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Part3 The year of 2000

Chapter_01.花染手巾(はなずみてぃさじ)は誰の物?(1)勉のぼやき

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At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; January 1, 2000.
At Haebaru Town, Okinawa; December 16, 1999.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.

えー、とにかく、二〇〇〇年になりました。あけましておめでとうございます。今年もどうぞ、よろしく。
そういう僕は、クリスマスも大晦日も当直でした。独身プラス彼女なしの研修医の宿命といえばそうですが、全然めでたくありません。当直手当は弾むんだけどねー、空しいっすよ。

沖縄は「餅なし正月」なので、餅をのどに詰まらせる急患さんも少ないです。昼は入院患者さんのおじぃおばぁ達のベッドサイドでサンシン弾いて回ってましたけど、今更お年玉包まれても困るんだよね。お金は一切いただきませんってば。僕はそういうの、受け取らない主義なんです。
貧しい中から医者になりましたから。初心は忘れたくないんで。

そうそう。照喜名てるきな医院を訪問したあの日だけど、車の中で診察した一時間後には多恵子はうそのように元気になって、僕はむりやり南風原はえばるにある、とあるアミューズメントパークに連れて行かれた。クレーンゲームで、僕が見事ぬいぐるみのでかいカッパを一発で吊り上げると、大喜びした多恵子は、
「ちょっと早いけど、メリークリスマス!」
と言って、僕にブラックの缶コーヒーを三本くれた。

おい、これが君からのクリスマスプレゼントかい? これだけか?

「もっと気の利いたプレゼントはないのか?」
思わず請求してしまった。だって、こっちは、君が熱心に所望したカッパ釣ってあげたんだよ? たしかに一回百円だけど、非売品だよ?
「じゃ、ちょっと待っててねー。考えておくから」

すると次回のオフの日に、多恵子は独身寮までわざわざポンジュースを1ケース担いで持ってきた。
「あんた、オレンジ好きだったよね? これで当分は、オレンジジュース買わんでーさーねー?」
そう言って、満面の笑みを浮かべたのだ。

全く、このお嬢さんはどこまでボケているんだろう。
いや、うれしいっすよ。僕は寮の冷蔵庫にいつもオレンジジュースを常備している人間ですから。それに、あんな重い箱 (1リットルガラス瓶が六本も入ってます)を独身寮まで担いでくるのも、馬鹿力を持つ多恵子らしい行動ではある。
だけど、こう、なんと言うのかな。もうちょっと、プレゼントらしいものというか、君の真心が欲しいよ。

そういえば去年の末から、沖縄中がやたらサミット、サミットって連呼している。この分だと今年はもっと大騒ぎになるのだろう。
だけど僕はあまり興味がない。沖縄に世界の一流国の首脳が集まることはイベントとして確かにすごいと思うけど、お祭り好きなここの人間の特性で、いつものごとく熱して冷めてハイおしまい、のような気がする。
サミットの準備費用と称して予算が国からたくさん下りてくるし、それで公共設備も幾分は整い、僕ら一般県民も恩恵に浴するのだろう。でも、将来の米軍基地依存経済からの脱却に向けてのビジョンとか、日本国の国庫拠出金依存経済から自立していこうという意気込みが、果たしてこの県にあるのだろうか。

むぬくぃすーど、我がすー」(物を恵む方こそ、我の主)
沖縄ではよく知られた言葉だ。沖縄が琉球王国だったころ、第一尚王統の尚徳という王が死去し、その子孫が王位を継ごうとしたときに、側近の一人 (安里大親あさとうふやという人らしいけど)がこう言って即位を阻んだ。そして、御物城御鎖側うむぬぐすくうさしぬすば (大蔵外務大臣)を務めていた、伊是名島いぜなじま出身の金丸という有能な男を王位に就けたのだ。
金丸は尚家の氏を継承し、その一族は第二尚王統として、一六〇九年の「薩摩藩の琉球入り」のあとも廃藩置県までその地位にいた。その後、琉球は日本に取り込まれ、第二次世界大戦後はアメリカの植民地になり (だから僕みたいな混血児が多数生まれた)、一九七二年、また日本に戻った。
もちろん、沖縄独立を求める大衆運動も数多くあったし、基地問題とその動きに反発する動きは現在も続いている。だけど、昔から今に至るまで多くの人々が選択してきた道は「寄らば大樹の陰」だ。遠く琉球王国の時代から貿易のもたらす富を追い求め、そして現在に至るまで、アメリカの物資や日本の予算など、お金の流れる方を目指して奔走し続けている。

拝金第一主義を、決して悪いこととは言わないし、決め付けることもできない。
自分の言い分を胸に秘めながらも、巨大すぎる力の前には、生きていくことを優先せざるを得ないこともある。人間、生きることが大前提で、プライドとか大義名分なんてものはずっとずっと後から出てくるものだ。満ち足りた者が貧困にあえぐ者を一方的に笑うことなど、できないはずだ。

でもさ、新生・沖縄県になって、もう三十年近く経つんだよ? いい大人が経済的に自立しないで、アメリカや日本が金をくれるからといって、ほいほい言うこと聞いているだけにしか見えないんですけど。少なくとも、僕には。
癒しの場所とおだてられた沖縄の行く末は、米軍基地にまみれた日本国のお荷物かい? ニンジンを追いかけている馬じゃないんだからさ。もうちょっと腰を落ち着けて考えようよ。他府県から笑われる前に、自立にむけて何らかの手を打つべきだと思うな。

はい、しゃべりすぎました。仕事に戻ります。
とにかく、僕にとって重要なのは、一日も早くアメリカの医師資格を取ることだもんね。しゃべっているヒマがあったら、TOEFLの勉強でもしますわ。 ((2)へつづく)
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