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第二話
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通夜と葬式の手配は母が本を出していた出版社の人間が全部やってくれた。
通夜の晩、おれは家族四人がほぼ同時に事故と変死——自らの選択で命を断ってもそう扱われる――したために、警察の相手をし通しで疲れ果てて眠っていた。
本当に泥のように深く眠っていて、そのままおれまであの世にいくんじゃないかと周囲が心配したほどだった。
母も父も親を早くに亡くし、兄弟姉妹も、近い親類もいなかった。
祖父の弟の息子という人が唯一血縁でいるらしいことがわかり、五十過ぎた夫婦で子供もないから歓迎すると、四十九日を過ぎた頃にはそこへ引き取られるような流れに決まりつつあり、おれ自身も成人まではそれが妥当だろうなと考えていた。
財産分与はそれはそれは綺麗に整理されていて、父と母は最初からそのつもりでいたんじゃないかと思える程で、後に母の心中説を唱える者達の根拠の一つとなった。
桟田家の財産と母の創作物の権利はすべて、生前父が信頼していた銀行の人間と父の友人の弁護士が管理と不測の事態の対応を委託されていた。
相続税を差っ引いても、当面の生活の苦労や進学を諦める必要もないことと、成人したおれ以外に何者も財産そのものには一切手が付けられない状態にされいると告げられた。つまり、相続人であるおれですら未成年の内はおれ名義の口座に毎月定額で支払われる生活費頼りであった。とはいえ子供一人には十分過ぎる額で、生活費や学費、おれの養育を引き受ける者に対して支払われる手当、それぞれがそれぞれの口座に振り込まれるように指示されており、養育者にはおれが不当に扱われないよう手当金を支給する為の条件を記した書面まで用意されていた。
最初、おれは、いくら金に困らないとはいえ高校入学前の子供が一人でやっていけるほど世間は甘くないと考えていたが、弁護士が預かっていたという母の遺言めいたメモを読んで考えを変えた。
『孤独を愛し淫せぬように』とだけ、母らしい美しい筆跡で書かかれていた。
冗談じゃなかった。
お前がおれ一人を残して、全員連れて行ったんじゃないか。
そんな思いで一杯になった。
全員を平等に愛し、その為におれは残されたとしか思えなかった。
皆がいっぺんに死に、一人放り出されるとまではさすがに想像していなかったかもしれないが、母親として息子はなにがあっても生き残るべきだといった執念をおれは感じ取り、その時、おれの中でなにかの歯車ががちりと嵌った。
平等に愛するなんて誰も見ていないのと一緒だ。
だからきっと父は母を追ったのだ。
本当に、なにもかもが笑ってしまうほどあっさりと無くなってしまう。
ならそれを持つ意味が一体どこにある?
おれは他人にはきっとわけがわからないだろう、父と母と二人の家族との生活が楽しかった。
赤裸々な大人の世界に子供心に居た堪れない時もあったけれど、それはそれでくだらない事に抑圧されない精神や綺麗事の上辺ではない誠実さそういったものを受け取っていた。
もう、あの幸せの日々は二度と戻ってこないのだ。
何故……遠出の時はバラバラに出掛けても、皆一緒の場所に辿りつくはずなのに。
父のようにあっさり世を捨てるには、おれはまだ生の本能に漲り過ぎているのに。
事故か情死か自殺か……そんなことはどうでもいい。
ただ、子供のおれだけがなにかに守られたように取り残されたという事実が、実感を伴って一気に押し寄せ……腹を空かせた赤子のようにおれは泣いた。
けれどどんなに泣いても、与えられるはずの乳は無かった。
よく知らない人間の世話にはならない。
そもそも自分の家が一般的でないのは明らかで、今更そうでない家庭に引き取られても互いに不幸になるだけに違いない。
唯一の親戚に相続の権利はない。おれを引き取った際に支払われる手当金は引き取った時同様に支払う代わりに、成人まで親代わりの後見人として軋轢が起きないよう話をつけてもらえないか。
そう正直な考えを弁護士に伝えれば、難しく顔を顰めた。
将棋の長考にでも入ったかのように目を閉じて黙ってしまった弁護士の顔を、おれはただじっと見詰めていた。一歩も譲るつもりはなかった。
しかし、相手もおれの言う通りだと判断したのだろう。
酷く納得のいかない表情で、それでもそうするしかあるまい、なんといっても彼の悪友で生前気随気儘に生きた男の息子、父親と同類の大人達に囲まれて育った少年だといった様子で頷いた。
しかるべき手続きを弁護士が取り、それに則して金銭の事は銀行の人間がやってくれた。
父が信頼していただけあって、この二人は最も親身にかつ事務的に事後整理に協力してくれた大人だった。
他の者は知人からまったく見知らぬ他人まで色々いたが、なにかと理屈をつけてあるいは感情論に訴え煩わしいばかりで、なによりそういった奴等は全員おれのことを羨望と嫉妬の眼差しで見た。
状況が誰にもどうにも出来ないように固まるまで散々言いたい放題に言われたが、生憎おれは桟田家に生まれ育った嫡男だ。おまけに画家と編集者から拳と言葉、両方使う喧嘩作法まで教わっている。
金に困らず、力と理屈で戦う術を学んでいたおれは、一人で世間に放りだされてもなんとかやっていける子供だったのである。
おれは母の遺言に背いた。
少し遅れてまとめてやってきた反抗期だったのかもしれない。
遅れてやってきただけに根が深かった。
通夜の晩、おれは家族四人がほぼ同時に事故と変死——自らの選択で命を断ってもそう扱われる――したために、警察の相手をし通しで疲れ果てて眠っていた。
本当に泥のように深く眠っていて、そのままおれまであの世にいくんじゃないかと周囲が心配したほどだった。
母も父も親を早くに亡くし、兄弟姉妹も、近い親類もいなかった。
祖父の弟の息子という人が唯一血縁でいるらしいことがわかり、五十過ぎた夫婦で子供もないから歓迎すると、四十九日を過ぎた頃にはそこへ引き取られるような流れに決まりつつあり、おれ自身も成人まではそれが妥当だろうなと考えていた。
財産分与はそれはそれは綺麗に整理されていて、父と母は最初からそのつもりでいたんじゃないかと思える程で、後に母の心中説を唱える者達の根拠の一つとなった。
桟田家の財産と母の創作物の権利はすべて、生前父が信頼していた銀行の人間と父の友人の弁護士が管理と不測の事態の対応を委託されていた。
相続税を差っ引いても、当面の生活の苦労や進学を諦める必要もないことと、成人したおれ以外に何者も財産そのものには一切手が付けられない状態にされいると告げられた。つまり、相続人であるおれですら未成年の内はおれ名義の口座に毎月定額で支払われる生活費頼りであった。とはいえ子供一人には十分過ぎる額で、生活費や学費、おれの養育を引き受ける者に対して支払われる手当、それぞれがそれぞれの口座に振り込まれるように指示されており、養育者にはおれが不当に扱われないよう手当金を支給する為の条件を記した書面まで用意されていた。
最初、おれは、いくら金に困らないとはいえ高校入学前の子供が一人でやっていけるほど世間は甘くないと考えていたが、弁護士が預かっていたという母の遺言めいたメモを読んで考えを変えた。
『孤独を愛し淫せぬように』とだけ、母らしい美しい筆跡で書かかれていた。
冗談じゃなかった。
お前がおれ一人を残して、全員連れて行ったんじゃないか。
そんな思いで一杯になった。
全員を平等に愛し、その為におれは残されたとしか思えなかった。
皆がいっぺんに死に、一人放り出されるとまではさすがに想像していなかったかもしれないが、母親として息子はなにがあっても生き残るべきだといった執念をおれは感じ取り、その時、おれの中でなにかの歯車ががちりと嵌った。
平等に愛するなんて誰も見ていないのと一緒だ。
だからきっと父は母を追ったのだ。
本当に、なにもかもが笑ってしまうほどあっさりと無くなってしまう。
ならそれを持つ意味が一体どこにある?
おれは他人にはきっとわけがわからないだろう、父と母と二人の家族との生活が楽しかった。
赤裸々な大人の世界に子供心に居た堪れない時もあったけれど、それはそれでくだらない事に抑圧されない精神や綺麗事の上辺ではない誠実さそういったものを受け取っていた。
もう、あの幸せの日々は二度と戻ってこないのだ。
何故……遠出の時はバラバラに出掛けても、皆一緒の場所に辿りつくはずなのに。
父のようにあっさり世を捨てるには、おれはまだ生の本能に漲り過ぎているのに。
事故か情死か自殺か……そんなことはどうでもいい。
ただ、子供のおれだけがなにかに守られたように取り残されたという事実が、実感を伴って一気に押し寄せ……腹を空かせた赤子のようにおれは泣いた。
けれどどんなに泣いても、与えられるはずの乳は無かった。
よく知らない人間の世話にはならない。
そもそも自分の家が一般的でないのは明らかで、今更そうでない家庭に引き取られても互いに不幸になるだけに違いない。
唯一の親戚に相続の権利はない。おれを引き取った際に支払われる手当金は引き取った時同様に支払う代わりに、成人まで親代わりの後見人として軋轢が起きないよう話をつけてもらえないか。
そう正直な考えを弁護士に伝えれば、難しく顔を顰めた。
将棋の長考にでも入ったかのように目を閉じて黙ってしまった弁護士の顔を、おれはただじっと見詰めていた。一歩も譲るつもりはなかった。
しかし、相手もおれの言う通りだと判断したのだろう。
酷く納得のいかない表情で、それでもそうするしかあるまい、なんといっても彼の悪友で生前気随気儘に生きた男の息子、父親と同類の大人達に囲まれて育った少年だといった様子で頷いた。
しかるべき手続きを弁護士が取り、それに則して金銭の事は銀行の人間がやってくれた。
父が信頼していただけあって、この二人は最も親身にかつ事務的に事後整理に協力してくれた大人だった。
他の者は知人からまったく見知らぬ他人まで色々いたが、なにかと理屈をつけてあるいは感情論に訴え煩わしいばかりで、なによりそういった奴等は全員おれのことを羨望と嫉妬の眼差しで見た。
状況が誰にもどうにも出来ないように固まるまで散々言いたい放題に言われたが、生憎おれは桟田家に生まれ育った嫡男だ。おまけに画家と編集者から拳と言葉、両方使う喧嘩作法まで教わっている。
金に困らず、力と理屈で戦う術を学んでいたおれは、一人で世間に放りだされてもなんとかやっていける子供だったのである。
おれは母の遺言に背いた。
少し遅れてまとめてやってきた反抗期だったのかもしれない。
遅れてやってきただけに根が深かった。
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