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【25】忘れ物

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 さて数日後、その先生が良い先生だということは覚えたが、泣いたことなどすっかり忘れ、練炭についても忘れ、私はただただ純粋に、ドキドキしながら最初のゼミへと向かった。

 実は、一覧表を見たのだが、青田くん以外は、誰ひとり話したことがある人がいかなかったのだ。

 私はなんだか、過去問入手能力や、ノート取得能力に長けていたらしく、同じ学科の二百人以上を知っていて、テスト前にはものすごく連絡がくるタイプだったため、学科の中に知り合いがいない例が、かなり自分の中で例外で、非常に緊張していた。

 もちろん、理由は一つだ。信者か昨年の必修受講者しか、このゼミに受からなかったからだ。私は単純に面白くて、先生の講義は全部一限だったが出ていたし、昨年も地元のみんなのおかげで必修に参加できたので、いつも参加していた。条件は同一だ。

 しかしもちろん私の友達は、みんな授業に出ないのだ。特に一限は絶対。始発まで飲んでいるのと恋愛関係が大変だからだ。なので、この先生の講義には、一般の方は履修登録してテスト時のレポート提出のみだったし、必修も、発表の日しか来なかった。

 それでも必修の方はさすがにたまに来ていた人もいたし、発表日は誰かが来るので、その大半は知り合いだったため、当時はあまり不安を感じなかった。

 その人々の中で留年しなかった学生も、応募した友人が結構いた。しかし、全員落ちてしまった。信者で毎回話しかけていた人や、希にしか必修を休まずきていて積極的に質問していた人の中にも落ちた人がいたので、当然でもあるかもしれない。

 先生達の話を聞く限り、そしてそれを信じるとすれば、私が受かったのはコネではないはずだ。ということは、多分くじ引きか運が良かったのだ。

 ただ、青田くんしか知り合いがいないし、彼とはものすっごく仲が良いわけでもない。

 また信者以外でも、みんな積極的に質問をしたり、講義前後に雑談までしていた人々の集まりなのだ。彼らは純粋に、講義の内容が好きだったか、先生の人柄が好きな人々だと思う。

 つまり、先生と話したことが、個人発表時の一回だけの私は、不安だったのだ。
 先生の名前は、鏡花院先生というちょっと変わったかっこいい名前だった。

 私の方は多分名前も覚えられていない。というか、出席している人々も、私を知らないだろう。だってみんな、一限から真面目に出ていて、ノートや過去問を回したり、他人のレポートを代筆したりするタイプじゃない。自分でしっかり勉強している人々なのだ。

 私はとっくに不真面目で、研究室に呼ばれたり必修以外と犯罪系や哲学系以外は、全部、楽な講義を取っていた。根本的に、真面目さが違うのだ。つまり、新たなる友達ができるかさえ疑問だった。

 ゼミの人数は三十人くらい。これも出席確認は取るものの、でなくてもOKという条件は変わらなかった。しかし、三年次は、ほとんど全員が毎回来ていた。たまに休む人がいても、これまでとは異なり、多い人でも五回くらいだ。一年間通して五回だ。

 確認では名前を一応呼ばれる。私は、その度に返事をした。それ以外には、一度も質問もせず、講義前後に雑談もせず、大変ぼっちだった。だが、この講義を受けられるだけで幸せだった。

 席は自由だったので、たまに青田くんの隣になると、少しは話した。

 他の子とも、消しゴムの貸し借りくらいはしたし、別に無視されていたわけではない。その内に、講義を受けられるだけで幸せだし、別段無視されていないし、黙っていても問題ないし、今はとても幸せだと、本格的に認識した。

 最初は、精神分析学内やそれと深い関係の学派の各ジャンルの話をした気がする。
 一年の時に最初の講義で聞いたから、復習だと思った。
 もちろん全部知っていたので、質問する人は、再確認しているんだと考えていた。

 だから黙って見ていた。講義前後の雑談は、内容は聞こえなかった。
 楽しそうでいいなとは思ったが、参加する勇気はなかった。
 だって、みんな、この分野にすごく詳しいはずなのだ。きっと私じゃ、理解できない。

 この頃には、講義ももう興味があるもの以外は簡単だったし、サークルも三年生だから今年で引退だし、ストレス発散で書いた小説は最終選考に残ったから、もういいやと思っていた。やっと休日に自宅にいていいことになった時に、三日で書いて、最終選考に初めて残ったのだ。

 それまでは、高校時代は年四回は出していたが、大学一年時の初期に一回投稿して、それが二次通過だったのを最後に、投稿をやめていた。個人サイトもやめていたので、最終に残ったのを見た時に、もう小説家になるなんて考えるのはやめようと思っていた。もう十分楽しんだのだから。

 なので、図書館通いが復活していた。しかし小説は購入できるし、近所にも図書館があったので、せっかくなので、大学図書館にしかない本を読むことにした。うちの大学では、心理学・変なの・哲学・民俗学という順番で並んでいた。

 本来の棚わけなのかは、司書課程は途中でやめてしまったので、よくわからない。最初は、心理学から読むかと思って、逆行催眠の話を読んだ。ネットとかで見る催眠療法とは全く別物で、結構面白かった。

 まだ真面目だった一年生の頃は、精神分析学は知らない学問だったので、鏡花院先生の講義で出てきたメラニー・クラインとアンナ・フロイト、あとはもちろんフロイトの本を読むことが多かった。なので一応、このあたりも、ゼミに出るだろうと思って、サラっと読み返した。

 雰囲気的に、まずは古典的な話をするっぽかったからだ。それこそフロイトが提案した現在とは結構違う初期の防衛機制レベルの古い話から始まる雰囲気だったのだ。復習だと思った。

 ただ、その内、最新の理論をやるんだろうなぁと漠然と思っていた。けれどそちらは、人によって四年次の卒論関連で選ぶジャンルが異なるだろうから、今読むものを決めなくても良い気がした。

 だから心理学関連だと、なんとなく好きなラカンと、比較的新しいとも言えないことはないウィニコットなどを読んでいた。哲学書は、哲学者なのか忘れちゃったけど、この頃はハイデッカーみたいな名前の人が好きだった気がする。

 民俗学は、かなり知名度の低い先生のを読んでいた。変な作品の棚にあったのは、超心理学や錬金術、魔術書だ。超心理学に関しては、入学当初にこの大学では決してそれはやらないし、心理学とは認めないっぽいことをオリエンテーションで言われたのに、本はあったのだ。錬金術は、ユングの著作に出てくる関連書籍だ。魔術書の理由は知らない。

 サークルのない日で、佳奈ちゃんとかと遊ばない日は、ほとんど図書館に行っていた。その内、早い人は三年前期から就活準備を始めていたので、サークル頻度はすごく減った。はぶかれていたとかではなく、その関係で、遊ぶ機会も減った。

 なのでゼミ開始後一ヶ月半くらいした頃には、週に四回は図書館に行っていたし、その時には、決まって五冊借りていた。もっと多く借りても良い制度だったのだが、持って帰るのが重かったのだ。

 どうやらこの頃もまだ速読能力は健在だったようで、借りた分はその日に読み終わった。記憶力と頭はずっと悪かったが、勉強や読書内容はちゃんと覚えていた。

 元々は、こういう生活をして、小説家になる予定だったんだけどな。
 なんて度々一人で苦笑した。
 実は二年時も文芸部に勧誘されるのを期待したのに、されなかった。

 だから勇気を出して、学祭で顔を出してみたが、読書家ですねと言われて終わった。
 結局、この大学の文芸部サークルには入れなかったのである。
 そのためこういうネタは、見た目ギャルだけどヲタの佳奈ちゃんと話すばっかりだった。

 そんな中、講義の流れ的に、そろそろフロイトとユングの関係の話になるような気がした。フロイトの方はゼミに入ってすぐちらっと読み返していたが、ユングは完全趣味で適当に読んだだけだったので、改めて眺めた。

 そして関連文献の、多分エリアーデっぽい名前だったと思う人の本が、変な棚か哲学の棚にあったので、借りてみた。その日は気分転換に、独立学派の結構最近翻訳された本も借りた。作者は忘れたが、二人いた気がする。あとはハイデッカーをなんとなく借りて帰った。

 翌日が、ゼミの日だった。私はこの日も、誰と話すこともなく、質問することもなく、講義の内容を純粋に楽しみ、出欠の時だけ声を出した。そして帰った。

 エレベーターを降りて、そこで「あ」と、気がついた。昨日借りた本を、紙袋に入れたまま、ゼミの教室に忘れてきてしまったのだ。返却しないで借りることも、借りている冊数的に可能だが、返却時に重いので、取りに戻ることにした。

 雑談時間も終わっているだろうし、誰もいないだろうと思って、がらっ扉を開けた。結構大きな音だと思ったのだが、室内にいたひとりきりの人物は、振り返ることもなかった。

 私はなぜなのか、ぼんやりとしてしまった。その人物は、私が忘れた紙袋の中身から本を取り出し、読んでいたのである。少なくとも、開いてページをめくっていた。しかもその人物は――鏡花院先生だったのだ。ゼミの主催者だ。

 先生は、一体何をしているんだろうか?
 ボケっとそんなことを考えていると、やっと先生がこちらを見た。

「雛辻さんて、こういう本、趣味なの?」

 唐突に言われた。名前を呼ばれたことにびっくりした。覚えられているとは知らなかったのだ。だって出欠は、名前を名簿で読み上げるだけだし、目が合うこともなかったのだ。しかも、なぜそれが私の忘れ物だと確信しているのだろうか?

 名前は記憶力が良いだけかもしれないので、まず後者について聞いてみた。動揺していたから、率直に聞いてしまった。

「どうして私の忘れ物だって分かったんですか?」
「席は自由なのに、いつもこの席に座ってるし、この紙袋も必ず持ってるから」
「席まで覚えてたんですか? 名前も!?」

 私は、ものすごく驚いていた。講義を聞くだけで幸せだったので、後ろの方の目立たない席に座っていたのだ。質問もしないから、認識されていないと思っていた。紙袋に関しては納得した。しかし名前を覚えられていたことには驚愕した。

 すると、奇妙な空気が流れた。先生が、少し目を細めたあと首を傾げた。

「どうして俺が、名前も知らない学生をゼミに入れるの?」
「だって、二年の発表の時に一回しか話したことないですし」
「あの必修も来ない人多かったけど、毎回来ていた君の名前を覚えないっておかしいよね。しかも君は一年次から現在まで、俺の学科講義も全てとってる。一限でほとんど誰も来ないのに、そっちも全部出席。一度も休んでない。だから顔は最初から知ってた。あと君は特徴的すぎた。ノート、取りすぎだ。俺は、自分の話を、来ている学生もあまり聞いていないことは分かっていたけど、テスト前のレジュメには自信があった。なのにその配布日すら、ノートをとってる。何度か、自分のレジュメの完成度を疑った」

 私は、この頃から、書かないとダメな病だったのだろう。
 確かに昔から、ノートをよくとっていた。
 しかし、話していることを全部メモするから、私以外誰も読めないのだ。

「君のレポートの中身を見て、単純に講義をしっかり聞いてたんだと理解してほっとした記憶がある。俺は、テストに出れば単位をあげるけど、最高評価は出さないことで有名だと思うんだ。でも君にはきちんと出した。当時から名前は知ってた。顔と名前も、すぐにその辺の誰かに聞いて一致したよ」

 確かに先生は、テストに出れば単位をくれることは有名だ。しかし最高評価を出さない人だとは知らず、私はてっきり、全員に最高評価をくれるのだと思っていた。

 それにノートをとるのは自分の癖であり、他の人はノートを取らなくて良いほど知識があると思っていた。逆に馬鹿だという意味で特徴的だと思われたのかとも考えたが、そう言う言い方でもなかった。

「まぁ話した事がないのは事実だね。俺と話すことに興味がないんだと思ってた」
「話してみたかったです! でも、ネタもないし!」
「ネタ?」

 私の言葉に先生が笑った。たまに口元でうっすら笑うのを必修中に見たことがあるだけで、私は初めて普通に笑っているところを見た。

「丁度ネタが出来た」

 先生が本を閉じながら続けた。笑い声こそ消えていたが、顔は笑ったままだった。

「俺の部屋に、話をしにきなよ。コレ、もっと新しい論文がある。興味があるんなら」

 それは独立学派っぽい人々の本だった。
 先生は専門家なので、持っていることには納得できる。
 ただ、別に私は、そこまで興味があると言い切れる程でもない。大問題だ。
 話してみたいけど、私の知識の浅さも露見する。
 しかも緊張していたので、煙草が吸いたくなってきてしまった。


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