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第一章

”約束”

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「まさか、噂は耳にしておりましたがその姿を目にする日が来るとは……!」

 再び天幕に集った領主や将官達は誰もがエルマーのように驚きを隠せず落ち着かない様子だったが、その中で特に動揺しているのが誰であろうドラゴンその人だった。
 ドラゴンといっても今は人の姿をしているのだが。

「普通に暮らしていれば軍人であってもまず竜人を目にすることはないからのう、珍しがるのも無理はないが……、客人相手に不躾だとは思わぬか諸君?」

 シグルズに窘められてエルマーたちは反射的に口をつぐんだが、その瞳からはいまだに好奇心が漏れ出している。

「……くわしく昔話をしてやりたいところじゃが、わしも彼と会うのは百年ぶりなのだ。ゆえに互いの空白を埋めるためしばらく暇をもらいたい」

 シグルズの意図を理解した面々は、声に出すこともなく我先にと天幕を後にした。
 完全に人の気配がなくなり軍旗が夜風にはためく音だけになると、シグルズは自分の艶やかな黒髪に指を這わせながら気恥ずかしそうに口にする。

「ひさしぶりだね、ヨル。僕のことはおぼえてるかい?」

 美術品のような少年をじっと見つめながら、竜人はゆっくりと頷く。

「シグルズ……、だよね、ひさしぶり。げ、元気だった?」
「そりゃもう、周囲が疎ましがるぐらい元気だよぉ!……まぁ立場と年齢のせいで言葉づかいはジジくさくなったけども」
「ふふ、だよねぇ。話しかたが記憶と違いすぎて君がシグルズなのか少し自信がなかった」

 静かに笑う眉目秀麗な上級魔族を懐かしそうに眺めると、シグルズは真剣な口調で問いかける。

「キミ、正直どこまで覚えている?そもそもの話、僕はキミをヨルとして扱っていいのかい?」

 竜人にとって少年の疑問はもっともなものだった。なにしろ彼と離れていた約百年間、魂を異界に追放されたせいで幾度も別人の生を暮らしてきたのだから。

「……この世界に生きていた頃の記憶はちゃんと残ってるんだ。だけど、異世界での俺の人格と記憶がそこに混ざりこんで、ぐちゃぐちゃになってて、なんていうかさ──」
「まだ受け入れられてない?」

 心配そうなシグルズにヨルは頷く。

「向こうの世界では普通の人間として、三回くらい死んで産まれてを繰り返しててさ……。それが急にこっちの世界に引き戻されて、今もまるで夢の中にいるみたいな感じで曖昧としてるんだ」
「でも姿を自在に操れているということは、戻ってきてからそれなりに経っているんでしょ?」
「えっと、たぶん三か月くらいは経ったかな。そのあいだは君が手配してくれた神官さんが世話してくれて、魔法の使いかたとか俺がいない間になにがあったかとか色々教わってたんだ」
「セルギウスのことなら、アイツ神官じゃないけど?」
「え?」
「神官に偽装した大魔王ヨルムンガルド信奉者の魔族だよ。あるとき視察に赴いた先で偶然意気投合してさぁ、しばらく雇い入れて手元に置いていたんだけど、キミが戻ってくる気がするって一年ぐらい前に急に飛び出しちゃったんだよねぇ」

 まくしたてるシグルズの話が鼓膜を滑っていくようで理解が追いつかないヨルだったが、あるワードだけははっきりと聞き取れていた。

「ちょっとまって!……そのさ、大魔王っていうの」
「キミのことじゃないか、ギンヌンガカプの統治者にして魔王の中の魔王。それがかつてのキミだったろ?」
「ああー!!!!」

 シグルズの言葉にヨルは突然奇声を上げて、自分が座っていた椅子に顔をうずめて身悶えしだした。

「発作かい!?」
「ち、ちがうけどちがわないっていうか~~~!?あー、やっぱり俺って昔魔王だったワケぇ?!」
「噓偽りなく歴史的に間違いなく魔王だったよ?」
「そんなぁ、恥ずかしすぎるっっ!!」
「なにが恥ずかしいんだい?!六天魔王を束ね二十四の属州を統治し、大戦では自ら戦場に立って猛威を振るい、挙句にボクらと女神を撃ち滅ぼして平和をとりもどしたのがキミじゃないか。どこに出しても恥ずかしくない大魔王だよ!」

 フォローの形をしたとどめの一撃にヨルは撃沈し、そのままぐったりと動かなくなった。

「ふむふむ。あちらでは空想世界を舞台にした物語が流行っていて、それに感化された頭の痛いヤツが魔族とか魔王を好んで演じていたから自分がそれみたいで恥ずかしいと」
「……はいその通りですぅ」
「それは確かにはずかしいよねぇ、大魔王ヨルムンガルド閣下?」
「やめろってぇ!?」

 大麦茶を片手にしばらく異世界での自分について話して聞かせると、理解力が高いシグルズはたちまち異世界事情を呑みこみ的確にヨルの心をえぐる。

「……あのさぁ、いくら君が頭いいからって異世界に対して理解力ありすぎじゃない?」
「それについては追々話してあげるよ。それより今後について軽く決めておかないかい」
「今後って、どこに泊まるかとかお金のこととか?……言っとくけどいまの俺は無職で無一文だけど」
「言わないでもそれぐらい分かるよ、衣食住に関しては当面ボクが面倒みてあげるから安心して。ボクが決めておきたいっていうのはさ、百年前に交わした約束のことだよ」

 約束。ヨルはその一言にかつての記憶を呼び覚ます。



「女神が遣わした戦士だけあるということか、独りで我が居城までたどり着くとはな。ようこそヴィーンゴルヴへ、居心地は悪かろうがゆっくりとしていくがいい」
「あいにくその暇はない、ヨルムンガルド閣下」

 守衛に武器を取り上げられ丸腰にもかかわらず、目つきを鋭くして言う少年にヨルムンガルドは警戒せずにはいられなかった。
 女神は自分が寵愛した人間に魔族をも寄せ付けない力の加護を与えるとされていたが、シグルズと名乗る人間は女神の加護とは対極的な古の魔物のようなオーラを滲ませていた。
 それまで強大な魔族や魔王を討ち果たしてきたが、その誰よりも危険な香りが漂っている。

「ならば我に何用なのだ人間よ、我をセスルーのユミル王の様に無残に殺すつもりか?」
「その予定はない」
「では何用なのだ」
「女神エレオノラを殺すのに手を貸してほしい」
「……は?」



「思えば君は初めて会った時から滅茶苦茶な子だったよね、たった一人で俺のところまで来るなり一緒に女神を殺して欲しいなんて。しかもあの性悪女神に異界送りにされる寸前に約束を絶対に忘れるななんて念押ししてさ、魔王を買いかぶりすぎだって」

 過去を懐かしむようにつぶやくヨルに、シグルズは穏やかな視線をむける。

「それで、覚えているのかい?僕との約束」
「……再会を果たしたら、一緒に青春を謳歌しよう。だろ?」
「そう!一字一句その通りだよ!!」

 嬉しいな!そう笑い声をあげたかと思えば、背丈からは想像もできない腕力でヨルの長身を抱え上げて、赤ん坊をあやす様に上下に揺らしはじめる。

「ちょっとシグルズ!?俺向こうでは思春期真っ盛りの高校生だったからマジ恥ずかしいんだけど!?」
「コーコーセーが何かは知らないけど、思春期の坊主は大人しく爺やに抱っこされとれ」
「……急に爺さんぶるなよなぁ」

 しばらく経って心配した様子のエルマーやライルたちが戻ってきた頃には、二人は完全に打ち解けてまるで子供の様に楽し気に話し込んでいた。
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