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第2章

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 俺は妖怪にはくわしくないが、野槌については、未確認動物とされるツチノコが野槌とも呼ばれる場合がある関係で少しだけ知っている。江戸時代に妖怪で有名な絵師の描いた「野槌」の絵が、目の前にいる動物と似ていると思った。
 こちらの方はその絵で描かれたよりもかなり大きいし、実際に野槌なのかはわからないが、俺はこれを野槌という名前で呼ぶ事にする。
 野槌はしばらく鎌首をもたげたままで、こちらの様子をうかがっているようだ。目や耳がなくとも、何らかの方法で周囲の状況を把握できるらしい。こちらが複数で待ち構えていたのを警戒しているのか、それとも開けた場所は不利と感じているのか、野槌はしばらく襲ってこなかった。
 巫女さんたちがその時間を利用して黙信術で対処法を話し合っている間に、俺は見た事のない異世界の動物について考えをめぐらせていた。
 動きから見て、内骨格はなさそうだ。体節構造の様なものが見えるので、やはりミミズが行っているように体節間に仕切りを形成して内部に圧力をかけて、骨格がなくてもある程度丈夫な構造を形成しているのだろう。あの大きさなら循環器系と呼吸器系は持っていそうだ。目も耳もないようだが、どうやって獲物を認識しているのか、体表に感覚細胞が分散して存在するのだろうか。恒温なのか変温なのかと俺の想像はどんどんふくらんでいく。
 俺がそんなふうに勝手にあれこれと現状の解決に役に立つのかどうかもわからない考察に取りつかれて興奮している間に、巫女さんたちは手早く戦いの方針を決めていた。
 アリシアさんが俺に言った
「これからあの魔獣を始末しますので、申し訳ありませんが、もう少し後ろに下がってください」
 さっきのように犬に対するよりも、戦いの場所を広くとらなければならないのはわかっていた。
「おとなしく後ろに引っ込んでいますよ」
 答えた俺に、アリシアさんはさらに付け加えた。
「後ろは崖なのを忘れず、気を付けて落ちないようにしてください」
「わかった。気を付けるよ」
 俺は軽い口調で返答して、わずかな星明りを頼りに、慎重に足を動かす。
 軽く言いすぎたかなと後悔した。
 アリシアさんは心の底から俺を気づかっているように見えたからだ。

 野槌は俺が後ろに下がると、それで心を決めたのかこちらに前進してきた。巫女さんたちと野槌の戦いが始まった
 巫女さんたちはみな第五階梯に昇る。まずアポさんがヒトの大きさのコキンメフクロウの姿で、怪物の上を飛び回る。
 怪物はどのような方法で探知しているのかはわからないが、それに反応して胴体を伸ばして襲いかかる。
 アポさんは危なげなくそれをかわし、襲撃と回避を繰り返して、相手の注意をひきつける。
 その間にアリシアさんは前に進み、野槌の胴体をつかもうとする。
 すると野槌はその方を向いて、攻撃対象をアリシアさんに変更する。
 野槌が大きな口で一呑みにしようとするのを、アリシアさんはかわしつつ相手を抱え込もうとするがうまくいかない
 計画ではアリシアさんが野槌を抱え込んでいる間に、アドラドさんが俺を抱いて飛び越え、反対側に移動するつもりだった。
 だが、一人で野槌を押さえ込むのはうまくいかない。野槌の胴体が長いので、なるべく真ん中に近いところを抱え込もうとするが、野槌はそうさせまいと動く。抱え込んだところから端までが長いと、それだけ自由に動かせる部分も長くなる。飛び越す時にアドラドさんが攻撃をうけてしまうおそれがあった。
 それでもアリシアさんは、苦心して胴体の真ん中に近い位置へと少しずつ近づく。もう少しで抱え込むのに成功しそうになるが、野槌は体を柔軟にくねらせ、すりぬけてしまう。
 そこへ木立の中から先ほどの犬たちが現れ、野槌に襲いかかる。
 何頭かははね飛ばされたが、攻撃をさけた犬たちは猛烈に吠えかかりながら隙をねらう。飛ばされた犬たちもすぐに戻ってきて襲撃を再開する。やがて一番大きな犬が噛みつくのに成功し、振りほどこうとする野槌の激しい動きをものともせず食らいつき続け、離そうとしない。さらに三頭の犬が噛みつきに成功する。
 アリシアさんは好機をのがさず、胴体中央を抱え込み、北の方へと野槌を押していく。
 その隙にアドラドさんは俺を抱いて、草地の南側を横切って木立の端まで跳んだ。
 そして俺を離すと再び一跳びで野槌がかろうじて届かない場所に着地し、続いて胴体の上へと猛然と跳ねた。アドラドさんは背中の上に降りる瞬間に
「けり」
 と叫んで強く蹴り、再び跳ねる。
 蹴られた部分は皮も肉も裂け、緑色の液体が流れ出した。
 野槌はたけり狂って、今度はアドラドさんを襲い始めるが、その攻撃は巧みにかわされ、再び跳躍と背中への蹴りが繰り返される、しかも見事に同じ場所が蹴られている。
 何度かの繰り返しの中で、一度もねらいをはずす事なく、ついにその部分は大きく裂けて、そこから前と後ろが別々の動きを始める。
 アリシアさんがその部位に接近し、傷の反対側から抱え込むのに成功した。胴体は太く、抱きついて両方の爪先が触れ合う程度だ。だがアリシアさんは爪を傷口に引っかけて強く抱きしめ始める。傷口はさらに開いていった。
 あれは実に強力だ。身を持って知っている俺は身も心もすくむ思いだった。
 やがて音を立てて野槌から大量の体液が流れ出し、体が折れ曲がり、地面をのたうつ。うまく体を前進させる事ができないようだ。
 そこでアドラドさんは
「ころ合いよーし」
 叫んで野槌の近くで両手をついた。
 俺は思わす犬たちに向かって
「逃げろ!」
 と叫んでいた。
 すると犬たちはいっせいに野槌から離れて木立の方へと移動する。
「地層転軟」
 アドラドさんは叫んで神術を発動させる。
 それはアナウサギの巫女であるアドラドさんが地面を掘る時に使う技で、一定の範囲の土壌を任意の深さで文字通りやわらかくして穴を掘りやすくする。それを暴れまわる野槌の下で発動させたため、再び地滑りが始まった。
 野槌は崖に向かって落ちつつある事を知ると、滑落から逃れようともがく。
 だが、傷ついているためとアリシアさんが押さえ込んでいるためにうまくいかない。
 やがて、のたうつ半身が斜面の端を越えて垂れ下がっていく。
 必死に残りの半身で斜面にしがみつこうとするが、アリシアさんはなおも押し続ける。
 野槌の残りの部分を乗せた地面が崖に向かって速度を上げながら滑り落ち始めると、アリシアさんはようやく野槌を離し、両腕を真上にあげた。アポさんががっしりとつかんで上昇する。
 崖の向こうから野槌の尾の部分が再び姿を見せて必死に体を支えられる何かをつかもうとするが、つかめるものは何もない。
 むなしいあがきとともに、頭も尾も崖の下へ姿を消していく。
 その頃になってようやく月が昇ってきて、あたりは少し明るくなった。
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