言の葉ウォーズ

二ノ宮明季

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 俺にとっては普通の事だったが、人間にとってはそうではない。何しろ今、この場所は教室ではなくなったのだから。
「な、に……何よこれ!」
 センは悲鳴のような声を上げる。
 一気に世界が構築したように、あるいは一気に世界が壊れたように、とにかく一変したのだ。
 チェスボードのような、推定《床》。壁などの、空間を隔てるような物は何一つ存在せず、ただ黒い。便宜上、何もない空間を《壁》と言えない事も無いかもしれないが。
 あーあ、やられちゃった。止めてよね、人の『お気に入り《オトモダチコウホ》』に目をつけるのは。
「あちゃー。別口に捕まっちゃったね」
 俺は、出来るだけ呑気そうな響きを借り物の言葉に纏わせて、笑った。ついでに俺の周りの黒い靄も、わっさわっさと動く。お、何? 一緒に笑う表現してくれるの? 気が利くじゃん。俺の一部だけど。
「あんた何したの!?」
「俺じゃないよ。この場所のホストさんはあいつ」
 掴みかかってきたセンに、俺は遠くを指差した。
 この空間では左右という概念は有って無いような物だが、便宜上だけで語るのなら真っ直ぐ向こう側、とでも言えるだろう。
 床以外の黒に紛れて見えにくいが、黒づくめの男性が立っていた。年齢を与えるのなら、二十代前半程だろうか。
 目にかかるほど長い前髪と真っ黒な服が相まって、何とも陰気そうだ。ま、俺が言えた義理ではないけど。
「……黒い。親戚?」
「んー。惜しい、かな?」
 俺は、掴みかかっているセンの手を振り払って、モモに答える。
「そのバショ、よこセ。そのバしょ、を、よコせ」
 黒い男は、俺と同じように偽物の言葉を吐きだし、生気と存在感が欠落した瞳をモモとセンに向けている。ふぅん、どっちでもいいのか。
「な、何の話してるのよ! 元の場所に戻して!」
「えー。あいつを倒すとかしないと無理だよー」
 相変わらず喚いているセンに、俺は尚も呑気そうな偽物の言葉を吐きだす。今日はすっごい喋ってる。偽物言葉祭りだ。日本語大祭りくらいの中に入れてくれてもいいんだよ。いやいや、入るわけないだろー。
 続、一人軽口ごっこでした。
「倒すって何よ! 何であたし達、こんな……っ!」
「まぁ、落ち着いて聞いてよ。簡単に言えば、あいつに負けたら消えちゃうっていうか、黒くなるっていうか、そうなるだけの話だよ」
「だけってなによ! だけ、って!」
 ちゃんと説明したのに。こんな心優しい俺に食って掛かるだなんて。
 まぁ、心があるかも微妙だけど。でもいいなー。心の底から怒ったり不安になったり出来るなんて。羨ましい。
 やっぱ、俺は筆箱よりも人間になりたいな。筆箱じゃ、喋れないし。
「よコせ、よコセ、ヨコせ、ヨこせ!」
 黒いアイツが騒ぎながらこっちに向かってくる。
 あー、もう、ウザいなぁ。対処自体は難しくないんだけどさ。この状況をうまく利用して、ムフフ展開に出来るかどうか……。
 うーん、ちょっと頑張ってみちゃう? 災い転じて福に出来ちゃうかな? ていうか、やってみちゃおうか。うん。
 モモがヤバい事になったら、本末転倒だけど。虎穴に入らんば虎児を得ずって言うし、何とかしようか。
「ねぇ、公庄百合さん」
「ん。何?」
「俺と契約して攻撃は最大の防御用武器になってよ」
 俺は、プロポーズをする人のように、モモの手をそっと取って囁いた。
「ダメに決まってるでしょー! 何言ってるのよ、意味わかんない!」
 俺とモモに間に、センが割って入る。
 こうしている間にも、黒いアイツはゆったりとこっちに近づいてきている。ずっと、たどたどしく「よこセ」と言っているようだ。
「公森茜音さんにはほんのり関係の無い事ですー。私事で恐縮しちゃう話ですー」
「意味わかんない!」
「うん。私事が誤用。それに最初の方にも誤用が……」
「そっちはどうでも良いのよ!」
 うーん、モモ達には結構ピンチなんだけど、呑気だなぁ。俺がオピンチを、オセンチに演出しないのも問題なんだろうけど。
 ごめんね黒ぽん。もうちょっと待ってね。ちゃんと契約をもぎ取って、消し去ってあげるから。
「でも俺と契約しないと、みんな消えちゃうよ。まっくろくろすけ出ておいでーって言われても出ていく事不可能な身体になっちゃう。嫁入り前に、なんてハレンチな!」
「んもー! 最悪ぅぅぅ! しかもこっちがまっくろくろすけなの!?」
「まぁ、ススワタリっていうのは、あながち間違いじゃないかもしれないけどね」
「真っ黒……煤……はっ!」
 モモが何かを思いついたようで、センをじっと見つめる。うーん、関係ない事を言う予感。
「ゆ、百合、何か思いついたの?」
「煤になったら、触った物が黒くなる。つまり、筆箱にペンがしまえなくなってしまう」
「どうでもいい! 今はそんな場合じゃないんだよ! ねぇ、分かってる!? あたしは、危機感はあっても全然分かってないけど!」
 俺の予感は的中して、予感センサーの欠落しているセンは、思わずそう叫んだ。
 瞬間――大分近くまで来ていた黒いアイツは、自らの手首に噛みついた。どろりと落ちる、真っ黒な……インクのように濃厚で、血のように粘度のある、大量の液体。
「逃げろ!」
 俺は、二人の腕を掴んで走り出した。出来るだけヤツと距離を取るように。少し間合いを詰められ過ぎたか。
 呑気にしている場合ではなかった。
 急に俺に手を引かれたせいで、変な格好で走り出した二人だったが、センは直ぐに体制を整えて「何なのよ!」と食って掛かった。
「あの黒い液体……『退色血《スミゾメ》』に触ると、段々と黒くなるんだ。そうなったら、あいつと入れ替わる事になる」
「はぁ? 入れ替わる?」
 俺の説明に、センは眉間に皺を寄せた。モモは体制を立て直す事が出来ないまま、中腰のような恰好で俺に手を引かれている。
「完全に入れ替えが行われるまでには多少時間はあるが」
 あれは、触れた場所から身体を侵食するように黒く染め上げていく。その時間自体は、異様に早いというものではないだろう。遅いとも言えないが。
「ねぇ、わたし、思ったの」
 モモはよろよろと走ったまま、唐突に口を開いた。
「喋り方、さっきと違うね。こっちのも悪くないと思う。ふざけた感じが無くて」
「今関係ないわよ! 百合、しっかりしてよ!」
 ……思った以上に、可笑しくなっている。モモをこんなにしてしまった意図は、何なのか。いや、興味を持たせないようにしただけなのだろうが、もっと他に何か無かったのか。
 そうしている内にも、ヤツは距離を詰めてくる。
 逃げてても仕方がない、か。でも今の俺に出来る事と言えば、大体ヤツと同じことだ。
 ヤツと俺の違いと言えば、《元の役職》くらいだ。それから、接触の回数、とでも言えばいいだろうか。
「公庄百合さん」
 そこで俺は、別の作戦に出ることにした。
 足を止めて、よたよたとしているモモに声を掛ける。
「ん。なに?」
「お姫様抱っこしてもいい?」
「何言ってるの! こんな状況で変な事言わないでよ」
 俺が笑みを張り付けて尋ねると、直ぐにセンが抗議してきた。うんうん、さすがはモモの友達。特に、モモがこんな状態だったら、そうせずにはいられないだろう。
「ん。いいよ」
「良くないわよ!」
「じゃ、遠慮なく」
 センの許可が無くても、モモが許可してくれるのなら出来る。まぁ、どっちの許可も無くても出来はするんだけどね。抱き上げる、までなら。抱き上げた後でジタバタされると落としてしまうけど。
 俺は、二人と繋いでいた手を離して、代わりにモモを抱き上げた。
「ちょっと!」
「じゃ、頑張って! これだけ公庄百合さんを大切に思ってるのなら、護ろうとするでしょ? だって君、友人《シンコウヤク》なんだから」
「何言って――」
「健闘を祈る!」
 そう言い残して、俺はモモをお姫様抱っこしたまま走って距離を開けた。
 センがぎゃーぎゃーと騒いているようだが、今の俺にはそれほど関係はない。俺に一番関係があるのはモモだし、そもそもセンにはモモと契約するための餌になってもらうという役目を与えた。
 やだ、偽物のくせに役を与えちゃう俺、カッコイイー。かっこ、棒読み、かっことじ。
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