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番外編

或るカメラマンの憂鬱・後編

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 宇津木光輝うつきみつき、家事雑用含めたアシスタントとしてバイトで雇った女子高生。
 試用期間の一か月は問題なくあっという間に過ぎて、気がつけば二か月が経とうとしていた。
 彼女は学校のある日、ほぼ週五で来ている。
 月額にして十万ちょいのバイト代になるけれど、大変上手に買物して食事を用意してくれる。
 これまで毎日外食し、毎晩のように飲んでもいた費用を考えたら、人件費として経費計上できるし実質プラスかもしれない。
 家が恵比寿で近いからか、制服で出入りするのはまずいといった配慮なのか、学校が終わって一旦家で私服に着替え大体17時前に来て20時に帰る。
「別にそんな生真面目に来なくても大丈夫なんだけどね。友達と遊んだりとかしないの?」
「うーん、みんな部活や塾で忙しいから。それが私の場合バイトになってる感じですね」
「暇な時はのんびりしてていいんだよ」
「それは却って落ち着かないです」
 正直、女子高生には結構なバイト代だなと思うものの、それに見合って働いてくれるものだから無理してないかと少し心配でもある。
 優秀なんてものじゃない。
 掃除洗濯、食事の用意といった家事はほぼ完璧。スケジュールも整理して覚えてくれているし、お茶出しや電話応対までしてくれる。おまけに打ち合わせや撮影で来る仕事関係者からの受けもいい。女性だと僕と関係したことがある子も少なからずいるというのに。
 とにかく、いまのところノートラブルで大変素晴らしかった。
「中谷さん、恐るべしだな」
「え、なんですか?」
「いや、なんでも。今日はなに?」
「アジが安かったのでツミレ汁とお刺身です」
「ああ、おいしそう」
 ソファの上でコンパクトのカメラを弄びながら、キッチンから見える彼女をファインダー越しに眺めてシャッターを切る。これでしか撮っていないものの、気がつけば結構な枚数が溜まっていた。
 掃除や資料の整理をしている彼女、夕飯のメニューでも考えているのかキッチンでぼんやりしている彼女、シーツを拡げてマットレスベッドを整えている彼女、そこで洗濯物を畳んでいる彼女……表情は豊かで穏やか、撮った画像を適当に送りながら眺めているとなんとなく気が和む。
 いつもいるわけじゃない。
 平日夕方から夜にかけての三、四時間。
 自分も常にここにいるわけじゃない。いても作業室にこもっている時もある。
 顔を合わせてはいても、まともに話すのは仕事の指示と夕飯時に雑談を少々といったくらいのものだった。
 だからいいのだろうか……彼女が出入りしていることに抵抗や違和感が無さ過ぎて、そのことに戸惑いを覚え始めていた。
 いつでも適当に居どころを変えられるよう、身の回りの荷物はでかいトランク一つに収まる程度と決めている。
 仕事道具と金とパスポート以外はあっさり捨てられるくらい、生活自体が僕には煩わしい。
 きっと彼女は、もうそれをわかっている。
 頭が良くて気働きが利くのは本当だ。ここが仕事場兼住居であることは最初に伝えていて、むしろ住居としてはあまり重きを置いていないことを彼女は最初から心得ていた。
 こちらが許容できる範囲で、必要以上に物を持ち込んだりしない。
 必要最低限の使い捨て出来る掃除用品、必要最小限の調味料と食材、荷物になりそうなものは僕が彼女に選ぶのを任て買った最低限の食器が二組くらいのものだ。
 ソファの上から部屋を見回す。
 掃除が行き届いている程度で、殺風景さは彼女が来る前とほぼ変わらない。
 白に近い薄いグレーの壁にグレーがかった白っぽいフローリングの床。広いLDKには白いシーツをかけたマットレスベッド。いまコンパクトカメラ片手に寛いでいる、打ち合わせ用に置いている白い革張りのソファのセットとガラスのローテーブルくらいしか家具らしい家具はない。
 ライトの加減が計算しやすい、適度にグレーがかった部屋。
 色のない部屋。
 それなのに、近頃、様々な色に彩られているように感じられる時がある。
「弓月さん、お夕食出来ました」
 湯気の立っている夕飯一式を乗せたトレーを持ったまま、行儀悪くカメラを手にソファに寝転んでいた僕を彼女が見下ろしていた。
「あ、うん……ありがと。お茶でも入れる?」
「それ、私の仕事ですから」
 仕事か……仕事だからこんななんだろうか。

『もう、寝転んでるだけで、なんにもしてくれないんだから』

 くすりと笑ってトレーをローテーブルにおいて料理を並べる様子を眺めながら、耳にタコが出来るくらい繰り返された、かつての夫婦間の会話などが耳の奥で蘇ったりなどして、なんだかなあと思う。
 やればやったで中途半端にされると困るとか、そんな程度でやってやったみたい思わないでとか、結局怒られるなら寝転んでいた方がまだマシだ。それに共働きだったのだから適当にできることをすればいい、なにかやってくれなんて一言だって僕は言っても頼んでもいない。
 仕事ややりたいことを否応なく中断させ、愛していたはずだった相手とも細かないざこざを絶えず発生させる。
 生活なんてうんざりだ。大体、科学もテクノロジーも発展している時代、物もサービスも溢れかえっている都市に暮らしている意味がないじゃないか。
「弓月さん?」
「え?」 
「あ、もしかしてまだお仕事途中でした?」
 尋ねながら、もう食事にラップをかけてひとまず片付けようかなどと、段取りを考えていそうな眼差しに苦笑して違うよと起き上がった。
「これは遊び。ほとんど君しか撮ってないやつだし」
「えっ、なんですかそれっ、いつの間にっ!?」
「いろんな間に。おお、なにこれ炊き込みご飯?」
「生姜ご飯です。アジに使ったのが中途半端に余っちゃって」
 なんとなく僕の夕飯に付き合ってもらうことまでもが、いつの間にかルーチンワーク化していた。
 別に無理して付き合わなくてもいいし、夕食だってどっちだっていいよと言っても、ついでで父親の分も一緒に作って持ち帰えらせて貰っているし作るのが一回で済むなら楽だという。
 彼女の申し入れで食費は折半、月末払のお給料からまとめて精算となっていた。
 ただの接客用として置いてあるだけのはずのソファやローテーブルが、夕飯だけとはいえ食卓といった意味を持ち始めている。
 気がつけば、この時間帯はあまり外の仕事を入れないようになっていた。
 それはそれで、その日の仕事の整理もつけられるし、外食と違って夕飯食べてまたすぐ作業に戻れるしと効率的ではあるのだけれど。
 いただきますと、彼女が目の前で手を合わせている。
「本当、料理上手だよね。毎日面倒臭くないの?」
「んー、あまりそういったこと思ったことないかもです。わりと楽しいし」
「楽しい?」
「スーパーとか、毎日置いてあるもの微妙に違うし。野菜とかお魚とか季節があるし、よく見たら色や形も綺麗でしょ。それに安くいいお買い物できたらやったと思うし」
「あはは、タイムセールすきだもんねぇ」
「お料理するのも段取り通り仕事が片付くのって達成感あるし、煮たり焼いたりしてたら美味しいものができるってなんだか楽しいじゃないですか」
「ふうん。僕も、歴代の奥さんも好きでも得意でもないから、そういうのあまりわかんないだよね」
「まあでも私、学生で暇ですから。お勤めしている女性や子供さんがいらっしゃる方とはまた違うと思います」
「そんなもんかな」
「外でお仕事してて、家に帰っても家の事じゃ息つく間もなくて大変じゃないですか」
「まあねー、あ……ちょっとストップ」
「え……」
 彼女の口の端の頬に生姜がついているのに気がついて、手を伸ばす。
 ふわふわした頬についている生姜を摘み取り、なにも考えずに食べて自分の椀をすすりながら、つみれ汁旨いなこういったちゃんとしたやつ店だとありそうでないんだよなあなどと考えていたら、かしゃんと箸を落ちる音がした。見れば箸をおとしたまま彼女が固まっているのに、首を傾げる。
「どうしたの?」
「え、ちょっ……やだ」
「なにが?」 
「うあぁっ、弓月さんがチャラ男で割と天然入った女たらしであることは、見ていてなんとなくわかっていますけど……こういった事はちょっとっ」
 両手で両頬を押さえている、彼女の色白な顔が見る間に赤く染まっていく。
「されたら……恥ずかしいし、照れます」
「なにその、新鮮味溢れる女の子な反応」
「すみません……えっと、その、あっツミレ汁お代わりありますっ」
 あー、こういった慌てて取り繕うシチュエーションて、大抵、お椀ひっくり返すか慌てた本人がよろけて前のめりになるよねぇ。でもってお約束通りに。
「慌ててよろけない」
 ローテーブルの料理に頭から突っ込みそうになったところを腕を掴んで止めれば、「あ……はい、申し訳ありま……せん」と小声で返事をした彼女にやれやれと息を吐いた。
「おっさんに照れない。あとさすがに僕も女子高生には悪さする気は起きない」
「そ、そうですよね」
「わかったら夕飯再開」
「はい」
 気を取直したのか、以降はいつも通りの食事の時間だった。
 しかし。

『弓月さんがチャラ男で割と天然入った女たらしであることは、見ていてなんとなくわかっていますけど……』
 
 だよねぇ、ばれてるよねぇ。
 彼女がいる間に、まだ寝てないライター女史の押しかけ一回、寝たことのある女の子二人の取っ組み合いの修羅場が一回……流石にわかるよねぇ。
 なにも言わないから、仕事のトラブルかなにかと思ってるかなと考えてたけど。流石にそれはなかったか。
 あまりそんな感じは受けないけれど、女子高生からしてみたらかなりの軽蔑対象だろうなあ。 
 金の関係――というのもなんだか語弊がある気がするけれど、金の関係でよかった。

 *****

「あ、じゃあ私そろそろ失礼します」
 持参のエプロンを外してキッチンから声をかけてきた彼女に、ローテーブルに並べたサンプル写真を眺めながら、うんと返事だけした。
 こういった時、彼女は「なに見てるんですか?」とか「なんのお仕事ですか?」とか、若い女の子にありがちな好奇心だけの質問をしてこない。
 それだけでもかなりストレスフリーだ。
 まあ、僕の職業やここでやってる仕事のあれこれに興味なさそうだから、それだけなのかもしれないけれど。
「ご苦労さま。近いとはいえ気をつけて」
「はい」
 玄関に遠ざかる足音だけを聞きながら振り返りもせずそう言って、玄関が開いて閉まった音を聞く。
 しばらく写真を睨んで、ため息吐いてテーブルに前屈みでいた体をソファに投げ出した。
 来週にギャラリーへ持っていく、個展の企画。
 前々から次の個展用にと準備していたものなのに、どうにも気が乗らないと寝転がった。
 天井を仰ぎ、腕を枕にしようとして指に触れたコンパクトカメラを手にとって掲げ、保存されている画像をプレビューで送っていく。
 どれもごく平凡で普通の写真だ。撮りたいとか表現とかいった欲で撮った写真じゃない。
 手元にカメラがあったから、AF(オートフォーカス)でただ撮っただけのスナップ写真。
 このカメラのAF合焦時間は最短で約0.2秒。くるくるとよく働く彼女の動きについていけずにぶれているものも結構ある。
 それにしても。
「こんな撮ってたっけ?」
 100枚以上は確実にある、本人が見たら気味悪がられるレベルだ。

『弓月さん、女性関係あれだけチャラいのに被写体として魅力を感じるのは、芯のある正統派美人な女性って、端的にいって変態でしょ』

「中谷さんに反論できないな、これは」
 くっそ、中谷さんめ。
 仕事の合間にふと目にした彼女をただ眺めるように撮るのも、夕飯も、日常の一部になりつつある。
 このままでは“チャラ男で割と天然入った女たらし”に、大量の写真を隠し撮りしていた変態オヤジの辛辣評価まで付け加えられるのは時間の問題だ。
 時間の問題……なんだけど。
「ちょっとこれ、面白い……かも? いやでもこれは本人了承なしでは流石に……」
 流石に……何?
 まさか個展のテーマとして出せない? 
 単独で、彼女だけを見詰めたいほど彼女を撮りたいとか思ってるわけ?
 自問すれば、違うとなる。
 仕事で彼女をファインダー越しに見詰めるなんて、現実味がなさ過ぎて想像すらできない。
 彼女は、そういうのじゃない。
「……なんだか、どっかの誰かが繰り返しそんなこと言ってたような気がするな」
 思わず自分の言葉に顔を顰めてしまう。
 もういいや、今日は諦めようと企画は投げ出してキッチンへ行き冷蔵庫を開ければ、ウォッカの瓶だけでなく、朝、温めて食べているタッパーに詰められた惣菜が綺麗に並んでいた。
「なんかトーコちゃんあたりに持ってってあげたいよねぇ、これ」
 つまみになりそうなものを選び出し、よく冷えたウォッカをグラスに注ぐ。
「そういえばつまみとかも別によかったはずなんだけどな」
 呟いて、ああそういえば明日は結構遅くまで目黒で仕事だったと脈絡なく思い出した。
 冷蔵庫のお惣菜をトーコちゃんにおすそ分けなんてことを考えたのは、彼女の家が白金で目黒に近い場所だからだろう。 
「明日のバイトはお休みって連絡しとくか」
 揚げと筍の水煮を炊き合わせた物を指で摘んで、酒飲みながら呟く。
 アルコール耐性は強い体質らしく、グラス一杯程度なら薄めずに飲んでも酔えない。
 それになんとなく憂鬱な気分で、もっと飲んでもなんとなく今夜は酔えそうに思えなかった。 
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