【完結】呪いの言葉

きなこもち

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最終章 一緒なら

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 クリスマス イヴの夜。

 今年で二十八歳になる田中一郎は、仕事で疲れた体を引きずりながら、古びたアパートの階段をダラダラと上がった。

 ドアを開けると、何の面白味もない殺風景な和室が目に入る。
 雑誌や衣類で散らかっていて、和室の中央にこたつだけが置いてある。

 格安のボロいアパート、社畜サラリーマン、平凡な名前に平凡な容姿。
 そして、イヴの日に彼女もいないひとりぼっちの俺。

 一郎は自嘲気味に笑うと、冷え冷えとしたこたつに足を突っ込んだ。
「はぁ~······なんて冴えない人生なんだ。」

 仕事の疲れから、こたつの暖かさで眠気に襲われウトウトしていると、角部屋にあたる隣人の笑い声が聞こえてくる。
 古いアパートは壁が薄く、隣人のコップを机に置く音ですら聞こえてくるのだ。

 一郎は苛ついていたが、他人の私生活とはどういうものか興味が湧き、それとなく聞き耳を立てた。

『········ケーキグチャグチャじゃん!』
『だって自転車のかごに乗せてきたから·····』
『馬鹿!普通手に持つだろ!?』

 親しげに話すその声は、男女のカップルのものではない。
 
 隣人は男の恋人同士のようだった。

 始めはただの友人なのかと思ったが、夜になると『アレ』をしているであろう声が聞こえてきた。

 これが男女のものだったら一郎も聞き耳を立て楽しめるのに、男同士の『アレ』を聞かされるなどたまったものではない。しかし、結局は好奇心に勝てず、壁に耳を当ててしまうのだ。

 平凡な一郎の、唯一の平凡じゃない点。それは、隣人がゲイカップルだということだった。

 夜は更け、深夜になった。
 イヴの夜なので当然、今宵も耳を澄ますと例の声が聞こえてくる。

 独り身で寂しく過ごす一郎のイライラは頂点に達し、思わず壁を拳でドンッと叩き、
「うるせぇんだよ!!」
 と叫んだ。

 一瞬隣はシーンと静かになったが、少しすると笑いを堪えたようなひそひそ声が聞こえてきた。
『········怒られちゃった。』
『お前が声うるさいから·····』
『だってあらたが·········』

 尚もイチャつき続けるその声を聞いていると、一郎は急に虚しさが押し寄せていた。ゲイカップルですらこんなに幸せそうなのに、自分はなんて惨めなんだろう。
 一郎は布団に入り、何の声も聞こえないよう、頭まで布団を被り眠りについた。

 翌朝、一郎は冷え冷えとした空気に体を震わせながら、ゴミ捨て場までゴミを出そうと玄関のドアを開けた。
 その時、たまたま隣の部屋もガチャリと扉が開き、部屋の住人と鉢合わせになった。

 男は長身で金髪だった。緩いスウェットを着てはいるが、服の上からでも何か運動でもしていたと分かるほど、全身に筋肉がついているのが分かる。
 端正な顔立ちをしていて、どう見ても一郎とは正反対で女に困らなそうなのに、この男がゲイとは神様は気まぐれだなぁと少しだけ愉快になった。

 男は気だるげな表情で一郎を見下ろすと、若干申し訳なさそうな顔をして
「あ······昨日はうるさくてすみませんでした。」と頭を下げた。

 どうみても会社員ではない。
 フリーターかホストか、とにかくまともな仕事ではなさそうだが、意外にも礼儀をわきまえている奴だと感じた。

 金髪の男に一瞬気後れした一郎だったが、相手に敵意がないことが分かり途端に気が抜けた。
「あーいえ!気にしないで。昨日もお楽しみだったみたいで!」
 何か上手いこと話そうとしたのが空回りし、まるで聞き耳を立てていたようなおかしな言い方になってしまった。

 男は『なんだこいつ』とでも言いたげな顔をし、一郎を二度見しながら玄関の扉を閉め中に入った。


「友里ー。隣の部屋の田中、『昨日もお楽しみだったみたいで!』だってさ。クククッ······聞き耳たててやんの。」
「あーもう。だから引っ越そうっていったじゃん!お金貯まったんだしこんな安アパートじゃなくても·······」
 文句を言う友里の後ろから、新が抱きついた。
「えー、でもここ俺気に入ってるんだ。散歩気持ちいいし、このボロボロ感が雰囲気あるし、風呂狭くて一緒に入ったら楽しい。」
 友里は新の髪をクシャクシャと撫でた。
「じゃあ、俺は田中にずーっとやってる声を聞かれなきゃいけないわけ?」
「今日は声抑えてみようぜ。それはそれで興奮する。」
 友里は呆れながら、愉快そうに笑っている新の唇を塞いだ。
「···········いいよ。今からしてみる?」
 すぐに新の情欲に火がつき、喜んで友里の提案を受け入れた。


 狭い布団の中でくっついていると、互いの肌の体温が湯たんぽのように暖かい。新は友里の頭を抱え込むように抱き締め、額に何度も口付けを落とした。

 今となっては、だだっ広くて綺麗なリビングやキッチンも、クイーンサイズのベッドも、百貨店で買ってきた高級惣菜も、新にとっては特に意味のない不必要なものだった。

 血の繋がりのある両親は絶対的な存在だと思っていた。
 だが一度離れてしまえば、子どもよりも仕事を優先し続けた親に強い執着も未練もなかった。育ててくれた恩は感じるが、子としての義理を果たそうなどとは考えもしなかった。

 友里といるこの壁が薄くて冬は寒々しいボロアパートこそが、新にとっての安住の地だった。

「新。お前、一回家に帰れば?」

 唐突に友里にそう言われ、新は内心ドキッとした。新が最も恐れているのは、友里が別れを示唆するような発言をすることだった。

「···········え?何だよ急に。」
「だって、静が消えたことは五年経った今でも表沙汰になってないしさ。新のご両親、一時期捜索願出してたじゃん。家出してたってことにして、顔見せてあげたら?それに、新なら今からでも人生取り戻せるよ。俺とこんなところにいないでさ。」
 友里は布団から身体を起こし、服を着てベランダに出た。

 友里はずっと、新に対して罪悪感を持って生きているようだった。
 自分のせいで、新に殺人をさせてしまった、すべてを捨てさせてしまったと思い込んでいる。

 新からすれば、友里を縛っているのは自分の方だという自覚があった。静を殺さなければ、友里は上手いこと静と縁を切り、一人で気楽に生きていたかもしれない。

 でもそうはならなかった。

 友里は新を捨てられない。自分の為に殺人までした新を突き放すことはできない。
(友里、俺屑でごめんな。でも、お前の罪悪感を利用してでも、俺はお前を手放してやれない。)

 新はベランダに出ると、ぼーっと外を眺めている友里を後ろから抱き締めた。
「友里。愛してる。俺の居場所はここだよ。」
「··············うん。俺も。」

 友里は愛を口にしない。まるでその言葉が呪いかとでも思っているように。

 新は仕事に出ると声をかけ、アパートを出ていった。



 田中一郎はゴミ捨てを終え、こたつに入ってゴロゴロしていた。
 煙草でも吸おうとベランダに出た時、隣人もベランダに出ていることに気が付いた。

 隙間から足元が見えるが、先程玄関先で出くわした男ではない。
(さっきのやつの相方だ········!)
 毎晩の声を聞いている一郎は、なんとしてでも声の主の顔を拝んでやりたいという謎の好奇心に見舞われた。

 落とすふりをして、ベランダを仕切っているパテーションの下から電子タバコを投げ入れた。
「あっ!」
 一郎の声に反応し、隣人の男が身動ぎをするのが分かった。
「す、すみません、落としてしまって··········取りに行ってもいいですか?」
「·············ああ、はい。」
 抑揚のない、心地良い声だった。余計に顔を見てやりたいという一郎の好奇心は膨れ上がり、すぐに隣人の玄関先でドアをノックした。

 中からゆっくりと扉を開けた男は、少し警戒しながら一郎の電子タバコを差し出した。
「はい、これ········」
「ありがとうございます。」
 一郎は受け取るついでに、男の顔をまじまじと見た。

 黒くてサラサラの髪は前髪が長く、目を覆っていた。
 顔は青白く痩せているが、やつれた感じはしない。肌のキメが細かく、全体的にこづくりで平凡だが、整った顔立ちをしていた。
 若いとは思うのだが、この男の醸し出す雰囲気はどこか物憂げで色気があった。
「あー·······初めて会いましたね!昨日はごめんなさい、イライラしちゃってて。」
 一郎が声を掛けると、男は気まずそうに首を横に振った。
「いえ、うちがうるさかったので·····田中さん、すみませんでした。」
 毎晩の声の張本人がこの目の前の男だと思うと、一郎は妙なざわざわとした気分になった。それは紛れもなく、この男のごくプライベートな部分に触れているという秘密めいた興奮に他ならなかった。
「俺、田中一郎です。二十八になります。あなたは?」
 一郎の突然の自己紹介に男は一瞬面食らったようだったが、隣人ということで無下にもできず、おずおずと口を開いた。
「田中、一郎さん。俺は···········山田です。山田友里です。二十三です。」
 一郎と同じくらいかと思ったが、意外にも五歳年下だと分かり、一郎はこの警戒心丸出しのリスのような男が途端に可愛く見えてきた。
「まだ若いんだね!じゃあ、友里君って呼んでもいい?」
「え?············あ、はぁ。」
 明らかに困惑した様子の友里がおかしくなった一郎は、ちょっと待っててと言い、家の冷蔵庫の扉を開けた。

 年末に一人で贅沢しようと思って取り寄せた冷凍の蟹脚を持ってきて、友里に手渡した。
「···········あの、········これくれるんですか?」
「うん。一人で食べるには多すぎるから。彼氏さんと食べて。」
 友里はしばらく蟹を見つめていたが、控えめな笑顔をみせ、「ありがとうございます。」と礼を言った。

 友里のはにかんだような笑顔を見た瞬間、一郎は独り身の寂しさや日頃のイライラを一瞬忘れ、幸せな気持ちになった。

 自分でも本当に不思議なことだが、一郎は隣に住む、物憂げな青年に会うことが唯一の楽しみになった。
 ベランダに出ていれば、一郎も偶然を装いベランダに出て声をかけた。

 金髪の男は土日が仕事のようだったから、その隙をついて友里に食材を差し入れしたりした。

 友里は最初は断り、困った顔はするものの、結局は一郎の差し入れを受け取ってくれた。

 そして、夜に毎晩聞いていたあの声は、今はほとんど聞こえなくなった。声を抑えているのか、アパートではやらなくなったのかは分からないが、友里の秘密の部分を垣間見ることができなくなった一郎は、憤りさえ感じるようになっていた。

 布団の上で悶々としていると、僅かに隣の部屋からうめくような声がし、一定のリズムで振動しているのに気が付いた。
(やってる·······!)

 一郎は興奮と嫉妬心が入り混じり、荒い息を吐きながら下着の中に手を入れた。すぐに絶頂に近付き達する瞬間、夢中になった一郎は、心の声がはっきりと言葉に出てしまった。
「友里君·······!出ちゃうよ!!」
 一郎はそう叫ぶと、呆気なく手の中に勢いよく白濁色の液を流し、放心したまま天井を見つめていた。

 隣の部屋がシーンと静まり返っていることに違和感を持ったのも束の間、一郎の部屋のチャイムがなった。

 ドアを開けた瞬間、隣室の金髪の男がドアの間に足を挟み、部屋に押し入って一郎の胸ぐらを掴んだ。

「お前気色悪いんだよ。聞き耳立てんなこのストーカー野郎。」
「·········な、!!」
 一郎が恐怖でジタバタしていると、金髪の男は力任せに一郎を床に引き倒した。男は最大の侮蔑を込めて、一郎を見下ろしていた。
「友里に近寄るな。色々持ってくるのもやめろ。迷惑だから。」
 そう言い捨てた後、男は足音荒く部屋を出ていった。


 ふて寝をしている新の背中に、友里はそっと手を置いた。
「新。ごめんって。」
 新は布団を頭まで被り、友里の言葉を無視した。

 こんなことがあるのは実は初めてではなかった。

 一度目は、中年の大家の女性だった。何かと親切にしてくれたので、新も友里もまさか下心があるとは思っていなかった。寝室から盗聴器が見つかり、状況的に大家しかありえないということで、引っ越しを余儀なくされた。

 二度目は、マンションに住んでいる男子学生だった。自転車がドミノ倒しになって困っていたところを、たまたま通りかかった友里が手伝ったことで目をつけられた。
 毎日のようにポストに恋文のような手紙が入り、友里が部屋から出てくるタイミングを待ち伏せするようになった。注意はしたが、付き纏いは収まらず、二度目の引っ越しは避けられなかった。

 そして今度は、サラリーマンである。

 新は布団から顔を出すと、ふてくされた顔で友里に文句を言った。
「お前ってメンヘラ製造機なの?それともメンヘラ気質があるやつが寄ってくるの?どっち?」
「さぁ。それは俺にも永遠に分かんない。新、だから言ったじゃん。俺といてもいいことないよって。意味分かっただろ?」

 新は皮肉げに笑った。
 何故なら、友里に出会ったことによってメンヘラになってしまったのも、メンヘラ気質があったのも、まさに新のことだからだ。

 田中一郎や、恋文を入れる学生よりもずっと、友里に対して拗らせた想いを抱いているのは新自身だろう。

「でもまぁ、俺が一番頭おかしいからな。愛想つかさないでくれてありがとう友里。············このアパートもそろそろ潮時かな。今度は南の島はどうだ?俺、一度住んでみたかったんだよ!」
 新が瞳を輝かせながら言った。

 友里は新の顔を見ながら愛しさが込み上げ、目を細めて笑った。
「いいね南の島。でもほんというと、俺、新とだったらどこでもいいんだ。」
「·······俺も。」
 新は表情を隠すように下を向き、ひどく幸せそうに微笑んだ。

 ◇

 大学院に進んだ横山壮一は、専門である海洋生物の研究で、研究室の仲間達と共に沖縄のとある島に来ていた。

 夕暮れ時、バーベキューをしようと盛り上がっているメンバー達を抜け、一人海岸沿いに来ていた。
 わざわざ南の島まで来たのだし、この時間しか見ることのできない生物をどうしても発見したかった。

 海沿いを歩いていると、波打ち際で膝下だけを海水につけ、バシャバシャと歩いている一人の男がいた。夕日が差し、顔はよく見えない。

 遠目からしか見えないが、現地の人のように日焼けをしておらず、長袖の白いシャツを着ていて、どうみても泳ぐような格好ではなかった。
 一人でブラブラと、波打ち際を行ったり来たりしている。

(変わった人だ。··········)

 壮一がなんとなくその男を見ていると、向こうもこちらをじっと見ているようだった。

 日が落ち、男の顔が鮮明に見えた時、壮一は目を見開いた。

「·············そう?」

 壮一が好きで堪らなかった、木漏れ日に揺れるような柔らかい声がした。

 幸せの訪れる鈴の音が、控えめにリンとなった気がした。


 ~終~

 ご愛読ありがとうございました。













     
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感想 1

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みんなの感想(1件)

おこめ
2024.11.13 おこめ

可哀想な受けくん大好きです…!
もぶの未遂も好きですが、攻めの助けが間に合わない展開はさらに大好きなので…おもしろかったです〜!ありがとうございました…🙏✨
素敵な作品ありがとうございました!
田中さんみたいな第三者視点も好きなので、また機会があればお願いします🤤💭

2024.11.13 きなこもち

おこめさん
拙いものを読んでいただきありがとうございました!🙇
また次作でも楽しんでいただけたら嬉しいです✨

解除

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