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Part3 The year of 2000

Chapter_13.でいごの木の下で(4)相聞歌(そうもんか)~多恵子、返歌に窮する

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At Los Angeles; December 7 and 8, 2000. 
At Naha City, Okinawa; December 22, 2000.
This time, the narrator changes from Tsutomu Uema into Taeko Kochinda.
多恵子さんのモノローグへ切り替わります。

*相聞歌(そうもんか)は『万葉集』の用語。男女、または親子、兄弟、友人などの間の、恋慕あるいは親愛の情をのべた歌。中世以降の「恋歌」の基礎とされる。

びっくりした。どう聞いてもそれは、八・八・八・六音の形式にのっとった沖縄に昔から伝わる歌、琉歌りゅうかだ。思わず勉に聞き返した。
「それ、琉歌だよね?」
「ああ、琉歌だよ」
「誰の歌? 昔の有名な人?」
勉はデイゴを見上げたまま、つぶやいた。
「いや、今、俺が作った」
あたしは驚きを隠せなかった。
「あんた、琉歌も詠むの?」
「うーん、これは『琉歌全集』に元歌があるから、いじくっただけ」

勉は平然とした顔でそう言ったけど、あたしは頭を抱えてしまった。だってさ、今時の若者がだよ、琉歌なんて、普通、作る? 作らんよね?
あたし、前から勉って変な奴だと思ってたけど、やっぱり、この人、変だよ。だってさ、うちのお父も一応持っているけど、これの本棚にも、……医学書の片隅にだけど……『工工四くんくんしー』と一緒に『琉歌全集』とか『南島歌謡大成』とかが並んであるんだよ。 今時、古本屋にしか置いてない本だよ! 考えられる?
こんな風に、サンシン弾く男ってヘンテコリンが多いから、みんな気をつけたほうがいいよ。え、あたしは、どうだって? あたしは、……もう、しょうがないけどさ。

「どうした、ぬーかんげーとーが?」
あたしの顔を覗き込む勉の声に、はっと我に返った。あたしは動揺した自分の気持ちを隠すように答えた。
「うーんと、その歌の意味を教えてほしいなーって」
「だめ! ならんさ!」
即座に勉が力強く否定した。気のせいだろうか、頬が赤らんでいるように見える。
「すぐ人に結論を聞こうとするのが、多恵子の悪いところだ。ちゃんと自分で調べなさい」
言うが早いが、勉はデイゴの木の下のベンチに座り、ポケットからメモ帳を取り出してなにやら書き付けた。

あいた生爪や/あかれても良たさ/のよであかれゆみ/無蔵と我や

「はい。ちゃんと書いたから。自分どぅーさーに調しらびりよー」
勉は書いたページを破って、あたしの手のひらに置いた。整形外科のカルテを引き継ぐときも思ったけど、本当にきれいな筆跡だ。そういえば、勉は高校のとき書道クラスだったね?
「それから、調べ終わったら、返事の琉歌作ってメールで送れよ」
……へ?
「何、それ? ひょっとして、あたしも作るわけ?」
すると、勉は真剣な表情であたしを睨んだのだ。
「歌の返事は歌で返す。基本中の基本だろ?」
「き、聞いてないよー!」
あたしは大声をあげてしまった。返歌まで要求するわけ? 信じられん、この男! 絶対、おかしい!

ところが、勉は金髪頭を掻きつつ、大真面目にこんなことまで言い出したのだ。
「多恵子、いゃーは100パーセント、沖縄人うちなーんっちゅだよな?」
「そうだよ」
「じゃ、75パーセントの俺に琉歌作れて、いゃーが作れないわけないだろ?」
……勉、あんたそりゃ、かなり暴論だよ。

「とにかく、返事待ってるからな」
彼はあたしをその場に置いて、立ち上がり歩こうとした。
「ちょ、ちょっと待って! 第一、これ、どんなやって調べるの? うちのおとうに聞いたら、わかる?」
とたんに勉が雷を落とした。
「バカ! 師匠んかいんーらりーねー、わんねー、くるさりーんどー!」
えー、沖縄の言葉で〔くるさり=ゆん〕という動詞は、たいていの場合、大目玉を食らうという意味です。念のため。
「じゃ、どうしたらいい?」
「そうだな」
勉は裸のデイゴの木を見つめながら、続けた。
「どっか大きい図書館に行ったら、『沖縄古語大辞典』って辞典があるよ。このデイゴに咲く花みたいに、真っ赤っ赤なでっかい辞典だからすぐわかる」
そして彼は、メモを指差しながらこう告げた。
「それ、品詞分解したら、辞典引けるから。品詞分解、高校の古典でやっただろ?」

……やれやれ。あたしは、返事書くために品詞分解もしないといけんわけね?
あーあ。二十六歳にもなって、アメリカまで来て、まさか沖縄に古典の宿題、持って帰ることになるとはねー。

「まあ、がんばって。早く返事頂戴ね」
ため息をつくあたしを置いて、勉はすたすたと歩き出した。が、急に足を止め、目線は向こうのまま声を掛けてきた。
「それからなー」
「は、はい。また何かあるの?」
「まさか、とは思うんだけど」
勉は目線を落とし、続けた。
「もし、もしも、多恵子が妊娠とかした場合は、俺、きちんと責任とるから」

「……勉?」
意外な言葉に驚いた。他ならぬ慎重派の彼のことだ。きちんと避妊はしているはずなのに。それとも、あれかな。コンドームって必ずしも避妊率は100パーセントじゃないってことを言いたいのかな? 確かに、あたしの月経周期は不順なままだ。妊娠する確率がゼロとはいいきれない。
「何かあったら一人で悩まないで、必ず連絡して。わかった?」
「うん、わかった」
あたしは頷いた。 

そして、十二月八日の朝、あたしはロサンゼルスを離れた。勉は空港まで車で送ってくれた。
「空のスーツケースは郵送すればいいのに」
勉はそうつぶやきながら、車のトランクからスーツケースを降ろした。一つには着替えとお土産が入っているが、もう一つは空っぽのままだ。
「いいよ、お金がもったいない。よいしょっと」
あたしは二つのスーツケースを受け取り、ぴょこんと頭を下げた。
「じゃあ、七日間、お世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました」
勉も頭を下げ、ポケットからなにやら包みを出した。
「これ、ちょっと早いけど、クリスマスプレゼント。飛行機で開けて」

え? こんなもの、いつの間に?

「うん、じゃあ、あとで見ます。ありがとう」
あたしは、手のひらほどの小さな包みを自分のショルダーバッグに入れた。
「出発カウンターまで付き添いたいけど、出勤するから、ごめんな」
「いいよ、子供じゃないんだし」
あたしがそういうと、勉は車の座席へと戻った。ドアがバタンと閉じた。
「みんなによろしくな。気ぃつけろよ」
「勉も、がんばってね」
「じゃあな」
そういって、勉が運転する車は走り去っていった。

無事に飛行機に乗り込み、離陸してからあたしはプレゼントを開けてみた。
「あ!」
思わず声を上げてしまった。この輝きは、ダイヤモンドだ。十八金のピアス、少し大きめのダイヤモンドがくっついてる。
プレゼントには、小さなメッセージカードが付いていた。

 Merry Christmas, Taeko!
 プラチナはまだ手が出せません。もうしばらくお待ちください。
 寂しいけど、お互い頑張ろうな。
                          上間勉

うれしかったけど、同時に、とても申し訳ないと思った。一体、いくらしたのだろう? 少なくとも、誕生日にもらったイルカのピアスよりずっとずっと高価なはずだ。また無理して、こんな高いの買って。いくら研修中も給料出るからって、自分が買い揃えたいものも、いっぱいあるだろうに。
沖縄に帰るあたしは、もう勉に何もしてあげられないのだ。せいぜい、メールか、短い電話か、週に一回ちょっとしたものを送ってあげるくらいしか。
帰ったら、仕事頑張ろう。なんとかお金を貯めて、またロサンゼルスに来れるように。

沖縄に戻った翌日から、あたしはサザンに戻った。体はきつかったけど、無理を言って十日も休んでしまったのでこれ以上休むわけにはいかなかった。
ある日、深夜勤の前に県立図書館へ寄って、勉の言ってた、真っ赤っ赤な辞書を探した。えっと、『沖縄古語大辞典』……あった、あった。うわ、でっかいなー。
机に座り、早速辞書を引き始める。まずは、‘あいた’という単語から。
……あった。本篇最初のページにあった。なーんだ、‘あいた’は、痛いときに発する語、つまり、‘あ、痛い’。今でも「あいた!」って言うよね? 次は‘生爪’……って、これ、現代でも使う言葉だ。‘や’は係助詞。沖縄語うちなーぐちは現在でもこの‘や’を使っている。
なーんだ、琉歌って、思ったより簡単じゃん!
つぎつぎと格闘して、なんとか意味が判った。

 あいた生爪や   (あ、痛い! って、生の爪が)
 あかれても良たさ (別れちゃっても……剥がれちゃっても、いいや)
 のよであかれゆみ (どうして、別れるだろうか。いや、別れないよ)
 無蔵んぞわんや  (あなたと、私は)

ちょっと、待ってよこれ。めちゃめちゃキザな歌じゃない?
でさ、ここで言うところの“我”は、勉だよね?
そうすると、この‘無蔵んぞ’って、琉球芸能の世界では女性二人称単数だけど……。

……ひょっとして、あたしに、呼びかけてる?

「うっそー! なにこれ!」
静寂な図書館で思わず叫びそうになり、あたしは口元を押さえた。
なんか、心臓がばくばくしてきたよ。ど、どうしよう?

あたしの掌には、あいかわらず、あの歌がある。勉のきれいな筆跡で、何の迷いもなく書かれている。

 あいた生爪や/あかれても良たさ/のよであかれゆみ/無蔵と我や

耳元で、こんな勉の声が響いた。
「いふぇー(ちょっと)むしが、生爪ぬ剥ぎーしぇー、しかっとぐゎー(きちんと)のーいねーまさりーどぅする。如何ちゃーっしいゃーわんとー、離りゆー、すみ?」

勉、あんた、これ、やりすぎだよ。返事の歌の作りようがないよ。

悩んだ末、あたしはその夜、勤務に入る直前に、携帯から勉へメールを打った。打つのが、もどかしかった。

 多恵子@沖縄です。勉がくれた歌の意味、やっとわかりました。
 ただ、今の私には正直、漬物石みたいに重たいです。
 どうしたらいいのか、わかりません。
 返歌はしばし保留ってことで、いいでしょうか?
 では、お仕事がんばってください

送信っと。はあ。なんか、疲れた。
すると、一分後に携帯から‘ボーイフレンド’が流れた。勉だ。今、ロスは朝七時ちょい前のはず。Long明けたのかな?

 上間勉@LAにてまだまだ当直中です。
 いつもながら簡潔で手厳しいメールをありがとう。
 時間はいっぱいあります。今度会ったとき、ゆっくり話し合いましょう。ではまた。

ふーん、時間はいっぱいある、か。あたしはそうつぶやいて、携帯の電源を切った。
まさかこれが、アメリカにいる勉からの最後のメールになるなんて、そのときのあたしは、まだ知る由もなかった。
次章へTo be continued.
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