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Part3 The year of 2000

Chapter_14.Car Accident(1)レポートのネタ

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At UCLA, Westwood, Los Angeles; December 22, 2000. 
The narrator of this story is Tsutomu Uema.

多恵子が沖縄に帰ってから、僕の生活はまたERの多忙なスケジュールへと飲み込まれた。だが、もう以前のようにホームシックに悩むことはなくなった。僕の燃料タンクの中には多恵子の元気の素がなみなみと注がれたので、そのままNewYearまで走り続けられそうなくらいの勢いで仕事をやっつけていた。
やがて、沖縄から師匠の弾くサンシンの曲が入ったMDがいくつも届いた。暇を見て僕はケースからサンシンを取り出し、少しずつつま弾くようになった。

今日はShort勤務です。朝も早くから、こちらのロビーに並んでいる患者さんたち、みんな鼻をぐずぐず言わせている。僕に風邪をうつさないでね。お願いだから。はい、これが下痢止めの処方箋です。お大事に。
こちらの患者さんは火傷やけどですか? 冷やして包帯巻きますよー。じくじくしたら、皮膚科を受診してください。お大事に。
頭痛と高熱の患者さんだ。ざっと全身をチェックしてみたけど、くしゃみも咳もしないし、これといって異常は見られない。インフルエンザじゃなさそうだ。
え、長年の頭痛持ち? ふむふむ。年明けに精密検査の予約をされているんですね。取りあえずアスピリンの処方箋があれば、いいんですか? 何かあったらすぐ戻ってきてくださいよ。お大事に。

十時過ぎのことです。急患さんが来ました。先生に付き添われて幼稚園からきた女の子です。あーあ、大声で泣いてる!

“She cries and does not stop!”
(彼女、泣きやまないの!)

それにしてもクリスマスが近づくと、どうしてこう子供の患者さんが増えるんですかね? いや、だから僕は、小児科医じゃないんだったら。え、人手が足りないから、とにかくお前が診とけって?
ええと、ちょっとごめんね。こっちきて、おじさんに(僕はもう二十七歳です)よーくお顔を見せてごらん。ほら。逃げないで。

“He's not going to hurt you. I promise !”
(お医者さんはおイタはしませんよ!)

しばしぐずっていましたが、先生になだめられこっちを向いた。よしよし。……あ、鼻の奥に何か詰まってるぞ? 鼻の異物は厄介なんですよ。感染症を起こしたりすることがありまして。これは局所麻酔しなくっちゃ。
注射針を構えます。だから、逃げないでってば!

“O.K. It's going to be really quick!”
(直ぐ終わるからね)

先生に頭を押さえてもらって、と。細い針だから、そんなに痛くないでしょ? さてと。鼻の穴を器具で広げまして、注意深くピンセットで摘んでみる。ちょっと無理か。よし、吸引しよう! そのまま、頭押さえててくださいねー。
やっと出てきました。レーズンだ。ははーん、さては、「飛ばしっこ」 (注:鼻の穴にモノを詰めて吹き出す遊び)でもしてたのかな? 確かに僕も子供の頃鼻の穴にいろいろ詰めるの、ちょっとやっていた気が、する。

“He was such a nice man, wasn't he?”
(いいお医者さんだったでしょ?)

泣いていた女の子は、ぴたっと泣き止み、先生の言葉にこくんと頷きました。現金なものです。と、廊下のあたりでバタバタと足音がする。

“Help, Dr.! He can't do breathing!”
(先生助けて! こいつ息してない!)

呼吸してない? それはちょっと、まずいぞ!
慌てて駆けつけたら、Frankが即座にその男の子を逆さまにして背中をバンバン叩いた。すると、男の子の口からポーンとプリッツェルが飛び出した。すごい勢いでわんわん泣いてます。やれやれ。
後に僕は、同じ話を偶然、テレビで見た。新しく就任したばかりの大統領が、なんと英雄談として語っていたのだ。テレビ見ながらお菓子をのどに詰まらせて、自力で吐き出したくらいでいばるなっちゅーの。いい歳こいたおっちゃんのくせして。あんた、日本でそんなことしたら、完全にバカ扱いだよ。

えー、次は、腹痛を訴えるローティーンの女の子ね。って、このお腹のふくらみは……。ま、まさか。
と言っている間に、ぎゃーぎゃー叫んでいます。スカートめくったら、パンティは血だらけ。もう小さい頭が出ている!
ちょっと待て、あんた、いくつだ? じ、十四歳?!

その場には、僕しかいません。ええ。取り上げました。小さめですが、元気な男の子です。一応、十二、三人目かな、ご出産に立ち会うのは。サザンで産婦人科研修受けてて、よかった。あー、また白衣と眼鏡が血まみれだ。全く、もう。

血で、思い出した。そうだよ。サザンに研修レポート書かなくっちゃ。血液とか汗とか唾液とか、体液に関するTopicなら何でもよかったな。何にしよう?
着替えをしながら首をぐるぐる回す。思い出した。ちょうど一年前の今頃だ。照喜名てるきなに採血されたっけ。あれは輸血用の血液だった。
そうだ。メディカルセンターには自己血輸血のシステムがある。外科手術前に患者さん自身の血液を一定量、取って置けるのだ。サザンではまだ導入してなかったな? よし、これをネタにしてみるか。

Shortが明けた後、UCLA出身であるRoyと昼メシを食いながら、この話を持ちかけてみた。自己血輸血はautologous blood transfusionと言います。

“I have to write a paper on autologous blood transfusions. How should I approach it?”
(自己血輸血のレポート書かなくちゃ。どう書けばいいかな?)

すぐさま、こんな返事が帰ってきた。

 “Tom, try it on yourself. Let's go!”
(トム、自分でやってみろよ。行くぞ!)

善は急げ、とばかりに血液管理部へ連れて行かれ、その場で600㏄、取られた。取った血液は72時間貯蔵できるらしい。だから僕は冗談半分に自分の血液をそこへ預けたのだった。
約43時間後、使うことになるとも知らずに。 ((2)へつづく)
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