虚構の檻 〜芳香と咆哮の宴~

石瀬妃嘉里

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2017.5.5.Fri

第八章 告発 【 四日目 裁判 】

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(あれ? どうしたんだろう。何か、変だぞ……?)

 私と黎名ちゃんが食堂に入ると、室内は既に殺伐とした空気で満たされていた。何だ? この雰囲気。凄く、ピリピリしている。

「朱華! 起きたんだね。良かった。心配していたんだよ? もう、身体は大丈夫なの?」
「え、あ、……平気だよ。ありがとう紫御。それで、この状況は一体どういう事なの?」

 真っ先に私達に気付いたのは、紫御だった。心配そうに駆け寄ってくれた彼に、私は笑顔で言葉を返した。瞬間、一気に沢山の視線が、私達に突き刺さる。

「やっぱり、あたしは間違っていなかったわぁ。さぁ、とっとと白状なさいよぉ!」
「え? ちょっと……! 唯……?」

 可愛らしい童顔を歪ませ、唯がずかずかとこちらへと歩み寄る。その怒りの向かう先が予測出来たので、私は咄嗟に、黎名ちゃんを背中に隠した。

「退いて下さい朱華センパァイ! 何でそんな女庇うんですかぁ! その女はぁ……!」
「状況が読めないのに、今のアンタに渡せるわけないでしょうが! 理由を言いなさい理由を!」

 精一杯ガードしながらそう叫べば、唯が何かをひっ掴んだ。そのまま、怒りに任せるようにしてテーブルに叩き付けると、室内に凄い音が響き渡る。

「……テーブルの上に、こんな胸糞悪い物が置かれていたんですよぉ」

 唯に促されるままに、私と黎名ちゃんはそれを覗き込む。見たところ、紙切れのようだ。……嫌な予感しかしない。取りあえず、私はその紙切れに目を通してみる。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
この中に、裏切者がいる。
人狼と繋がりを持つ、愚かな村人が。
裁け。奴は、人殺しに加担した者なり。
殺せ。奴は、敵に情報を流した者なり。
獣に平伏した不届き者に、生きる資格など無い。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 あまりにも予想外の文面に、私は呆然とするしかない。
 そんな、どうして? 裏切者の存在の話は、私と光志郎だけの秘密の筈なのに。
 ちらりと光志郎の方に視線を向ければ、彼は当惑した表情を浮かべている。つまり、この告発は彼の差し金ではないという事か。ならば、一体誰の仕業なんだ?

「これでハッキリしたわぁ! 裏切者はこの女よぉ! それなら、昨日のメールにも納得出来るわぁ!“烏丸黎名は村人”という一文は正しかった! けれどそれは、潔白の証明ではなく、仲間内に潜む“ユダ”の存在を仄めかしていたのよぉ!!」
「た、確かに通常のゲームじゃ、裏切者は村人としてカウントされるが……」

 びしり、黎名ちゃんに人差し指を突き付け、糾弾する唯に、兄が一応、という態度で納得する。
 まずい事になった。恐らくこれが、光志郎が危惧していた事なのだろう。
 通常のゲームでの裏切者は、所謂人狼の協力者だ。人狼との勝利が目的の為、人狼に有利に働くように動き、時には村人達に嘘を吐く役職である。
 しかし、裏切者はあくまでも、人狼側に付いた村人だ。だから、占いの結果は村人と判定されるし、カミングアウトさえしなければ村人側としてカウントされる。
 そしてこれはリアル人狼ゲームだ。処刑も襲撃も死を意味する、命懸けのゲーム。そんな状況下での裏切者の存在は、どんな影響を及ぼすのか……。

「……というか、裏切者って何? それって、……僕達を騙して人狼に味方しているって事………?」
「もしそれが本当なら厄介だな……。この告発文によると、裏切者は俺達の情報を流しているらしいし……」
「何それ!? そんな奴、人狼よりタチが悪いじゃない! さっさと処刑するべきでしょ!!」

 紫御が狼狽え、将泰さんが悩み、比美子が叫ぶ。
 食堂内は既に、多くの感情が入り乱れていた。その混乱足るや、収拾を付けるのは最早不可能だった。
 そんな騒然とする空気を、電子音が切り裂く。“人狼裁判”開始の合図だ。その場にいる何人かの瞳が殺意にぎらつく瞬間を、私ははっきりと見てしまった。
 もう駄目だ。誰もが自分以外の人間を疑い、警戒している。仲間達の信頼が、絆が、……音を立てて崩れて行く。これじゃあ、“裁判”どころじゃない……。
 仲間達が疑心暗鬼に陥る中、私は、“人狼裁判”が無秩序になる事を予想し、絶望に打ちひしがれる。
 このままでは、理性の無い、野蛮な罵り合いになってしまう、と危惧したその時、凛とした声が響く。

「皆、一度落ち着こう」
「光志郎……?」
「各自、色々思うところはあるだろうけど、それは一先ずおいておけ。このままじゃ、互いに潰し合うだけだ。人狼のやり口に踊らされるな。自分の意志を見失うな。言いたい事があるなら、ガンガン意見をぶつけ合う。でないと何も伝わらないぜ?」

 光志郎のその強い言葉に、皆がハッとする。
 そうだ。今は、得体の知れない裏切者に怯えている場合じゃない。互いに論理をぶつけ、結論を出す、……論戦の時だ。

「ありがとう光志郎。目が覚めたわ」
「そりゃ、良かったよ。諦めたらそこで試合終了だからな。トコトンまで食い付いてやろうぜ」
「光志郎らしいね。よし、大丈夫!もう人狼達の思い通りにはさせないよ。……さぁ、“人狼裁判”を始めましょう!」

 私は、食堂全体に訴えかけるように、声を張り上げる。
 正直、裏切者の発覚が、この先どんな結果を招くかなんて考えたくない。けれど、今はただ生き残る事を考えなくちゃいけないんだ。死んだら、そこで終わり。だけど、生きてさえいれば、何度だってチャンスはあるから。

(さぁ、どうしよう。今回は少し、慎重に動いた方が良いのかな……?)

 私はまず先に、確認しておくべき事柄を吟味し、議論の先手を取る事にする。

「そもそも何で、この告発文の送り主は裏切者の存在に気付いたんだろう?」
「……どういう事?」

 私は、気になっていた疑問を口にしてみる。最初に反応したのは、紫御だった。私は、少し光志郎の事が気になったが、思い切って突撃する。

「単刀直入に言うね。私、裏切者の事知ってた。昨夜、ある人物から聞いたの」

 案の定、テーブルの斜向かいに座る光志郎が動揺する。正直、すまんかった。でも、そんなリアクションしているとバレるぞ。私のせいだけど。そんな私の告白に、兄が怒ったように口を挟む。

「おい待て……マジか朱華!? 何で今まで黙ってた!?」
「こうなる事が想像ついたからに決まってるでしょ! 変に皆を混乱させたくなかったの! って、今はその事は良いの!! 問題は、この告発者がいつ、裏切者の事を知ったのか、よ。私達の会話を聞いたのか、自分で調べたのか。……もし、私達の会話を盗み聞きしていたのなら、どこまで聞いたのか。そして、自分で調べた場合は、……裏切者の特定は出来ているのか」

 そこまで話しながらも、私は焦っていた。もし、盗み聞きされていたとしたら、いつだったのだろう。そんな機会は、あったのだろうか。
 私と光志郎が、裏切者について会話したのは二回。一回目は昨夜、お風呂上がりの廊下にて。この時初めて、私は裏切者の存在を知った。二回目は今朝、丸太小屋にて。この時は確か、画像の話もした気がする。どちらにせよ、周囲には十分気を付けて話をしていた筈だ。ならば、どこから漏れたのか。
 考えを纏めようと頭を働かせる私に、将泰さんが疑問を向ける。 

「というか、朱華ちゃんは誰からその話を聞いたの?  そいつは本当に、信用しても大丈夫なのかい?」
「……それは、どういう意味でしょうか、将泰さん」
「そのままの意味だよ。そもそも、この中に本当に裏切者がいるかどうかさえ、不確実じゃないか。この告発文だって、そいつの仕業かも知れない。つまり、裏切者なんて初めから存在しない。単に内部分裂を促す為の、そいつの狂言かも知れないという事さ」

 成程、そこにツッコみますか将泰さん。やっぱり、流してはくれませんかね。くそぅ。まぁ、流石にバラすつもりはありませんが。

「すみませんが、それは言えません。ただ、私はそいつの事は信用出来ると思っています。何故なら」

 私はそこまで言うと、一度言葉を切る。そして、着席する仲間達一人一人に挑戦的な視線を向けて、言い放った。

「仲間だから。仲間を信じる事に理由がいりますか? 私には、アイツが嘘を吐いているとは思えなかった。何年も付き合いのある相手だから、目を見れば判るんです。騙し合いとか関係無い。あの目に、嘘偽りは無かった。だから私は、アイツを信じる!」

 私の主張に、他の皆がぽかんとする。それはそうだろう。これは遊びではなく、命を賭けたデスゲームだ。失敗すれば死ぬし、コンティニューも存在しない。
 そんな状況で、騙されたら負けるゲームに挑んでいるのだ。だからきっと皆の目に映る私は、ただの愚か者。綺麗事を並べ立てるだけの、夢想者だ。
 でも、それで良い。信頼関係は、最早ガタガタになってしまった。だからせめて、私だけは信じる事にした。そうしないと、私自身が壊れてしまうから。

「……話が逸れましたね。続けましょう。告発者については、取りあえず置いておきます。特定したところで、投票に影響を及ぼすとは思えないからです。だから今問題にするべきは、“誰が裏切者なのか”です」
「そんなの、決まっていますぅ! 裏切者は、烏丸黎名ですぅ! だから、今日処刑するのは、この女ですぅ!!」

 私の言葉に、早速主張し始めたのは唯だった。こいつ、どうしても黎名ちゃんを処刑したいみたいだ。その、唯の一貫した姿勢が気になったのだろう、将泰さんが唯に問いかける。

「どうして唯ちゃんは、そこまで黎名ちゃんの処刑に拘るんだい?」
「そんなの、あの女の存在が胡散臭いからですぅ! 昨日ようやく尻尾を掴みましたぁ!」
「……それは、黎名ちゃんが何者なのかが判ったという事かな?」
「はい! その通りですぅ! ……朱華センパイはもう、お判りですよねぇ?」

 唯がそう言い放った瞬間、皆の視線が一斉に私に突き刺さる。……成程。唯は始めから、私を証人に仕立てるつもりだったのか。

(黎名ちゃんを窮地に立たせるつもりはないけど、……結局私も聞きそびれちゃったしなぁ……。ここは一つ、唯にのってやるか。この状況で知らんぷりも出来ないしね……)

「……超能力少女レノアの事よね? 黎名ちゃんに瓜二つだった、一昔前の有名人」
「流石ですぅ、朱華センパァイ」

 私の返答に、唯は嬉しそうに笑ってみせた。……何か白々しい。その為に今朝、私にメールを送ったんじゃないのか。別に良いけどさ。

「て言うか、その話マジ?」
「マジマジ。私、画像見たもん。今より幼いけれど、本当にそっくりだったよ」

 すぐに、周りが反応し始めた。最初に口を開いたのは、比美子だ。とても、戸惑った表情を浮かべている。なので私は取りあえず、ありのままを伝える事にした。続いて、追及をして来たのは、兄だった。

「その画像、どこで見つけたんだ?」
「普通に検索したら出たよ。まぁでも、あれが黎名ちゃん本人かどうかまでは、断定出来ないけどね」
「ちょっと!? 朱華センパァイ!?」

 私の言葉が予想外だったのか、焦ったように唯が口を挟んで来る。やれやれ、と思う。もしかしたら、私が決定的な事を言ってくれると思っていたのだろうか。

「だって、画像だけじゃ百パーセント本人とは言い切れないもの。確実にそうだと判断出来ない以上、軽はずみな事は言えないよ。当然でしょ? ……それとも、唯はもうその事実を確認しているの? もしそうなら、きちんと自分の口で言わなきゃ。……あるいは、本人に聞いてみたらどうかな?」

 私はそう言って、件の少女に目を向ける。すると、食堂全体から注目された黎名ちゃんは、特に狼狽える素振りを見せる事無く口を開いた。

「……“私は”レノアではありません。それは、嘘偽りの無い事実です」
「は、はぁ!? そんな筈無いわぁ! 嘘吐くんじゃないわよぉ!!」
「そう仰られましても。……“私は”違うとしか言えませんから」

 食い違う主張に、皆は目を白黒させる。どういう事だ? これは、黎名ちゃんが白を切っているのか? それとも、唯の思い込みなのか?

「て言うか、黎名ちゃんは違うと思う。だって、メールの通りなら、黎名ちゃんはカノンでしょ?」
「え?」

 突然、比美子がそんな事を口にした。あまりにも唐突過ぎたせいで、私達は一瞬思考が停止してしまう。それでも比美子は、マイペースに言葉を続ける。

「ホラ、将泰さんも言っていましたよね? アタシ達全員が、“ユダの箱庭”のキャラに例えられているって」
「あ、うん。確かに昨日、そんな事を言った気がするけど……」
「ですよね!? 確か、香澄ちゃんがマスミで、美津瑠さんがマコト。相田先生がミチルで、神楽さんがハルカ。で! 聖は、……そうだシノブ!『もう誰も信じない! 皆、敵だ!!』じゃなかったっけ? 誰か、覚えてない?」
「はい。聖さんの部屋にあった血文字の事を仰っているなら、それで合っていますよ」
「あ、本当? 良かった。合っていた」

 比美子は、黎名ちゃんの返答に、ほっと息を吐く。そう言えば、血文字の事はすっかり忘れていた。うっかりしていたと思う。

「で! 黎名ちゃんがカノン、でしょ? なら違うじゃん。作中でそれっぽいのはヒナタだもん」
「あ……」

 私も、比美子の言葉で思い出す。そうだ、裏切者とまではいかないが、“ユダの箱庭”には、近い役割の人物がいる。それが、ヒナタだ。
 遺体に細工したり、意味深な発言で周りを引っ掻き回したりする、愉快犯。時には、人狼の正体に気付いた上で肩を持つ素振りを見せる場面もあるキャラだ。
 対するカノンは、典型的な探偵キャラ。なら、どちらがより裏切者らしいと聞かれたら、……言うまでもない。

「だから、カノンである黎名ちゃんは、ヒナタにはなり得ないって事! はい、論破!!」

 比美子の一言に、唯は渋々引き下がるしかなかったようだ。一方の黎名ちゃんは、ほっと胸を撫で下ろしている。それを眺めながら、私は考えを纏めてみた。

 唯には悪いが、ネットで見たあの画像だけでは、レノアと黎名ちゃんが同一人物だと断定するには、根拠としては些か弱い。結局、真実は判らず仕舞いだ。
 比美子の推理については、確かに説得力はある。だが、それはあくまでも、なぞらえているのが“ユダの箱庭”だと仮定したらの話だ。実際に使われているのは“芳香と咆哮”なので、一概にそうだとは言えないというのが、現状だ。
 だが、それを暴露したら、もっとややこしい事になりそうなのが目に見えていたので、今は黙っている事にした。
 その代わり、別の解決しなくてはならない事柄について、切り込む事にする。

「ねぇ、結局今回の処刑先はどうするの? “人狼”? それとも“裏切者”?」

 私は、今日の“裁判”が始まる前から、気になっていた事を聞いてみた。すると、真っ先に反応したのは比美子と唯だった。

「何言っているのよ朱華!? こうして告発文が出た以上、裏切者を処刑するに決まっているでしょ!?」
「そうですよ朱華センパァイ。人殺しに加担した奴なんか、死んで当然ですよぉ!」
「うん。そう言いたい気持ちも判るよ。けど、問題なのは、裏切者もまた村人だという事なんだ」

 私がそう言うと、二人は少し首を傾げる。意味が判らない、という表情を浮かべているようだ。仕方無いな、と思った私は、他の皆にも問いかけてみる。

「皆、二日目に見つけた手紙のルール覚えている? あれには、役職の種類はどう書かれていたっけ?」
「確か、村人、人狼、GMゲームマスターの三つだろ? それが一体。……いや」

 不思議そうに、私の疑問に応えた兄が、何かに気付いたように黙り込む。それを見て、同じ考えに思い至ったらしい光志郎が、悔しそうに顔を歪めて発言する。

「そうか。このゲームには裏切者という役職は無い。あくまでも、村人の一人でしかないんだ」
「そういう事。そして、このゲームでの敗北条件は“人狼と村人の人数が同数になる事”。なら、この条件下で裏切者を処刑したらどうなるだろう。それってゲーム上では、村人を一人処刑したのと同じ事になるよね?」
「……裏切者の処刑は、わざわざ村人を減らす行為になってしまう。それは、……村人にとって自殺行為と同じだよな」
「勝利するには、村人の頭数も必要だからな……。ならばまず、人狼を減らす事が先なのか……?」

 光志郎や兄と同じように、私の提示した疑問に皆が気付き、悩む。先程まで、裏切者は処刑すべきと、がなり立てていた唯や比美子も、ついには黙り込んでしまった。私も改めて考えてみる。
 そうなのだ。このゲームに裏切者という役職が無い以上、人狼ではない裏切者は、あくまでも村人だ。
 裏切者を処刑する事は、その分人狼を処刑する機会をみすみす逃す事とも言える。それを理解した上でなお、裏切者を処刑すべきなのだろうか。
 皆の様子を見て見ると、やはり誰も、結論を出せそうにないようだ。ならばいっその事、話を切り替えた方が良さそうな気もする。
 そう考えた私は、次の一手を繰り出した。

「発言、良いかな? 聖の遺体の事なんだけどさ……。これまでの遺体状況と、明らかに違うよね? 」

 聖、という単語に反応したのか、唯の肩がびくりと跳ねる。幼馴染みの死に様を思い出させるのは少し可哀想だが、今は気にかけている場合ではない。

「処刑・襲撃に関わらず、今までの人狼達は、刃物で首を切り裂いて殺害していたでしょ? でも、聖は撲殺だった。それも、全身を滅多打ちにされて。これって、おかしくない? 何で、聖を殺す時も刃物を使わなかったんだろう?」
「普通に考えたら、怨恨かなぁ。ボコボコにしてやりたい程憎んでいた、とか?」
「そんな理由で凶器変えるのって面倒じゃない? だったら、刃物で滅多刺しにすれば良い話でしょ?」
「あぁ、確かに。ていうかその凶器って何だったんだろう。殴るだけで、あんなに出血するもんかな?」

 私の疑問に、紫御と比美子が真剣に考える。そこに、黎名ちゃんが加勢する。

「恐らく、椅子でしょう。現場にあった椅子の脚に、血液が付着していましたから」

 皆の意見を聞きながら、私も考えてみる。何故人狼達は、聖殺害の際刃物を使わなかったのか。
 普通、室内の物を凶器に使うのは、突発的な犯行にありがちな事だ。しかし、襲撃という名の計画的犯行である今回の場合には、当て嵌まらないように思う。
 しかも、今回の場合凶器は、椅子。刃物に比べれば大きくて重い、扱いにくい物だと思うのだが。もっと手軽な凶器が、近くに無かったのだろうか。

「……一つ、気になる点があるのですよね」
「気になる点? 何?」

 私が思考に詰まったその時、黎名ちゃんが疑問を投げて来た。これ幸いとばかりに、私は食い付く。

「実は、聖さんの左側頭部に、瘤が出来ていたんですよ。傷自体も、打撲傷のようでした」
「瘤? でも、聖は椅子で殴られたんだから、瘤の一つくらい出来ても自然な気がするけど」
「そう言ってしまえばそれまでなんですが、それにしてもおかしい。他の傷と比べて、表面が綺麗なんですよ。凶器である椅子の脚に、血痕が付着している以上、脚の角がぶつかっているのは間違い無い筈なのに」

 黎名ちゃんの指摘に、兄が同意する。

「それは、……不自然だな。角がぶつかっているなら、切傷なんかが残りそうなもんだが」
「そうなんです。どうしてもその傷だけが、何か別の凶器で付けられたようにしか思えないんですよね。他の傷よりも範囲が広く、しかも瘤が出来る程の威力の出せる物……。少なくとも、椅子の脚のように尖った部分を持たない物としか……」
「だが、現場にはそれらしい物はなかったよな? それとも、人狼が持ち去ったのか?」
「有り得ますね。恐らく、使われた凶器は人狼にとって、残しておけない物だったのでしょうね」

 私は、今出た情報を吟味してみる。黎名ちゃんの言う通り、凶器は二種類存在したのだろうか。そうなら何故、使い分けたのだろうか。ふと、私はある事を思い出す。

(……そう言えば、聖ってかなり強かったよな。元柔道部だし、大会でも優勝していたっけ)

 もしかしたら、人狼達はそういう意味があって、聖の事を警戒していた可能性はある。
 実は私は、聖なら人狼を返り討ちに出来るかも知れないと、少しだけ思っていたのだ。何せ、今回の参加者で、あいつより体格の良い人間は、兄さんくらいだ。少なくとも、一対一の勝負になったら、あいつに勝てる奴はほんの一握りだろう。
 しかし、これはあくまでも推測にすぎず、いずれにせよ、現時点では答えが出そうに無い。やはりまだ、情報が不足しているのだろう。凶器についても、今のところは何とも言えなかった。

(なら、もう少し情報を集めなくちゃ。さて、次はどう攻めるべきかな……?)

 その時、ケータイのアラームが、投票時間一分前を告げる。流石に三回目の投票ともなれば、手先が震える事もなくなって来た。慣れって、恐ろしい。

(一生、慣れたくない感覚だったけどね……)

 苦々しく思いながらも、私は目の前の七人を見る。やはり今回は、どうしても決め手に欠ける。しかも、裏切者問題も、うやむやになっているし。

(裏切者は、一体誰? そもそも裏切者と人狼、どちらを先に処刑すべきなんだろう……?)

 限られた時間の中、必死で最善の手を模索しようとする。そんな私の耳に、思いがけない言葉が飛び込んで来た。

「……今、思い出したんだけどさ」
「え? 何……?」
「昨日の“裁判”の時の唯、妙に神楽さんの事庇っていたよね。人狼の、神楽さんをさ……」
「え……? ……あ」

 比美子のふとした一言に、私は思い出す。確かに昨晩、唯は黎名ちゃんの推理に追い込まれていた神楽さんを、庇う発言をしている。つまり、それは……。

「唯は、仲間である人狼を庇おうとした。そう、比美子は言いたいの……?」
「ちょッ……! センパイ達何言って……!」

 あまりにも唐突な発言に、唯が弁明しかけるが、間に合わない。時計の針は、もうじき九時を指し示す。兎に角無我夢中で、私は人差し指を突き付けた。
 そして無情にも、アラームが投票時間を告げる。私は、右手をその場に上げたまま、呆然と今の状況を見つめるしかなかった。
 圧倒的な結果だった。黎名ちゃんに投票した唯と、兄さんに投票した光志郎。そして、比美子に投票した私を除く全員が、唯に投票していた。
 唯は一時遅れてその事実に気付くと、狼狽え、ガタガタと震え出した。そして、そのまま怯えたように髪を振り乱すと、その場で叫び出す。

「……う、嘘ぉ。嘘、嘘、嘘! 嫌……。嫌あああああああああ!!」

 激しく暴れ始めた唯を、咄嗟に男達が、四人で押さえ込む。だが、唯は更に抵抗し、ところ構わず拳を振り回していた。

「離せ! あたしは人狼じゃない! 離せよクズ!! 嫌、嫌! 嫌ぁ!! まだ死にたくない……ッ!?」

 唯は半狂乱で男達を殴り続けていたが、兄に平手打ちをされて、ようやく大人しくなった。兄は、啜り泣き始めた唯の手を引くと、ゆっくりとこちらを振り向いた。

「こいつ、丸太小屋に連れて行くわ。お前らは、先に引き上げていろよ」

 男達は、唯を囲むようにして部屋を後にする。他の皆は、扉が閉まるまでそれを見つめていたけれど、私はずっと比美子の様子が気になっていた。
 比美子はどうして、投票数秒前にあんな事を言ったのだろう。あのタイミングでは唯は弁明出来ないし、私達も正常な判断も出来ないのに。
 事実、今回の投票結果は、比美子の一言に引き摺られたところがあるのは間違い無い。そもそも今回は、誰を処刑すべきかさえ、曖昧だったのだから。その、容赦の無いやり方が怖くなって、……気付けば私は、比美子を指差していたわけなのだが。

(こういうの、通常のゲームではたまにある事だけど、こんなところで起きて欲しくなかったわ……)

 どのみち、一回の“裁判”で必ず一人犠牲にするのだ。それが、今回はたまたま唯になっただけ。そう割り切ってしまえば、楽なのかも知れない。けれど。
 扉の閉まる直前にちらりと見えた唯の、比美子に向けられた視線が忘れられそうにない。「何故?」と言いたげなその瞳には、明白な絶望の色があった。
 あの時きっと、唯は比美子に裏切られたと思っただろう。もしかしたら、比美子の事を憎んだかも知れない。そんな唯の姿を、比美子はどんな気持ちで見ていたのか。

(まさか、唯を嵌めたわけじゃないよね?)

 私は、心の内でそう問いかけながらも、ただ、比美子の無表情な横顔を見つめる事しか出来なかった。



「……朱華? ここにいたのか」
「あれ? 光志郎……?」

 外の空気でも吸おうと思い、玄関へ向かう途中、光志郎に話しかけられた。どうしたんだろう? 他の皆はもう、自分の部屋に戻ったというのに。

「何? もしかして、私の事探してたりした?」
「うん、まぁ。ちょっと話したくて、さ。……何、持っているんだ?」
「これ? タロットカード。唯のだけど。……勝手に持って来ちゃった」
「……そうか」

 光志郎は、それ以上は聞かなかった。口では仲間を疑うとは言った彼だけど、だからと言って、情まで消えたわけでは無いのだろう。そんな光志郎の姿に、なんだかんだ言ってこいつも完全には仲間を切り捨てられないのだと思った。何だか、少しだけ安心する。

「そうだ。さっきはありがとう。あの時、光志郎がああ言ってくれなかったら、議論どころじゃなかったもの」
「……別に、礼を言われるような事じゃない。誰かがやらなくちゃいけない事を、たまたま俺がやっただけだ」
「そうかも知れないけどさ。それを率先してやるのは、なかなか出来る事じゃないよ。正直、見直しちゃった」
「…………そうかよ」

 少し照れ臭そうにそっぽを向く光志郎が可愛くて、つい顔が綻ぶ。久しぶりの穏やかな時だ。今はこんな些細な談笑でさえ、愛しくて仕方無い。

「それで? 話って何? わざわざ探すって事は、割りと重要な事なんじゃないの?」
「お、おぅ。じゃ取りあえず、……お前何あの話バラしてんの? よりによって“裁判”の時に」
「ホブッ!? ちょ、待って痛ッ! 痛いって! 女の子には優しく!!」

 完全に、不意打ちだった。突然のアイアンクローに対応出来なかった私は、ただじたばたともがくばかり。辛うじて見えた、光志郎の笑顔がただただ恐ろしかった。

「痛くしているに決まっているだろアホゥ! あのタイミングであんな事言ったら、不審に思われるだろ!!」
「スイマセンでした私が迂闊でしたぁ痛たた離して下さいませ爆ぜる! 頭爆ぜるうぅ……!!」

 やっとの事でアイアンクローから逃れた私は、涙目で光志郎を睨み付ける。いくら自業自得とは言えこれは酷い。訴訟も辞さない!
 そんな私を見て何を思ったのか、光志郎が溜め息を吐く。おい何だそのリアクションは。言いたい事があるなら、はっきり言いなさいよ。しかし、予想に反して光志郎は黙ったままだ。いつもなら悪態の一つもつく奴なだけに、少し拍子抜けしてしまう。
 不思議に思っていると、やがて光志郎がふっ、と息を吐くのが判った。気のせいかも知れないが、僅かに口許が弧を描いているように見える。

「まぁ、今更過ぎた事をとやかく言っても仕方無いよな。それに……」
「……それに?」
「あんなに声高に信じるって言われたからな。男冥利に尽きるってもんだぜ」

 ずるい。流石光志郎ずるい。何て事ないようにそんな事言われたら、許すしかないじゃないか。敵わないな、と思いながら、私は彼に笑いかける。

「ふふっ。何よそれ。ちょっと大袈裟過ぎ。だって、あんたは大切な仲間なんだもの。当然の事じゃない。それに、あんただって私を信じると言ってくれた。だから尚更、その言葉に応えたかったの。丸太小屋ではあんな言い方しちゃったけど、本当は嬉しかった」
「そりゃお前、好きな奴の事を信じたくなるのは、当然の事だろ」
「…………え?」
「うお、ヤベッ! もうこんな時間かよ。俺、ひとっ風呂浴びたいから先戻るわ。じゃあな!」
「え? いや、ちょ、ちょっとそれどういう……。って待ちなさい光志郎ッ! 光志郎ォーーー!!!」

 突然、ケータイを取り出して時間を確認すると、光志郎は颯爽と踵を返してしまった。何てわざとらしい。明らかに誤魔化しているのがバレバレなのに。だって……。

「………その格好、どう見てもお風呂上がりじゃんよ」

 首にはタオル、手にはお風呂セット、髪は洗いたてのように湿った状況、のスリーコンボ。なのに、また風呂に入るのかお前は。けれど、それを指摘して、かつ追いかける事も出来ず。
 私はただただ恥ずかしくて、不自然に熱くなった顔を両手で覆ったまま、その場に突っ立っていた。



(……くそぅ。まだ顔が熱い気がするわ。光志郎のヤツめ………)

 私は、外の空気を吸う為に外に出た。当初の予定通りというのもあるが、何より、先程の光志郎の爆弾発言の衝撃を、予想以上に引き摺っていたのだ。

(大体何よ、さっきの。……今の今までそんな素振り見せた事無かったじゃないのよ………)

 口では光志郎の事を詰りながらも、言葉を思い出す度に全身が一気に熱くなる。あぁもう、私ったら、何でこんなに意識しているのかしら……?
 何とか雑念を振り払うようにして、夜の森へと飛び出した。穏やかな風が心地好い。血腥い空気に晒され続けていた身体には、この澄んだ空気が優しい。
 と同時に、微かな煙草の匂いが風に乗って来た。一瞬だけ、美津瑠さんの顔が浮かんだが、彼はもういない。ならば、考えられるのは一人だけだ。

「煙草。止めたんじゃなかったの……?」
「……朱華、か」

 煙草の煙を燻らせている兄は、酷く窶れて見えた。やはり、今回のゲームが堪えているのだろうか。それこそ、止めた筈のそれに手を出すくらいには。

「というかその煙草、どうしたの? 持って来てたわけじゃないでしょ?」
「……パクったんだよ。美津瑠のヤツを。あの野郎、前俺が気に入ってたの吸っていたからな」
「……そっか」

 会話は、それっきり続かなかった。訪れた沈黙が、酷く重苦しい。けれど、これはチャンスだ。そう思った私は、周囲に誰もいない事を確認してから、口を開いた。

「……兄さん。“あの日”の事、覚えてる? ……六年前の今頃にやった、パーティの事だけど」

 そう言うと、兄の顔が強張った。やはり“あの日”、確かに何かが起こったのだ。そして、その日の事を、皆は頻りに私から隠そうとしている。

「……“ユダの箱庭”書籍化を祝った日の事か? 途中でお前が貧血で倒れた時のヤツ」
「そうね。少なくとも当時は、そう思っていた。けど、本当に原因はただの貧血だったの?」
「……何が、言いたい」
「周潤水」
「……お前、何で………?」

 昼間に知ったその名前を口にすると、今度こそ兄は動揺した。やはりそうか。周潤水は、“あの日”に関するキーパーソンなのだ。
 そして、……“あの日”に起こった事こそが、人狼達の復讐の発端であり、今回のゲームが行われる事となった、直接的な原因に違いない!
 そこまで考えた瞬間、私の中で不可解だった事が一つに繋がった。夢に現れていた少女。そして、見知らぬ記憶の中でホオズキについて語ってくれた、少女。
 間違いない。彼女こそが、周潤水だ。例え、記憶から忘れ去られてもなお、私の心に巣食い、決して完全には消滅する事無く留まっていたのか。

「……もう、隠すのは止めよう?“あの日”、私や皆にとって忌まわしい事が起きたんだよね? そのせいで、私は記憶を無くして、皆は傷付いて、その結果罪を背負う事になって。そして、その出来事が……人狼達の怒りを買った」

 私の言葉に、兄は答えない。その沈黙こそが答えだった。
けれど、私は話す事を止めない。止めるわけにはいかない。だって私もまた、罪人なのだろうから。

「私には“あの日”の記憶は殆ど無いよ。けれど、覚えていないじゃ許されないの。だから……」

 そこまで言い切ると、私は正面から兄を見据えた。兄をこんな風に睨み付けたのは、初めての事だ。それでもここで、引き下がるわけには行かない。

「教えて。……“あの日”に、何があったのか」

 知らないままでは、先へ進めないから。そしてもう、“知らない”では済まされなくなってしまったから。
 だから、私は訴えるのだ。真実に近付く為に。
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