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Part3 The year of 2000

Chapter_05.告白(2)多恵子と勉、日々付属教会で過ごす

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At Southern Garden in the Southern Hospital, Nakagusuku Village, May and June, 2000.
The narrator of this story is Taeko Kochinda.

翌日、あたしは教会に着くと、サンシンを構えている勉に『作田ちくてん節』をリクエストした。
「何だって?」
勉が目を皿のように見開いた。
「さすが師匠の娘だな? どれだけ難しいか、判っているんだろうな?」
その通り、これは知る人ぞ知る常識だ。『作田ちくてん節』は琉球古典音楽の昔節んかしぶし (ハイレベルな曲の総称)の中で、弦を押さえる左手の手数が一番多い。だから、教師免許を受験するなどの理由がない限り、自分からこの曲を弾きたがる人はめったにいない。
「何で、弾けんの?」
「弾けなくはないけどさ。えーっと」
しぶしぶ承知して、勉は弾いてみせた。が、弾き終わると首を振りながら言った。
「ごめん。弾けたけど、とても納得できないから練習しておくよ。明日、いいか?」

こうして、あたしたちは勉の執刀日を除いてほぼ毎日、昼休みに教会で落ち合うようになった。周りに気づかれないよう、朝のうちに売店でお昼に食べるパンを買っておいて時間差を設けて待ち合わせ、帰るときも時間差を作った。あたしはオフの日も出てきたし、独身寮が近かったから勉も来てくれた。とにかく、勉の側にいるには、あたしが「お嬢さん」であることを利用するしか方法がなかったのだ。
いろんな曲をリクエストした。琉球民謡はもちろん、『綛掛かしかき』『伊野波ぬふぁ節』『諸鈍しゅどぅん』など、古典女踊りの地謡はほとんど弾いてもらった。お父の弟子だからだろうか、ことに『花風はなふう』の「下出しさぎっんじゃし述懐しゅっくぇー節」は、うまかった。あの曲を勉ほど伸びやかに弾く若者はそうそういないだろう。
勉が二揚げ(サンシンの中弦を一音階上げる奏法)の曲を伸びやかに歌うのを聞いて、どうしても聞きたい歌を思い出した。お父がお母に贈った、あの琉歌だ。

 暮らさらぬ 無蔵んぞとぅめら たとい玉の緒の 消え果てるとも

「へえ? あの師匠が? こんな情熱的な歌詠んだの?」
「弾いてもらえる? 『仲風なかふう節』で」

仲風なかふう節」は「述懐しゅっくぇー節」と同じくらい華麗で難易度の高い二揚げの曲だ。「述懐しゅっくぇー節」が別れの場面で歌われるのに対し、「仲風なかふう節」の方は、芝居の劇中ではどちらかというと恋愛が成就する場面で演奏される。
勉は頷き、演奏を始めた。腹の底から出す迫力ある声が、あたしの胸を貫いた。

聴いていて、涙が出てきた。
お父からこんな情熱的な琉歌をもらった、お母がうらやましい。
あたしは今、好きな人の歌う「仲風なかふう節」を聴いているけど、でも、勉の心中はきっと、別にあるんだよね?

あたしの気持ちに気づいて欲しい。でも、言えないよ。
だって、今まであたしは周囲に散々勉のことを「対象外」と言ってきたのだ。この期に及んで、あたしは自分の発言に後悔している。今のあたしの気持ちを知ったら、みんな、指差してあたしを笑うんだろうな。
あたしは背が低くて、童顔で、ウーマクーで、元気以外に何の取り得もない、ただの意地っ張りだ。医者というエリート職業な上に、背が高くて、金髪で、ハンサムで、人柄も温厚で周囲から人気者の勉と釣り合わないのは、明白だ。
悲しくって、悔しくって、自分が情けない。

弾き終えた勉がこっちを見て、びっくりした声を上げた。
「おい、多恵子、どうした?」
慌ててサンシンを置き、彼の両手があたしの両肩を揺さぶる。たまらずあたしは大泣きしてしまった。悲しい。とっても悲しい。抱き締めて欲しい。でも、それは叶わない。
「泣くなよー、誰かに見られたらどうするんだよ?」
勉は自分のポケットからハンカチを取り出し、あたしの右手に握らせた。
「覚えてるよな? 高校三年のとき、お前がいきなり泣き出してこんな風にハンカチ貸したことがあっただろ? あの後、島ちゃんに問い詰められて、大変だったんだからなー?」
そうか。そんなこともあったっけ。
あたしは頷くと、メイクが崩れないように勉のハンカチで目頭を押さえた。
「困ったやっさー。患者さんに、その顔は見せられんなー」
勉は一人でそうつぶやくと、咳払いをし、深呼吸をした。静寂があたりを包む。
「ンベェーエ、エ、エ!」
突然響き渡る声に、あたしは思わず吹き出した。ヤギの鳴きまねだ!
「あははは!」
たまらず笑い出すあたしをみて、勉がほっとした表情を見せる。
「よかった。その笑顔、忘れるなよ?」
勉はさっさと帰り支度をはじめている。午後の回診の時間が迫っているのだ。
「先に戻るけど、五分ぐらい経ったら、来いよ?」
勉の言葉にあたしは頷いた。 ((3)へつづく)
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