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Part2 Rasidensy Days of the Southern Hospital

Chapter_02.それぞれの成長(3)勉、当直勤務に入る~当直勤務の実情

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At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; June 17, 1998.
At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; from 0:30AM to 3:14AM JST, June 17, 1998.
Since this time, the narrator changes from Taeko Kochinda into Tsutomu Uema.
勉のモノローグに切り替わります。

僕は六月から当直勤務に入った。
サザンはアメリカ式なので救急専門医が24時間常駐していて、当直医と連絡を取り合う形になっている。
僕もその一翼を担っている……と書けばカッコイイんだろうけど、医者になって二ヶ月足らずの人間に出来ることなんて限られている。先輩たちの処置を見様見真似で自分のものにしていくのだ。
できるだけ早く、一人前にならなくては。

当直者は通常、宿直室で待機している。スタンバイできてさえいれば、何をしていてもいい。寝ていようが、読書していようが、ゲームに興じていようが、静かにしていればOKなのだ。さすがにサンシンは弾くなと言われた。夜だし。
最近はpalmを持っている医者が増えた。手のひらサイズのパソコンで、LANカードを入れればネットサーフィンもメールチェックも出来るし、オンラインゲームも読書もいける。そして、ポケットに入れて持ち運べる。ちなみに僕はノートパソコン派だ。どうもキーボードが無いと落ち着かない。サザンではほとんどの職員がMachintoshを利用していて、僕もそうだ。持ち運べなくはないけど、僕は宿直室ではパソコンは一切使わなかった。
僕が睡眠以外にしてたことは、救急医療マニュアル本の精読と、結紮けっさく・縫合の練習だ。今まで独身寮でやってたけど、この際だから、持針器とか道具一式を持ち込んだ。
結紮は文字通り、結んで縛ること。静脈瘤など血管手術に用いられる。縫合はそう(手術などで生じた傷口)を縫うこと。これが結構難しい。ポリクリの時にも少しはやったのだけど、どちらも基本手技だから、どのような状況でもきちんと出来ないとしゃれにならない。
で、僕は縫合の練習に豚の足を使った。人間に近い質感だからというのがその理由だ(ちなみに『ER』First Editionでも医学生のカーターが使ってる)。え、どこから豚の足持ってきたかって? もちろん、東風平こちんだ家から。てびち料理につかう豚足を一本失敬してきたのだ。
研修医として忙しい日々を送りながらも、僕はできるだけ東風平家には顔を出すよう心がけていた。サザンから車でたったの十五分の距離ということもあり、サンシンを練習するにはかなり条件がよかった。そしてなりより、東風平家のゴーヤーチャンプルーは絶品だったしね。
ぶっちゃけた話ですが、医学生時代、お金がないときに「ない」と言えず、稽古にかこつけてご飯食べたの、二度や三度ではありません。
研修医になってから……も、あまり変わってない……。成長してないな、俺。

そうそう、研修医一般に言われていることなんですけど、
「新しい患者を受け持ったら、その疾患に関する論文を3つ読むこと。手術の前には手術法の論文を3つ読み、さらに解剖書をみておくこと」
……遊ぶヒマ、ないです。マジで。

当直に入っていて救急車が来れば、ポケベル(最近では院内PHS)で呼び出される。というか、叩き起こされる。救急車が来なくても入院中の患者さんの具合が悪ければ、そちらからも呼び出されることがある(とりあえず一番近いところにいるから、という理由で)。レム睡眠とかノンレム睡眠とか言っていられない。患者さんは待ってはくれないのだ。眠れるか、眠れずにそのまま翌朝の勤務を続けるか、こればかりは運としか言いようがない。

で、本日はですね、もう真夜中なんですけど既に三回ほど呼び出しを受けた。
一回目は入院患者さんの発熱。現在、抗生物質の点滴を開始して上級医の指示待ち中。
二回目は別の入院患者さんが不眠症を訴えてきた。こちらは投薬可能か主治医に問い合わせ中。
三回目は……さっきまで関わっていたのだけど、救急車で吐き気と頭痛を起こした急患さんが到着して処置に追われていた。あの様子だと脳梗塞かもしれない。脳外科のドクターがまだ帰宅してなくて助かった! いやはや。

普通、真夜中過ぎると急患さんは来なくなるらしいです。さて、少しは眠れるかな?

三十分後。気のせいか、救急車の音がするんですけど……。
いや、気のせいじゃないですね。現実です。せっかく、うつらうつらしかけたのにー!

いらした急患さん、こんな夜中に飛び降り自殺を試みられたようです。全身強打して、ぐちゃぐちゃの血だらけです。すでに心停止してます。救急隊員に尋ねるまで、性別なんかわからない状態でした。
あのですね。
ご家族も財産もおありの貴方が、どうして自殺をお考えになって、身よりも財産もないこの僕が、なぜ貴方の死亡診断書を書くはめになるのでしょうか?

あまり認めたくないことだが、僕は、コミュニティの外側の人間だ。
沖縄の新聞には、毎朝、真ん中あたりのページに必ず葬式だび広告が組まれている。黒枠の中に個人の名前があり、葬式の日程と場所を記したその次の行から、同居家族のみならず、親族の名前が延々と連なっている。高齢者の場合、ひ孫の名前があるのは当たり前。南米あたりに移民した親戚の名前まで載っているケースもある。

僕にはもう親類はいない。だから、僕の名が載ることは、ない。
“沖縄の人は大らかで差別なんかしない”なんて迷信がここ数年の癒し系ブームで広まっているみたいですが、ご冗談でしょう?
混血児の僕が今までどういう人生を送ってきたか、振り返ってみようか。
生まれてからこのかた、僕は、ずっと、よそ者だった。
出身地の糸満を追い出され、引っ越した先の西原の子供会に属することもなく、青年会などの地域活動に携わることもなかった。
僕が死んだ時、誰が僕の葬式をしてくれるのだろう?

誰にも迷惑は掛けたくないので、とりあえず、琉海大の医学部付属病院で献体の手続きはしときました。僕の後輩が僕の体を解剖して線香上げてくれるなら、それでいいや。それしかできないよ、僕には。

ご遺体を霊安室へ運び、ご家族に連絡を入れ、ありきたりな説明をする。一連の作業を終えると、時計は既に三時をまわっていた。

さて、今度こそ眠れるかな。
明日は八時から通常勤務。明後日は半休取って、東風平家に行こう。
ここのところ忙しくて、もう十日以上サンシン弾いてないよ。大声で歌いたい。気が狂いそうだ。ご馳走を食べて、ついでに新しい豚の足も調達してこようっと。((4)へつづく)
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