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21.契約

金城社長まるめこみ作戦 第一弾の報告~あけみさん、サーコ親子をクリスマスディナーへ招待する

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このエピソードは冬、年末モードとなっております。沖縄でもそれなりに冷えて気ぜわしくなる時期です。
今回はサーコ(本名:比嘉麻子)と韓国従軍中のトモとの遠距離恋愛の様子、ならびにリャオ(本名:金城明生=あきお君=“あけみさん”)との新展開をつづります。サーコのモノローグ。
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読者のみなさん、いかがお過ごしでしょうか。
「最近、トモの出番がないですね。彼、元気なんですか?」

みなさんの疑問はもっともですが、それは、一番あたしが知りたいことです。

もちろん、ラインでやり取りはしてます。英語です。とりあえず生きているみたいです。
あたし、彼の声をここのところ1ヵ月以上聴いてない。最後の会話で彼は日本語喋ってた、というか、歌ってた。なんでも最近、彼は井上陽水さんにハマっているとのこと。軍隊で毎朝ランニングしながら軍歌を歌わされる、その反動でしょうか。
それにしても、なんで陽水さんなんでしょうね。あちらは時折雪が降るので、雪掻きしながら「氷の世界」を歌っているらしい。
そうそう、こないだのラインも陽水さんの話だったよ。

I like his misic彼の音楽は好きですbut I can’t understand his lyricsが、彼の詞は理解できません. ”

トモ、井上陽水さんの歌詞は日本人でもよくわからないよ。だから安心していいよ。
でも、たっての頼みでしたので、クリスマスプレゼントとして英語訳の本を送ってあげた。買う時ちょっとパラパラめくって見たけど、英語でもちょっとよくわからない感じだったよ?
この話をリャオさんにしたら、彼も、彼女も大きくうなずいた。
「陽水さんはわかんないわ。パンダを並べる歌なんてさっぱり理解できない」
「あー、あれ、多分意味ないです。単なる言葉遊びです。あたし達も『傘がない』の替え歌で、行かなくちゃ、手工業ならマニファクチュア、って歌ってました」
「私たちも高校時代に歌ってた! あと、お水やってる時にカラオケで歌ってるお客様がいた!」
やっぱり、言葉遊びなんですね。

今回、あたしとリャオさんは新しい関係に踏み込むことにした。
債権者と債務者。
リャオさんはあたしにお金を貸す。
あたしはリャオさんからお金を借りる。
金額は30万。教習所通って普通免許を取って、バイトして月々一万円ずつ返済する。
あたしがまだ17歳なので親権者であるママの同意が必要になる。

二人で何度か話し合った。金銭問題で友情にヒビを入れたくはなかった。
だけど結婚話が絡んでいる以上、なんとしても阻止する必要があった。
「お金の話がまだ済んでいません。それが終わるまで結婚できません」
あたし達は金城社長にそう言って逃げるしかない。

話は前後する。
まず10月初旬、あきおさんと社長さんと三人で会食した。フランス料理のディナーだ。二人が債権者と債務者になる話に、社長さんはかなり驚いておられた。
「そんなことするの?」
「はい、何度か話し合いました」
あきおさんは器用にフォークとナイフを使いながら、子羊の肉を骨から切り離しつつ答えた。さすが副社長、余裕の振る舞いだ。側で見てて本当に感心する。あたし、ムニエルとか骨の無い簡単な料理しか頼めなかったよ。
「どのみち結婚すると金銭問題はついてまわりますよね? だったら、今のうちに扱いなれていた方が良いです」
「なるほどねえ」
社長さんも納得した様子だ。リャオさん、すごいな。今回もまんまと結婚しなさい攻撃を封じ込めてしまった。
「確かに運転免許は取っていた方がいいから。麻子さん、頑張ってね」
社長さんがワイングラスを手に取った。あたしはジュースの入ったグラスをチンと合わせた。
「それで、麻子さん、高校卒業してどうするの?」
「本当は韓国の語学学校へ進学したかったのですが、渡航費用と入学金が大きくて。しばらく働きながら貯めることにしました。韓国語を使うバイトなどを探しながら独学で勉強します」
「そう、うちで余裕があったら採用してあげたんだけど」
社長のお言葉にあきおさんはきっぱり首を左右に振った。
「戦力外の人間を採用するほど世の中は甘くないですよ。韓国で本格的に学ぶなら、TOPIK6級をとってもらわないと」
ぎくっ。
TOPIKは韓国政府主催の語学検定試験で、6級はその最高峰。副社長のシビアさを見せつけられる。まさかリャオさんがいきなりあたしに最高峰カード取得を条件に突きつけてくるとは思わなかった。
「6級取れたら、即採用です。そのつもりで日々勉強に励んでいただきたい」
あきおさんの強い言葉に、うなずくしかなかった。

そして今日、12月最初の金曜日。“あけみさん”は、あたしとママをとあるホテルのクリスマスディナーに招待した。
「こんなすごいお食事にご招待いただきまして」
ママはいつになく恐縮している。あけみさんは微笑んだ。
「いつか、きちんとしたお食事をご一緒したかったんですよ。今晩はくつろいでください」
ママはツーピースのグレースーツ、あたしは茶のアンサンブル。そして、あけみさんはベルベット素材の赤いワンピース。あけみさんの耳にはあたしが誕生日にプレゼントしたラピスラズリのペンダントイヤリングが揺れている。

クラムチャウダースープを飲みながら、まずあけみさんは話をあたしに振った。
「麻子さん、高校を卒業したら就職なさるんですか?」
「本当は韓国の語学学校へ行きたいんです」
「語学学校?」
ママが怪訝そうな顔をした。そりゃそうだ。このときまであたしはママに韓国のかの字も言ってなかった。
「あたし、韓国語を少しずつ勉強しているの。こないだハングル能力検定5級受けたよ。たぶん合格したと思う。勉強を続けて、できれば本場韓国の語学学校へ行って、きちんと韓国語を学びたい」
「ええっ? どうしてまた? 語学なら何も韓国でなくたっていいじゃない」
「私の知り合いに韓国人がいて、最近よく我が家でお話ししているんです」
あけみさんがうまく水を向ける。
「麻子さん、私より上手にやりとりなさるんですよ。お若いですし、今韓国語を学べば就職にも有利だと思います。沖縄観光も韓国人をターゲットにいろいろ取り組んでますし」
「はあ、そうなんですか」
あけみさんの言葉に、ママが少し態度を軟化させた。あたしはママに話を向ける。
「でも、韓国に単独渡航できるのは満19歳以上だから、この一年間は働いて渡航費用とか入学金とか貯めようと思って」
「麻子、語学学校っていくら必要なの?」
「向こうで一年間は勉強するだろうから、最低でも200万くらいないと」
「200万ですって?」
ママは素っ頓狂な声を上げたが、周囲を気にしてすぐに小声に戻った。
「バカね、そんな大金、簡単に貯まるわけないじゃないの」
あけみさんが切り出した。
「私、麻子さんをお助けしたいと思っているんです」
「ええっ? ダメですよそんな。いつもお世話になりっぱなしで、これ以上ご負担を増やすなんて」

ここまでの流れはリャオさんの想定範囲内。まず大金の話を持って行って、そこから格下げしていく作戦だ。
テーブルにサラダが並ぶ。あけみさんはパンをとりながらニッコリうなずく。ママもあたしもサラダに手を伸ばした。

「そうですね、確かに金額が大きすぎますね」
「そうですよ。まず麻子にはきちんと働いて貰わきゃ」
「ですが、ご就職なさるのでしたら、やはり運転免許をお持ちになった方がよろしいんじゃないですか?」
あけみさんの投げかけた言葉にママの手が止まった。
「前にもお話いただいてますね? 確かに、沖縄は車社会ですし、持っておくに越したことはないですが」
あけみさんはサラダを食べ終えて口を拭う。
「さつきさん、語学学校は金額が大きすぎてすぐご援助というのは厳しいんですが、自動車教習所の入学金くらいでしたら、すぐにお助けできると思うんです。前回もお知らせしてますが、ざっと見積もって30万くらいですよね。麻子さんもその気になれば1、2年で無理なくお返しできる金額ですし、どうでしょう?」
「……そうですね」
「さつきさんもよくご存じですよね? 運転免許のあるなしだけで就職に大きな差が出ます。でしたら、まずは運転免許を取っていただき、本人のご活躍の場を広げてさしあげることも重要だと私は思いますよ?」
「ご援助いただけるのでしたら、こんな有り難いお話はないです。ですが」
「ご心配はいりません。借用書を作れば大丈夫ですよ。知り合いの弁護士からひな形もらったんです。ただし、麻子さんはまだ17歳ですから、さつきさんにも署名捺印をしていただかなければなりません」

あけみさんは、借用書を広げた。二年前にワタナベのストーキング事件であたしもお世話になった弁護士のヤマシロさんが作ってくださったものだ。
最初、トモは警察へワタナベを撮ったスマートフォンを持って行ったが、担当者は動画をチェックしただけでそのまま返したそうだ。被害届は本人または親族、弁護士など限られた立場の者が提出した時のみ受理されると後で知った。
ママには風俗のバイトを知られたくない一心で、あたしはトモと話し合って被害届の提出を一度見送ったが、リャオさんの強い勧めで弁護士さんをつけて被害届を作成してもらった。その後、トモが警告を無視してしつこくストーキングしようとしたワタナベと小競り合いを起こし、リャオさんの目の前でティミョパンデトルリョチャギ飛び後ろ回し蹴りを食らわせた。
一歩間違えば外国人による傷害事件扱いだったかもしれない。たまたま事件を担当したのがリャオさんの懇意の刑事さんで、事は荒立てられずに処理されたらしい。

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金銭消費貸借契約
 
金城明生 (以下「甲」という。)及び比嘉麻子 (以下「乙」という。)は,本日,次のとおり合意し,本金銭消費貸借契約を締結する。
 
第1条 (金銭消費貸借の合意)
甲は,乙に対し,2022年12月2日,金30万円を貸し付け,乙はこれを借り受けた (以下「本契約」という。)。
 
第2条 (返済期日)
乙は,甲に対し,前条で借り受けた金員について,2025年6月30日までに返済することを約束する。
 
本契約の成立を証するため,本契約書2通を作成し,甲,乙各自署名押印の上,各自1通を保持する。
 
2022年12月2日
 
甲 (貸主)
住所:沖縄県那覇市牧志2-7-18
氏名:金城明生 印

乙 (借主)
住所:沖縄県那覇市奥武山町316-2
氏名:比嘉麻子 印

乙がお借りしたお金は2023年1月から2025年6月まで毎月末日限り,1万円ずつ分割してお返しします。
上記分割金の支払いを1回でも怠った場合は,残元金を一括で支払います。

乙親権者
住所:沖縄県那覇市奥武山町316-2
氏名:比嘉さつき 印
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あたしは妙なところで感心する。
そうだよ。借用書はふりがな打たないから、法律上これでセーフなんだ。

ママは喜んで同意してくれた。
和やかにメインのローストチキンをいただき、デザートが用意される合間に、書類への署名捺印がなされた。あたし、比嘉の印鑑2つ持ってきてたんです。
「じゃ、来週、麻子さんと自動車教習所へ行ってきて事前入校手続きしますね」
あけみさんはそう言って、あたしにウインクした。

月曜日、学校帰りにすぐ二人で出向いて入校手続きをした。30万から余った金額はとりあえずあたしが持っておき、毎月末の返済金に充てる。
「3月から通ってね。頑張れば一ヶ月以内には卒業して免許が取れるよ」
あけみさんはそう言って、残金をあたしに手渡した。
「はい、頑張ります」
あたしは残金を受け取って、リャオさんと握手した。
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