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Part3 The year of 2000

Chapter_08.子守唄(4)男の子を抱きしめて~勉、ぷーひやーになる

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At UCLA and Westwood, Los Angeles, California; October, 2000.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.

時間は十五分しかない。僕はいそいでトイレで用を足し、自販機でSnickersを買うと、再びオペ室の近くへ戻った。
Snickersの封を切ろうとして、僕は足を止めた。小さな黒人の男の子だ。左手の親指をしゃぶりながら、一メートルあるかないかという背を伸ばし、見えないオペ室のドアを覗き込もうと必死になっている。

“Hi there. What’s wrong? Do you want to see inside?”
(やあ、どうしたの? 中を見たいのかい?)

男の子が、ちらっとこっちを見た。何もしゃべらない。必死で、何かを訴えかける目をしている。そこへ、ナースが駆け寄ってきた。
 
“Daniel! There you are! I've been looking everywhere for you! Okay, now, let’s go.”
(ダニエル! ここにいたのね! 探したわよ! さあ、あっちへ行きましょう)

連れ去ろうとするナースの様子に、普通ではないものを感じた。僕は彼女を呼び止めた。

“Excuse me. Who is that boy?”
(すみません、彼は?)

“He is the son of the patient inside. He just witnessed his father get shot.”
(そこにいる男性の息子よ。父親が撃たれる現場を目撃したの)

……ゆくしだろ?

“What? How old is he?”
(本当に? 彼、いくつ?)

“Three, if I’m not mistaken.”
(確か三歳よ)

“He’s three?”
(三歳だって?)

三つみーつぃ?! 三つみーつぃなるわらびぬ、男親ゐきがぬうやピストルっし撃たりゆる有様しじゃまー、あからさまに(はっきりと)んーちょーたんでぃなー?

僕は思わずダニエルを抱き上げた。僕自身、父親を三つで亡くしている。そう、ダニエルは昔の僕だった。抱き上げて背中を撫でても、ダニエルは親指をしゃぶったまま何もしゃべらない。自分の今の状況を理解できず、放心状態なのだ。僕は必死になって、ダニエルを慰める方法を探した。彼に僕がしてあげられること。それは、歌うことだ。僕は「ちんぬくじゅうしい」という歌を口ずさんだ。

 お母さんの薪が煙っているよ
 煙が立ち込めて涙が自然に出てくるよ 
 よしよし、泣くんじゃない
 今日の夕飯は何だろうね
 里芋が入った雑炊ご飯だよ
 お父さんが畑から戻っていらっしゃったよ
 冬瓜とかぼちゃと黄大根ちでーくにー (ニンジン)をもっていらっしゃったよ
 粉吹き芋ができあがっているよ
 豆腐を作る臼が回っているよ
 豆汁ごじるがいっぱいでてきたよ

歌い出してから気がついた。しまった、これは食い物の歌だった! 僕の頭の中で冬瓜しぶい南瓜ちんくゎー黄大根ちでーくにーが、豆腐を作る臼のようにぐるぐると回り始めた。
全く、かぼちゃやニンジンなんてここしばらく口にしてないぜ? くっそー、腹減ったー! 情けねー!

ダニエルの父親は、戻っては来なかった。そしてダニエルは、僕の腕の中で親指をしゃぶったまま、静かに涙を流していた。
まもなくダニエルは、ソーシャルワーカーに引き取られていった。さっきのナースも一緒だ。

“Dr. Uema,”
(上間先生)

“Huh?”
(うん?)

“You did good job!”
(よくやったわ)

ナースの言葉に、僕はただ力なく頷いた。そして、それから二時間後、僕はようやく勤務を終えたのだった。

アパートに戻ると、家主さんが部屋の前で待っていた。僕宛ての荷物が届いたと言い、段ボール箱を指し示した。疲れていたけどそのまま帰ってもらうのも気が引けたので、部屋に案内してコーヒーを入れた。
荷物は、多恵子からだった。少々丸っこい字でしたためられた手紙が入っている。

 勉、元気ですか?
 沖縄の写真を探すついでに、いろいろ買ってみました。
 ロサンゼルスは寒いそうですが、真空パックの紅芋をチンして、
 焼き芋みたいにしてお召し上がりください。
 ほかにもいろいろ入れときました。
 では、ご健闘をお祈ります。
   東風平多恵子

僕は真空パックの紅芋を手に取った。うわー、本物だ! 懐かしー! それから、僕が頼んだ沖縄の写真は、……あ、あった。絵葉書にしたんだな。なるほど。英語の解説までついているぞ。こりゃいいや。
箱の中を覗いてみる。サーターアンダギー、はちゃぐみ、黒砂糖、乾燥梅干、塩せんに亀せん、そして、うっちん茶やさんぴん茶のティーバッグなどなど、いろいろな沖縄県産品がごちゃ混ぜに入っている。僕一人では多すぎたし、日ごろの感謝の気持ちを込めて、家主さんが好きそうなお菓子を箱に詰め直し、例の絵葉書を添えてお裾分けした。とっても喜んでくれていた。

家主さんが帰った後、僕は早速、紅芋を温めた。

うわっと、湯気が出てるぞ。あちちっ! 気をつけて皮を剥き、割ってふーふー息を吹きかける。多恵子、お前は本当にいい奴だなー! ご馳走くわっちーさびら
うーん! やっぱり紅芋は、いっぺー、美味しいぞまーさっさー
ふう。あっという間に、一本なくなってしまったな。なー(もう)一つてぃーちむがやー……。うーん、おいしー! も、もっと、食べちゃおうかなー……。

えー、いくらお腹が空いていたとはいえ、紅芋を四本なーも、あったみ(がっつくこと)したのは、さすがに、まずかったね。次の日は丸一日中、僕は立派な「ぷーひやー」になっていた。正直、オフで助かった。え、何だそれって? 恥ずかしいから、言いません。ご自分でお調べになってください。沖縄では小学生でも知っている、とても有名な単語です。きっとどこかのウェブサイトで解説されてることでしょう。
とにかく、この日以来、芋類は一日一本にしようと、僕は固く心に決めたのだった。次章へTo be continued.

※沖縄新民謡「ちんぬくじゅーしー」は著作権が存在します。幸いアメーバブログはJASRAC登録曲の歌詞掲載可能でしたのでYouTubeの動画つきで収録しました。
https://ameblo.jp/ulkachan/entry-12705178657.html
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