本條玲子とその彼氏

ミダ ワタル

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17.妹二人

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「本ッ当ッ、信じられない! 信じられないっ!」
 朝食兼昼食に添えられたバターロールの中心に入れた切れ込みに、卵を刻んだディップをこれでもかと詰めながら、俺と同じく生まれつき波打つ肩下に届く髪を何本ものヘアピンを駆使して複雑な形状にまとめ上げている三つ年下の妹が俺を詰る。
 休日に妹と朝食を食べるなど久しぶりだ。彼女は休日は起きるのが遅く食事の時間がずれる。
「本当っ、あり得ない! お兄ちゃんも詩織ちゃんも! もう子供じゃないんだよ!」
 母屋のダイニングルームにいる人物三人の中で、年齢的に最も子供な妹の剣幕は一向に衰えない。
「寝てたら来たんだから仕方ない」
 ちらりと隣の席をみれば、まだ半分寝ぼけ眼の詩織が欠伸を手で覆い隠しながらぼんやりしていた。
 そういえば、詩織は寝起きが悪かった。 
 着替えるために部屋から追い出した詩織はそのまま母屋へ先に行った。
 俺がダイニングルームに顔を出した時には、おそらく妹に借りたのか、もしかすると着させられたのかもしれない、見覚えのあるカーディガンを薄着に羽織った姿で先に座っていた。
「あのね、お兄ちゃん!」
「なに?」
 それにしても詩織とは対照的に妹は朝から……いやもう昼に近いか、元気である。
 お気に入りらしき卵色のワンピースを着ているから、食事の後、何処かに出掛けるらしい。
 よく見れば、ほんのりとだが化粧もしている。眉を少し描いて、白粉を軽く叩いた程度だが。
 中学二年生というのにませた妹だ。まあ、背伸びしたい年頃なのかもしれない。
「お兄ちゃんがタラシで、最低最悪女の子の敵なのは知ってるけど! 身内に手を出すとかどんだけ飢えてるわけ!?」
「……出してない」
「洋ちゃん、手を出してくれないもん」
 ふああ……と、また欠伸を手で押さえながら「たまご」と、もごもごと呟く詩織の言葉に、黙って取り分け用ではなく、自分に用意されていたティースプーンを取り上げると、ディップの皿から卵を掬い、詩織の口元に運んでやる。
 雛が親鳥から餌を貰うようにして詩織は卵を食べ、もっとと言うように口元を軽く開けた。
 ガンッと正面で乱暴な音がして、そちらへ視線を移せば、牛乳多めのカフェオレの入ったマグカップをテーブルに置いた妹がこちらを睨みつけている。
「ご飯くらい、自分で食べなさいっ!!」
「お母さんみたい」
「当たり前っ!! もう~、お兄ちゃんも詩織ちゃんを甘やかさない!」
「そんなつもりないけど」
 テーブルに着いてからずっとぼんやりただ目の前に用意された食事を眺めているだけなので、これではいつまでたっても片付かない。
 テーブルの中央に卵の入ったガラスボウル、バターロールとバゲットを薄く切ったものが入った籠、サラダの入った白い深鉢。保温されたステンレスのコーヒーポットと紅茶の入った白いティーポット、牛乳入りのガラスピッチャー、ドレッシングの入ったガラス容器。
 そして各々に白い取り皿が二枚と、マグカップとティーカップ、スプーンが二本とフォークが一本、苺ジャムとマーマレードとバターの小皿が三つ。
 妹の茜がサラダを食べ、二個目のロールパンを手にする間に、俺はバゲット二枚に卵とサラダを挟み、紅茶と共に至極合理的に朝食を済ませていた。その間ずっと詩織は椅子に腰掛けているだけだった。
「……パン」
 小さな呟きに、バターロールを取って苺ジャムとバターを塗ったものを詩織の両手に渡してやると、詩織は大人しくそれを持ち上げてもぐもぐと口元を動かし始めた。まるでリスかハムスターのようだ。食べているうちに目が覚めるだろうと考え、食事の補助は止めることにした。
 それにしても毎朝こうなら、音楽事務所ではなく中道の家に雇われているらしい彼女の世話をする付き人兼マネージャーは大変だ。一度、挨拶したことのある三十代前半くらいの有能そうな女性は三橋家が詩織を預かっている間は休暇で、今頃は少女の我儘に付き合うことのない開放感を満喫していることだろう。
「お兄ちゃんっ!!」
「この様子じゃ、朝食を食べるだけで日が暮れる」 
「大体、起きて来ないって時点で、また女の子連れ込んでるって思ったのー」
 詩織について俺の言葉に同意したらしい、ぶすっと不機嫌に頬を膨らませて卵を挟んだバターロールを頬張って飲み込むと、茜は文句の矛先を変えた。
 佐竹が泊まっているところを見られたことはないのだが、知っていたのかと思った。
 まあ、客間の準備は長くいる内弟子に頼んでいたし、何度か出入りしてればわかるか。
「語尾を伸ばして話すの、止した方がいい」
「ふん、お兄ちゃん、不潔っ!」
「多感な中学生の潔癖さは凄まじいな」
 空になった自分のティーカップに紅茶を注ぎ、ついでに詩織のにも入れてやりながら嘆息する。
 そういう言葉は普通、父親に向けられるものなのではないだろうか……五歳で父親を失くしたからか茜はファザコン傾向らしく義理の父である叔父にはべったりで、話によく聞く思春期もしくは反抗期に入った娘の父親への攻撃性は殆どすべて俺に向けられていた。
「だって、起こしにいったら上半身裸とかあり得ないしっ。詩織ちゃんと抱き合ってるし、おとーさんが聞いたら泣くよぉ。茜も反応に困るっ!!」
「寝てる間のことまで責められてもな……」
 詩織が擦り寄ってもともと肌蹴けかけていた寝巻きは、起きたら背の半ばまで脱げ落ちていた。
 肌寒さから抱えたのか、単に隣にいるから抱えたのか、安眠している詩織を抱き枕のように抱えていた。
「お兄ちゃん、最低っ」
「うるさい。出掛けるのか?」
「友達と映画。お兄ちゃんはどうせお稽古でしょ? 帰りに何か買ってきてあげてもいいよ」
 箏に触ったことがあるかどうかも怪しい妹はごく一般的な中学生として、部活や遊びと日々を謳歌している。休日は友達の家なりどこかへと出掛けていて殆ど家にいない。
「そうだな“赤木堂”のマカロン二袋」
「お菓子なら、お父さんが貰ってきたのがたくさんあるじゃない」
「和菓子は飽きた」
「和菓子? 桜餅?!」
 ガタッと椅子が動く音がして、俺を斜に見ていた茜が首を動かして詩織の方を向いた。
「あ、詩織ちゃん、起きた」
「桜餅食べたい!! 飛行機からずっと思ってたの!」
「詩織ちゃん、桜餅はないよ」
 唐突になにか欲しがったりする詩織の性格は茜もよく知っている。
 昔は、ぬいぐるみなどを巡ってこの二人の少女は壮絶な争いを展開したりもしていた。
「なんでよ、日本の春っていったら桜餅でしょ?!」
「もうお花見の時期も過ぎちゃってるよ……てか、相変わらずだねー。詩織ちゃん」
「洋ちゃん、買ってきてっ!!」
「お兄ちゃんはお稽古だよ」
 面倒になったのは俺の何気ない一言のせいだと言わんばかりのじっとりとした目を向けて、淡々と茜が詩織をいなす。奏者であるが故に稽古という言葉に詩織は弱い。
「ん~っ、じゃあ茜ちゃんでもいいから買ってきてよ」
 詩織の言葉に茜があからさまにむっと表情を変える。
 そもそも、詩織の要求は今すぐにというのが前提になっている。
「今すぐとか無理だし! 大体、人にものを頼む言い方じゃないし! 自分で買いに行きなよ、道わかるでしょ?」
 二つも年下の茜に諭されて、詩織はぐっと唇を引き結んで眉を険しく吊り上げた。
 次の言葉は容易に想像がつく。
「茜ちゃん、年下のくせに生意気っ!!」
「超わがままな、詩織ちゃんの方が子供だよっ!!」
「なんでわたしが我儘なのよ? 大体、外国から帰ってきたお姉ちゃんの欲しがるものとか考えないわけ?」
「考えない! 詩織ちゃん居候なんだからちょっとは遠慮しなよ」
「ふん、ここはパパの家だもの。詩織の家も同然! ねー、洋ちゃんっ!」 
「お兄ちゃんっ?!」
 どっちの味方かと実と義理の妹から睨みつけられて、うんざりした気分で溜息を吐いた。
 そういえばこの二人は仲もいいが喧嘩も激しい。しかも実に下らないことで喧嘩をする。
「要するに桜餅が食べられれば、詩織の気は済むのか?」
「お兄ちゃんっ!!」
「詩織に付き合ってたら、茜も映画に行けなくなる」
「……そうだけどぉ」
「語尾伸ばすの止めたら?」
「詩織!」
 高飛車で棘のある詩織の口調に、茜がぎっと詩織を睨むのを見て詩織を咎めた。
「洋ちゃんもさっき注意したじゃない。なによ、茜ちゃんの味方?」
「どっちの味方でもない。朝食の後、一浚えしてからなら買いに行ける」
「じゃあ、わたしも一緒に行く。待たせる罰でデート!」
 ころりと掌を返すように機嫌を直して俺の腕にじゃれついた詩織に、もはや怒りを通り越して呆れたという風で茜が溜息を吐く。そうして、残っていたパンを食べ終えカフェオレを飲み干すと立ち上がった。
「付き合いきれない……茜、出掛けてくる」
「ああ」
「お兄ちゃん、詩織ちゃん甘やかし過ぎ。ま、仕方ないけど」
 叔父の俺への執着を知っている茜は、もう一度溜息を吐いて肩を落とした。
「ほどほどにしないとだめだよ。もー、芸術家って本当、わけわかんない」
 芸術家ではないんだが……茜は一門の奏者を俺や叔父も含めてそんな大雑把なイメージで一括りにして捉えていた。
 とうに朝食を済ませていた俺は廊下の掃除をしていた内弟子の一人を呼んで、詩織の朝食の世話を頼み、急かされる様な気分で離れに戻ると、ごくごく事務的に日課の分だけ箏を弾き、財布を取って母屋に戻ればすっかり身支度を整えた詩織が居間で俺を待ち構えていた。
 結局、その日は、和菓子屋で桜餅を食べた後、子供の頃によく出掛けた近所を詩織に連れまわされた。
 夜は夜で、母屋に用意された客間を嫌がった詩織を宥め、困り果てた母親と駄々をこねる詩織のために妥協案として離れの客間を提供することにし、昼間の内に家に届けられていた詩織の荷物を再びまとめて運ぶのを手伝った。
 詩織が一緒に寝ようとするのは断った。安眠妨害までされてはたまらない。
 普段と違う休日の生活にすっかり疲労した俺は、午前中に日課を済ませておいた自分の判断の正しさを思いながら、落ち着いたところで茜に買ってきてもらった菓子を持って自室に入り、その晩は早めに寝床についた。
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