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最後の日
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最後の朝が来た。
青より青い空と山の向こうに仁王立ちする入道雲。刺すような太陽の光。シャワーのように降り注ぐ、アブラゼミの声。蚊取り線香の独特な匂いと、畳のイグサの香り。蒸し暑い風が吹いて、土埃が上がる。玄関先に咲く、薄紫色の朝顔。
「今日も暑すぎるんだよ」
ドカドカと、よく日に焼けたガッシリとした体つきの男が部屋の中に入ってくる。
「きょーすけ、おはよう」
私は畳の上に寝転がりながら言う。でも、その言葉は京介に届かない。京介は何もなかったかのように、私の横をそのまま通り抜けて台所へ向かう。
「アイス、何かなかったかな」
そう言いながらガサゴソと冷凍庫の中を漁っている。
「朝ごはんちゃんと食べなくっちゃだめだよ」
「こんなに暑くちゃ、アイスを食べなきゃやっていられないよ」
「ちゃんと朝ごはんを食べなくちゃ夏バテになってしまうんだぞ」
「お、あたりだ。今日はいいことあるかもな」
会話は一つもつながらない。京介に私の言葉は届かない。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
それでも何かの拍子に京介が私のことを見つけてくれるんじゃないかと期待して、私は今日までの四日間、京介に声をかけ続けていた。
チリンチリン、と金魚の描かれた風鈴が軽やかな音を立てる。
「金魚すくい、京介が得意だったな」
幼い頃から毎年行っていた、神社のお祭。人で溢れているにぎやかな参道は、右も左も屋台でいっぱいだった。そのなかの一つに、金魚すくいの屋台があった。
並んだ赤ちょうちんが金魚のいる桶の水面に反射して、ゆらゆらと揺れる。そんな中、京介はあっという間にお椀いっぱいの金魚を掬ってしまうのだった。
「金魚鉢に入れて飼って、死んでしまったときは大泣きして大変だったっけ」
私のときも、京介は……。
*****
太陽はもう随分高いところまで昇っていた。
「もう、今日で最後なのに。今日こそは気づいてもらわなくっちゃ」
私は京介の仕事場に遊びに行くことにした。
「もっと右だ。いや、行き過ぎ……。そう、そのへんで降ろしてくれ」
「オーライ、オーライ、ストップ」
「こっちに足りないぞ!」
「先にここに出してくれ!」
大きな声が飛び交うそこには、たくさんの長いアームの付いた重機が並んでいた。
ガシャン、ドガン、ガシャガシャ。
重機は目の前にある平屋建ての建物をゆっくりと壊していく。まるで怪獣のようだ。柱をへし折り、壁に穴を開け、踏み潰すように壊していく。
そこにあった思い出も、そこに住んでいた人の存在も、更地にしていく。
「もう、誰もいないんだ。みんなみんな、いなくなっちゃったんだ」
涙がこぼれそうになるのをぐっと堪える。下を向いても足元には影なんて出来ていなくって、真っ白くて小さな足があるだけだった。
とぼとぼと京介の家に帰る。もう、私が帰る場所なんてどこにもないからだ。
ゆっくりと太陽は西に傾いて、全てをオレンジ色に染め上げる。まるであのときの炎のようだ。
こんな色、嫌いだ。
あんなことがなかったら、ずっと一緒に入られたかもしれなかったのに。
こんな色、嫌いだ。
あんなことがなかったら、まだ京介と話せたのに。
こんな色、嫌いだ。
あんなことがなかったら、今の私はこんな体じゃなかったのに。
こんな色、大嫌いだ。
庭先の朝顔はもうしぼんでいた。
*****
パチ、パチ、パチとなにかが爆ぜる音が庭先から聞こえる。
「もう、時間なのね」
重たい足取りで庭先に向かう。
「祐奈、今年は来ていたのかな」
「来ているよ、ここに」
その声は交わることがない。
それでも私は……。
青より青い空と山の向こうに仁王立ちする入道雲。刺すような太陽の光。シャワーのように降り注ぐ、アブラゼミの声。蚊取り線香の独特な匂いと、畳のイグサの香り。蒸し暑い風が吹いて、土埃が上がる。玄関先に咲く、薄紫色の朝顔。
「今日も暑すぎるんだよ」
ドカドカと、よく日に焼けたガッシリとした体つきの男が部屋の中に入ってくる。
「きょーすけ、おはよう」
私は畳の上に寝転がりながら言う。でも、その言葉は京介に届かない。京介は何もなかったかのように、私の横をそのまま通り抜けて台所へ向かう。
「アイス、何かなかったかな」
そう言いながらガサゴソと冷凍庫の中を漁っている。
「朝ごはんちゃんと食べなくっちゃだめだよ」
「こんなに暑くちゃ、アイスを食べなきゃやっていられないよ」
「ちゃんと朝ごはんを食べなくちゃ夏バテになってしまうんだぞ」
「お、あたりだ。今日はいいことあるかもな」
会話は一つもつながらない。京介に私の言葉は届かない。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
それでも何かの拍子に京介が私のことを見つけてくれるんじゃないかと期待して、私は今日までの四日間、京介に声をかけ続けていた。
チリンチリン、と金魚の描かれた風鈴が軽やかな音を立てる。
「金魚すくい、京介が得意だったな」
幼い頃から毎年行っていた、神社のお祭。人で溢れているにぎやかな参道は、右も左も屋台でいっぱいだった。そのなかの一つに、金魚すくいの屋台があった。
並んだ赤ちょうちんが金魚のいる桶の水面に反射して、ゆらゆらと揺れる。そんな中、京介はあっという間にお椀いっぱいの金魚を掬ってしまうのだった。
「金魚鉢に入れて飼って、死んでしまったときは大泣きして大変だったっけ」
私のときも、京介は……。
*****
太陽はもう随分高いところまで昇っていた。
「もう、今日で最後なのに。今日こそは気づいてもらわなくっちゃ」
私は京介の仕事場に遊びに行くことにした。
「もっと右だ。いや、行き過ぎ……。そう、そのへんで降ろしてくれ」
「オーライ、オーライ、ストップ」
「こっちに足りないぞ!」
「先にここに出してくれ!」
大きな声が飛び交うそこには、たくさんの長いアームの付いた重機が並んでいた。
ガシャン、ドガン、ガシャガシャ。
重機は目の前にある平屋建ての建物をゆっくりと壊していく。まるで怪獣のようだ。柱をへし折り、壁に穴を開け、踏み潰すように壊していく。
そこにあった思い出も、そこに住んでいた人の存在も、更地にしていく。
「もう、誰もいないんだ。みんなみんな、いなくなっちゃったんだ」
涙がこぼれそうになるのをぐっと堪える。下を向いても足元には影なんて出来ていなくって、真っ白くて小さな足があるだけだった。
とぼとぼと京介の家に帰る。もう、私が帰る場所なんてどこにもないからだ。
ゆっくりと太陽は西に傾いて、全てをオレンジ色に染め上げる。まるであのときの炎のようだ。
こんな色、嫌いだ。
あんなことがなかったら、ずっと一緒に入られたかもしれなかったのに。
こんな色、嫌いだ。
あんなことがなかったら、まだ京介と話せたのに。
こんな色、嫌いだ。
あんなことがなかったら、今の私はこんな体じゃなかったのに。
こんな色、大嫌いだ。
庭先の朝顔はもうしぼんでいた。
*****
パチ、パチ、パチとなにかが爆ぜる音が庭先から聞こえる。
「もう、時間なのね」
重たい足取りで庭先に向かう。
「祐奈、今年は来ていたのかな」
「来ているよ、ここに」
その声は交わることがない。
それでも私は……。
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