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二章
2-27 また叱って下さいませんか?
しおりを挟むジギタリスは書類をまとめ、しかるべき部署へと運んだ。
「はい、結構です」
自らの上司にあたる人に、淡々と答えられる。本来はもう、ジギタリスも上司も仕事は終わりの時間だ。だが、相手に動く気配は見られない。
「お帰りにならないのですか?」
「ええ。僕はもう少しお仕事があります。ジスさんこそ、まだお仕事ですか?」
上司は、真っ赤な瞳に感情の一つも湛えず、ゆっくりと首を傾げた。
「いえ……今日はもう――」
「仕事終わりに申し訳ないのだが、少し来ては貰えないかい?」
言いかけた所で、声をかけられる。
振り返ると、上司の更に上司――ジギタリスの所属する就職管理局魔法精術課を統括する立場にして、第二王位継承者。更にはネモフィラの従兄弟で婚約者の、クレマチス・ドライツェーン・アウフシュナイターの姿がそこにあった。
真っ黒な髪に優しげな紫色の瞳を持つその人は、困ったように笑っている。
後ろに佇んでいる彼の従者が、冷たい視線を向けている事も相まって、より優しげ……というよりも、優男風に見えた。
「ジスさん。クレマチス様のお言葉は、絶対です」
「分かっております」
ジギタリスは表情を変えずに、上司に頷いた。
「では、ついて来てくれ」
「はい」
「こんな時間に、悪いね」
「いえ、仕事ですから」
ジギタリスは尚も淡々と答え、クレマチスとその従者の後へと続く。やがて彼の執務室へとたどり着くと、促されるままに足を踏み入れた。
「まぁ、この方を呼びましたの?」
中には先客がいた。ネモフィラだ。
彼女は執務室のソファーに腰を降ろしていた。
「フィラ、彼から客観的な話を聞きたかったんだよ。意味は分かるね?」
「……」
ネモフィラが僅かに首を傾げた事に、クレマチスが小さくため息を吐く。
後ろの従者は盛大にため息を吐いた。ジギタリスはため息を必死に飲み込んだ。
それぞれの性格が如実に出た所で、クレマチスはジギタリスへと向き直る。
「報告は既に受けているよ。大変だったね」
「……いえ」
ものすごく大変だった、というのが正直な所だが、まさかそのまま口にするわけにもいかない。
様々な感情も飲み込み、いつも通り、表情の変わらない顔で返事をした。
「報告を受けてはいるものの、もう一度、一から説明が欲しくてね」
「はい」
ジギタリスは頷くと、ネモフィラが精術師や1枚に対して態度が良くなかった事、フルゲンスに、クルトに対して当り散らすような言動が見られた事等を、順を追って話した。
「フィラ、今の話を聞いて、どう感じたんだい?」
「わかりませんわ。わたくし、間違っておりませんもの。精霊はいないですし、魔法使いは枚数によって待遇が変わるのでしょう?」
ネモフィラは、眼鏡の奥の長い睫を、何度も瞬かせる。
「フィラ、本来、枚数で待遇が変わるのはあってはいけない事なんだよ」
「まぁ、そうでしたの?」
散々説明しただろ、と、ジギタリスは内心で毒吐く。
「それに、精霊はいるよ」
「またまた、クレスまでそんな」
軽い調子のネモフィラに、クレマチスは彼女の隣に腰かけながら小さく息を吐きだした。既に二回目のため息だ。
「……見えているからね。王族は皆見えているはずだ」
彼の発言に驚いたのは、ネモフィラだけではなかった。
ジギタリスも、だ。おそらく殆どの局員は、この事実を知らない。
「フィラも、昔は精霊と戯れていたようだったし、今でも見えているとばかり思っていたよ」
「そんな、筈は……そんなはずは、ありませんわ」
ネモフィラは眉を下げ、ゆるゆると首を左右に振る。
「我々アウフシュナイター家の祖先は、精術師らしくてね」
クレマチスは、そんなネモフィラの頭を優しくなでながら語る。
目の前で繰り広げられる婚約者同士のスキンシップに、ジギタリスは気まずくなって視線を逸らした。
耳を塞いでいる訳でもないので、会話はしっかりと聞こえている。そしてこの場は、会話さえ聞こえていれば、見えていなくとも何の問題も無いだろう。
「だけど、そうか。フィラが見えていないのだとすれば、きっと誰かに見えないものだと信じ込まされてしまったのかもしれないね」
「あ、ありえませんわ! だって、だってわたくしは、いい子にしておりましたもの!」
少し感情的になるネモフィラの事も、クレマチスはただ優しく撫でるだけだ。
「精霊は見えない、精霊なんていないと、そう教わりましたもの!」
「そう教えられたからこそ、見えなくなってしまったんだろう」
「で、でも」
口籠っても、また同じ。
けれど今度は、クレマチスは少し考えた。昔の事さえ思い出させれば、きっと分かってくれると踏んだのだ。
「それじゃあフィラ、小さな時にケーキをあげたら味だけが無くなったと、俺に知らせに来たのは何だったのかな?」
「……そんなこと、ありましたわね」
「あったね」
視線を逸らしながら聞いているジギタリスは、ひっそりと今までの苦労は何だったのかと考える。
彼女の立場から考えれば失礼な感情を抱いている事などおくびにも出さず、じっとその場で息をひそめた。
「他にも、精霊さんが綺麗な石のありかを教えてくれたから拾ってきたと、俺にプレゼントしてくれたのではなかったかい?」
「ありましたわ。とっても綺麗な、つやつやした青い石」
ここまで言うと、ネモフィラはまた、何度も瞳を瞬かせた。
「精霊は、いましたのね」
自分の中で、納得がいったようだ。
「うん。それを踏まえてもう一度聞くよ。精術師を見下したような発言は、していなかったかい?」
「……しましたわ」
「そうだね」
クレマチスが頷く。
「フィラ。人は皆平等であるべきなんだ。実際出来ていなかったとしても、理想論では平等。フィラには、ずっと理想論を口にしていてほしい」
これは、クレマチスが上に立つ人間で、様々な人を見ているからこその発言なのだろうと、ジギタリスは目を逸らしながら感じた。
勝手気ままで、部下としては全くもって使える要素のないネモフィラではあるが、彼女の素直な部分を、クレマチスは必要としているのだろう。
「君は良くも悪くも素直だ。他の人の言葉を聞き過ぎてしまう。そして、信じすぎてしまう。それが間違いであったとしても、気付かずにいてしまうのは、きっと自分を守るためだからなのだろう」
クレマチスはここまで語ると、頭を撫でていた手を離して、彼女をぎゅっと抱きしめた。
「だけど、これからはじっくり考えてごらん。ジギタリス君に叱られたら、どうして叱られたのか、どうして自分の中の正しい部分と相反するのか、よくよく考えてみてほしい」
クレマチスの胸の中から「はい」と小さな声が聞こえる。
「その上で君が出した結論であれば、俺はそれを支持するよ」
「…………わたくし、悪い事をしましたわ」
「そうだね。よく気付いてくれた」
過ちを認めたネモフィラをクレマチスは解放して、また頭を撫でた。
「謝らなくてはいけませんわ」
「そうだね。悪い事をしたら、当然謝らなくてはいけない」
こくり、と頷く。
「謝ってきますわ」
「え、今から?」
「今からですわ!」
ネモフィラはすっくと立ち上がった。それに伴い、ジギタリスは外していた視線を彼女へと向ける。
真っ直ぐ前を見過ぎていて、暴走一歩手前にしか見えなかった。
「ちょ、ちょっと待って。もう遅いし、かえってご迷惑になる。明日じゃ駄目かい?」
「駄目ですわ! ちゃんと謝らなくては気が済みませんの!」
立ち上がったネモフィラは、一直線にドアへと向かう。
「ま、待った。待った。俺はこの時間についてはいけないよ。まだ仕事が残っているし」
「一人で構いませんわ」
「構う構う! 構うから!」
クレマチスは慌てて止めに入る。
ドアノブを握ったネモフィラの肩を掴んで、自分の方へと強引に向かせた。
「ちょ、ちょっと待って。あ、あー、あー、ジギタリス君」
「はい」
そのままの体勢で、首だけジギタリスの方を向くと、彼は名を呼んだ。
「つ、ついて行っては貰えないかな?」
「時間外手当は発生しますか?」
「するする。もし出なくても、必ずそれ相応の金額は支払う」
それなら、一つ目の問題はない。
ジギタリスは一度頷く。
「この時間から、となりますと、場合によっては列車の最終が終わってしまい、今日中に帰って来る事は難しいかもしれません。その場合、勿論部屋は別にしますが、宿に泊まる事になる可能性があります。問題は有りませんか?」
二つ目の問題を尋ねると、クレマチスは「あー」と迷った声を上げた。
列車は、汽車よりも早い、都市から一部の街にのみ通っている交通機関の一つだ。クヴェルまでは、これに乗れば簡単にたどり着く事が出来る。ただし、料金はそのスピードと比例しており、汽車とは比べ物にならない。
尤も、業務中であれば、列車の料金も全て管理局持ちになっているのだが。
「問題はあるけれど、そこは君を信用しよう」
「それと、外泊になった場合の料金は……」
「支払う支払う! 大丈夫だから!」
ついでとばかりに、二つ目、三つ目の問題をクリア。
「フィラは昔から、こうなったらきかないんだ。だから、お願いするよ」
「分かりました。では、ネモフィラさん。行きましょうか」
「ええ、直ぐに!」
ネモフィラはコクリと大きく頷いた。
「では、クレマチス様。失礼します」
「ああ、よろしく頼むよ」
ジギタリスは深々と一礼する。
「行ってきますわ、クレス!」
「……ほどほどにな」
次に、元気よくネモフィラは手をあげた。
クレマチスはネモフィラの肩から手を離し、解放された彼女と、任務を仰せつかったジギタリスは執務室を後にする。
「ジギタリスさん……いえ、ジス先輩」
「何ですか?」
二人は、駅へと向かう為に局内を早足で歩いた。
「ごめんなさい。わたくし、本当に自分勝手でしたわ」
「……いえ」
途中で謝ったネモフィラに、ジギタリスは少なからず驚いた。
「わたくし、もう遅いかもしれませんけれど、ちゃんと頑張りますわ。今までの事、迷惑をかけた方全員に謝ります」
「その方がいいでしょう」
自分の事はともかく、他の人に対する態度は問題だった。これは消しようが無い事実だ。
謝ったからと言って許される保証はどこにもないが、謝らないよりはずっとマシである。
「それと、わたくしはまた可笑しな事を言ってしまうかもしれません」
今までの発言が可笑しかったのだと自覚出来たのなら、今はそれでいい。これがジギタリスの考えだった。
「けれど、わたくしが間違った時は、また叱って下さいませんか?」
「はい。構いません」
「ありがとうございます、ジス先輩」
ジギタリスはほんの僅かに驚いた顔をして、彼女の顔を見る。彼女は前だけを、真っ直ぐに見ていた。
「いえ……部下の教育は上司の務めですから。フィラさん」
小さな声で一言だけ返し、歩調を早める。
そうして、二人は夜の駅へと向かったのだった。
***
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