夢幻怪浪

三塚 章

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テレビデオ

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 旅行先でたまたまのぞいたフリーマーケットで、コウヘイは信じられないものをみつけた。
 一台の、灰色のテレビデオ。テレビ画面の下にビデオテープを入れる場所があるもので、最近はめったに見なくなった。
 今どきそんな物が売っているのも珍しいが、驚いたのはそれではない。そのテレビデオに見覚えがあったのだ。
 てっぺんについた傷、横についたシールの跡。子供のころに使っていた物と、まったく同じだった。
「これ、ひょっとして家で使ってたものじゃないか?」
 思わず口に出すと、それを聞いていた店のおじさんが身を乗り出してきた。
「へえ、そりゃ珍しい。ここで再会したのも何かの縁だろう。持ってくんならタダでいいよ」
 と言われても、アナログ放送はもう終了しているから、テレビ番組はもう見られない。ただ、ジャマになるだけでは? いや、でも物置で山になっている、DVDに落としそこねたビデオを見ることはできるはずだ。
 そんな理由をつけて、コウヘイは懐かしいだけで使い道のなさそうなテレビデオをもらったのだった。

 旅行先から戻ると、荷物と一緒に送っておいたテレビデオはもう家に届いていた。
「ほら、懐かしいものを持ってきたよ」
 梱包を解いて、寝たきりの父に話しかける。
 父は脳梗塞で倒れ、それ以来ずっとベッドから離れられないでいた。もちろんコウヘイも仕事があるので、ヘルパーや親戚の協力でなんとかやっている。この間の旅行は、息抜きに思い切って決行したものだ。
  コウヘイは、テレビデオを父の枕元に置いた。
「あ、あ」
 父親は、何か言いたげに皺(しわ)だらけの口を動かしたが、明確な言葉にはならなかった。
 哀れみと蔑みがコウヘイの心に湧き上がる。
 母親が階段から足をすべらせて死んでから、父親は一人でコウヘイを育ててきた。いや、死なない程度に生かしてくれた、という方が正確だろう。食べ物は毎日菓子パン一個だったし、穴があくまで新しい洋服を買ってもらえなかった。きっと、かわいくないガキに使う金があったら酒と女とパチンコに使いたかったのだ。
 それでも育ててくれたのは事実だし、きっと父も母が亡くなって壊れてしまったのだろう。そう言い自分に言い聞かせ、今までコウヘイは父親の世話をしてきた。
 けれど、それももうしばらくで終わるはずだ。そう思わせるほど弱った父の姿が、悲しいのか嬉しいのか、コウヘイには分からなかった。
 その夜、便所に行きたくなってコウヘイは目を覚ました。父が寝ている部屋の横の廊下を通る。
 ザザザ、と波を思わせるノイズがした。真っ暗にしておいたはずの父の部屋、その障子から光が漏れている。
 そっと部屋の中を覗き込むと、あのテレビデオのブラウン管が砂嵐を映し出している。
(ああ、父がつけたのかな?)
 そう思ったあとで、それがあり得ないことだと気がついた。
 リモコンはもうなくなっているし、寝たきりの父が直接歩いて行ってテレビをつけられるはずがない。第一、コンセントは刺されもしないで畳の上にそのままになっている。
 画面の明かりは、ぼんやりと父の顔を照らし出していた。その明かりが目玉に反射して、彼が目覚まして砂嵐を眺めているのを知る。
 突然、甲高い笑い声が響いた。ノイズに混じって少年、というか幼児の笑い声がする。
『あら、コウちゃんご機嫌ね~』
 母だ。母が僕の名前を呼んでいる。
(じゃあ、笑っているのは俺?)
『じゃあ、お歌うたいましょう。ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデートゥーユー』
 今よりも若い父の歌声も混じっている。
(思い出した。小さいとき誕生日を祝ってもらった。たしか、このあと俺がジュースをこぼして……)
 コップがテーブルに倒れた音。父と母の、笑い混りの悲鳴があがった。
 過去の音声を流すテレビデオ。よく考えるまでもなく、それは怪奇現象そのものだ。けれど、コウヘイは怖いとは思えなかった。
「う……うう……」
 呻きながら、父が涙を流していた。

 テレビデオは、それから夜な夜なランダムに過去の音声を流すようになった。コウヘイは父親と一緒に雑音混りの過去の記憶を聴いた。
 流れてくるのは、今晩のおかずは何がいいとか、雨が降りそうだ、とか、一日もせずに忘れてしまうような何でもない言葉。どれも、母が生きていたときの古い記憶。
「お外、ちょうちょがいたよ」
 とコウヘイが言えば、
「本当? もうすっかり春ね。さあ、棚にお菓子があるから手を洗って!」
 と母が応える。
 そういった会話を聞くたびに、父は涙を流していた。戻らない日々を懐かしんでいるのだろう。愛する妻がいた日々のことを。
(やっぱり、父も昔はまともな人間だったんだ……)
 そうだった。小さいとき、父は自分を愛してくれた。どうしてそれを忘れていたのだろう?
『あはははは!』
 そう思った瞬間、薄闇に一際(ひときわ)高く笑い声が響いた。
(ああ、そうか、この音は母さんがやってるんだ)
 亡くなった母は、こういった記憶を僕に聞かせ、僕に父を許してくれと言っているのかもしれない。コウヘイはそう思った。
 父は、この幸せな時間がなくなったせいでおかしくなってしまったのだと。彼も悲劇の犠牲者なのだと。
(そういえば、今日は母さんの命日だったな……)
 画面の砂嵐が大きく揺れた。音声と雑音が止む。急に起こった静寂は、大きな音と同じくらいにインパクトがあった。
 画面に、白黒の映像が浮かびあがった。昔の無音映画のように。
 何かを言い合う父と母。
 高笑いする知らない裸の女。
 階段の上から、下の階の床を見下ろすアングル。
 回転。
 暗闇。
 それきり、テレビには何も映らない。
 体が震えた。畳がなにか柔らかな素材に変わったのではないかと思うほど足元がおぼつかなくなる。
 そうか。父は女と浮気をしていたのだ。そして、それを咎められ、母を階段から突き落とした。
 許してやって欲しかったのではない。母親は、父を訴えたかったのだ。今までの幸せを壊したのは、目の前に横たわっているこの男だと。
「う……う……」
 父のうめき声が聞こえる。
 コウヘイは、得体の知れない生き物を見るように父親を見た。
 
「ええ、もうヘルパーは結構です」
 数日後、コウヘイはスマートフォン越しに相手へ言った。
「少しぐらいなら、一人でも大丈夫です。ちゃんと介護をしますよ。自分の親ですから。ちゃんとね」
 コウヘイは、父の寝室に視線をむけた。身動きもろくにできず、寝たままの父がいる寝室に。
「虐待だってしませんし。ハハハ、冗談ですよ。もっとも、素人の介護になりますから至らないことも出てくるとは思いますけれど……ええ、もう長くないでしょうからそれまで一生懸命……」
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