【完結】呪いの言葉

きなこもち

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八章 記憶の底

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 電話口の友里は、明らかに様子がおかしかった。切羽詰まったように、何かを言おうとしていた気がする。
 新は正直に言うと、それを聞く勇気がなかった。

 新はその時家にいた。
 父は一週間前、このマンションに帰ってきた。帰ってくるなり、父は新に、
「だれかをここに泊めていただろ?」
 と聞いてきた。
「誤魔化しても分かる。俺の部屋がきれい過ぎるしな。長期家を開けていたのに、埃一つない。洗濯や料理をしていたような後があるし、彼女か?」
 さすが大人というべきか、友里がここに住んでいたことは父にはお見通しだった。
「あー、いや。友達泊めてたんだよ。」
「友達?何日も自分の家に帰らないような友達か?おかしな関係ではないんだな?」
 新はうんざりした。普段家に帰らないくせに、急に口を出してくることが煩わしかった。
「違うって!別に普通の友達だよ!勉強したり家でゲームしたり、楽しかったから泊まってくれって俺から引き留めてたんだよ。」
 新がそう言うと、父は申し訳無さそうな顔をした。
「·········俺や母さんが、ずっとお前のこと放っておきすぎたからだな。すまなかった寂しい思いをさせて。これからは、仕事は調整することにした。大学も家から通いなさい。······今は将来の決まる大事な時だ。新、付き合う相手は選びなさい。」
 父からの説教は新を腹立たしくさせたが、一方で友里との距離を考え直すきっかけとなった。

 今、家に帰っても友里はいない。以前の生活が恋しくはなるが、学校では友里といい距離を保てていると思う。

 友里の危うさは沼のようで、深みに嵌まると抜け出せなくなるだろう、新の本能がそう警告していた。

 ここがきっと分かれ道なのだ。

 普通に恋愛し、大人になって好きな女と結婚する。
『男しか愛せない』のならば、その道は選ばないのだろうが、新は同性愛者ではない。
 友里に特別な感情を抱いているだけだ。

 将来のことも考え、知美にちゃんと向き合おう。そう心に決めた。

 それなのに、先程切った友里からの電話が頭から離れなかった。
 友里の言葉を、最後まで聞くべきではなかったのだろうか。

 何か取り返しのつかないような思いに囚われ、新はかかってくるはずのないスマートフォンをしばらく握りしめていた。


 ◇


 はぁはぁ。

 地面に転がった友里と横山は、しばらく呆然としていた。荒い息が、肩を大きく上下に動かした。

 友里が横山に目をやると、転んだ拍子に肘のあたりが大きく擦りむき、血が出ているのが見えた。
「·············横山·····肘、血出てる。」
「そんなことはどうでもいい!!!」
 横山は突然友里を怒鳴り、勢いよく両腕を掴んだ。
「何で!?何でこんなこと·······!死ぬところだったんだぞ!?」
 友里は呆気に取られ、怒鳴られたことに怯えた様子を見せた。
「ごめん。分かんない········死にたいと思ったのに急に怖くなって·······迷惑かけてごめん。」
 二人のやりとりを、通行人がジロジロと見ながら脇をすり抜けていく。
「·······怒鳴ってごめん。冴木、ついてきて。立てる?」
 手を差し出し、横山は友里を立たせた。友里はぐらっとよろめき、横山の胸元に倒れかかった。

 横山は友里に怪我がないか、全身を見渡した。裸足なのも気になったが、足首から踵に伝って細い線の血が伝っている。
「冴木········血··········」
 そう言いかけた時、足首に流れる血がどこからきているのか、横山は気づいてしまった。
「え?」
「何でもないんだ。行こう。」
 横山は友里に肩を貸しながら、ゆっくりと歩いた。

 友里が連れてこられたのは、ここ辺りでは珍しい古びた一軒家だった。
「ここ俺ん家。」
 横山に付いて友里が中に入ると、畳の部屋が二部屋あり、部屋の隅に比較的新しい仏壇が置いてあった。

 友里は仏壇の前に座ると、静かに手を合わせ目を閉じた。
「俺のばあちゃんなんだ。一年前に亡くなってさ。今は俺一人で住んでる。·······手、合わせてくれてありがとう。」
「そっか。」
 友里はそういうと、居間に移動し、畳の上にゴロンと横になった。
「なぁ、横山。俺臭くない?」
 横山は友里に顔を近付けた。
「別に臭くない。」
「いや········臭いよ。匂いが取れないんだ。風呂借りていい?」

 友里に風呂を貸したが、しばらく待っても戻ってこない。

 横山は心配になり、脱衣所から友里に声をかけた。
「冴木、着替え俺のやつ置いとくから使って。············おい大丈夫か?」
 シャワーの流れる音と、友里の何かをブツブツと呟く声が聞こえた。明らかに様子がおかしいので、横山は思い切って浴室のドアを開けた。
「冴木!?どうかしたのか?·······」
 友里は頭をシャワーに打たれながら、一心不乱にタオルで体をゴシゴシと擦っていた。強く擦りすぎた箇所が赤くなり、所々血が出ていた。
「冴木やめろよ!」
「消えない·····消えない········!」

 横山は堪らなくなり、友里を強引に引っ張り浴室から連れ出した。
「汚れてないよ冴木!お願いだからやめてくれ······!」
 友里の体にバスタオルをかけようとした時、横山の目に友里の裸体が写り込んだ。

 友里の身体のあちらこちらに、執拗なまでに残された『痕跡』は、友里がどんな目にあったのか容易に想像できるものだった。
「ゆう··········!」
 横山は悲痛に顔を歪め、友里を力強く抱き締めた。
「離せよ!!離せ!!」
 友里は横山の腕の中で暴れたが、それでも横山は腕の力を緩めなかった。
「ゆうごめんな·····俺、お前に何もしてやれなかった。大丈夫だよ。俺はお前を傷付けない。大丈夫、大丈夫······」
 横山が諦めず友里の背中を擦っていると、友里は次第に大人しくなった。
 そして横山の広い肩に顔を埋めしがみつき、声を殺して泣き出した。
「うぅっ·········横山ぁ!」
「泣いていいよ冴木。風邪ひくから、暖かくしような。」

 友里は服を着させられた後、居間に座り、横山にドライヤーで髪を乾かされていた。
 横山のことをなぜだか、面倒見の良い兄のように感じた。
 友里は、横山に親しみを感じることが不思議だった。

 ドライヤーの熱が心地良い。泣き腫らした顔をしたまま、友里は黙って横山のされるがままになっていた。
 いつもは人に頼りたくない友里だが、今は妙に面倒を見てもらうことが嬉しかった。
「冴木の髪サラサラだな。俺は剛毛だから羨ましい。」
 友里は横山の方を振り返り、ずっと感じていた疑問をぶつけた。
「··········横山はさ、なんで俺に優しくしてくれるの?」
 横山は困ったように笑うと、立ち上がり、アルバムのような冊子を手に戻ってきた。

「·······?写真?」
 友里が中を見ると、幼い頃の横山の成長記録が納められていた。横山の両親や祖母もあちらこちらに写り込んでいる。
「フフッ委員長かわいい。」
「そのあたりは見なくていいから!こっち。」
 横山は恥ずかしそうにページをめくった。時は流れ、小学校三、四年くらいだろうか。

 一枚の写真に目が留まった。
 まだふっくらとしていた頃の横山と、やんちゃそうな一人の少年が、笑顔でピースしていた。

「··············これ、俺?」
 見覚えのあるその顔は、友里自身の幼少期だった。
「うん。俺両親が離婚してさ。三年生の時にばあちゃん家に預けられたんだ。それで、内気だし太ってたしで、なかなか馴染めなかったんだけど·····この街で、最初にできた友達が冴木。」

 友里は混乱していた。横山と俺が友達だった?何も覚えていない·······
(あぁ、そうか。俺忘れてたのか。)
 友里は合点がいった。

 六年生に悪夢のような経験をした友里は、脳の防御反応なのか、小学生時代の一部分だけがすっぽりと抜けたようになっていた。
 それも、楽しい思い出ばかりが。

「横山、俺忘れてたみたいだ。ごめんな。」
 友里が肩を落とすと、横山は首を振った。
「ううん。冴木が大変だったの知ってるから。俺、冴木が入院して、学校に来れなくなったのも知ってたんだ。それで、何度も家まで行ったんだけどさ、そっとしておいて!って義理のお母さんに断られて。尻尾巻いて逃げたんだ。」

 静は、友里が壊れている方が都合が良かったのだろう。仲の良い友達など邪魔だったに違いない。

「でも·······中学でも高校でも、言ってくれたら良かったのに。俺嫌な奴だから話しかけづらかった?」
 友里が苦笑いすると、横山は慌てて首を振った。
「違うんだ!······冴木、やっと普通に話せるようになってたし、もう思い出したくもないかなって。それに、高校入ってからは羽柴と仲良いみたいだったから。話しかけるタイミングがなかった。」
 確かに、休み時間も昼休みも放課後も、友里は新とばかり一緒にいたから声はかけづらかっただろう。
「そっか。でも、今分かって良かったよ。俺たち、そんなに仲良かったの?」
「うん。毎日公園で遊んでたよ。ゆう····冴木はこの家にも遊びにきて、俺のばあちゃんも可愛がってた。だから、今日会えて喜んでると思う。」
「へぇ········俺のこと、『ゆう』って呼んでたんだ?俺は横山のことなんて呼んでた?」
 横山は照れくさそうに頭を掻いた。
「あー····『そう』だったかな。」
「『そう』ね。『横山壮一』だもんな。じゃあ、今日からまた、横山のこと『そう』って呼ぶわ。」

 壮一に、友里の知らない昔話を少し聞かせてもらった。温かいお茶を飲んで落ち着いた友里は、その日の疲れやストレスからか、急に眠気が襲ってきた。
「ゆう、布団で休みなよ。疲れただろ?明日も休みだし、何も考えずゆっくりしよ。」

 布団に寝かされた友里は、部屋から出ていこうとする壮一を呼び止めた。
「そう、お願いがあるんだ。こっちきて。」
 壮一は言われるがまま、友里の隣に膝をついた。
「俺のこと抱き締めて。さっき、風呂場でしてくれたみたいに。」
 壮一はギョッとし、しどろもどろになった。
「えっ、な、なんで」
「いいから!」
 友里は強引に壮一に抱きつくと、肩の辺りに顔を埋めた。
「そうの匂い、落ち着くんだ。おひさまと洗剤の匂い。」
 甘ったるい香水や、サラリーマンのすえた匂いとは全く違う。
「汗かいてるから········」
 壮一が後ろに体を引こうとすると、友里は壮一の背中に回した腕に力を込めた。
「いいよ。汗の匂いも好き。」
 壮一は困り果てながらも友里のいいなりになり、身を硬くしていた。
「そう!緊張しすぎ。ごめんな困らせて。ありがとう。」
 友里が壮一の身体を解放すると、壮一は少し残念そうな顔をして友里の頭を撫でた。
「ゆう、ここにいつでも来ていいから。俺一人だし、何も気にしなくていいから。だから········逃げ場がないって思うな。俺、ゆうの為なら何だってできるよ。」
「········何だよそれ。でもありがと。」
 友里はそういうと、壮一に背を向けて寝たふりをした。

 壮一の優しさが身に沁み、布団の中でまた少しだけ泣いた。










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