ベロシティ・シューター・L

遭綺

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キラー・キス

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オニキスに撃たれた。
その事実だけが、脳裏に焼き付いたまま離れない。
自分はあれからどうなってしまったのか。

鼻腔から何かの匂いが入って来た。
自分はまだ生きているらしい。
ゆっくりと目を開けてみる。
知らない天井。ここは病院か。
淡い蛍光灯の光が降り注ぐ。
どうやら自分はベッドに横たわっているらしい。
どうして自分がここに居るのかはわからない。
誰かに助けて貰ったのだろうか。
んっ? 助けてもらった?
「ッ! オニキスは!」
慌てて上体を起こす。
あんな物騒なモノが他の人の目に触れたら色々とよろしくない。
だが、智嗣は動きを止める。
「えっ?」
ベッドの脇で椅子に腰掛けたままウトウトとしている颯太の姿があるのだ。
「そ、うたさん…」
眼鏡を掛けていないので、顔がぼんやりとしか見えない。
だけど、その気配だけで彼だとわかった。
智嗣の震える声に、ハッと颯太は目を覚ました。
「あ、智嗣さん。気が付きましたか」
その声を聴いただけで、オニキスの事などどうでも良くなってしまった。
「颯太さん。ど、どうしてここに!?」
「自分もここ数日の記憶がないんですけど、気が付いた時にはこの病院の入口に居たんです。
変に胸騒ぎがして、たまたま智嗣さんの名前を尋ねたらここで入院していると聞いて驚いちゃって。お見舞いを兼ねて病室にお邪魔させてもらったんです」
颯太は淡々と話す。
所々気になる部分もあったが、智嗣は そうだったんですね とだけ答えた。
「ところで智嗣さん、何の病気で入院を?」
「えっ、あ、そ、それは…その」
銃で撃たれたなんて口が裂けても言えない。
(そう言えば、傷口とか痛みとか、全然ない)
病衣の上から自分の胸に手を触れてみたが、これと言った傷が見当たらない。
何が起きているのか。
「多分、学校で倒れたんだと思います」
「憶えていないんですか?」
「…はい」
「それは、大変でしたね」
颯太はそれ以上、詮索して来なかった。
「智嗣さん、何か欲しいものあります?」
「えっ?」
「飲み物とか。食べたい物とかあれば。あ、食事は良いのかな」
颯太は立ち上がって、智嗣の元に歩み寄って来る。

ち、近い。

「そ、それじゃあ、お茶をお願い、出来ますか」
「お茶ですね。わかりました。ちょっと待ってて下さい」
颯太はフッと笑ってから、病室を出て行った。
気配が無くなったベッドの上で、智嗣は大きく息を吐いた。
「き、緊張したぁ」
すぐに智嗣は身体をくねらし、布団を強く握り締める。

(何か欲しいものありますか?)
あの声と質問を聞いた時、思わず口にしてしまいそうな言葉があった。
「一番欲しいのは、颯太さんなんですよ」
一言、ボソリと呟いた智嗣であった。
全く、自分は何を言っているのか。

そしてすぐ、智嗣は冷静さを取り戻し、自分の手荷物を探した。
ベッドの脇にある、サイドチェストの引き出しを開ける。
運よく、少し草臥れた自分のバックがそこに収められていた。
ベッドを抜け出てすぐさまその中身を確かめる。
愛用の眼鏡、スマホ、財布、講義を受ける時のノート、教科書、筆箱。
そして、あの漆黒の銃。
自分が知らない間に、誰かの目に触れたのかわからない。
まるで智嗣を見張る様にそこに横たわっていたようだった。
笑って居る様に思える。
とりあえず狼狽える事はせず、平然を装う事にしよう。
もう自分は後には戻れないのだから。
智嗣はオニキスを見つめながら怪しく笑い返した。

しばらくして、颯太が戻って来た。
「お待たせしました、智嗣さん。はい、どうぞ」
ニコリと笑いながら、颯太はペットボトルのお茶を差し出した。
「ありがとうございます。色々すみません」
「いえ」
それから束の間、静寂があった。
二人同じタイミングでお茶を飲む。乾いた喉がようやく潤う。
俯きながらも、時々颯太に気付かれないように、彼の顔を覗く智嗣。
自分とは真逆の整った顔に思わず見惚れてしまう。
嗚呼、さっき眼鏡を掛ければ良かった。
そうすればしっかりと彼の顔を見れたのに。

人は美しいものを見た時、何も言わずただため息が漏れる生物のようだ。

「どうかしましたか?」
「あ、え。な、なんでもないです」
智嗣はすぐに視線を明後日の方へ向けたので、颯太は首を傾げていた。
「そう言えば」
颯太は言葉を続ける。
「退院はいつ頃なんですか?」
「えっと、まだ、未定と言うか」
智嗣は曖昧に返事をした。
「退院したら、また一緒にカフェ行きたいですね」
颯太は変わらず自分と接してくれる。
その純粋な気持ちが智嗣の心を締め付ける。
自分のせいで彼の人生を滅茶苦茶にしてしまったのに。
その優しさに自分は甘え、あまつさえ、悪魔に魂を売ったと同義の事をしているのに。
だんだん自分が情けなくなってきて、悲しくなって来た。
「ごめんなさい、颯太さん。僕のせいでこんな事に」
智嗣は感情を抑える事が出来なかった。自然と涙を流してしまっていた。
「僕が使っちゃいけない力を使って、颯太さんの人生を…僕は!」
視線を戻したその瞬間、目の前に颯太の顔が映り込んだ。
「智嗣さん、大丈夫ですよ。君は何も悪くない」
彼は自然の流れで、智嗣の頭を優しく撫でる。
手の届く範囲に彼が居る。
その事実だけで智嗣は満足だった。
彼の手は本当に温かい。

「颯太、さん」
思わず智嗣は自然に彼の手に触れてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい」
顔を赤らめながら、すぐにその手を放す。
もぞもぞする智嗣の姿に颯太はフッと笑う。
「智嗣さん、可愛いですね」
次の瞬間、颯太はそう言って、智嗣の頬にそっとキスをしたのだ。
「ッ!?」
その瞬間、智嗣は空に舞い上がる気持ちと美しい海に身を預け浮遊する気持ちに包まれた。
もうどうなっても良いと思った。

「早く元気になって下さいね」
颯太はそう言って笑顔を見せる。
こんなに近くに居るので、眼鏡を掛けなくても彼の顔がはっきりわかる。
「颯太さんはズルいです」
智嗣は恥ずかしさのあまり、枕に顔を埋めるのだった。
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