第四王女と手負いの騎士

ミダ ワタル

文字の大きさ
1 / 6
隠遁生活編

第1話 行き倒れと第四王女

しおりを挟む
 土と火煙と血肉の匂いが充満する、雨のように矢が降る剣と槍の刃の林の中を一体どうやって抜けてきたのか記憶がない。

 甲冑を着けているからといって近距離からくる矢や刃を防ぎ切れたものではなく、とにかく夢中で剣を振るい、重くふらつく体で走っていた。
 足を止めれば死が待っている。
 帝国に無理矢理属国にさせられている小国の騎士の役目など、前線で先陣切るか撤退の殿を務めるかどちらにしても貧乏くじな役目しかなかったが、攻め込んで敗れ撤退したところを挟み撃ちにされてはもはやそんなことも関係なかった。
 さすがは古くから栄えるアウローラ王国の守りは堅い。
 兵もよく訓練されている。
 帝国など、数は多くても所詮は寄せ集めの輩にしか過ぎない。
 何故、王国に助けを求めず早々と帝国に与してしまったのかなどと嘆いても仕方がない、国を守り切れなかった我々のせいでもある、伝達と物資の道を押さえられ四方を固めて兵の数で脅されれば、力の弱い小国は頷くほかなかった。

 散り散りになり、部下の姿も見えない。
 無数の矢が突き刺さり、胴や肩も軽く切りつけられ、一足ごとに血が流れ落ち失われていくのがわかる。
 視界が歪む……手足に力が入らない、息が苦しい……これは毒か? 
 俺は……死ぬのか?  
 黒の森と呼ばれているこんな薄暗い国境の森の中で、国にも、死んでいった者達になに一つ報いることもできずに……。

 ――ふむ、矢毒か。どうやら目蓋まぶたも四肢も完全に麻痺しているようだな。
 
 女の、声……?

 ――このままでは呼吸も時間の問題だ。まったく、行き倒れるならもう少し場所を選んでほしいものだ。

 かすむ視界に真っ直ぐな黒髪の影が揺れたのがぼんやりと滲んで見えた。
 どこかへ消えたと思ったら、またすぐ今度は人影となって現れる。
 視界はもう殆ど役に立たず顔は見えないが、女というよりはまだ少女のような……。
 身をかがめてこちらを覗き込んでいる気配だけを感じる。

「お、まえ……」
「おや、まだ話せるとはなかなかしぶとい。ならひとまずこれを食べろ」  

 口に豆のようなものを強引に押し込まれ、飲み込んでしまった。
 にんまりとあまり善人ではなさそうなつり上がった赤い口元が最後に見えて、ああ……そうだここはまだ王国領だと思い出した。
 女にとっては、きっと俺はただの侵略者のはず……そこで意識は途切れた。

 *****

 シャラン、シャラン――鈴や弦ではない、聞いたことのないかそけき音に目が覚めた。
 ほのかに甘い、花や草の香りがして、薄目を開けば白っぽい光の中にキラキラ虹色にきらめく拳ほどの光の塊がいくつも見える。
 音に混じって微かな声の唄が聞こえる……。
 美しい声のなんとなく懐かしいようなゆったりとした旋律だった。
 身に着けていたはずの甲冑は消え、布に巻かれて白い雲のようなふかふかしたものの上に横たわっているようだった。

 ここは、天の国か――?

 すでに何人も殺している自分は罪人が堕ちる地の国に行くとばかり思っていたが、それともこれから女神による裁きを受けるのだろうか……俺の頭のすぐそばの椅子に斜めに腰掛け、小さな机に頬杖をついている長い、黒髪の……。
 黒髪――?!

「――……ぇ……」

 お前、と言ったつもりだったが喉が干からびたように声が掠れて出なかった。
 目覚めているはずなのに、まだ眠気がひどく残っているように重いまぶたを無理矢理もう少しだけ押し開くと、簡素な白壁に囲まれた部屋だった。
 光の塊は天井からいくつもぶら下がっている透明な石が、寝ている頭の向こうに大きく開いた窓から降り注ぐ明るい陽の光を集めて乱反射している光だった。
 足元へと目線を動かせば、他の部屋に続く出入口に白く透ける薄布を二重にかけられ区切られているのが見えた。
 清浄な、薬草の匂いがする
 ここは……療養所か……?
 
「丸三日眠っていた。時々、水を含んだ綿で湿らせてはやっていたが、それだけでは乾いているだろうな。まあでも起きたのなら自力で飲めるだろ。動かずそのままでいろ、まだ痺れはひどいはずだ」

 一方的な言葉と、水差しから杯に水を注いだ音がしたかと思えば、椅子に腰掛けていた黒髪の女が杯を手に立ち上がり近づいてきた。
 そのやけに堂々とした声音や妙な説得力のある話し方とは不釣り合いに、やはりまだ少女といっても差し支えがないくらい、小柄で華奢な若い女だった。
 艶のある黒髪が寝ている俺の顔のすぐ横に垂れ下がり、頰に触れるほど近づいて、女は手元の杯を自らの口元へ運ぶと、俺の顔に身を伏せた。

「な……っ……」

 ふっくらとした甘やかな唇が、乾ききって荒れた俺のそれに重なり、よく冷えた水が口の中に流れ込む。
 驚きの方が勝ってしまい、上手く飲み込みこめずに気管に入り、まるで病床に臥せている老人のような掠れた咳で悶えるようにむせた。

「うん、咳ができるならひとまず安心だな。呼吸が止まるような危険はない。じきに食事も取れるようになる」

 そういって、また唇が降りてくる。

「ん……っ」

 口元を合わせていることよりも、流れ込んでくる水分を求めてまるで乳飲み子が求めるように女の唇を貪った。
 若い娘のはずなのにまったくの医療行為のつもりなのか、顔色ひとつ変えずに親鳥が雛に餌を運ぶように女は杯に注いだ水がなくなるまで同じように運び続け、はあ……っと息を吐いた。
 普通の状態なら妙な気分にもなってきそうなものだが、それどころではなく、とにかく全身がまるで鉛のように重く怠い。
 胴体などは身じろぎできる程度にかろうじて動くようだったが、手足や肩などは力をいれようとしても入らずほとんどまともに動かせない。

「……っ」 

 不意にちりっとした痛みを左の二の腕に覚え、狭い視界を懸命に動かして掛け布の隙間から覗いてみれば、受けた覚えの無い刺し傷が無数にあった。

「ああ、それか? 矢毒の解毒剤を塗った針を刺した跡だ。薬にしたのを飲ませようとしてもとにかにく眠り放しでどうにもできなかったから仕方なく」
「……矢毒」
「あの矢毒は運動神経、とりわけ神経と筋の接合部に作用する。手足や肩、目蓋といった早く動くような場所から麻痺が効いて、やがて体の内側、呼吸するために胸を動かしている筋肉も麻痺させ完全に止めてしまう。まさに息の根を止めるといった代物だ」

 女の話では、女が俺を見つけた時にはすでに全身に毒が回って呼吸も浅く意識も半ば失いかけていたらしい。手遅れかと思ったが言葉を発したので、ひとまず意識があるうちの応急処置で解毒薬の材料となる豆を食わせたらしい。

「なにせ解毒薬の形では手元に置いていなかったからな。普通はあんな状態では食べさせたところで助かる見込みは薄いのに、よほど丈夫か、運がいい男だ」
「お前……医者か?」

 尋ねれば、ふっと鼻先であしらわれたのに思わずむっとして、どうやら助けられたらしい恩も忘れその顔を睨みつけてしまった。
 変わった娘だ。
 少なく見積もっても俺よりは十は若いだろうに、これでも騎士団の長として兵を指揮し数々の修羅場を切り抜けてきた、顔立ちも厳つい三十男である俺に睨まれても怯えるどころか涼しい顔でこちらを見下ろしている。
 真珠のような肌に、髪と同じ吸い込まれそうな黒い瞳、小柄で、ゆったりとした袖も裾も長い簡素な衣服に身を包んでいるその肩は細い。
 顔も、目鼻立ちが小さく整っていて、全体的に見てむしろ可愛らしい印象を受けるはずなのに、あまりに冷静かつ高慢にすら感じられるような眼差しと、その偉そうな物言いや鷹揚で何事にも動じなさそうな佇まいに、そんな印象はまったく打ち消されていた。

「まあ、もう少し眠るといい。急所こそ外れていたものの脇腹や肩に受けた傷も浅いとは言えないし、残念ながらまだ飯も食えるような状態ではないしな」 

 言いながら、また水差しから杯に水を入れて今度はなにか黒い小さな実を一粒落とした。

「おい、それはなん……っ」 

 問いかけたのは間違いだった、口を開いたところを狙ったように塞がれる。
 小さな舌が器用に動いて俺の口の中に粒を運び、俺の舌の上で軽く潰す。
 それを水と一緒に飲み込んでしまった。
 一瞬のことで、すぐに離れた女が自分の舌についた汁を杯に吐き出す気配を感じる間もなく、急激に抗いがたい睡魔に襲われる。 

「次に起きた頃には、もう少しはましになっているさ。私はティア・アウローラ・クアルタ。王国の四番目の娘だ」

 王国の……第四王女……。
 人嫌いで、表には出ず、何千何万冊もの王宮所蔵の本を読み耽っているという変わり者と噂の――?

「……――♪」

 唄が聞こえる……。
 ああ、そうだこれは子守唄だ……そうだ……俺はどこかで……。

 そこまでだった。
 倒れた時と同じように、俺はまた暗闇へと意識を手放していた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

ふしあわせに、殿下

古酒らずり
恋愛
帝国に祖国を滅ぼされた王女アウローラには、恋人以上で夫未満の不埒な相手がいる。 最強騎士にして魔性の美丈夫である、帝国皇子ヴァルフリード。 どう考えても女泣かせの男は、なぜかアウローラを強く正妻に迎えたがっている。だが、将来の皇太子妃なんて迷惑である。 そんな折、帝国から奇妙な挑戦状が届く。 ──推理ゲームに勝てば、滅ぼされた祖国が返還される。 ついでに、ヴァルフリード皇子を皇太子の座から引きずり下ろせるらしい。皇太子妃をやめるなら、まず皇太子からやめさせる、ということだろうか? ならば話は簡単。 くたばれ皇子。ゲームに勝利いたしましょう。 ※カクヨムにも掲載しています。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

処理中です...