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2017.5.7.Sun
第十二章 決戦 【 六日目 裁判 】
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(……疲れた。……今、何時かな…………)
私は、今までに書いたメモを読み直していた。時刻は、八時半。食べ終えた鯖味噌の缶を捨て、ゴミ袋の口を縛る。処分は、明日の自分に任せるとしよう。
そろそろ食堂に向かうべきだろう。私はメモ帳を閉じ、机の上を簡単に整理する。メモ帳以外にあるのは、数々の証拠品と、数分前に引いた、タロットカードが一枚。
私はふと、それを手に取ってみる。そこに描かれているのは、雷が落ちた建物から、人が飛び降りている光景だ。
カード名は“塔”。位置は、正位置。意味を調べてみれば何と。“破滅“やら”悲劇”やらのネガティブオンパレード。なら逆位置は? と見てみれば、こちらも“誤解”、“屈辱”etc...と良い勝負だった。
どうやらこの“塔”、正・逆位置共に負の意味合いを持つ唯一のカードらしい。分ける意味無くね? と思った私は悪くない。筈だ。
その不吉過ぎるカードを裏返し、私は深呼吸を一つ。このカードの通り、私の未来は決して輝いたものではないだろう。けれど、今更逃げられるとも思っていない。
何せ、これから行われるのは最終投票。今回の結果で、すべてが決まってしまうのだ。泣いても笑っても、今夜の選択が、自分達の運命を左右する。
脳裏に浮かぶのは、思い返すのもおぞましい地獄の日々。けれど、今日さえ乗り越えられる事が出来れば、もう、誰かが死ぬ事は無いのだ。……今日さえ、越えれば。
(それでも、三人の内一人は、必ず犠牲になる。それだけは絶対に、忘れてはいけない)
どれだけ望んでも、この先未来へと歩めるのは、二人だけ。例え二人共大切だとしても、私が生きる道を選んだ以上、どちらか一人の手しか取る事は出来ない。
しかし、私は覚悟を決めた。血を吐く思いで、二つの内の一つを切り捨てる決断をしたのだ。それが、私が数多もの情報から推理して辿り付いた“答え”だった。
……そろそろ時間だ。もう、後戻りは出来ない。また、この部屋に帰って来られると良い。そう思いながら私は、食堂へ向かう為部屋を後にする。必要な証拠品を、手に取って。
「………来たか」
「待っていたよ。朱華」
食堂に足を踏み入れると、すぐに兄と紫御に迎えられた。二人とも、いやに早い。もしかして、私の知らぬ所で何かやり取りでもしていたのだろうか。
そう言えば、私が籠っている間、二人共部屋に訪ねて来なかった。今更、私に何を言ったところでプレッシャーにしかならないと思ったのかも知れない。
私は無言で、二人と向き合う形で席に着く。時刻はそろそろ九時十分前。いよいよ、運命の時が迫って来る。腹を、括らなくてはならない。何だか切ない気持ちが押し寄せて来て、気づけば、私は二人に話しかけていた。
「……ここに来てから、もう六日が経つんだね。長かったなぁ」
「あぁ。だが、それももう終わる。今夜人狼が死ぬか、生き残った人狼に村人が殺されるか。それだけの違いだ」
「そうだね。なら、これが実質、最後の投票なんだね。……三人に一票ずつ、という結果にならなければ、の話だけど」
そうやって二人は、いつも通りの感じで、私に言葉を返してくれる。……本当に、いつも通り。その姿も、態度も、私の知る通りの、兄と紫御だ。
だからこそ信じられないし、信じたくない。二人の内、片方が人狼だなんて。
「……二人はもう、……投票先を変えるつもりは、無いんだよね?」
私は確認の意味で、二人に聞いた。案の定、返って来たのは「俺は、変えねぇぞ」「僕も、変えないよ」という、予想通りの答えだ。
……やっぱり、決定権は私のままなのか。ついぞ逃れる事の出来なかった思い重圧が、急に現実味を持って、私に伸しかかる。……まぁ、そうだろうとは思っていた。それでも、ほんの少しの可能性に縋り付いたくなるのは、悪い事なのだろうか。
けれど、そうも言っていられないのもまた事実だ。ほんの少しだけ離れた現実から、心を引き戻すように、私は言葉を紡ぐ。
「私も、決めた。もう、迷わないよ」
他愛無いやり取りが続く中、時は過ぎて行く。人生で、一番長い五分だ。それでも、終焉は刻一刻と迫って来る。気分はまるで、判決を待つ被告人のようだ。
時刻は、九時一分前。いつものアラームが鳴り、再び訪れる静寂の中、急に、秒針の音が煩くなった気がした。このカチカチが六十回鳴った時、運命が決まるのだ。私の右手に、力が込もる。
さぁ、終わりにしよう。この、血塗られた復讐渦巻く惨劇を。
そしてついに、最後の投票時間を告げる、アラームが鳴る。時は来た。文字通り、最後の投票だ。兄が紫御を指し、紫御が兄を指す。
そして、私は躊躇いがちに、紫御に人差し指を突き付けた。
兄に、一票。紫御に、二票。
勝敗が、決した。処刑されるのは、……紫御だ。
「…………そっか」
紫御がそう漏らして間も無く、兄が乱暴に彼の腕を引く。出て行け、と言わんばかりの厳しい表情だ。
紫御は、兄に引き摺られるようにして扉へと向かう。その俯いた表情からは、何も窺い知る事は出来なかった。けれど、こちらに向けられた背中が何処か寂しげで、思わず駆け寄りたくなるのをぐっ、と堪えた。
駄目だ。それは許されない。でも、彼が。
彼への愛情と理性との間で葛藤する私の心は揺れる。そんな私を残して、紫御は食堂を去って行く、と思われた。彼は突然、その場に足を止めたのだ。
「一つ、聞いて良いかな? 明宣さんは兎も角、朱華は、何で僕に入れたの? 結構、信用されていると思っていたんだけどな」
まるで、明日の朝食のメニューでも尋ねるかのような気軽さで、そんな事を聞く彼。その気取らない、いつも通りの表情には、僅かばかりの不審感が確かに潜んでいた。
私は泣きそうになるのを必死に堪えながら、それでも紫御の目をしっかり見据えて、口を開いた。
「…………本当は、入れたくなかったよ。……入れたいわけ、ないじゃない。二人共大好きだから、決められる筈、ないんだよ……」
覚悟を、決めた筈だった。なのに、たった一つの言葉だけで、こんなにも心が乱されるものなのか。
「……正直、どちらが人狼なのか、判断するのは難しかったの。今までの投票では、二人共ほとんど周りに合わせる感じだったもの。上手く、立ち回れていたんだろうね」
あるいは、私がもっと頭の回る奴だったなら、探偵のようにスマートな推理が出来たのかも知れない。だが、そんな無い物ねだりをしていても、仕方の無い話だ。
それでも、私は必死で頭を働かせた。働かせて働かせて、……そうして私は、己を納得させる答えを見つけたのだ。
「でね、こりゃ駄目だ、八方塞がりだ、と思いながら証拠品を漁っていた時、ある事を思い出したの……ねぇ、兄さん」
「あ? 何だよ?」
「昨晩の“裁判”の時の事、思い出してみて? どういう経緯で、将泰さんの処刑が決まったのかを」
突然、話の矛先を向けられ、兄は呆けたような声を漏らす。だが、私の真剣な雰囲気に圧倒されたのか、渋々と言った様子で話し始めた。
「……昨日は、お前と黎名ちゃんの推理無双だったな。いくつか証拠品を出して、将泰がそれに反論していた」
「そう。ついでに言うと、その証拠品の一つが、光志郎の残したコレ。だよね?」
そう言って、私は光志郎の愛読書を取り出し、そこから栞を引き出して、二人から良く見えるように掲げた。それを確認した兄は頷き、話を続ける。
「……そのダイイングメッセージのせいで、将泰と紫御が疑われて、それに将泰がまた反論したんだったな。最終的に黎名ちゃんが出した野球ボールが決め手になって………」
「そう、そこ! そこでもし、黎名ちゃんが野球ボールを出さなかったら、“裁判”はどうなってたと思う?」
私の問いかけに、兄も紫御もハッとする。どうやら二人共、気付いたようだ。がしがしと頭を乱雑に掻きながら、兄がやりきれなさそうに言う。
「……将泰と、紫御に票が集中したろうな。下手すりゃ決定投票だ。その場合、二人に同じ票数入らない限りは、処刑されるのは、どちらかだった可能性が高いな……」
「そういう事。だけどこのメッセージの残し方だと、仮に片方が村人の場合、最悪そっちが処刑される可能性もあるわ。最初の投票の時だって、二票入っただけで決定投票になったのに。危険だと思わない? だってあの時、人狼を処刑し損ねたら、村人の負けが決定してしまうのに」
私が淀みなく語る推論に、兄も紫御も何も言わない。まるで、魅せられたように、私の言葉に聞き入っている。反論が来ないのは、有難い事だ。もし、ここで論破でもされてしまったら、私の理論は破綻してしまうのだから。
二人が「待った」をかけない内に、私は更に話し続ける。
「そもそも、襲撃された時点で、光志郎には人狼が誰か、判っていた筈。もちろん、ストレートに書いて人狼にバレないように隠す意味合いもあったろうけど。それでも何故、あえてそんなリスキーな手掛かりを残したのか。考えられる可能性は……」
「……まさか。……どっちでも良かったから、か? 二人共人狼だから、どっちが処刑されても良かった………?」
絶句する兄に、私が頷いてみせれば、彼は悲しさや悔しさの入り交じったような表情を浮かべた。無理も無い。そこに思い至った私も、同じ顔をしただろうから。
昨日の時点で、村人側は危機に立たされていた。人狼の処刑を二度も失敗し、次に投票先を間違えれば負けるという、まさに絶体絶命。
だから、首の皮一枚でも繋ぐ為には、確実に人狼を処刑する必要があった。その為に昨日、私や黎名ちゃんは、全力を尽くしたのだ。そして恐らく、光志郎も。
光志郎が襲撃されたあの夜、彼は残りの人狼が誰かを知った。その上で、自分の栞のリボンの色を見て、……咄嗟に閃いたのだろう。“それ”は、二人の人狼を指し示すのにうってつけだと。これが上手く行けば、確実に人狼を処刑出来る、と。
昨日の“裁判”で、人狼が処刑されれば良かったのだから、それが、紫御でも、将泰さんでも構わなかった。だから光志郎は、自分の余力で示せる、最大限の手がかりを残した。例え曖昧でも、誰かがこのメッセージの真の意図に気付いてくれる事を、信じて。
「……結果、それは上手く行った。最終的に人狼の将泰さんは処刑され、村人は敗北を免れた。光志郎は、命を賭して私達を守ったの」
私は叫ぶようにそう言い放つ。いつの間にか零していた、大粒の涙を拭いもせずに。
以前、黎名ちゃんが言っていた事を思い出す。曰く、「人狼ゲームにおける探偵は、本領を発揮しにくい」のだと。
推理小説の最後に、探偵が犯人が推理を披露出来るのは、犯人を追い詰めるために必要な情報を得て、そこから論理を構築するからだ。故に、情報が揃わぬ内から犯人を特定しなければならない人狼ゲームでは、美しい推理を組み立てる事が出来ない。憶測混じりで作られたそれでは、精神を穿つほどの威力を持たないのだ。
だからこそ、占い師も騎士もいない、村人のみの絶対的に不利なこのゲームで、最期に人狼を倒す手段を残してくれた、光志郎には天晴だ。彼がいなければ、間違い無く私達は詰んでいただろうから。
「……本気で言ってる? そんな紙切れ一つで、朱華は僕を人狼だと決め付けるの………?」
私の述べた根拠を受けて、紫御は辛そうに顔を歪めて訴える。私だって、本当は信じたくなかった。ずっとずっと好きだった人が、残忍な人殺しだったなんて。
けれど、……好きだからこそ、これ以上紫御が罪を重ねる姿を見たくなかった。彼を想うが故に、彼を止める。その為に私は、冷静に彼と向き合う必要があるのだ。
「……もちろん、確実性が高いとは言えないよ。他に、明確な証拠があるわけでもないし、ね。……でもさ。人狼ゲームって、そういうものじゃない? 少しでも疑われたら即処刑、なんて良くある事でしょ?」
事実、美津瑠さんも神楽さんも唯も将泰さんも、そうだった。皆、自身の行いや、誰かのふとした一言がきっかけで吊し上げられた。
こじつけかも知れない。そもそも、そいつが人狼だと確信を持って判断したわけでもない。それでも、生き残る為には人狼を処刑しなければならない。
だからこそ、情報を“選択”する必要があるのだ。誰の言葉を信じ、耳を傾けるのか。きちんと吟味し、“選択”出来るかどうかで、運命を決する事もある。今回のように。
私は、紫御の事が好きだ。だけど、最後に信じたのは、光志郎だった。私を信じると言ってくれた、その言葉に応えたかった。良く、やると友達を失うと言われる人狼ゲームだが、そこには確かに、絆が存在していたのだ。
「……ふっ。くくく。あっははは! あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!!!」
「……し、紫御…………?」
突然、紫御が狂ったように笑い出した。普段、穏やかな彼らしからぬ様子に、私は思わず数歩下がってしまった。何か、嫌な予感がする。
「……また、光志郎かぁ。やっぱり、ちゃんと死んだか確認しておくべきだったなぁ。あいつは、昔から食えない奴だったもんね」
「な……! それじゃてめぇ、やっぱり………!!」
楽しそうに、それでいて残念そうに告白する紫御。……彼が、己が罪人だと認めた瞬間だった。その姿に、兄が吠える。
「そうだよ。僕が最後の人狼、カオルさ。結局バレちゃったけど、もうどうでも良いんだ。だって」
言うが否や、紫御は突然床を蹴ると、兄に突進する。元々体格の良い兄は、細身の紫御にぶつかられても、びくともしない。が、どこか様子が可笑しい。
刹那、兄から離れた紫御。その右手には、赤く、てらてらと光る何かを持っていた。すぐにそれが、大型のサバイバルナイフだと気付いた瞬間、私は一気に血が引くのを感じた。
「…………は?」
状況を理解出来ていない兄は、己の胸を染める赤を見つめ、そのまま後ろへと倒れ行く。大柄な身体が打ち付けられる鈍い音の後、仰向けに寝そべる兄の周辺の床が、一気に赤く染まり始めた。
「……兄さん?」
「どうせ死ぬんだもの。一人くらい道連れにしたって良いよね」
朗らかで人懐っこい笑顔が、私に向けられる。右の頬に、返り血がかかっていなければ、ずっと恋い焦がれて来た、大好きな顔だったのに。
己の青春を鮮やかにしてくれたその人は、今や殺人鬼に成り果てた。手にしているサバイバルは片方がギザギザで、とても殺傷力が高そうだ。
あの凶器が、この数日の内に亡くなった、仲間達の命を奪ったのか。そんな事をぼんやり考えながらも、私は自分の足が最早その機能を放棄している事に気付いていた。
そんな、馬鹿みたいに突っ立っている私の目の前で、紫御が自分の首筋にナイフを添える。その白い皮膚に刃が食い込むところを見た瞬間、私は、彼が何をするつもりなのか気付いてしまった。
「……サヨナラ、朱華。精々頑張って生き残ってみせてね」
あ、と思う間も無く、紫御が勢い良くナイフを引く。瞬間的に感じたのは、見慣れてしまった赤と、嗅ぎ慣れてしまった生臭さ。程無くして聞こえた、どさりという鈍い音が、呆けた自分を現実へと引き戻した。
途端、止まっていた時間が動き出したように、夜の食堂に私の悲鳴が響き渡る。
赤、赤。見渡す限りの、赤。そこに沈む二つの躯は、つい数分前まで話していた、生きていたヒトだったというのに! それが何故、何故!! こんな事に……!?
鼻先を殴り付けるような、強烈な血の匂いが眼前の光景に現実味を帯びさせる。一瞬にして生物から“モノ”に変わり果ててしまった二人が、酷く恐ろしかった。
衝動のままに、私はその場から転がるように逃げ出した。
兄と大切だった人の死も、自分がついに独りぼっちになってしまったという事実もすべて、置き去りにして。
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