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東都編
第36話 案内される騎士と病床の王
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教会書庫と使い、司書が寝起きする部屋というのは本当らしい。
簡素なテーブルに椅子が二脚、写本や絵巻物、粘土版の写しらしきものが積んであった。紙やペンもある。
そしてヒューペリオの紋章が刺繍された絹織の軍衣とマントを揃える騎士長としての俺の服が一式。
「律儀に戻る家出小僧、か」
服を手に取り、俺の生存は絶望的と聞いてよくぞまあ確信を持ってこんな部屋を準備し、嘘の情報を流していたものだ。本当に死んでいたり、戻らなかったらどうするつもりだったのだろう。
手に取った服をテーブルに下ろし、部屋の床に置かれている湯と盥へと視線を落とす。
親切にも切り分けた石鹸に剃刀まで添えてある。
至れり尽くせりだなと思いながら塗られた油や灰を落として全身洗い流し拭き浄め、顔を整え、用意されていた服を纏えば、ヒューペリオ家次男の公国騎士長の出来上がりであった。
しばらくして湯を下げにきた修道士見習いの少年が俺を見るなり目を丸く見開いてそそくさと部屋から出ていったのに苦笑する。
「そんなに違うか?」
湯を持ってきた時も下げに来た時も一言も発しなかった。
口がきけない者を選んだのかもしれない。それくらいの用心はあの人ならするだろう。
口減らしのために不具の者が修道士見習に出されるのは珍しいことではない。
健康なら騎士団に出される。
「そういえば、あいつもなにか変な顔していたな」
王国の、王宮へ出向く時に顔を顰めたティアを思い出す。
あの時はなんだか機嫌が悪くて、そのくせ寝ぼけて懐いてくるし、俺のせいで寂しいを知ったなどと言って……まだ最近のことなのに随分遠い出来事に思えた。
「寂しい、か」
いつの間にかあの雛のように柔らかで華奢な体を引き寄せて触れるのが当たり前になっていた。
いまはいない。
おそらく近いうちに引き寄せることにはなるだろうが、その時、俺は平静でいられるだろうか。
「自信がないな……」
「なんの自信だ?」
耳を打った声に、普通入る前に知らせないかと言えばここは司書部屋だと返された。
彼等を統べる司教がいちいち断って入る部屋ではないということらしい。
離宮は主なる棟から二本突き出る形の棟で出来ていた。
主なる棟は離宮と呼ばれる通り、一族が使うもの。
突き出た棟の一つは暁光宮と呼ばれる議会のための棟、もう一つの棟は賓客を招くだとかいった以外にこれと活用されていなかった。
つまりは持て余していたのだがいつの間にか教会が使用権を握ったらしい。
「まったく家出小僧の癖に、見た目だけは先王に似て無駄な風格を持ち合わせおって」
「体格だろ」
「それもある……」
かたん、と音を立ててテーブルの椅子を引き、立っている俺の前に司教のグリエルモは腰掛けた。
「お前は重傷で帰還し、教会の療養所で集中治療を受けていることになっている。いないとは誰にも知らせていない」
「よくそれで皆が納得したな」
「納得しているかしらんが、薬草院も宮廷医も教会に属するものだ理屈は通る」
軍人であった頃は力で捩じ伏せる猛者であったらしい。
かつて王国の軍神と斬り結んだ後、軍人稼業に嫌気がさしたと聖職者に転身し、武から学の者になったが転身しても力技を使う性質は変わらないようだ。
教会は、誕生の祝福や冠婚葬祭、公国で行われる祭事を司るが、彼等の役割はそれよりも知の管理である。知識は、先住の民が残した古跡の壁や粘土板、紙に記された記録、あるいは口伝えに伝わっているものなど様々あるが、それらを収集所有し、読み解き、研究し、保存と管理を行う。
公国において知識とは権益とほぼ同義だ。
高度な学問や専門知識に触れられるのは、王侯貴族とその師弟にほぼ限られる。
高位の修道士や役人や武官の殆どを彼等が占めている。
そもそも働かないで学問できるなんて身分が限られていた。
王国のように、商人の息子が宰相になったり、腕っぷしだけで騎士団の頂点に軍神として君臨するなどといったことは公国においてはありえない。
俺だってヒューペリオの一族に生まれていなければ、字も読めないただの乱暴者だろう。
平民階級で、字の読み書きがまともに出来るとしたら、それは商人か都市部の使用人を雇える中流以上の家の者だ。
「緩衝地帯はそこそこ探した、どこにいた?」
「……」
どこまで話たものか。
とはいえ塔については話さねばならないだろう。
ティアだって、いつまでもあそこに暮し続けられるとは思ってはいないはずだ。
「王国に」
「それはわかっている」
「国境の戦さ場から近い、森を抜けて……距離があるのはわかるがどうやって抜けたかなんて覚えていない。報告通りに生存は絶望的な瀕死の状態だった」
「ふむ」
「そこで王国の女に助けられ、回復するまで面倒をかけた」
ふん、無粋な無骨者にしては上出来なと鼻を鳴らして司教は立ち上がると、ついて来いといった。
「そんな、これ以上は手の内を明かすまで話さんぞといった顔をせずとも会わせる気でいた」
「は?」
「王だ。言ったはずだ状況が変わったと」
そう言って、唐突に膝を曲げて司教は俺に跪いた。
「フューペリオ公爵家に安寧を。我が忠誠は二人の王子にある、フェリオス殿下」
「……気色悪いな」
「そう仰いますな。いま公国は家出小僧だけが頼りだ」
ああ、こういった食えないオヤジだったなそういや。
文武に渡る俺たち兄弟の家庭教師。
俺に剣術と戦術を教えた男。
「兄より王となる才に恵まれながら、王となるのにまったく適さない性質をお持ちの弟だからこそ、な」
「悪かったな」
「別に悪いとは言っていない、むしろ下手に野心などあれば災いの元だ」
ヒューペリオの屋敷にも隠し通路というものはある。
主に脱出用の、知る者は限られる。
「大伯父はどうしてる?」
「変わらずだ、あの御方は現世など見てはいない」
「そうか」
俺が生まれる前から酒に溺れている、素行の悪さで王になれなかった先々代の王の兄。
幼い頃から酔ってなにかだらしなく長椅子に寄りかかって大声で喚いているか、うつらうつらとしてなにか呻っているか。
ただただ少しでも早く死に近くよう願っているとしか思えない。
高齢だが、頑健な身体が彼の願いを邪魔していた。
「王に万一があれば幼い世継ぎが次代の王だが、その側で支えになるととても思えない」
「だが継承位は俺より上だ」
「体面を尊重したまでのことだ。画策している者もいるが」
「画策?」
「議会が一枚岩ではないことは知っていよう」
割れているということか。
しかし司教の力が削がれているようには思えない。
とはいえヒューペリオに仇なすとも思えない人ではあるが。
王の居室に近い出口から廊下に出れば人の気配がしない。
どういうことだと、司教を見れば最低限の者のみにしてあると答えた。
「衛兵は?」
「王の部屋を廊下の突き当たりの部屋に移した。一方通行の廊下の入口に配置している」
「貴方の私兵をか?」
「そうだ。お前がいないとあっては騎士団は信用ならない。人の出入りを絞る必要がある」
「悪いのか? 何故?」
帝国を引き入れたのが兄上であるのなら、最初に弱ったのは少なくとも狂言であるはずだ。
兄と司教とで共謀した。
この二人は折り合いが悪いと思われている。
最初からなにかしら取り決めを交わした上で、俺を遠地へ追いやり兄が弱ったところで帝国が攻め込む。
公国は王の判断だけで国は動かせない。議会は概ね王の判断に横槍を入れる。
その応酬には時間がかかる、無血占領させるには俺が戻るより早く決めてしまわなければならない……。
「兄上が病床で俺を呼び戻し徹底抗戦、そして貴方が議会を動かし決めさせる」
「ふん……」
「大半の有力者達は自分に不利益にならなければきっと強い反発はない。戦になれば彼等は色々と差し出さなければならなくなると考えるだろうし、ひょっとするとこの機に乗じてということもあり得る」
いっそ荒れ狂ってくれたら一掃も出来て都合がいい、か。
いつかの兄の言葉を思い出し、ため息吐きながら後頭部を掻きむしった。
無茶苦茶だ、兄らしくもない。
「宮廷医の見立ては?」
俺の質問に、司教は首を横に振った。
不明ということか。
部屋を変えたらしい言葉通りに、王の居室を過ぎてすぐ分かれる廊下の分岐点に衛兵が四人。
司教の姿に姿勢を正し、その後、俺に気がついて息を飲む者、瞠目する者、声を上げかけ司教の挙げた手に口元を塞ぐ者、努めて平静を保とうとし頭を下げた者。
ここまで人目を避けてきたが修道騎士兵は司教の私兵だ、見られて問題ないのだろう。
「王、失礼します」
重体であるならその断りは無駄な気もするが、形式的に声をかけて司教は突き当たりの部屋の扉を押しひらく。それほど広い部屋ではない。窓も少なく、小さい。
部屋の四隅に設えられた燭台に火は灯っていたが、薄暗い。
薬草と、病人特有の匂いがした。
宮廷医と衛兵が一人ずつ部屋の隅に置物みたいに控えている。
中央に置かれた天蓋付きの箱型寝台だけが豪奢なのが滑稽なほど、陰鬱で空気の淀んだ室内だった。
瀕死で行き倒れた俺が、目覚めて寝かされていた明るく清浄なあの塔の病室とはまるで正反対。
兄は虚弱だが、かつては王太子でいまは王だ。
広い寝室に臥せっているのが常であまり気にしたことはなかったが、病人のいる部屋というものはそもそもはこういったものだったと俺は思い出した。
さっきの廊下と似たり寄ったりな反応を見せる控えている者達に肩をすくめ、司教が寝台に近づく後ろにつく。
天蓋の布をわずかに手で避けた司教の先に、蒼白な顔で力なく臥せっている兄の姿があった。
「吐き気や腹痛頭痛を訴えられ、手の先に力が入らない」
「治療は?」
「瀉血や症状に対応する薬も処方しているが一向に……むしろ悪くなっているようにも」
「食事は?」
あまりと深い息を吐き出した司教に、殆どとれていないのかと思った。
俺が最後に見た時よりもやつれ、格段に体力が落ちているのは明らかだった。
「とにかくこのままではまずい」
兄の様子を見せて、またすぐ離宮の俺にあてがった司書部屋へと戻って司教はテーブルに両肘をついて手を組み合わせたそこに額を伏せる。
俺は立ったまま部屋の柱にもたれて、彼の姿を眺めていた。
この人の、こんな疲れた様子を見るのは多分初めてのことだ。
単独で周囲を誤魔化すのも色々限界にきているのだろう。
狭い部屋とはいえ、テーブルには椅子が二つ置いてはあるがあまり座って落ち着く気分にもなれなかった。
とにかく情報が足りない。
「このままでは本当に公国は……王は……」
「毒の疑いは?」
「有り得ん。口に入るものは全て確認し、作る段階から決まった者にしか触れさせず見張りもつけている」
「薬も?」
「口に入るものは全てと言ったであろう。出回っているようなものも使ってはいない」
「そうか……」
だが、あの弱り方は明らかにおかしい。
有り得ないことが起きているということは、なにかどこかで見落としがあるはずだ。
「念のためだが、司教が配置した者がということは?」
「いくらなんでも全員はあるまい。相互に監視させている」
「性格の悪い司教らしいな」
言えばようやくふっと自嘲するような笑みが漏れて、彼は顔を上げ、不穏そのものな状態にあの兄の様子を見せられて、お前は相変わらず呑気者だと皮肉気な言葉を返された。
「事情がわかっていないのだから望み通りに緊迫してみせろと言われても無理だ」
全部話せ、グリエルモ。
俺にとっては師で、かつ反目してまともに顔も合わせない父親の代わりのような人だったのだが。
まさか、この人にこういった形で公爵家の人間として命じる日が来ようとは。
「そして俺は回復したとして騎士団に戻せ」
「んぅ?」
「亡き父上や議会が警戒していた通りになってやる」
「……議会はいま危うい。内乱にでもなれば帝国まで手が回らなくなる」
「いや、司教も割れている側も当面俺の言うことは無視できないはずだ。それに兄上を診れるだろう心当たりがある」
「お前を助けた王国の女とやらか?」
確かに王国の医術は優れている。生存は絶望的な通りに瀕死だったというお前がいまそうしているのなら相当の者であるのだろうとは思うが。
そう困惑を見せた司教に、相当の者? と俺は彼をあしらった。
「フェリオス……?」
「ああ、たしかに相当の者だ。王国の第四王女なのだから」
声にならない声が司教の口から漏れて、俺は目を細める。
「まさか。第四王女といえば王宮の奥に篭り滅多に人前にも現れないと聞く」
「表向きそうらしいな。実際は王宮とは距離を置いて古い廃墟を利用した場所に隠れ住み、王国の医術研究と技術開発を担っている」
「何故」
さあ、詳しことは聞いてない。
怪しまれてもだからなと、俺は適当に司教の追求を流した。
「俺は身一つのひどい状態で倒れ込み、向こうは俺をただ一介の瀕死の兵として助け、ずっとそこにいた」
いままさに攻め入ろうとしている王国の第四王女。
誰も文句は言わない、言えないはずだ。
「家出小僧にしてはいい手土産だろ、司教?」
司教が考えあぐねるように目線を俺から横に流したのを見て、できる限り感情を抑えた声でそう言い重ねれば、司教が睨むように俺を仰ぐ。
情報が足りない。
司教だけでなく、他の議会からも騎士団からも話を聞き出すことが最優先。
こんな離宮の司書部屋に軟禁されては話にならない。
「俺を騎士団に戻せ、司教。公国に都合のいい王国の王族を一人、犠牲を出さずに議会に連れてきてやる」
――お前の国はどんなところなんだろうな?
――お前の国どころか他の街すらどんなか知らない。
ティアの言葉が脳裏をよぎって、あまり楽しそうな場所は見せてやれなさそうだと俺は胸の内で呟いた。
簡素なテーブルに椅子が二脚、写本や絵巻物、粘土版の写しらしきものが積んであった。紙やペンもある。
そしてヒューペリオの紋章が刺繍された絹織の軍衣とマントを揃える騎士長としての俺の服が一式。
「律儀に戻る家出小僧、か」
服を手に取り、俺の生存は絶望的と聞いてよくぞまあ確信を持ってこんな部屋を準備し、嘘の情報を流していたものだ。本当に死んでいたり、戻らなかったらどうするつもりだったのだろう。
手に取った服をテーブルに下ろし、部屋の床に置かれている湯と盥へと視線を落とす。
親切にも切り分けた石鹸に剃刀まで添えてある。
至れり尽くせりだなと思いながら塗られた油や灰を落として全身洗い流し拭き浄め、顔を整え、用意されていた服を纏えば、ヒューペリオ家次男の公国騎士長の出来上がりであった。
しばらくして湯を下げにきた修道士見習いの少年が俺を見るなり目を丸く見開いてそそくさと部屋から出ていったのに苦笑する。
「そんなに違うか?」
湯を持ってきた時も下げに来た時も一言も発しなかった。
口がきけない者を選んだのかもしれない。それくらいの用心はあの人ならするだろう。
口減らしのために不具の者が修道士見習に出されるのは珍しいことではない。
健康なら騎士団に出される。
「そういえば、あいつもなにか変な顔していたな」
王国の、王宮へ出向く時に顔を顰めたティアを思い出す。
あの時はなんだか機嫌が悪くて、そのくせ寝ぼけて懐いてくるし、俺のせいで寂しいを知ったなどと言って……まだ最近のことなのに随分遠い出来事に思えた。
「寂しい、か」
いつの間にかあの雛のように柔らかで華奢な体を引き寄せて触れるのが当たり前になっていた。
いまはいない。
おそらく近いうちに引き寄せることにはなるだろうが、その時、俺は平静でいられるだろうか。
「自信がないな……」
「なんの自信だ?」
耳を打った声に、普通入る前に知らせないかと言えばここは司書部屋だと返された。
彼等を統べる司教がいちいち断って入る部屋ではないということらしい。
離宮は主なる棟から二本突き出る形の棟で出来ていた。
主なる棟は離宮と呼ばれる通り、一族が使うもの。
突き出た棟の一つは暁光宮と呼ばれる議会のための棟、もう一つの棟は賓客を招くだとかいった以外にこれと活用されていなかった。
つまりは持て余していたのだがいつの間にか教会が使用権を握ったらしい。
「まったく家出小僧の癖に、見た目だけは先王に似て無駄な風格を持ち合わせおって」
「体格だろ」
「それもある……」
かたん、と音を立ててテーブルの椅子を引き、立っている俺の前に司教のグリエルモは腰掛けた。
「お前は重傷で帰還し、教会の療養所で集中治療を受けていることになっている。いないとは誰にも知らせていない」
「よくそれで皆が納得したな」
「納得しているかしらんが、薬草院も宮廷医も教会に属するものだ理屈は通る」
軍人であった頃は力で捩じ伏せる猛者であったらしい。
かつて王国の軍神と斬り結んだ後、軍人稼業に嫌気がさしたと聖職者に転身し、武から学の者になったが転身しても力技を使う性質は変わらないようだ。
教会は、誕生の祝福や冠婚葬祭、公国で行われる祭事を司るが、彼等の役割はそれよりも知の管理である。知識は、先住の民が残した古跡の壁や粘土板、紙に記された記録、あるいは口伝えに伝わっているものなど様々あるが、それらを収集所有し、読み解き、研究し、保存と管理を行う。
公国において知識とは権益とほぼ同義だ。
高度な学問や専門知識に触れられるのは、王侯貴族とその師弟にほぼ限られる。
高位の修道士や役人や武官の殆どを彼等が占めている。
そもそも働かないで学問できるなんて身分が限られていた。
王国のように、商人の息子が宰相になったり、腕っぷしだけで騎士団の頂点に軍神として君臨するなどといったことは公国においてはありえない。
俺だってヒューペリオの一族に生まれていなければ、字も読めないただの乱暴者だろう。
平民階級で、字の読み書きがまともに出来るとしたら、それは商人か都市部の使用人を雇える中流以上の家の者だ。
「緩衝地帯はそこそこ探した、どこにいた?」
「……」
どこまで話たものか。
とはいえ塔については話さねばならないだろう。
ティアだって、いつまでもあそこに暮し続けられるとは思ってはいないはずだ。
「王国に」
「それはわかっている」
「国境の戦さ場から近い、森を抜けて……距離があるのはわかるがどうやって抜けたかなんて覚えていない。報告通りに生存は絶望的な瀕死の状態だった」
「ふむ」
「そこで王国の女に助けられ、回復するまで面倒をかけた」
ふん、無粋な無骨者にしては上出来なと鼻を鳴らして司教は立ち上がると、ついて来いといった。
「そんな、これ以上は手の内を明かすまで話さんぞといった顔をせずとも会わせる気でいた」
「は?」
「王だ。言ったはずだ状況が変わったと」
そう言って、唐突に膝を曲げて司教は俺に跪いた。
「フューペリオ公爵家に安寧を。我が忠誠は二人の王子にある、フェリオス殿下」
「……気色悪いな」
「そう仰いますな。いま公国は家出小僧だけが頼りだ」
ああ、こういった食えないオヤジだったなそういや。
文武に渡る俺たち兄弟の家庭教師。
俺に剣術と戦術を教えた男。
「兄より王となる才に恵まれながら、王となるのにまったく適さない性質をお持ちの弟だからこそ、な」
「悪かったな」
「別に悪いとは言っていない、むしろ下手に野心などあれば災いの元だ」
ヒューペリオの屋敷にも隠し通路というものはある。
主に脱出用の、知る者は限られる。
「大伯父はどうしてる?」
「変わらずだ、あの御方は現世など見てはいない」
「そうか」
俺が生まれる前から酒に溺れている、素行の悪さで王になれなかった先々代の王の兄。
幼い頃から酔ってなにかだらしなく長椅子に寄りかかって大声で喚いているか、うつらうつらとしてなにか呻っているか。
ただただ少しでも早く死に近くよう願っているとしか思えない。
高齢だが、頑健な身体が彼の願いを邪魔していた。
「王に万一があれば幼い世継ぎが次代の王だが、その側で支えになるととても思えない」
「だが継承位は俺より上だ」
「体面を尊重したまでのことだ。画策している者もいるが」
「画策?」
「議会が一枚岩ではないことは知っていよう」
割れているということか。
しかし司教の力が削がれているようには思えない。
とはいえヒューペリオに仇なすとも思えない人ではあるが。
王の居室に近い出口から廊下に出れば人の気配がしない。
どういうことだと、司教を見れば最低限の者のみにしてあると答えた。
「衛兵は?」
「王の部屋を廊下の突き当たりの部屋に移した。一方通行の廊下の入口に配置している」
「貴方の私兵をか?」
「そうだ。お前がいないとあっては騎士団は信用ならない。人の出入りを絞る必要がある」
「悪いのか? 何故?」
帝国を引き入れたのが兄上であるのなら、最初に弱ったのは少なくとも狂言であるはずだ。
兄と司教とで共謀した。
この二人は折り合いが悪いと思われている。
最初からなにかしら取り決めを交わした上で、俺を遠地へ追いやり兄が弱ったところで帝国が攻め込む。
公国は王の判断だけで国は動かせない。議会は概ね王の判断に横槍を入れる。
その応酬には時間がかかる、無血占領させるには俺が戻るより早く決めてしまわなければならない……。
「兄上が病床で俺を呼び戻し徹底抗戦、そして貴方が議会を動かし決めさせる」
「ふん……」
「大半の有力者達は自分に不利益にならなければきっと強い反発はない。戦になれば彼等は色々と差し出さなければならなくなると考えるだろうし、ひょっとするとこの機に乗じてということもあり得る」
いっそ荒れ狂ってくれたら一掃も出来て都合がいい、か。
いつかの兄の言葉を思い出し、ため息吐きながら後頭部を掻きむしった。
無茶苦茶だ、兄らしくもない。
「宮廷医の見立ては?」
俺の質問に、司教は首を横に振った。
不明ということか。
部屋を変えたらしい言葉通りに、王の居室を過ぎてすぐ分かれる廊下の分岐点に衛兵が四人。
司教の姿に姿勢を正し、その後、俺に気がついて息を飲む者、瞠目する者、声を上げかけ司教の挙げた手に口元を塞ぐ者、努めて平静を保とうとし頭を下げた者。
ここまで人目を避けてきたが修道騎士兵は司教の私兵だ、見られて問題ないのだろう。
「王、失礼します」
重体であるならその断りは無駄な気もするが、形式的に声をかけて司教は突き当たりの部屋の扉を押しひらく。それほど広い部屋ではない。窓も少なく、小さい。
部屋の四隅に設えられた燭台に火は灯っていたが、薄暗い。
薬草と、病人特有の匂いがした。
宮廷医と衛兵が一人ずつ部屋の隅に置物みたいに控えている。
中央に置かれた天蓋付きの箱型寝台だけが豪奢なのが滑稽なほど、陰鬱で空気の淀んだ室内だった。
瀕死で行き倒れた俺が、目覚めて寝かされていた明るく清浄なあの塔の病室とはまるで正反対。
兄は虚弱だが、かつては王太子でいまは王だ。
広い寝室に臥せっているのが常であまり気にしたことはなかったが、病人のいる部屋というものはそもそもはこういったものだったと俺は思い出した。
さっきの廊下と似たり寄ったりな反応を見せる控えている者達に肩をすくめ、司教が寝台に近づく後ろにつく。
天蓋の布をわずかに手で避けた司教の先に、蒼白な顔で力なく臥せっている兄の姿があった。
「吐き気や腹痛頭痛を訴えられ、手の先に力が入らない」
「治療は?」
「瀉血や症状に対応する薬も処方しているが一向に……むしろ悪くなっているようにも」
「食事は?」
あまりと深い息を吐き出した司教に、殆どとれていないのかと思った。
俺が最後に見た時よりもやつれ、格段に体力が落ちているのは明らかだった。
「とにかくこのままではまずい」
兄の様子を見せて、またすぐ離宮の俺にあてがった司書部屋へと戻って司教はテーブルに両肘をついて手を組み合わせたそこに額を伏せる。
俺は立ったまま部屋の柱にもたれて、彼の姿を眺めていた。
この人の、こんな疲れた様子を見るのは多分初めてのことだ。
単独で周囲を誤魔化すのも色々限界にきているのだろう。
狭い部屋とはいえ、テーブルには椅子が二つ置いてはあるがあまり座って落ち着く気分にもなれなかった。
とにかく情報が足りない。
「このままでは本当に公国は……王は……」
「毒の疑いは?」
「有り得ん。口に入るものは全て確認し、作る段階から決まった者にしか触れさせず見張りもつけている」
「薬も?」
「口に入るものは全てと言ったであろう。出回っているようなものも使ってはいない」
「そうか……」
だが、あの弱り方は明らかにおかしい。
有り得ないことが起きているということは、なにかどこかで見落としがあるはずだ。
「念のためだが、司教が配置した者がということは?」
「いくらなんでも全員はあるまい。相互に監視させている」
「性格の悪い司教らしいな」
言えばようやくふっと自嘲するような笑みが漏れて、彼は顔を上げ、不穏そのものな状態にあの兄の様子を見せられて、お前は相変わらず呑気者だと皮肉気な言葉を返された。
「事情がわかっていないのだから望み通りに緊迫してみせろと言われても無理だ」
全部話せ、グリエルモ。
俺にとっては師で、かつ反目してまともに顔も合わせない父親の代わりのような人だったのだが。
まさか、この人にこういった形で公爵家の人間として命じる日が来ようとは。
「そして俺は回復したとして騎士団に戻せ」
「んぅ?」
「亡き父上や議会が警戒していた通りになってやる」
「……議会はいま危うい。内乱にでもなれば帝国まで手が回らなくなる」
「いや、司教も割れている側も当面俺の言うことは無視できないはずだ。それに兄上を診れるだろう心当たりがある」
「お前を助けた王国の女とやらか?」
確かに王国の医術は優れている。生存は絶望的な通りに瀕死だったというお前がいまそうしているのなら相当の者であるのだろうとは思うが。
そう困惑を見せた司教に、相当の者? と俺は彼をあしらった。
「フェリオス……?」
「ああ、たしかに相当の者だ。王国の第四王女なのだから」
声にならない声が司教の口から漏れて、俺は目を細める。
「まさか。第四王女といえば王宮の奥に篭り滅多に人前にも現れないと聞く」
「表向きそうらしいな。実際は王宮とは距離を置いて古い廃墟を利用した場所に隠れ住み、王国の医術研究と技術開発を担っている」
「何故」
さあ、詳しことは聞いてない。
怪しまれてもだからなと、俺は適当に司教の追求を流した。
「俺は身一つのひどい状態で倒れ込み、向こうは俺をただ一介の瀕死の兵として助け、ずっとそこにいた」
いままさに攻め入ろうとしている王国の第四王女。
誰も文句は言わない、言えないはずだ。
「家出小僧にしてはいい手土産だろ、司教?」
司教が考えあぐねるように目線を俺から横に流したのを見て、できる限り感情を抑えた声でそう言い重ねれば、司教が睨むように俺を仰ぐ。
情報が足りない。
司教だけでなく、他の議会からも騎士団からも話を聞き出すことが最優先。
こんな離宮の司書部屋に軟禁されては話にならない。
「俺を騎士団に戻せ、司教。公国に都合のいい王国の王族を一人、犠牲を出さずに議会に連れてきてやる」
――お前の国はどんなところなんだろうな?
――お前の国どころか他の街すらどんなか知らない。
ティアの言葉が脳裏をよぎって、あまり楽しそうな場所は見せてやれなさそうだと俺は胸の内で呟いた。
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