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運命なんて、大嫌いよ
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「運命なんて、大嫌いよ」
目の前に並べられた、蝋燭の明かりが揺れる。
火が付けられたばかりであろう長くて白い、きれいな蝋燭。今にも消えてしまいそうな、小さな火を灯している蝋燭。短くて、周りに溶けた蝋の池ができているのに、まだ強い炎で燃える蝋燭。
私は机の上に広げられた地図の中から、それらを引っ張り出しては、その向こう側に戻す作業を繰り返していた。
「そんな事、言っていいのですか?」
私の右隣にいる白い翼を持っている生き物が、私と同じ言語でそう話した。
「ええ、大嫌いよ」
蝋燭には一つ一つに文字が彫られている。その蝋燭と対になる人間の名前や生きる上でのシナリオみたいなものだ。
「命の蝋燭を何度も見ているのに、ですか?」
「そうよ」
命の蝋燭、というのはこの蝋燭の名前。一つ一つが、この地図の上に生きている人間達の命を表しているのだ。
「こんな蝋燭に決められてしまうだなんて、哀れだわ」
左端で弱々しく明かりを灯している蝋燭に、ふうっと息を吹きかける。
「✕✕✕✕✕✕、だめですよ!」
右隣を睨みつける。
「その名前で呼ばないで。そんな私は、もうどこにも居ないのよ」
その名前は、胸を締め付けるような痛みがある。そのたびに、今の自分を消してしまいたくなり、過去を恨み、運命を嫌う。
「申し訳ありません、運命の女神」
そう、その名前で呼べばいい。
今の私は運命の女神。この地図の上にいる人間ならば命の長さも、
「今度またその名前で私を呼ぶなら、お前の蝋燭を消す」
「それは権力の範囲を超える行為です。運命の女神、あなたには私の運命を変える力はありません。それから、無闇に蝋燭を消すのはお辞めください。均衡が崩れてしまいます」
「ちょっとした悪戯よ。何百年も同じことの繰り返しだと飽きるのよ」
私は机の引き出しから新しい蝋燭と、小型ナイフを取り出した。
「次はどんなふうにしようかしら」
「まずは今の下界を知ったらどうでしょうか」
「そうね、今日の下界は星祭の日だったかしら」
地図の上に虫眼鏡をかざせば、その場所の様子がはっきりと見えた。笑っている人間、泣居ている人間、怒っている人間、眠っている人間、真剣に何かに取り組んでいる人間、そして、愛しあっている人間。
「星祭の日だものね」
普段会えない恋人同士が会うことのできる、不思議な力の働く星祭の日。どんなに遠く離れていても、その想いが強ければ運命の力により、必ず会うことができるのだ。
私も下界にいた頃は、この星祭の日が楽しみだった。
まぶたを閉じれば、あの星祭の日が昨日のことのように鮮明に蘇ってくる。
彼と過ごした、星祭の日が。
*****
約束は、村の外れにある丘の上だった。村が見渡せるこの場所を気に入ったのは、私ではなく、彼だった。
空が星で埋め尽くされる頃、彼はその場所にやってきた。
「✕✕✕✕✕✕待たせたね、ごめん」
「そんな事ないわ。今年も来てくれて嬉しいの」
彼を一目見るだけで、燃えるように体が熱くなる。まるで太陽にでもなってしまったようだ。
そんな私のことを、彼はたくましい腕で抱きしめる。鍛え上げられたその体は、村にいるどの男よりも美しかった。
「今年は、屋台がたくさん出ているの」
煌々と輝く村の中心部を指差して私は言う。
「そうか、屋台を見に行くのもいいな。腹が空いたから、なにか食べるとしよう」
ひょい、と、彼は私を肩に乗せる。
「この方がいい」
「子どもになったみたいだわ」
「愛らしくていいじゃないか」
「私はあなたの子どもではないのよ?」
「そうだな。✕✕✕✕✕✕は子どもではない。恋人だ」
ちっとも照れないでそんな言葉を言うものだから、余計に恥ずかしくなってしまう。でも、今日のすべてを網膜に焼き付けたくて、目をそらさないようにしっかりと彼のことを見つめる。ランタンの明かりに照らされて、彼の頬があたたかなオレンジ色に染まる。
「あの髪飾りは✕✕✕✕✕✕に似合いそうだ」
「あのパイは美味しいのよ」
「ランタンというものは何度見ても美しいな」
「いつかあなたの村の星祭に、私も行くのかしら」
他愛のない話が続く。それが幸せで、こんな時間がずっと続けばいいのにと願う。
しかし、ゆっくりと、そして確実に、時は流れて行く。
一通り屋台を見た私達は、丘の上に戻ってきた。
「そうだ。去年の星祭の日に、こちらの村の食べ物を知りたがっていただろう?」
彼が住んでいる場所は天の川の向こう側。私が今いる世界とどんな風に違うのか、私は何度も彼に尋ねていたのだった。
腰に下げていた袋の中から、彼は赤い果実を取り出した。手のひらと同じくらいの大きさで、固く、表面はつややかだ。
「これは苹果だ。✕✕✕✕✕✕が、もし僕の場所に来てもいいと思っているのなら、この苹果を分け合わないか?」
「いただくわ」
「君ならそう言ってくれると信じていたよ」
彼はその苹果を半分に割り、私に差し出した。
彼に倣って、私も苹果を齧る。甘くて、瑞々しい。こんなに美味しい果実は初めてだ。
「これは愛なんだ」
彼はそういった。
「愛?」
私にはわからなかった。
「そうさ。いつか君にもわかるよ。この苹果は宇宙そのものであり、愛なのだよ」
*****
「運命の女神、どうかしたのですか?」
その声ではっとする。
「これが運命なのならば、全て、嫌いよ」
あの日から彼に会えていない。ここには星祭がないからだろうか。
あの苹果は褒美であったはずなのに、いまこの場所に私は救われてなんかいないのだ。
目の前に並べられた、蝋燭の明かりが揺れる。
火が付けられたばかりであろう長くて白い、きれいな蝋燭。今にも消えてしまいそうな、小さな火を灯している蝋燭。短くて、周りに溶けた蝋の池ができているのに、まだ強い炎で燃える蝋燭。
私は机の上に広げられた地図の中から、それらを引っ張り出しては、その向こう側に戻す作業を繰り返していた。
「そんな事、言っていいのですか?」
私の右隣にいる白い翼を持っている生き物が、私と同じ言語でそう話した。
「ええ、大嫌いよ」
蝋燭には一つ一つに文字が彫られている。その蝋燭と対になる人間の名前や生きる上でのシナリオみたいなものだ。
「命の蝋燭を何度も見ているのに、ですか?」
「そうよ」
命の蝋燭、というのはこの蝋燭の名前。一つ一つが、この地図の上に生きている人間達の命を表しているのだ。
「こんな蝋燭に決められてしまうだなんて、哀れだわ」
左端で弱々しく明かりを灯している蝋燭に、ふうっと息を吹きかける。
「✕✕✕✕✕✕、だめですよ!」
右隣を睨みつける。
「その名前で呼ばないで。そんな私は、もうどこにも居ないのよ」
その名前は、胸を締め付けるような痛みがある。そのたびに、今の自分を消してしまいたくなり、過去を恨み、運命を嫌う。
「申し訳ありません、運命の女神」
そう、その名前で呼べばいい。
今の私は運命の女神。この地図の上にいる人間ならば命の長さも、
「今度またその名前で私を呼ぶなら、お前の蝋燭を消す」
「それは権力の範囲を超える行為です。運命の女神、あなたには私の運命を変える力はありません。それから、無闇に蝋燭を消すのはお辞めください。均衡が崩れてしまいます」
「ちょっとした悪戯よ。何百年も同じことの繰り返しだと飽きるのよ」
私は机の引き出しから新しい蝋燭と、小型ナイフを取り出した。
「次はどんなふうにしようかしら」
「まずは今の下界を知ったらどうでしょうか」
「そうね、今日の下界は星祭の日だったかしら」
地図の上に虫眼鏡をかざせば、その場所の様子がはっきりと見えた。笑っている人間、泣居ている人間、怒っている人間、眠っている人間、真剣に何かに取り組んでいる人間、そして、愛しあっている人間。
「星祭の日だものね」
普段会えない恋人同士が会うことのできる、不思議な力の働く星祭の日。どんなに遠く離れていても、その想いが強ければ運命の力により、必ず会うことができるのだ。
私も下界にいた頃は、この星祭の日が楽しみだった。
まぶたを閉じれば、あの星祭の日が昨日のことのように鮮明に蘇ってくる。
彼と過ごした、星祭の日が。
*****
約束は、村の外れにある丘の上だった。村が見渡せるこの場所を気に入ったのは、私ではなく、彼だった。
空が星で埋め尽くされる頃、彼はその場所にやってきた。
「✕✕✕✕✕✕待たせたね、ごめん」
「そんな事ないわ。今年も来てくれて嬉しいの」
彼を一目見るだけで、燃えるように体が熱くなる。まるで太陽にでもなってしまったようだ。
そんな私のことを、彼はたくましい腕で抱きしめる。鍛え上げられたその体は、村にいるどの男よりも美しかった。
「今年は、屋台がたくさん出ているの」
煌々と輝く村の中心部を指差して私は言う。
「そうか、屋台を見に行くのもいいな。腹が空いたから、なにか食べるとしよう」
ひょい、と、彼は私を肩に乗せる。
「この方がいい」
「子どもになったみたいだわ」
「愛らしくていいじゃないか」
「私はあなたの子どもではないのよ?」
「そうだな。✕✕✕✕✕✕は子どもではない。恋人だ」
ちっとも照れないでそんな言葉を言うものだから、余計に恥ずかしくなってしまう。でも、今日のすべてを網膜に焼き付けたくて、目をそらさないようにしっかりと彼のことを見つめる。ランタンの明かりに照らされて、彼の頬があたたかなオレンジ色に染まる。
「あの髪飾りは✕✕✕✕✕✕に似合いそうだ」
「あのパイは美味しいのよ」
「ランタンというものは何度見ても美しいな」
「いつかあなたの村の星祭に、私も行くのかしら」
他愛のない話が続く。それが幸せで、こんな時間がずっと続けばいいのにと願う。
しかし、ゆっくりと、そして確実に、時は流れて行く。
一通り屋台を見た私達は、丘の上に戻ってきた。
「そうだ。去年の星祭の日に、こちらの村の食べ物を知りたがっていただろう?」
彼が住んでいる場所は天の川の向こう側。私が今いる世界とどんな風に違うのか、私は何度も彼に尋ねていたのだった。
腰に下げていた袋の中から、彼は赤い果実を取り出した。手のひらと同じくらいの大きさで、固く、表面はつややかだ。
「これは苹果だ。✕✕✕✕✕✕が、もし僕の場所に来てもいいと思っているのなら、この苹果を分け合わないか?」
「いただくわ」
「君ならそう言ってくれると信じていたよ」
彼はその苹果を半分に割り、私に差し出した。
彼に倣って、私も苹果を齧る。甘くて、瑞々しい。こんなに美味しい果実は初めてだ。
「これは愛なんだ」
彼はそういった。
「愛?」
私にはわからなかった。
「そうさ。いつか君にもわかるよ。この苹果は宇宙そのものであり、愛なのだよ」
*****
「運命の女神、どうかしたのですか?」
その声ではっとする。
「これが運命なのならば、全て、嫌いよ」
あの日から彼に会えていない。ここには星祭がないからだろうか。
あの苹果は褒美であったはずなのに、いまこの場所に私は救われてなんかいないのだ。
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