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「……降ろして」
「何で?」
「茜音だけ置いて来たから」
「うん、そうだね」
距離を開けながら、俺はモモの言葉に反応を返す。
「降ろして」
「何で?」
「降ろさないと髪、抜く」
「えっ……。悪くないかも」
モモが、俺に興味を持ってくれている。何かしようとしてくれる。それだけで俺にとってはどうしようもなく嬉しい事なのだと認識できた。
たとえ俺に向けている感情が、負の感情であったとしても、だ。
「とにかく、降ろして。茜音の所に行かせて」
そんな訳にはいかないが……まぁ、充分距離は開いただろうから、立ち止まる位はいいか。
俺は足を止めて、振り返った。
センはこちらに向かっていたようで、思ったよりも近くにいた。ただ、それはイコールで直ぐ近くというわけではない。あくまで、俺が考えていたよりも近かった、というだけの話。
黒いアイツは、狙いをセンに絞ったようで、執拗に追い回している。
「茜音!」
モモが、会って初めて大きな声を上げた。そして、俺の腕の中でもがく。
落としてしまいそうだが、もしここで落としたら、モモは這ってでもセンの元へ行こうとするだろう。それは困る。非常に困る。
モモまで餌食にされたら、たまった物じゃない。
「離して……離せ!」
モモはもがいてもがいて、ついには俺の頬に一発入れてくれた。
いや、まどろっこしい言い方は無しにして、結論から言おう。俺は、モモを落としてしまった。
どうやっても離さない! くらいの気合は両腕に込めていたはずだった。しかし、その相手はするりと――いや、ずるり、どしん、と抜け出すと、強かに打ったお尻を少しだけ撫でて、不恰好なままセンの元へと駆け寄っていく。
当たり前の話なのだが、モモが……百合が、俺を振り切ってセンの元へ行くのが悔しくて、悲しかった。
「よこセ!」
「――きゃあ!」
モモを落として呆然とした俺、俺から解放されて走り始めたモモ。
これらとほぼ同時だった。黒いアイツが、センに退色血《スミゾメ》を浴びせたのは。
センのクリーム色のセーターには、ベットリと黒い色が付着し、じわりじわりとその色を広げていた。
「茜音! 茜音!」
「百合、来ちゃ駄目!」
必死にセンの元に向かおうとするモモを止めたのは、現在の被害者であるセン自身だった。お、付け込まれそうなほどいい人。
しかし、まぁ、このモモの友人《シンコウヤク》なのであれば、このくらいじゃないといけないか。そうじゃないと、モモはあっという間に食べられちゃうだろうし。
俺は笑みを張り付けて、モモに追いつくと、肩に手をかけた。
「そ、そうだよー。公庄百合さん、君が今選択出来るのは三つの行動だけなんだから」
「……何? 早くして」
俺をジロっと睨むモモ。我々の業界ではご褒美です、本当にありがとうございます。
「一つ。公森茜音さんが黒くなるのを待つ」
「そんなの、出来る訳ない」
そうだろうね。
「二つ。君も近付いて、二人仲良くオダブツ」
「……もう一つは?」
やっぱりこれもパス、か。ですよねー。
「残りの三つ目。俺と契約して、あの黒い人を倒す」
「倒したら、助けられるの?」
これが本題だ。最初から言っている俺の言葉の意味はやっぱり理解していないが、それでいい。理解させようだなんて思っていない。
ただ、契約してしまえばこっちのものだ、というだけの話。
「そりゃあ、あいつさえ消しちゃえば、公森茜音さんへの侵食は止まって、元に戻るんだよ」
「それ以外の方法は」
「今の所、無い」
きっぱりと答えると、モモは眉間に皺を寄せて、「今の所って?」と聞き返してきた。
「あいつを消す奴らも存在してるんだけど、一体いつ事態に気付いて駆けつけてくれるかなんて分かりはしないって事。場合によっては、手遅れだろうね。さようなら」
「さようなら、だなんて、縁起でもない事言わないで」
「うんうん、分かった分かった」
本当はよく分かってないけど、適当に頷いておけばきっと満足して貰えるだろう。
「でも、決断は早い方が良い。その縁起でもない事が現実に変わっちゃうからね」
「百合、止めて! そんな奴の口車に乗るなんて――」
「早くしないと、お友達さんの人間としての未来が潰されちゃうよ」
黒いアイツは、センの腕を掴んで口元に笑みを浮かべている。意地でも逃がすもんか、という強い意志が感じられた。
ま、それが自分の意思なのか、存在としての習性なのかは微妙だけど。
どちらにせよ、俺にだって当てはまる事。これは、モモと契約しようとしているのは、誰のどういった意図なのか、なんてわかりっこない。自分の存在が一番あやふやなのだから。
「分かった。いいよ」
「それはどうもありがとう」
「ダメだよ、百合! そんな奴の言ってることが正しいわけ、無い!」
センが必死にモモを引き留める。そのセンを、黒いアイツががっちりと捉えて、「いかせナイ」とか言っている。
「ごめんね、茜音。でもわたし、茜音を助けたい」
モモはセンに笑顔を向けた。……自分から動かない性格になっているみたいだけど、友達の事となると頑張れちゃう、っていうタイプ?
「だって茜音とわたしは、友達でしょ」
「だから、余計にダメだって言ってるの!」
あぁ、なんて素晴らしい《王道》。お涙頂戴展開に、俺の液体は枯れ果てそうだ。
安っぽい展開に、安っぽいセリフ。でも本人達は必死なのが笑えて、笑え過ぎてじんましんが出そう。
「じゃ、俺の言う事、復唱して」
「ん。わかった」
さぁ、お待ちかねの契約タイムだ。
じんましんが出る前に、チート能力身に着けて、あっさりと潜り込んでやろう。
「『主人公《ヒロイン》、公庄百合は』」
「主人公《ヒロイン》公庄百合は」
俺の口から洩れる、最後の偽物の言葉を、モモが本物に変えていく。
「『今目の前にしている侵蝕者《カキソンジ》と』」
「今目の前にしている侵蝕者《カキソンジ》と」
もうすぐ、俺はモモの言葉を吐きだし、モモの言葉で生きる。それだけで胸が高揚する。
「『言葉を共にすると誓い、これを契約とする』」
「言葉を共にすると誓い、これを契約とする」
最後の一言をモモが口にすると、俺とモモの周りに言葉が降ってきた。
今、モモが口にした全ての言葉が、単語が、バラバラと形を作って雨のように、飴のように転がり落ちる。同時に俺の中にも、固形物のように入り込み、水のように流れ始めた。
床に落ちた言葉たちは一瞬発光すると、全てが俺の発する靄にくっついて消えた。黒い靄と共に、俺の中に納まったとも言えるかもしれない。
「じゃ、ちゃちゃっとやっちゃおうか」
俺は伸びをして、センと、黒い――俺の同類である侵蝕者《カキソンジ》に視線を向けた。
黒いアイツは、どろどろと黒い液体を纏わせて、「そイつ、モ、よコセ」としきりに呟いている。
喉に言葉が絡みついて、上手く喋れないのだろう。ご愁傷様。心の底から同情するよ。
でも、これとそれは話が別。モモの事だけは、絶対に渡せない。
モモは、俺のモノだ。……何度でも言おう。別にストーカーではない。
とりあえず、まぁ、武器でも出すかな。
俺は「《武器》」と言葉を吐きだし、落ちた《武器》という言葉を拾い上げた。それに「《具現化》」と告げる。その結果として、俺の手には『具現化した武器』が《武器》という言葉の代わりに現われて、呆然としてしまった。思ったようなものではなかったからだ。
「あの……公庄百合さん?」
「ん。何?」
俺は自分の手の中にある物に視線を落としながら、乾いた声を出した。
「これは、一体何?」
「テストと教科書」
……なるほどー。教科書を使ってテストと戦うのかー。
「って、何でだよ!」
思わず一人ノリツッコミしながら、その二つを《床》に叩きつけた。テストは叩きつけようとしたが、ひらひらと舞って落ちたのだが。うわー、ちょーちょみたーい、とか言っている場合ではない。
「俺、言葉を具現化して戦うんだけどさ、これって、君の意識に依存するんだ」
「つまり?」
モモは小首をかしげる。可愛いよ。可愛いけどさぁ!
「何か、物理的に強くて戦えそうなものを想像して貰えませんか。お願いします」
「ん、わかった」
心強い(と思いたい)言葉を聞いたところで、俺は再び具現化した。手には、三得包丁が握られている。
急に物騒でおっかないのですけども。でも、まぁ、直接的にでも倒せればいいか。テストと教科書よりはずっといい。これが俺の、今の《武器》だ。
「じゃ、これより公森茜音さん奪還計画を開始します」
「計画じゃない。あなたが故意に起こした事の尻拭い。良いから早く茜音を助けて」
「はーい」
改めてセンと、黒いヤツに向き直る。
センの身体は、既に半分が黒く染まっている。でも裏を返せば、半分は無事なのだ。まだ間に合う。
「何で?」
「茜音だけ置いて来たから」
「うん、そうだね」
距離を開けながら、俺はモモの言葉に反応を返す。
「降ろして」
「何で?」
「降ろさないと髪、抜く」
「えっ……。悪くないかも」
モモが、俺に興味を持ってくれている。何かしようとしてくれる。それだけで俺にとってはどうしようもなく嬉しい事なのだと認識できた。
たとえ俺に向けている感情が、負の感情であったとしても、だ。
「とにかく、降ろして。茜音の所に行かせて」
そんな訳にはいかないが……まぁ、充分距離は開いただろうから、立ち止まる位はいいか。
俺は足を止めて、振り返った。
センはこちらに向かっていたようで、思ったよりも近くにいた。ただ、それはイコールで直ぐ近くというわけではない。あくまで、俺が考えていたよりも近かった、というだけの話。
黒いアイツは、狙いをセンに絞ったようで、執拗に追い回している。
「茜音!」
モモが、会って初めて大きな声を上げた。そして、俺の腕の中でもがく。
落としてしまいそうだが、もしここで落としたら、モモは這ってでもセンの元へ行こうとするだろう。それは困る。非常に困る。
モモまで餌食にされたら、たまった物じゃない。
「離して……離せ!」
モモはもがいてもがいて、ついには俺の頬に一発入れてくれた。
いや、まどろっこしい言い方は無しにして、結論から言おう。俺は、モモを落としてしまった。
どうやっても離さない! くらいの気合は両腕に込めていたはずだった。しかし、その相手はするりと――いや、ずるり、どしん、と抜け出すと、強かに打ったお尻を少しだけ撫でて、不恰好なままセンの元へと駆け寄っていく。
当たり前の話なのだが、モモが……百合が、俺を振り切ってセンの元へ行くのが悔しくて、悲しかった。
「よこセ!」
「――きゃあ!」
モモを落として呆然とした俺、俺から解放されて走り始めたモモ。
これらとほぼ同時だった。黒いアイツが、センに退色血《スミゾメ》を浴びせたのは。
センのクリーム色のセーターには、ベットリと黒い色が付着し、じわりじわりとその色を広げていた。
「茜音! 茜音!」
「百合、来ちゃ駄目!」
必死にセンの元に向かおうとするモモを止めたのは、現在の被害者であるセン自身だった。お、付け込まれそうなほどいい人。
しかし、まぁ、このモモの友人《シンコウヤク》なのであれば、このくらいじゃないといけないか。そうじゃないと、モモはあっという間に食べられちゃうだろうし。
俺は笑みを張り付けて、モモに追いつくと、肩に手をかけた。
「そ、そうだよー。公庄百合さん、君が今選択出来るのは三つの行動だけなんだから」
「……何? 早くして」
俺をジロっと睨むモモ。我々の業界ではご褒美です、本当にありがとうございます。
「一つ。公森茜音さんが黒くなるのを待つ」
「そんなの、出来る訳ない」
そうだろうね。
「二つ。君も近付いて、二人仲良くオダブツ」
「……もう一つは?」
やっぱりこれもパス、か。ですよねー。
「残りの三つ目。俺と契約して、あの黒い人を倒す」
「倒したら、助けられるの?」
これが本題だ。最初から言っている俺の言葉の意味はやっぱり理解していないが、それでいい。理解させようだなんて思っていない。
ただ、契約してしまえばこっちのものだ、というだけの話。
「そりゃあ、あいつさえ消しちゃえば、公森茜音さんへの侵食は止まって、元に戻るんだよ」
「それ以外の方法は」
「今の所、無い」
きっぱりと答えると、モモは眉間に皺を寄せて、「今の所って?」と聞き返してきた。
「あいつを消す奴らも存在してるんだけど、一体いつ事態に気付いて駆けつけてくれるかなんて分かりはしないって事。場合によっては、手遅れだろうね。さようなら」
「さようなら、だなんて、縁起でもない事言わないで」
「うんうん、分かった分かった」
本当はよく分かってないけど、適当に頷いておけばきっと満足して貰えるだろう。
「でも、決断は早い方が良い。その縁起でもない事が現実に変わっちゃうからね」
「百合、止めて! そんな奴の口車に乗るなんて――」
「早くしないと、お友達さんの人間としての未来が潰されちゃうよ」
黒いアイツは、センの腕を掴んで口元に笑みを浮かべている。意地でも逃がすもんか、という強い意志が感じられた。
ま、それが自分の意思なのか、存在としての習性なのかは微妙だけど。
どちらにせよ、俺にだって当てはまる事。これは、モモと契約しようとしているのは、誰のどういった意図なのか、なんてわかりっこない。自分の存在が一番あやふやなのだから。
「分かった。いいよ」
「それはどうもありがとう」
「ダメだよ、百合! そんな奴の言ってることが正しいわけ、無い!」
センが必死にモモを引き留める。そのセンを、黒いアイツががっちりと捉えて、「いかせナイ」とか言っている。
「ごめんね、茜音。でもわたし、茜音を助けたい」
モモはセンに笑顔を向けた。……自分から動かない性格になっているみたいだけど、友達の事となると頑張れちゃう、っていうタイプ?
「だって茜音とわたしは、友達でしょ」
「だから、余計にダメだって言ってるの!」
あぁ、なんて素晴らしい《王道》。お涙頂戴展開に、俺の液体は枯れ果てそうだ。
安っぽい展開に、安っぽいセリフ。でも本人達は必死なのが笑えて、笑え過ぎてじんましんが出そう。
「じゃ、俺の言う事、復唱して」
「ん。わかった」
さぁ、お待ちかねの契約タイムだ。
じんましんが出る前に、チート能力身に着けて、あっさりと潜り込んでやろう。
「『主人公《ヒロイン》、公庄百合は』」
「主人公《ヒロイン》公庄百合は」
俺の口から洩れる、最後の偽物の言葉を、モモが本物に変えていく。
「『今目の前にしている侵蝕者《カキソンジ》と』」
「今目の前にしている侵蝕者《カキソンジ》と」
もうすぐ、俺はモモの言葉を吐きだし、モモの言葉で生きる。それだけで胸が高揚する。
「『言葉を共にすると誓い、これを契約とする』」
「言葉を共にすると誓い、これを契約とする」
最後の一言をモモが口にすると、俺とモモの周りに言葉が降ってきた。
今、モモが口にした全ての言葉が、単語が、バラバラと形を作って雨のように、飴のように転がり落ちる。同時に俺の中にも、固形物のように入り込み、水のように流れ始めた。
床に落ちた言葉たちは一瞬発光すると、全てが俺の発する靄にくっついて消えた。黒い靄と共に、俺の中に納まったとも言えるかもしれない。
「じゃ、ちゃちゃっとやっちゃおうか」
俺は伸びをして、センと、黒い――俺の同類である侵蝕者《カキソンジ》に視線を向けた。
黒いアイツは、どろどろと黒い液体を纏わせて、「そイつ、モ、よコセ」としきりに呟いている。
喉に言葉が絡みついて、上手く喋れないのだろう。ご愁傷様。心の底から同情するよ。
でも、これとそれは話が別。モモの事だけは、絶対に渡せない。
モモは、俺のモノだ。……何度でも言おう。別にストーカーではない。
とりあえず、まぁ、武器でも出すかな。
俺は「《武器》」と言葉を吐きだし、落ちた《武器》という言葉を拾い上げた。それに「《具現化》」と告げる。その結果として、俺の手には『具現化した武器』が《武器》という言葉の代わりに現われて、呆然としてしまった。思ったようなものではなかったからだ。
「あの……公庄百合さん?」
「ん。何?」
俺は自分の手の中にある物に視線を落としながら、乾いた声を出した。
「これは、一体何?」
「テストと教科書」
……なるほどー。教科書を使ってテストと戦うのかー。
「って、何でだよ!」
思わず一人ノリツッコミしながら、その二つを《床》に叩きつけた。テストは叩きつけようとしたが、ひらひらと舞って落ちたのだが。うわー、ちょーちょみたーい、とか言っている場合ではない。
「俺、言葉を具現化して戦うんだけどさ、これって、君の意識に依存するんだ」
「つまり?」
モモは小首をかしげる。可愛いよ。可愛いけどさぁ!
「何か、物理的に強くて戦えそうなものを想像して貰えませんか。お願いします」
「ん、わかった」
心強い(と思いたい)言葉を聞いたところで、俺は再び具現化した。手には、三得包丁が握られている。
急に物騒でおっかないのですけども。でも、まぁ、直接的にでも倒せればいいか。テストと教科書よりはずっといい。これが俺の、今の《武器》だ。
「じゃ、これより公森茜音さん奪還計画を開始します」
「計画じゃない。あなたが故意に起こした事の尻拭い。良いから早く茜音を助けて」
「はーい」
改めてセンと、黒いヤツに向き直る。
センの身体は、既に半分が黒く染まっている。でも裏を返せば、半分は無事なのだ。まだ間に合う。
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