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3.フランツ①
女将さんから紹介された店は、王都のど真ん中にあった。貴族御用達の店が立ち並ぶ高級店街に一際豪奢な店を構えている。前の世界ではこんな所で堂々と娼館が商いをするなんてあり得ないが、貞操観念がぶっ壊れたこの世界では娼館は決してこそこそと通うような場所ではないし、娼婦は器量と技量で大成した人格者という尊敬の対象だ。王都の高級娼館所属の娼婦ともなればハリウッド女優もかくやというような憧れを抱かれる存在である。
そんな場所で俺なんかが通用するのだろうかと不安しかなかったが、戸惑っている間にあれよあれよと話は進み、水揚げの準備が整えられていった。経験が全くないという話をすると大層驚かれたが、それならば最初のお客様は格別な方にお願いせねばなりませんね、と娼館の主人は張り切っていた。高級娼館だけあって、客は貴族がほとんどでそれも相当に位の高い人ばかりだというから、その中でも格別というとまさか王族に連なる方だったりしたらどうしようと俺は数日前から緊張していた。お客に対してだけじゃない。その日を境に俺は色んなものを捨てることになるのだと、緊張と共に悲愴な思いに囚われることもあったが、この世界で生きていくならきっと俺も慣れるだろうと自分で自分を励ましていた。
そうして迎えた俺の男娼としての初日。緊張のあまりベッドサイドで直立不動の俺の前に現れたのは、思わず拍子抜けしてしまうような客だった。
「うっわぁ……。噂には聞いていたけどそれ以上! 可愛い~!」
感極まったようにそう言って、俺は抱きしめられた。重苦しかった部屋の空気が、一気に明るくなった。
すらりと背が高く白金の髪に黄金の瞳、完璧なまでに整った顔立ち、と見た目だけはそれこそ王子様のようだったが、言動はまるで小さな男の子みたいだ。胸の内に俺を抱きしめ見下ろしながらニカッと屈託のない笑顔で笑いかけられると、俺の張り詰めていた緊張の糸もするすると解けていった。
その人は自らを「フランツ」と名乗った。そして俺のことを初対面で「ハルちゃん」と呼んだ。……いや、いいんだけどね、別に……うん。
俺はこの人に男としての矜持を捧げるのかと覚悟を決めてベッドに腰かけたのだけど、フランツは俺に触れるどころか延々と世間話をし続けた。そこで俺は娼館の主人の言っていた「格別」の意味を理解した。フランツはとにかく話が面白いのだ。面白おかしい話で笑わせられたかと思えば、白熱した議論を交わしてしまうような興味深い議題もあり、はたまた膨大な知識に裏付けられた斬新な学説を見事な話術で聞かせてくれたりもする。フランツは初めて客を取る俺の緊張など微塵も残らないほど有意義で楽しい時間を俺にくれた。娼館の主人は俺に、客とはいえ誰かと二人きりで過ごす楽しさを教えてくれようと、話術に富んで人当たりもいいフランツを選んでくれたのかもしれない。
あっという間に時間は経ち、随分と夜が更けていた。
「もうこんな時間か。そろそろ寝ようか」
フランツがそう俺に笑いかけた時に、完全に消えていた緊張が戻ってきた。俺は男娼だ。寝る、とはつまりそういうことだ。俺は覚悟を決めてベッドに横たわった。フランツは明かりを消してベッドに上がると俺の隣に横になる。フランツの動きに全神経を集中させて身体を硬らせていたが、待てど暮らせどフランツが俺に触れてくることはない。しばらくして、ギシリとベッドが軋んだ音を立て、フランツがこちらに体を向けた。ぎゅっと閉じていた目蓋を開けてちらりとその顔を覗いてみると、俺は驚きのあまり思わず、えっ、と声を漏らしてしまった。
フランツは穏やかな顔ですっかり寝入っていたのだ。
文字通り、寝てしまった。どうしよう、これは男娼としてこのままでいいのだろうか。
「フランツ……?」
呼びかけてみたが返事はなく、規則正しい寝息が返ってくるだけだ。フランツがたまに寝返りを打つ度にドキリとして身体を強張らせたが、結局朝までフランツは健やかに睡眠をとり、笑顔で、またねと出て行った。
拍子抜けだった。フランツが出て行った部屋で一人茫然としていた俺は、一体何だったんだろうと狐につままれたような気分だったが、その内に緊張からの疲れと眠れなかった分の睡魔が襲ってきて夕方までぐっすりと眠ってしまった。
しかし、その日の夜、再びフランツがやって来たのである。というか、その日だけではなく、それから毎日フランツはやって来た。高級娼館通いができるくらいだ、稼ぎが良い分仕事も忙しいらしく、日によっては少しだけ世間話をして泊まらずに帰って行くこともあったが、それでも毎日顔を出してくれた。高級娼館であるこの店では一日に娼婦が何人も客を取るようなことはしないから、つまりフランツが数日に渡り俺を貸し切ってくれたことになる。それも性的な奉仕を一切させることなく。甘えてしまっていいのだろうかと焦ったが、フランツは俺の指名料だけでなく莫大な心付けも支払っているようで、娼館の主人はむしろほくほく顔だった。
フランツが通うようになって一月が経とうという頃、俺はとうとう切り出した。
「あの、さ。フランツの気持ちはすごくありがたいけど、ずっとこうしてもらう訳にはいかないよ。だから……その……フランツの好きなようにしていいんだよ?」
そう言うと、フランツの顔はいつもの無邪気な笑顔から、影のある妖艶な笑顔に一変した。舌舐めずりをするようにチラリと覗いた赤い舌が酷く印象的で、捕食者を前にした獲物になったような本能的な恐怖を感じた。
「……そう。ハルちゃんがそう言うなら」
その後のことは思い出したくもない。軽い気持ちで言ってしまったことを時間をかけてたっぷりと後悔させられることになった。
そんな場所で俺なんかが通用するのだろうかと不安しかなかったが、戸惑っている間にあれよあれよと話は進み、水揚げの準備が整えられていった。経験が全くないという話をすると大層驚かれたが、それならば最初のお客様は格別な方にお願いせねばなりませんね、と娼館の主人は張り切っていた。高級娼館だけあって、客は貴族がほとんどでそれも相当に位の高い人ばかりだというから、その中でも格別というとまさか王族に連なる方だったりしたらどうしようと俺は数日前から緊張していた。お客に対してだけじゃない。その日を境に俺は色んなものを捨てることになるのだと、緊張と共に悲愴な思いに囚われることもあったが、この世界で生きていくならきっと俺も慣れるだろうと自分で自分を励ましていた。
そうして迎えた俺の男娼としての初日。緊張のあまりベッドサイドで直立不動の俺の前に現れたのは、思わず拍子抜けしてしまうような客だった。
「うっわぁ……。噂には聞いていたけどそれ以上! 可愛い~!」
感極まったようにそう言って、俺は抱きしめられた。重苦しかった部屋の空気が、一気に明るくなった。
すらりと背が高く白金の髪に黄金の瞳、完璧なまでに整った顔立ち、と見た目だけはそれこそ王子様のようだったが、言動はまるで小さな男の子みたいだ。胸の内に俺を抱きしめ見下ろしながらニカッと屈託のない笑顔で笑いかけられると、俺の張り詰めていた緊張の糸もするすると解けていった。
その人は自らを「フランツ」と名乗った。そして俺のことを初対面で「ハルちゃん」と呼んだ。……いや、いいんだけどね、別に……うん。
俺はこの人に男としての矜持を捧げるのかと覚悟を決めてベッドに腰かけたのだけど、フランツは俺に触れるどころか延々と世間話をし続けた。そこで俺は娼館の主人の言っていた「格別」の意味を理解した。フランツはとにかく話が面白いのだ。面白おかしい話で笑わせられたかと思えば、白熱した議論を交わしてしまうような興味深い議題もあり、はたまた膨大な知識に裏付けられた斬新な学説を見事な話術で聞かせてくれたりもする。フランツは初めて客を取る俺の緊張など微塵も残らないほど有意義で楽しい時間を俺にくれた。娼館の主人は俺に、客とはいえ誰かと二人きりで過ごす楽しさを教えてくれようと、話術に富んで人当たりもいいフランツを選んでくれたのかもしれない。
あっという間に時間は経ち、随分と夜が更けていた。
「もうこんな時間か。そろそろ寝ようか」
フランツがそう俺に笑いかけた時に、完全に消えていた緊張が戻ってきた。俺は男娼だ。寝る、とはつまりそういうことだ。俺は覚悟を決めてベッドに横たわった。フランツは明かりを消してベッドに上がると俺の隣に横になる。フランツの動きに全神経を集中させて身体を硬らせていたが、待てど暮らせどフランツが俺に触れてくることはない。しばらくして、ギシリとベッドが軋んだ音を立て、フランツがこちらに体を向けた。ぎゅっと閉じていた目蓋を開けてちらりとその顔を覗いてみると、俺は驚きのあまり思わず、えっ、と声を漏らしてしまった。
フランツは穏やかな顔ですっかり寝入っていたのだ。
文字通り、寝てしまった。どうしよう、これは男娼としてこのままでいいのだろうか。
「フランツ……?」
呼びかけてみたが返事はなく、規則正しい寝息が返ってくるだけだ。フランツがたまに寝返りを打つ度にドキリとして身体を強張らせたが、結局朝までフランツは健やかに睡眠をとり、笑顔で、またねと出て行った。
拍子抜けだった。フランツが出て行った部屋で一人茫然としていた俺は、一体何だったんだろうと狐につままれたような気分だったが、その内に緊張からの疲れと眠れなかった分の睡魔が襲ってきて夕方までぐっすりと眠ってしまった。
しかし、その日の夜、再びフランツがやって来たのである。というか、その日だけではなく、それから毎日フランツはやって来た。高級娼館通いができるくらいだ、稼ぎが良い分仕事も忙しいらしく、日によっては少しだけ世間話をして泊まらずに帰って行くこともあったが、それでも毎日顔を出してくれた。高級娼館であるこの店では一日に娼婦が何人も客を取るようなことはしないから、つまりフランツが数日に渡り俺を貸し切ってくれたことになる。それも性的な奉仕を一切させることなく。甘えてしまっていいのだろうかと焦ったが、フランツは俺の指名料だけでなく莫大な心付けも支払っているようで、娼館の主人はむしろほくほく顔だった。
フランツが通うようになって一月が経とうという頃、俺はとうとう切り出した。
「あの、さ。フランツの気持ちはすごくありがたいけど、ずっとこうしてもらう訳にはいかないよ。だから……その……フランツの好きなようにしていいんだよ?」
そう言うと、フランツの顔はいつもの無邪気な笑顔から、影のある妖艶な笑顔に一変した。舌舐めずりをするようにチラリと覗いた赤い舌が酷く印象的で、捕食者を前にした獲物になったような本能的な恐怖を感じた。
「……そう。ハルちゃんがそう言うなら」
その後のことは思い出したくもない。軽い気持ちで言ってしまったことを時間をかけてたっぷりと後悔させられることになった。
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