24 / 37
黒龍 二
しおりを挟む
「燐音」
人影は、繰吟の名を呼んだ。今は偽名代わりに使っている、成人前の童名で。
悲鳴をあげそうになって、繰吟は息を呑む。吐き気に耐えるように口を押さえ、嫌な咳をした。喉が熱い。口から胃まで、溶けた鉄を流し込まれたようだった。
玲帝の顔は蒼白く、頬はこけていた。唇から、一筋真紅の血が流れる。そして、その薄い胸には、腕の太さほどもある鉄の杭がいくつも突き刺さっていた。紫の衣が半分赤く染まっている。
繰吟が瞬きをした次の瞬間には、帝の姿は消えていた。帝が立っていた所で牙を剥き出しているのは、さっきと同じ小龍。しかし、それも今の操吟には目に入らなかった。
いつの間にか繰吟は涙を流していた。玲帝の姿が見えたとき、兄の記憶が流れこんできた。
さっき覚えた喉の違和感は、帝が毒を飲んだときの記憶が流れこんできたのだろう。そのときの玲帝の想いも頭の中に入り込んできた。何が起こったのかという不安、そして毒を盛られたと知った恐怖。手を下した者への怒り。そして、その者が繰吟の部下だったという驚き。それはつまり、命じたのが他ではない、燐音であるという……
「うわあああ!」
燐音は頭を押さえ、悪い夢を振りほどこうと首を振った。流れ込んできたのが憎しみだけならまだ良かった。燐音に対する憎しみに、今にも消えそうなほどほんのわずかに許しの念が交じっている。
繰吟に殺されたと思いながら死んだ兄。繰吟を恨んでいながら、罪を許そうとしていた。自分亡き後の心配までしていた。その憎悪も、いたわりも、両方偽りのない本心だろう。
「兄上、都を呪う依代にされているのか。蛙や毒虫のように」
玲帝は繰吟を許してくれていた。それなのに魂に杭を打たれ、憎しみを無理にかきたてられ、死してなお安らぎを得られていない。繰吟の涙は止まらなかった。
「繰吟様!」
脳を貫き、右耳から左耳に抜けるような不快な金属音で、操吟は我に返った。
「何事ですか、操吟様!」
いつの間にやって来たのか、舞扇が操吟の前に立ち、襲ってきた龍を刀が止めていた。舞扇は一度さがって間を取ると、横なぎに刀を一閃させた。
ヘドロのようになったヒルコは、ぼたぼたと廊下の床に落ちた。そして蒸発するように消えていく。カチリという音がして、鏡が落ちた。
「操吟様。これは一体」
突然の事で驚いたのか、舞扇は乱れた息を整えようとしていた。
「あれは、鏡に宿った兄の記憶だ。ヒルコに兄の鏡を――」
説明する自分の声が、ひどく遠くに聞こえた。
「あれは……。あれは、帝の恨みが込められた荒ぶる神だったのですか」
うつむいたまま、舞扇は操吟と視線を合わせようとしなかった。まるで何かの病の発作が出たように、舞扇は震えていた。
「舞扇?」
ひどく怯えているような、傷ついているような舞扇の様子に操吟は不安になった。
人影は、繰吟の名を呼んだ。今は偽名代わりに使っている、成人前の童名で。
悲鳴をあげそうになって、繰吟は息を呑む。吐き気に耐えるように口を押さえ、嫌な咳をした。喉が熱い。口から胃まで、溶けた鉄を流し込まれたようだった。
玲帝の顔は蒼白く、頬はこけていた。唇から、一筋真紅の血が流れる。そして、その薄い胸には、腕の太さほどもある鉄の杭がいくつも突き刺さっていた。紫の衣が半分赤く染まっている。
繰吟が瞬きをした次の瞬間には、帝の姿は消えていた。帝が立っていた所で牙を剥き出しているのは、さっきと同じ小龍。しかし、それも今の操吟には目に入らなかった。
いつの間にか繰吟は涙を流していた。玲帝の姿が見えたとき、兄の記憶が流れこんできた。
さっき覚えた喉の違和感は、帝が毒を飲んだときの記憶が流れこんできたのだろう。そのときの玲帝の想いも頭の中に入り込んできた。何が起こったのかという不安、そして毒を盛られたと知った恐怖。手を下した者への怒り。そして、その者が繰吟の部下だったという驚き。それはつまり、命じたのが他ではない、燐音であるという……
「うわあああ!」
燐音は頭を押さえ、悪い夢を振りほどこうと首を振った。流れ込んできたのが憎しみだけならまだ良かった。燐音に対する憎しみに、今にも消えそうなほどほんのわずかに許しの念が交じっている。
繰吟に殺されたと思いながら死んだ兄。繰吟を恨んでいながら、罪を許そうとしていた。自分亡き後の心配までしていた。その憎悪も、いたわりも、両方偽りのない本心だろう。
「兄上、都を呪う依代にされているのか。蛙や毒虫のように」
玲帝は繰吟を許してくれていた。それなのに魂に杭を打たれ、憎しみを無理にかきたてられ、死してなお安らぎを得られていない。繰吟の涙は止まらなかった。
「繰吟様!」
脳を貫き、右耳から左耳に抜けるような不快な金属音で、操吟は我に返った。
「何事ですか、操吟様!」
いつの間にやって来たのか、舞扇が操吟の前に立ち、襲ってきた龍を刀が止めていた。舞扇は一度さがって間を取ると、横なぎに刀を一閃させた。
ヘドロのようになったヒルコは、ぼたぼたと廊下の床に落ちた。そして蒸発するように消えていく。カチリという音がして、鏡が落ちた。
「操吟様。これは一体」
突然の事で驚いたのか、舞扇は乱れた息を整えようとしていた。
「あれは、鏡に宿った兄の記憶だ。ヒルコに兄の鏡を――」
説明する自分の声が、ひどく遠くに聞こえた。
「あれは……。あれは、帝の恨みが込められた荒ぶる神だったのですか」
うつむいたまま、舞扇は操吟と視線を合わせようとしなかった。まるで何かの病の発作が出たように、舞扇は震えていた。
「舞扇?」
ひどく怯えているような、傷ついているような舞扇の様子に操吟は不安になった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
恋愛
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
出来損ないの私がお姉様の婚約者だった王子の呪いを解いてみた結果→
AK
恋愛
「ねえミディア。王子様と結婚してみたくはないかしら?」
ある日、意地の悪い笑顔を浮かべながらお姉様は言った。
お姉様は地味な私と違って公爵家の優秀な長女として、次期国王の最有力候補であった第一王子様と婚約を結んでいた。
しかしその王子様はある日突然不治の病に倒れ、それ以降彼に触れた人は石化して死んでしまう呪いに身を侵されてしまう。
そんは王子様を押し付けるように婚約させられた私だけど、私は光の魔力を有して生まれた聖女だったので、彼のことを救うことができるかもしれないと思った。
お姉様は厄介者と化した王子を押し付けたいだけかもしれないけれど、残念ながらお姉様の思い通りの展開にはさせない。
この野菜は悪役令嬢がつくりました!
真鳥カノ
ファンタジー
幼い頃から聖女候補として育った公爵令嬢レティシアは、婚約者である王子から突然、婚約破棄を宣言される。
花や植物に『恵み』を与えるはずの聖女なのに、何故か花を枯らしてしまったレティシアは「偽聖女」とまで呼ばれ、どん底に落ちる。
だけどレティシアの力には秘密があって……?
せっかくだからのんびり花や野菜でも育てようとするレティシアは、どこでもやらかす……!
レティシアの力を巡って動き出す陰謀……?
色々起こっているけれど、私は今日も野菜を作ったり食べたり忙しい!
毎日2〜3回更新予定
だいたい6時30分、昼12時頃、18時頃のどこかで更新します!
ほんの少しの仕返し
turarin
恋愛
公爵夫人のアリーは気づいてしまった。夫のイディオンが、離婚して戻ってきた従姉妹フリンと恋をしていることを。
アリーの実家クレバー侯爵家は、王国一の商会を経営している。その財力を頼られての政略結婚であった。
アリーは皇太子マークと幼なじみであり、マークには皇太子妃にと求められていたが、クレバー侯爵家の影響力が大きくなることを恐れた国王が認めなかった。
皇太子妃教育まで終えている、優秀なアリーは、陰に日向にイディオンを支えてきたが、真実を知って、怒りに震えた。侯爵家からの離縁は難しい。
ならば、周りから、離縁を勧めてもらいましょう。日々、ちょっとずつ、仕返ししていけばいいのです。
もうすぐです。
さようなら、イディオン
たくさんのお気に入りや♥ありがとうございます。感激しています。
王太子妃に興味はないのに
藤田菜
キャラ文芸
眉目秀麗で芸術的才能もある第一王子に比べ、内気で冴えない第二王子に嫁いだアイリス。周囲にはその立場を憐れまれ、第一王子妃には冷たく当たられる。しかし誰に何と言われようとも、アイリスには関係ない。アイリスのすべきことはただ一つ、第二王子を支えることだけ。
その結果誰もが羨む王太子妃という立場になろうとも、彼女は何も変わらない。王太子妃に興味はないのだ。アイリスが興味があるものは、ただ一つだけ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる