ホワイトローズにくちづけを

雉村由壱

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部屋1

 ジェラルドが泊まる部屋は海亀亭二階の一番奥だった。
 壁が薄い安宿。どこから微かに女のよがり声が聞こえてくるが、隣でないだけまだマシだ。

「ここ、よく使うのか」

 ジェラルドが上着を脱ぎ椅子にかけながら何気ない世間話のように尋ねてきた。

「え、ええ……たまに……」

 レオネは部屋の入り口で棒立ちのまま返事をした。

 口から心臓が飛び出そうだ。

 知り合ったばかりの男と一夜を共にしようとしているなんて、あり得ないとは思う。今ならまだ「やっぱり帰ります」と言って立ち去ることも可能だ。絶対そうすべきなのに、そうはしたくない。

「じゃあいつも下の酒場で男をひっかけて、ここに連れ込んでるのか?」

 至近距離で声がして顔を上げると、目の前にジェラルドがいた。
 ジェラルドは薄っすらと笑いながら、レオネの顔に手を伸ばし耳と髪に触れてきた。大きな手の指四本が、頭皮を探るように入り込んでくる。無意識に身体がビクリと震えた。

 ジェラルドの身体はレオネが夜を共にしてきた女たちより倍は体積があるだろう。そんな男に身を委ねようとしていることに恐怖心と共になぜか興奮も沸き起こってくる。

「あ……いつもは女の人で……」

 レオネの言葉にジェラルドは髪を撫でていた手を止めた。

「男とは……あまり……?」

「あっ、えっと……父がっ、女は良いけど男は駄目って……。結婚相手が女性なら女性経験は私の価値を上げるけど、結婚相手が男性だった場合、男性経験は価値を下げるからって……」

 レオネはペラペラと早口で話しながら、『自分は何を言っているんだ!』とさらに動揺した。

 そんな話を聞かされたジェラルドは手を引くと腕を組み、レオネを見下ろしてきた。その表情は少し困ったような微笑み。

「遊び方までお父上の言いなりだとはな。それで? 結婚が全てじゃないって今夜知ったから、近くにいた男で処女を捨てようとしているのか?」

「そ、そういうわけじゃ……」

 ジェラルドの言葉にレオネはさらに動揺した。

 男である自分に対して『処女』という言葉を使われるとは思わなかった。それにレオネは父に反抗したくて今ここにいるわけではない。ジェラルドともっと過ごしたかっただけだ。しかし今『処女』と言われて気付いた。

 『処女』は面倒なのだ。
 本気になられると余計に。

 それは今までレオネが女達に対して思ってきたことだった。その不誠実な考えが今自分に返ってきている。

 数時間前に一緒に踊った若い娘もきっと今のレオネのように、はち切れそうな鼓動を抱えて誘ってきていたのかもしれない。

 もし今「貴方と一緒にいたいから誘ったんだ」など言えばかえって部屋から追い出されそうな気がした。

「そんなに一晩で何もかも決断しないほうがいい」

 黙り込むレオネにジェラルドが優しい声色で諭す。
 ほら、案の定子供扱いだ。さっき酒場で『やっぱり泊めて欲しい』と伝えた時には眼鏡の奥の瞳に情欲の色があったのに。

 子供扱いされた腹立たしさにレオネは一歩前に出ると、ジェラルドの顔に手を伸ばしその頬に軽くくちづけた。そして、そのまま頬に唇を当てながら囁く。

「煽ったのは貴方なんですから……火遊びに付き合ってください」

 伸びかけた髭がざらりと唇に当たる。煙草とジェラルドの体臭が混ざった匂いに、レオネは身体の奥から湧き起こる熱を感じた。

 するとジェラルドはレオネの手を握り返し溜息をつくように低く唸った。

「そんな誘惑は卑怯だろう」

 顔を上げると銀縁眼鏡の奥の黒い瞳が、こちらを見ている。ジェラルドは胸に包み込むように、レオネの背中に腕を回してきた。

「キスは……する? やめとく?」

「して……欲しい……」

 レオネの答えにジェラルドは小さく「ん」と返事をし、顔を寄せてきた。

 唇に触れてきた唇の柔らかな感触。すぐに合わせをなぞり舐められ、薄く開いた隙間から分厚い舌が侵入してきた。

「んっ……」

 レオネも舌を差し出すとジェラルドの舌に捕らえられ、絡められ、吸われる。

 ピチャ……と鳴る水音。
 ふわりと感じるウィスキーの香り。

 女性とは違う大きな手で頭や耳を撫でられ、その気持ちよさに全身が震えた。

「レオネ……」
「はぁっ……」

 初めて名を呼ばれ身体から力が抜けた。姿勢を保とうと分厚い胸板にすがり付くと、ジェラルドはレオネの腰に腕を回し支えながらさらにレオネの唇を吸い続ける。

(こんな、キス初めてだ……)

 レオネが今まで女性達にしてきたキスが、いかに幼稚であったか思い知らされた。

 唇が離れジェラルドと再び目が合う。
 ジェラルドは優しげな瞳を向けフッと笑い、その大人の余裕にレオネは少し腹立たしさも感じた。するとジェラルドはもう一度レオネの唇の端に軽くキスをすると、そのままレオネを肩に担ぐように持ち上げた。

「バ、バラルディさんっ!」

 ジェラルドより少しばかり身長は低いが、まさか持ち上げられると思っていなかったレオネは、驚きその広い背中にしがみついた。

 ジェラルドは数歩進んですぐのベッドにレオネを下ろし、さらに覆いかぶさってきた。

「ジェラルドと呼べ」

 仰向けに倒された姿勢から、レオネはジェラルドを見上げ彼の名を唇に乗せた。

「……ジェラルド」

 自分でも驚くほど声が甘く濡れ、レオネは猛烈に恥ずかしくなった。

 笑みを浮かべたジェラルドのくちづけが再び降りてきた。
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