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月の夜
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夜空を覆う雲は薄く、満月の明かりが透けて見えた。小さな川の土手に、一台のバンが停まっている。その中には、三っつの人影があった。
「やめたい人はいないよね」
運転席からナオユキは声をかけた。黒いタンクトップに、迷彩のパンツをはいている青年だ。
ナオユキは本名ではない。ここにいる者全員、お互いの本名を知らない。知っているのはSNSのアカウント名だけだ。
「いるなら、今のうちだよ。大丈夫。文句言わないからさ」
「やめるくらいなら、最初からここに来ないさ」
くたびれた背広を着た中年男のヤマタカは、ため息混りに言った。
後部座席に座る彼の足元には、練炭の入った七輪が何個か並んでいた。
「じゃあ、始めちゃっていいよね。少し早いけど」
疲れたように言ったのはW(ダブリュー)だった。まだ学生らしいWは、まるで近所に買い物に出たようなシャツとジーパンだった。
三人が出会ったのは、ナオユキがSNSで発信した自殺仲間募集の書き込みがきっかけだった。ここに来る前に、ファミリーレストランで最期の晩餐をとったとき、お互いの身の上話をした。ナオユキは不治の病、ヤマタカは借金、Wは失恋と受験の失敗。どれもこれも、ありがちだが死にたくなるのに十分な理由だ。
車に取り付けられた時計は十一時四十五分を表示している。深夜零(れい)時が決行の時間だが、十五分くらい早かろうが遅かろうが誰も気にしないだろう。
ナオユキは、持っていた大きなバッグの中からガムテープを取り出した。
皆、協力してガムテープで車の目張りを始めた。
それが終わると、Wが睡眠薬の白い錠剤とペットボトルを皆に配る。
練炭に火をつけて、これを飲めば苦しむことなくあの世に行けるだろう。
「でもよかったね、最期の夜がきれいな満月で」
ナオユキは、ガムテープの間から見える窓から夜空を見上げる。
雲が風で流れ、コンパスで描いたような月が見える。
「じゃあ、おやすみ」
Wが練炭に火をつけた。
三人は、シートに座ったまま動かなくなった。月は再び雲に隠れ、また現れる。
どれくらい時間が経ったのか、一つの影が立ち上がった。
ナオユキだった。練炭のせいで車の中は暑い。ナオユキは額の汗をぬぐった。
大きなバッグの中には、空気で膨らんだビニール袋が入っている。ナオユキはそこから伸びたホースをくわえていた。
ナオユキはスマートフォンを取り出し、動かないヤマタカの写真を撮る。
ヤマタカの顔は、ひどくゆがんでいた。唇の端から舌がのぞいているのが暑さにバテた犬のようでなんとも情けない。
いくら本物でも、死体の写真などアンダーグラウンドのサイトではありきたりで、はした金にしかならない。これは純粋にナオユキの趣味だった。
ナオユキの両親は、顔を合わせると怒鳴り合い、暴力を振るい合っていた。父は母の髪をつかんで怒鳴り、父は母の片目を指でむしり取ろうとしていた。
そんな日々に嫌気がさしたのだろう、母は父と自分自身に毒を盛った。静かに横たわる二人を見たとき、ナオユキを襲ったのは「なんてキレイなんだろう」という感動だった。
もうお互いの悪口を言い合うこともなく、殴り合うこともない。ただ、眠るように横たわり、やさしい顔をしている。
それからナオユキは、死体の写真をみるのが趣味になった。そのうち、写真だけではものたりなくなり、こうして集団自殺にまぎれこむようになった。もちろん、仲間に話した自殺の動機は嘘っぱち。
睡眠薬を飲むふりをし、こうしてこっそりと空気を吸う。もっとも、ナオユキ以外睡眠薬を飲んで意識がもうろうとしているのだから、自分だけ生き残ろうとしているのがバレても止めることはできないだろう。 ダイビング用のボンベではないのですぐに空気は尽きてしまうが、長居をするわけではないので問題はない。ただ写真を撮って、金目の物があれば失敬するだけの短い間だ、充分間に合う。
蒼ざめたWの顔。よくみると結構整った顔をしている。クラスの女子達にキャーキャー言われていただろうに、なんで自殺なんか。まあ、それももうどうでもいい。
Wの胸に、銀色のペンダントが乗っていた。紋章の形をしたどこにでもある者だが、売ればポテトチップス代くらいにはなるだろう。
ナオユキの手が、Wの首元に伸びる。
細い指が、ナオユキの手首をつかんだ。
死んでいるはずのWが、瞼を開け、ナオユキを見つめている。
「それ、僕のだから」
Wの瞳の中に、目を見開いているナオユキが映っている。
Wはクックッと笑った。
「『なんで死んでないか不思議』って言いたそうだね」
ほんの少し、Wの視線が車の時計にむいた。つられてナオユキも視線を送る。
ナオユキは、Wの手を振りほどこうと身をよじった。だが食い込んだ指は緩むどころか痛いほど握りしめてくる。
ピシッと音をたて、練炭が小さく爆ぜた。
「だって、僕は人間じゃないからね」
食い込んだ爪がナオユキの皮膚を破り、あふれた血が汗と一緒に流れていく。
Wの手の甲に、ヒビのような模様ができた。それは生えてきた数本の毛だった。ヒビは和を増し、皮膚を覆いつくし、最後には毛皮になる。
Wの体は内側から歪(いびつ)に膨れ上がり、二回りも大きくなった。
「狼男なんだ。もっともだいぶ血が薄くなっていて、満月が出ても深夜じゃないと変身できないけど」
今やWは手だけでなく、全身が細い針金のような毛に覆われていた。牙の生えた口から、人間の言葉が流れ出るのは漫画じみていていて、妙に現実感がなかった。
「これでも、できる限り人間に迷惑をかけないようにしているんだよ? どうしても人を食べたくなるけど、問答無用に通りすがりの人を襲うんじゃなくて、せめて死にたがってる人の方がマシだろうって」
大きくWは口を開いた。
月が雲間からのぞいて、とある川のほとりを照らし出す。風に合わせ、土手の草がざわざわと波だった。深夜のことで、あたりに歩く人はいない。ただ内側が血に染められた小さなバンがあるばかり。
「やめたい人はいないよね」
運転席からナオユキは声をかけた。黒いタンクトップに、迷彩のパンツをはいている青年だ。
ナオユキは本名ではない。ここにいる者全員、お互いの本名を知らない。知っているのはSNSのアカウント名だけだ。
「いるなら、今のうちだよ。大丈夫。文句言わないからさ」
「やめるくらいなら、最初からここに来ないさ」
くたびれた背広を着た中年男のヤマタカは、ため息混りに言った。
後部座席に座る彼の足元には、練炭の入った七輪が何個か並んでいた。
「じゃあ、始めちゃっていいよね。少し早いけど」
疲れたように言ったのはW(ダブリュー)だった。まだ学生らしいWは、まるで近所に買い物に出たようなシャツとジーパンだった。
三人が出会ったのは、ナオユキがSNSで発信した自殺仲間募集の書き込みがきっかけだった。ここに来る前に、ファミリーレストランで最期の晩餐をとったとき、お互いの身の上話をした。ナオユキは不治の病、ヤマタカは借金、Wは失恋と受験の失敗。どれもこれも、ありがちだが死にたくなるのに十分な理由だ。
車に取り付けられた時計は十一時四十五分を表示している。深夜零(れい)時が決行の時間だが、十五分くらい早かろうが遅かろうが誰も気にしないだろう。
ナオユキは、持っていた大きなバッグの中からガムテープを取り出した。
皆、協力してガムテープで車の目張りを始めた。
それが終わると、Wが睡眠薬の白い錠剤とペットボトルを皆に配る。
練炭に火をつけて、これを飲めば苦しむことなくあの世に行けるだろう。
「でもよかったね、最期の夜がきれいな満月で」
ナオユキは、ガムテープの間から見える窓から夜空を見上げる。
雲が風で流れ、コンパスで描いたような月が見える。
「じゃあ、おやすみ」
Wが練炭に火をつけた。
三人は、シートに座ったまま動かなくなった。月は再び雲に隠れ、また現れる。
どれくらい時間が経ったのか、一つの影が立ち上がった。
ナオユキだった。練炭のせいで車の中は暑い。ナオユキは額の汗をぬぐった。
大きなバッグの中には、空気で膨らんだビニール袋が入っている。ナオユキはそこから伸びたホースをくわえていた。
ナオユキはスマートフォンを取り出し、動かないヤマタカの写真を撮る。
ヤマタカの顔は、ひどくゆがんでいた。唇の端から舌がのぞいているのが暑さにバテた犬のようでなんとも情けない。
いくら本物でも、死体の写真などアンダーグラウンドのサイトではありきたりで、はした金にしかならない。これは純粋にナオユキの趣味だった。
ナオユキの両親は、顔を合わせると怒鳴り合い、暴力を振るい合っていた。父は母の髪をつかんで怒鳴り、父は母の片目を指でむしり取ろうとしていた。
そんな日々に嫌気がさしたのだろう、母は父と自分自身に毒を盛った。静かに横たわる二人を見たとき、ナオユキを襲ったのは「なんてキレイなんだろう」という感動だった。
もうお互いの悪口を言い合うこともなく、殴り合うこともない。ただ、眠るように横たわり、やさしい顔をしている。
それからナオユキは、死体の写真をみるのが趣味になった。そのうち、写真だけではものたりなくなり、こうして集団自殺にまぎれこむようになった。もちろん、仲間に話した自殺の動機は嘘っぱち。
睡眠薬を飲むふりをし、こうしてこっそりと空気を吸う。もっとも、ナオユキ以外睡眠薬を飲んで意識がもうろうとしているのだから、自分だけ生き残ろうとしているのがバレても止めることはできないだろう。 ダイビング用のボンベではないのですぐに空気は尽きてしまうが、長居をするわけではないので問題はない。ただ写真を撮って、金目の物があれば失敬するだけの短い間だ、充分間に合う。
蒼ざめたWの顔。よくみると結構整った顔をしている。クラスの女子達にキャーキャー言われていただろうに、なんで自殺なんか。まあ、それももうどうでもいい。
Wの胸に、銀色のペンダントが乗っていた。紋章の形をしたどこにでもある者だが、売ればポテトチップス代くらいにはなるだろう。
ナオユキの手が、Wの首元に伸びる。
細い指が、ナオユキの手首をつかんだ。
死んでいるはずのWが、瞼を開け、ナオユキを見つめている。
「それ、僕のだから」
Wの瞳の中に、目を見開いているナオユキが映っている。
Wはクックッと笑った。
「『なんで死んでないか不思議』って言いたそうだね」
ほんの少し、Wの視線が車の時計にむいた。つられてナオユキも視線を送る。
ナオユキは、Wの手を振りほどこうと身をよじった。だが食い込んだ指は緩むどころか痛いほど握りしめてくる。
ピシッと音をたて、練炭が小さく爆ぜた。
「だって、僕は人間じゃないからね」
食い込んだ爪がナオユキの皮膚を破り、あふれた血が汗と一緒に流れていく。
Wの手の甲に、ヒビのような模様ができた。それは生えてきた数本の毛だった。ヒビは和を増し、皮膚を覆いつくし、最後には毛皮になる。
Wの体は内側から歪(いびつ)に膨れ上がり、二回りも大きくなった。
「狼男なんだ。もっともだいぶ血が薄くなっていて、満月が出ても深夜じゃないと変身できないけど」
今やWは手だけでなく、全身が細い針金のような毛に覆われていた。牙の生えた口から、人間の言葉が流れ出るのは漫画じみていていて、妙に現実感がなかった。
「これでも、できる限り人間に迷惑をかけないようにしているんだよ? どうしても人を食べたくなるけど、問答無用に通りすがりの人を襲うんじゃなくて、せめて死にたがってる人の方がマシだろうって」
大きくWは口を開いた。
月が雲間からのぞいて、とある川のほとりを照らし出す。風に合わせ、土手の草がざわざわと波だった。深夜のことで、あたりに歩く人はいない。ただ内側が血に染められた小さなバンがあるばかり。
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