育ててきたの? 俺は何なの? 俺にどうなって欲しいの? なって欲しい俺にする為に、何をしてきたの?」
 日高は、相変わらずのニヤニヤ顔で、自分の父親に問う。わざと怒らせている様にすら見える行動に、私は顔をしかめた。そういうの、言う事自体は否定しないけど、笑ってする内容じゃないと思う。
「習い事だってさせたし、金だってかけてきた」
 父親は言う。瞬間、日高の顔が、ぐにゃりと歪んだ。見ていられないくらい、泣き出しそうな、子供の顔に。
 ニヤニヤとした笑顔は、日高の仮面。傷つかない為のものなのか、内心を気取られないようにする為のものなのか、あるいはその両方の役目を担っているのか。
 私、日高がそうやって笑う理由って、考えてなかった。知ってしまった今、私はどう動けばいいの? 何を言えばいいの?
 声が、出ない。
「結局ステータスの為じゃん。俺の話してるのに金が出てくるとか、父さんの中で息子と金とは、同じカテゴリに入ってるわけね」
 これがきっと本音。
「そういう事じゃない。曲解するな!」
 日高の父親は、相変わらず怒った顔のまま言う。日高の表情の変化なんか、全然気が付いてないみたいに。
 会ったばかりの私が気付けるんだから、親しい人なら誰だって……特に親なら分かる筈なのに。
「曲解っていうならさ、俺が曲げて捉えられないような言葉で話してよ。どう考えても、俺は歪んでしか受け取れないんだから、こんな我儘な馬鹿息子に、納得できる言葉をかけて」
 日高は言葉を歪んで捉えていると思う。でも、苦しくなければ、こんな受け取り方をしないとも思う。こんな行動だってしなかった、とも。
 やり直したいからこそ、今、この時間にいるんだから。日高は教えて欲しいんだ。自分は確実に愛されてるんだ、って。
「今のお前に納得できる言葉なんてないだろう」
「それを決めるのは俺であって、父さんじゃないよ」
 日高が答えた瞬間――彼の父親は、突然殴りかかった。キレた、という言葉が似合うほど、突然に。さっきの引っ叩いたのとは全然違う。
 頬に拳をめり込ませ、よろめいた日高から灯油を奪って「お前は黙ってろ!」と叫んだ。
 耳に入ってきたのは、日高の母親の劈くような悲鳴。
 私は思わず、日高とその父親の間に入り、大きく手を広げて、父親の方を睨み付けた。
「何をするつもりですか?」
 どんな事を声に出せばいいのか分からない、と思った、ちょっと前の自分を殴ってやりたい。こんなにも言いたい事はある。日高にも、その家族にも。
 例え私の魔法が『観賞』で、この行動も声も、日高以外には届かなかったとしても、やらずにはいられない。
「日高の顔を見れば、どんな事を望んでるかなんてわかるじゃないですか」
「なんだ君は」
 日高以外の声なんて私に向けられないだろうと思っていたけど、意外な事に、日高の父親は私を見て、声をかけてきた。
「どこから出てきた? いや、そんなことより、これは家の問題だ。部外者は下がっていなさい」
「そうだよ百瀬。下がってて」
 まさか、『観賞の魔法』ではなく、『干渉の魔法』だったの? そんな風に私が戸惑っている間に、二人は言う。
 けど、私の行動は止まらない。止めない。見えていようと、見えていまいと、やろうとしたことに変わりなんて何もないんだから。
「絶対に下がらない」
 私は、はっきりとした声で、彼の父親の目を見て言った。
「百瀬……なんで、こんな事――」
「日高がそんな顔と行動するのがいけない。流石、人に動いて貰うのがお好きなようで」
 背中から声をかけてくる日高に、軽く返す。前半は嘘じゃない。後半は茶化したけど。
「そんな冗談みたいな事……。いや、それはいいや。とにかく、これは俺の家族の問題なんだから放っておいて」
 日高の声が聞こえるけど、私は黙って前を向いて、動かない。放っておくなんて、出来ない。
 私はいつからこんなに正義感が強くなったのだろうか。
 いや、おそらくこれは正義感なんかじゃない。私の為だけの行動だから。
 私は日高のあんな顔を見たくないから、こうしている。なぜ見たくないかと問われれば、それは自分も浮かべる可能性があるであろう表情だからだ。
 つまり、自分を重ね合わせて、その上での行動。私の為だけの行動。
「笑太。彼女は恋人か? こんな相手が出来たから、優しかった笑太はいなくなったんだな」
 私の行動は、彼の父親にとって、気分の良い物ではなかったようだ。彼は冷たい瞳で私を見下ろし、さっきまで怒りに染めていた顔に笑みを張り付けている。
 その笑顔が恐ろしくて、私は背中に変な汗をかいた。
「はぁ? 父さん、何言ってるの?」
 日高は言い返す。
「ちょっと何を――」
「百瀬!」
 次の瞬間、私の言葉は遮られ、日高は大声で私を呼んだ。日高の母親の悲鳴も聞こえる。
 私の頭から足先まで、急に濡れて、冷たい。滑る。キツイ匂いがする。
 笑顔の日高の父親に、頭から灯油を掛けられたのだ。
 滴り落ちる灯油は、地面に落ちて水たまりを大きくしていく。正確には、水たまりっていうか、油たまりだけど。
「父さん、なにやってるんだよ!」
 日高が悲鳴じみた声を上げる。彼のこんな声は、当たり前だけど初めて聞いた。
「笑太をそんな風にしちゃう相手なんて、いらないだろう」
 日高の父親は笑みを浮かべたまま言う。ぶっ飛んでる。日高がこんな行動を起こした理由も、なんとなくわかった。
「俺が行動を起こしたのは自分の意思であって、百瀬は関係ない!」
「まだ庇うんだね」
 この庇う、は、私と日高、どちらに対して向けた言葉なのだろうか。
 いや、どちらだって関係ない。そんな事よりも、今日高の父親がポケットから取り出した物の方が問題だ。
「父さん!」
「あなた、止めて!」
 ポケットの中から取り出した物に、日高とその母親が悲鳴のような声を上げる。
 だけど父親は、特に気にした様子もなく……ライターに火をつけ、私に落とした。
 ――痛い。
 私は、多分声にならない声を上げていた。
 ――熱い。
 どうして、こんなに……痛みも熱さも感じるの?
 ――苦しい。
 逃げたいのに、身体は動かない。
 ――怖い。
 私、ここで死んだらどうなるの?
「百瀬!!」
 日高の声が聞こえた。こんな状態だっていうのに、人の感触が分かった。
 止めなよ。日高でしょ?
 火だるまの私に触ったら、あんたまで焼けるじゃん。死んだらどうなるかなんて分かってないんだよ。
 言ってやりたいけど、なんにも出来る気がしない。
 痛いし熱いし苦しい。だけど、それも徐々になくなってきて……それなのに、思考だけはずっと働き続ける。
 良い事なのか悪い事なのか分からないけど……とりあえず分かるのは、目の前が黒くなってきているって事だけ……。


 痛みも熱さも苦しみも全て無くなって、私が目を開けると、今までとは違う、ただ黒いだけの空間だった。隣には日高もいる。私の身体も、日高の身体も、火傷の痕一つない。
 まるで悪い夢だったかのようだ。
 私がそんな事を考えながら日高を見ていると、彼は目を覚まして、驚いた顔をした後、少しだけ安心したような顔をした。
「どうなったの?」
「さぁ、死んじゃったんじゃない?」
 とりあえず私は日高に聞いてみると、日高は即答する。安心した顔から真面目な顔に変わって、いつまでたってもヘラヘラしないせいでちょっと可笑しい。
「あんたも?」
「だって百瀬があんな事になったのは俺のせいだし」
 日高の答えに、私は笑ってしまった。何が俺のせい、だ。日高らしくも無い。
「あんたまさか、態々私が燃えるのに巻き込まれたの?」
「……まぁ、そうだけど」
「馬鹿じゃないの。あれは私の自己責任。私は私の為に行動しただけ」
 私は大きくため息を付いて、日高から視線を外す。
 その先には、白い文字が浮かんでいた。ただし、いつもの『GAME CLEAR』とは別物の。
「……日高、あれ」
 私はそれを指さし、彼に声をかける。日高が指の先の文字を見て、息をのんだのが分かった。
 『GAME OVER』。
 指の先にある、白い文字だ。
 私達が文字を認識すると、新たな白い字が現れた。『コンテニュー シマスカ?』という字と、『10』という謎の数字である。
 そういえば、最初の説明で『死んだからコンテニューの画面に行く』みたいな事が書いていた気がする。
 私達はどうしたものかと顔を見合わせている間に、数字は『9』『8』と少なくなっていった。
 まるでアーケードゲームによくある画面。どこまでも、ゲームじみているように見せたいようである。
「どうする?」
「じゃ、放置しよう。分からない事は触りたくない」
 流石日高だ。出会ったばかりの時の反応を思い出して、私は「そうしよう」と答える。
 カウントはそのまま進んで、『0』へと変わり、私達は黒い空間を後にした。
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