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19 夜会
しおりを挟む「リゼ、目立たない方向でお願い」
「ディライル様に頼まれておりますのでお任せください、お嬢様」
ハティスの願いはあっさり却下された。
王都に一般向けの医療施設を建てる寄付を募るための夜会が催される。出席者の参加費の収益が寄付に使われるという。
あのお茶会以来、久しぶりの社交だった。
畏れはある。きっと邸にいる事を選んでも兄は優しく頷いてくれる。でもいつまでも引きこもっていられない。忘れてしまった記憶を取り戻したいから。
(大丈夫……)
そっと胸元の菫色のネックレスに触れた。
「気持ちで負けてはいけないわよね。綺麗に整えてくれてありがとう、リゼ」
「とてもお美しいです」
鏡越しにハティスとリゼは微笑み合った。
リゼが選んだのはアイスグリーンの肩のラインを美しく見せるオフショルダードレス。長袖部分はレースになっていて、デコルテにもレースを何層も重ねているので胸元の肌は透けない。ウエストから裾に向かってシルエットがふわり広がる。
階段を降りていくとエディとレヴェントが待っていた。
「ごめんなさい、お待たせしてしまいました」
「全然だよ。かわいいね、ハティス!」
「ふふ、ありがとうございます。お兄様もすてきです」
正装姿のエディは華やかだった。続けてレヴェントへと視線を向けると、顔を背け手で口元を覆っている。気のせいでなければ、震えている。
「あの大丈夫ですか、レーヴェ様?」
「ハティス、しばらくしたら落ち着くだろうからもう放っておいてやって。さ、行こう」
エディが差し出した手を掴もうとした。
その手をレヴェントが掬い取った。
「行こう」
「はい」
「おい……!」
がしがしと柔らかな後ろ髪を雑にかいて仕方ないなとエディは二人を追いかけた。
「今日のドレスも似合ってる。これ以上ないくらい綺麗だ」
「ひぃ……」
馬車が走り出したところで隣に座るレヴェントが声をかけてきた。
正装したレヴェントの破壊力は凄まじかった。
肩に上着をかけ、清潔な白いシャツに金糸の装飾があるベスト、白色のクラバットを合わせたまさしく正装姿のレヴェントに至近距離から菫色の瞳で見下ろされている。
「ふ――……レーヴェ様もすてきです。近衛騎士姿もすてきですが正装姿もすてきです、本当にすてき」
私の語彙力って。
何度すてきと繰り返すのか。ハティスは自分の語彙力のなさに絶望した。
「ふ――……」
深い溜め息を吐き顔を背けたレヴェントは心なしか震えている。
「はぁ……なにしてるの、君たち。なにを見せられてるのかな、僕は」
エディは呆れたようにそう言うと、向かいの席から胡乱な視線を二人に向けた。
会場は和やかな雰囲気だった。
「ハティス、疲れたらすぐ言うんだよ。チャリティーだからいつでも帰って構わないし、誰にも気を遣う必要なんかないからね」
「はい、お兄様」
「俺がずっと一緒にいるから大丈夫だ。離れないで、ハティス」
「はい、レーヴェ様」
馬車を降りた瞬間から緊張していたハティスはほっと一息吐いた。
「なぁおい、ちょっと近すぎる。離れろ、レーヴェ」
「なに言ってるんだ、普通だが?」
「いや、普通じゃないだろ。近いわ」
「ハティスは嫌?」
「いえ、構いません」
「……兄様がエスコートしよう。おいで、ハティス」
「断る」
「おいっ……!」
主催者に無事挨拶をして、ハティスの緊張はすっかり解けた。エディはそのまま主催者と話し込んでいる。財務部に勤めているため色々相談されているのだろう。
ハティスとレヴェントはそこから少し離れた場所で出席者たちと親交を深めていた。
公爵家の嫡男であるレヴェントの元には多くの人間が挨拶に訪れる。離れていた方がよいと思うのにレヴェントの腕は腰に回されたまま。
「疲れてない?」
話し中にも関わらず、レヴェントは心配したように聞いてきた。
「レーヴェ様、私向こうでなにか飲み物をもらってきます」
話の邪魔になりたくない。どうぞ続けてくださいと微笑んで行こうとした。
「俺も行くよ」
(え……?)
手際よく切り上げると、目を瞬かせるハティスの腰を引いて歩き出した。レヴェントと雑談していた者たちはその様子を好ましく眺めている、
「あの、お話のお邪魔をしてしまってごめんなさい」
「ハティスが邪魔?彼らの方が邪魔だよ」
「……ん、こほっ」
口に含んだワインを吹き出しそうになる。レヴェントはハティスの口元をハンカチで丁寧に拭いた。
「今日はずっと一緒にいるって言ったはずだ。一人でどこかに行こうとしないで。本当かわいいな、ネックレスもハティスに似合ってる」
「あ、ありがとうございます。あの、ネックレスなのですがとても貴重で高価なものだとお兄様から聞きました。こんな大切なものをいただくわけには……」
「気に入らなかった?それとも俺からもらって迷惑だった?」
「え……?いえ、かわいくてとても気に入っています。迷惑だなんてそんな、そんな事ありません」
「うん、じゃあずっと持っていて。俺の代わりにね」
「ひゃい……」
噛んだ……
(でもレーヴェ様のせいだ。そんな顔されたらどうしたらいいかわからないもの)
顔を手で覆ったハティスの耳をレヴェントの愉しげな笑い声がかすめた。
会場の片隅にいてもレヴェントは女性たちの視線を集めている。頬を染めたり、見惚れる者もいる。
ハティスにも彼女たちの気持ちがわかる。
(だってレーヴェ様は本当に見目麗しい方だから。でもそれだけじゃなくて、お優しくて頼りがいがあって……)
酷く落ち着かなくて、ネックレスをぎゅっと握りしめた。
「ごきげんよう、シェリノール様」
「チャリティー活動のお話を向こうでしているのです。よろしければご一緒しませんか?」
近づいてきた数人の令嬢たち。その中の一人がレヴェントに話しかけた。彼女がレヴェントを見つめる目には熱がこもっていて、ハティスの気分は一気に下降した。
「遠慮する。悪いが彼女との時間を邪魔しないでほしい」
「彼女……?まぁフスレウ侯爵令嬢いらっしゃったの、ごきげんよう。婚約解消なさってどうしてらっしゃるか皆で心配していたの。まだ社交に戻るのは早すぎるのではなくて?」
レヴェントは全く相手にしていないのに、彼女はお構いなしだった。クスクスと嗤い声が溢れる。
あの日王宮で自分を囲んだ令嬢の一人だとハティスは気づいた。
「王家との婚約は家同士の取り決め。お互い利益がなくなったから解消してしまったけれど私は王太子殿下を尊敬しています。部外者の方に心配していただく必要はないの。ごめんなさい、私はあなたの名前を存じておりません。レーヴェ様はご存知ですか?」
「いや、知らないな」
興味もない、と冷たく言い捨てたレヴェントはやわらかく微笑むとハティスの頬を撫でた。令嬢たちが頬を赤くしている。
ハティスに言い返されるとは思わなかったのか、彼女は怒りで顔を歪めた。
「あなたね」
「先程も言ったが邪魔をされるのは好きではない。どこかへ行ってほしいとはっきり言わなければわからないか?」
つい先程までハティスに向けていたものとは違う、冷淡な声音に彼女はさっと蒼白になり、言い返す事もなく皆と行ってしまった。
力が抜けたハティスはレヴェントの腕に掴まる。
「ごめんなさい、我慢できなくて言い返してしまいました。前に王宮でも同じような事があって……」
「謝らないで、ハティスは悪くない。それに勇ましかったよ」
「勇ましい?違うわ、本当はレーヴェ様に気やすく話しかけられるのが嫌だったの。私、嫉妬してしまったのかもしれません……っ!?」
ハティスはレヴェントの腕の中にいた。
(レヴェント視点)
「ご一緒しません?」
「遠慮する」
出席者たちとの挨拶を切り上げて、ようやくハティスと二人きりになれたのに令嬢たち数人が絡んできた。舌打ちしたくなる。
なぜハティス以外の知らない相手と一緒しなければならない。
彼女たちの態度からハティスを見下しているのが透けて見える。一人は伯爵家、他は子爵家と男爵家の者たちだった。
婚約解消について触れたから怒りが込み上げた。イスハークをハティスに思い出させるなんて許しがたい。
だがこれくらいのやり取りではどうにもできない。こんなくだらない出来事はありふれているからシェリノール公爵家から抗議をするには弱い。物理的に消してやる方法を考えていたらハティスが相手を見事に言い負かした。
腕に掴まるハティスを抱き寄せた。
嫉妬したのだと瞳を揺らしながら恥ずかしそうに言われたら、腕の中に閉じ込めたくなった。
「ハティス、社交の場に出るのは必ず俺が一緒の時だ。約束してほしい」
ハティスは花が綻ぶように微笑んで頷いた。
ふ――……
レヴェントは目を瞑り天井を仰いだ。
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